に投稿 コメントを残す

ルイ・ド・ブロイ
【電子の仮説を極め、新概念の物質波を生んだフランス貴族】-8/30改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

偉人たちの挑戦(3)物理学編II (サイエンス探究シリーズ)
価格:3,080円(税込、送料無料) (2024/1/17時点)

楽天で購入

 

 

【スポンサーリンク】
【1892年8月15日生まれ~1987年3月19日没】

【出典:Wikimedia CommonsLouis de Broglie】

名門家に生まれたド・ブロイ

ルイ・ド・ブロイはフランス貴族、公爵の血を引いてます。

その血筋は由緒正しいのです。そもそも、

フランス国王ルイ14世により授爵頂いていた

名門貴族・ブロイ家の血筋であって、ルイ・ド・ブロイは

直系子孫です。兄の没後は兄に子供が居なかった

事情もあって、正式に侯爵家の当主を務めています。

ルイ・ド・ブロイはフランスの首相を二期務めた第4代の当主である
アルベール・ド・ブロイの孫です。それだから、
ルイの生誕時に、その父は当時公子でした。
こんな逸話が沢山あるのですね。

そんなルイ・ド・ブロイは独自に優れた仮説を進め、

ド・ブロイ波(物質波)の考えにたどり着くのです。

ドブロイの物質波 

そのルイ・ド・ブロイの考えは初めは中々
理解されませんでした。
関連して
超有名なエピソードがあります。

ルイ・ドブロイの博士論文の審査過程で教授達が
ド・ブロイの考えを理解出来ず、
かのアインシュタインに意見を求めたのです。

すると、
「ド・ブロイの考えは博士論文よりも
ノーベル賞に値する」
とアインシュタインから評価され、
絶賛され、更に物質波の考えを進めていく事が出来たのです。

その考えはパラダイムシフトでした。
粒子の二面性の考えは
現代量子力学の根幹をなしていて、
とても大事な考えです。
ドブロイを含めた学者達が議論を重ね、
当時の物理学の常識を変えていったのです。

物質の二面性

波が粒子性を持つのと同時に、
粒子である
と考えられていた電子も、
実際には波動性を持つだろう
という考え
がドブロイ波の本質です。

現代量子力学の理解ではこの二面性は当たり前ですが、

波動性を持つがゆえに、電子は
原子核の周囲で任意の状態を取れるのではなく、
ド・ブロイ波が干渉条件を満たす
定常状態のみが許されると考えられます。

それは「古典的な軌道」というより、
空間に広がった波としての電子が
特定の条件下でのみ安定して存在できる、
という量子力学的な描像です。

実際に我々は原子の周りを運動する電子を
直接の観測にかける事は出来ません。

ド・ブロイ波が変えた電子の見方

ド・ブロイの物質波という考え方が重要なのは、
電子を単純な「小さな粒」として考えるだけではなく、
波としての性質も持つ存在として捉え直した点にあります。

それまでの原子模型では、電子が原子核の周囲を運動する
というイメージが重要でした。しかしド・ブロイは、
粒子として知られていた電子にも波長を対応させることを考えました。

この考え方は、後に量子力学で発展する
波動関数シュレディンガー方程式へと
つながっていきます。
つまり、ド・ブロイの物質波は、
「粒子なのか波なのか」という二者択一ではなく、
微視的な存在を粒子と波の両面から捉えるための重要な一歩だったのです。

この考え方を理解すると、電子の状態が古典物理のように
自由な値を取るのではなく、量子力学的な条件によって
特定の状態として現れることも理解しやすくなります。

そして、この「粒子と波」という二つの側面を考える議論は、
ド・ブロイだけで完結したものではありません。
ニールス・ボーア
原子模型、ハイゼンベルク
量子力学、そしてシュレディンガー
波動力学へと議論が連続していきます。

 電子の軌道半径は規則があり、
ド・ブロイ波の理論が理に叶うのです。

逆に考えれば特定波長の整数倍の運動しか、
その電子が取る状態は許されないのです。

特定原子核の周りを回る電子は特徴的な波長の整数倍
を定常状態として周期運動を続け、
定常状態間の遷移が
起きる際に放射線が生じる事実は、
ドブロイを初めとする
考えがあってこそ
成立する概念なのです。

それこそが電子の存在なのです。

実際に数年後にルイ・ド・ブロイは
ノーベル賞
を受賞します。

いつの時代も中々、斬新な新しい考えは
理解出来されないものですね。

関連する物理学者

この分野の物理学者:
ハイゼンベルク
ディラック
アインシュタイン

ド・ブロイの考えを検証した物理学者

物質波という考え方は、理論だけで終わったわけではありません。
電子の波動性は、その後の実験によって検証されていきます。

こうした「理論上の予想が実験によって確かめられる」という流れを
追うことで、量子力学がどのように形成されていったのかが
より分かりやすくなります。

関連する人物として、
G・P・トムソンなどの
電子の波動性を検証した研究者にも注目できます。

ド・ブロイの博士論文を高く評価した人物として
アインシュタイン
も重要です。
アインシュタイン自身も光電効果などを通じて、
光が波だけではなく粒子的な性質を示すことを論じていました。

ボーアの量子論から考えていくと、量子化条件を、さらに波動という側面から捉え直したのが
ルイ・ド・ブロイ
の物質波という考え方です。

 

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/19_初回投稿
2026/08/20_改定投稿

コスパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】

サイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
フランス関連のご紹介
熱統計関連のご紹介
力学関係のご紹介
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

De Broglie was born into a prestigious family

Louis de Broglie is of the duke’s blood, a French aristocrat. The lineage is venerable. In the first place, Louis de Broglie is a direct descendant of the prestigious nobleman, the Broy family, who was conferred by King Louis XIV of France. He is officially the head of the Marquis family, partly because his brother had no children after his brother’s death.

Louis de Broglie is the grandson of Albert de Broglie, the fourth head of the French Prime Minister for two terms. So, at the time of Louis’ birth, his father was a prince at the time. There are many such anecdotes. Such Louis de Broglie advances his own excellent hypothesis and arrives at the idea of ​​de Broglie wave (material wave).

Matter wave of debroi

The idea of ​​Louis de Broglie was not well understood at first. There is a related super famous episode. During the process of reviewing Louis de Broglie’s dissertation, the professors could not understand De Broglie’s ideas and asked Einstein for his opinion.

Then, “De Broglie’s idea deserves the Nobel Prize more than his dissertation,” was evaluated and praised by Einstein, and he was able to further advance the idea of ​​material waves. The idea was a paradigm shift. The idea of ​​two-sidedness of particles forms the basis of modern quantum mechanics and is a very important idea. Scholars, including Matter Wave, had many discussions and changed the common sense of physics at that time.

Two-sidedness of matter

The essence of de Broglie waves is the idea that at the same time that waves have particle nature, electrons that were thought to be particles will actually have wave nature. This duality is natural in the understanding of modern quantum mechanics, but when we think that it moves periodically around a specific element because it has wave nature, it is said that the electron draws an orbit that is allowed only an integral multiple of the specific wavelength. You can think of it. In fact, we cannot directly observe the electrons moving around an atom.

However, when considering various atoms such as hydrogen, helium, and lithium, as a result of detailed examination of the bonding conditions of the protons and neutrons that compose them, there is a rule in the orbital radius of the electron, and de Broglie. The theory of waves makes sense. Conversely, the electron is only allowed to move an integral multiple of a specific wavelength.

The fact that electrons orbiting around a specific nucleus continue to move periodically with an integral multiple of the characteristic wavelength as a steady state, and radiation is generated when a transition between steady states occurs is only possible with the idea of ​​de Broglie. It is a concept to do. That is the existence of electrons.

In fact, a few years later Louis de Broglie will win the Nobel Prize. It’s hard to understand new ideas in all ages.

に投稿 コメントを残す

仁科 芳雄
【サイクロトロンを開発し素粒子を研究した「人たらし」】-8/28改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

励起 上 仁科芳雄と日本の現代物理学 [ 伊藤憲二 ]
価格:5,940円(税込、送料無料) (2024/1/15時点)

楽天で購入

 

 

【スポンサーリンク】
【1890年12月6日生まれ ~ 1951年1月10日没】

【Wikimedia CommonsYoshio Nishina】

を育てた仁科さん

仁科芳雄の功績を考える時、研究成果だけを見ると本質を見失います。
仁科が日本の物理学に残したものは、論文や実験装置だけではありません。
海外で学んだ新しい物理学を日本へ持ち帰り、それを次の世代へ伝える
研究者のネットワークそのものを作ったことにも大きな意味があります。

そのため仁科芳雄を知るには、
「何を発見したか」だけではなく、
「誰から学び、誰を育て、誰と研究したのか」
という視点から見ると、日本の物理学史がより立体的に見えてきます。

仁科芳雄は稀代の「人たらし」だったと言われています。
仁科さんは人に惚れ込む性格でした。

仁科さんが人に入れあげる性格で、
その人の良い所を見つけて、それを伸ばす。
そんな仁科さんの元に人が集まる。

そんな風にして仁科さんの下に集まった沢山の人達を
育てあげていった凄さが仁科さんにはあるんです。

仁科さん本人はオランダ・コペンハーゲンの
ニールス・ボーアのもとで育ち、その自由闊達な
コペンハーゲンの学風を日本に持ち込み、
多くの学者を育てました。

仁科芳雄の研究者としての業績を考える時、忘れてはいけないのが
量子力学と放射線物理学を日本へ導入した役割です。
1928年にはオスカル・クラインとともにコンプトン散乱の
有効断面積を議論し、後に「クライン=仁科の公式」として知られる
成果につながりました。

ここで重要なのは、仁科自身が一つの研究テーマだけを追い続けた
人物ではなかったことです。海外で最先端の量子論を学び、
それを日本へ持ち帰り、
さらに若い研究者たちへ
伝えていきました。

仁科の研究者としての歩みをたどると、
ニールス・ボーアハイゼンベルクディラック
といった20世紀前半の量子力学の中心人物とのつながりが見えてきます。

また帰国後にはハイゼンベルクディラック
日本に招待して日本の中での物理学への
理解を深め啓蒙活動を続けています。

更には、師であるボーアを日本に呼び寄せています。

科さんとサイクロトロン 

研究内容として仁科さんはサイクロトロンの建設を進めて、
様々な成果をあげてます。当時、ラザフォードらによって
「原子核反応を引き起こせるだけの高エネルギーまで
粒子を人工的に加速する装置(加速器)」の
必要性が強く認識されていました。

サイクロトロンは単なる大型の実験装置ではありません。
原子核を研究するためには、粒子を高いエネルギーまで加速し、
原子核に衝突させる必要があります。

つまりサイクロトロンの建設は、日本が最先端の原子核物理学を
自前で研究するための基盤を作ること
でもありました。仁科が
装置そのものを日本に根付かせようとした意味は、
ここにあります。 

以後理化学研究所を拠点として開発は進み
サイクロトロン建造技術はまさに理研のお家芸
となっていくのです。【理化学件HPより抜粋】
そして、現在でもサイクロトロンを使った
素粒子の研究は続いています。

そのサイクロンを大型化する際には仁科さんは
大変苦労しています。
先行する
カリフォルニア大学のローレンスとは日米関係の悪化に伴い
関係が悪くなっていったのです。実際、サイクロトロン関係の
情報交換は
軍事的な側面を持つので出来なります。

そして終戦と共に、
仁科さんが
苦心して作り上げたサイクロンは
GHQにより東京湾に破棄されてしまいます。

科さんの晩年 

戦後には仁科さんは理化学研究所の所長を務め、
科研製薬の前身となる会社で社長を務めましたが、
肝臓ガンを患い61歳で亡なってしまいます。

放射線被ばくの影響もあったであろうと言われていて、
残念です。多くの人材育成に捧げた人生だったと感じています。

仁科芳雄をめぐる物理学者

仁科芳雄の人生をたどると、20世紀前半の物理学を代表する
研究者たちとのつながりが見えてきます。
人物から人物へ読み進めることで、
量子力学と原子核物理学の発展を追うことができます。

|コスパ最強・タイパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】

 以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
適時、返信・改定を致します。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/13_初版投稿
2026/08/28_改定投稿

舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
日本関連のご紹介
東大関連のご紹介
力学関係のご紹介
熱統計関連のご紹介
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Nishina who raised people

Yoshio Nishina is said to have been a rare “human being”. Nishina-san had a personality that fell in love with people. He has the personality that Nishina puts into a person, and he finds the good points of that person and develops them. People gather under Mr. Nishina. In that way, many people gathered under Mr. Nishina, and Mr. Nishina has the awesomeness of raising them.

Mr. Nishina himself grew up under Niels Bohr in Copenhagen, the Netherlands, and brought his free-spirited Copenhagen academic style to Japan and raised many scholars. He discusses the effective cross-sectional area of ​​Compton scattering with Oskar Klein in 1928. After returning to Japan, he invited Heisenberg and Dirac to Japan to deepen his understanding of physics in Japan and continue his enlightenment activities. In addition, he is calling his teacher, Bohr, to Japan.

Nishina-san and Cyclone

As a research content, Mr. Nishina is proceeding with the construction of a cyclone and has achieved various results. Mr. Nishina is having a great deal of trouble in enlarging the cyclone. His relationship with the University of California, Berkeley, which preceded him, became worse as the relationship between Japan and the United States deteriorated. In fact, exchanging information related to cyclotrons is possible because it has a military aspect. And at the end of the war, the cyclone that was painstakingly created will be destroyed by GHQ in Tokyo Bay.

Nishina’s later years

After the war, Mr. Nishina was the director of RIKEN and the predecessor of Kaken Pharmaceutical, but he suffered from liver cancer and died at the age of 61. It is a pity that he was said to have been affected by radiation exposure. He feels that he was a life dedicated to a lot of human resources development.

に投稿 コメントを残す

エドウィン・パウエル・ハッブル
_【赤方偏移を示し膨張宇宙論を論じました】‐8/27改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

ハッブル 宇宙を広げた男 (岩波ジュニア新書 838) [ 家 正則 ]
価格:990円(税込、送料無料) (2024/1/14時点)

楽天で購入

 

 

【スポンサーリンク】
【1889年11月20日 ~ 1953年9月28日】

【Wikimedia CommonsEdwin Hubble】

ッブルの意外な側面

ハッブルは近代の天文学者で、

ハッブルの法則等で有名です。

膨張宇宙論として理解出来ます。

そんな大天文学者ですが、高校時代は陸上で
イリノイ州の
記録を更新したりしていました。

そんな少年時代は後の人生と全く違いますね。
そして、
大学時代はボクシングでならし、
とあるプロモーターから世界チャンピオン
との一戦を
持ちかけられた程の強さでした。

これまた意外ですね。

ッブルの業績

ハッブルの業績として特に重要なのが、
銀河までの距離と銀河の後退速度との関係を明らかにしたことです。
現在では一般にハッブルの法則として知られています。

1929年、ハッブルはセファイド変光星の
「変光周期と絶対光度の関係」を利用して、
銀河までの距離を測定しました。
セファイド変光星は、変光周期と本来の明るさ
(絶対光度)との間に関係があるため、
観測される明るさと比較することで、
遠方の天体までの距離を推定できます。

そしてハッブルは、そのようにして求めた銀河までの距離と、
銀河のスペクトルに現れる赤方偏移を比較しました。
その結果、遠方の銀河ほど大きな赤方偏移を示すという関係が見えてきます。
現在の表現では、銀河の後退速度が距離にほぼ比例する関係として理解され、
宇宙が膨張しているという考えを支持する重要な観測的基礎となりました。

ここで注意したいのは、ハッブル自身が「赤方偏移そのもの」を
発見したわけではないという点です。
赤方偏移という現象自体は、それ以前から知られていました。
ハッブルの大きな功績は、銀河までの距離を測定し、
それと銀河の赤方偏移との関係を体系的に示したことにあります。

赤方偏移とは、天体から届く光の波長が、
基準となる波長よりも長い方向へずれて観測される現象です。
身近な例としては、遠ざかっていく救急車の音が
低く聞こえるドップラー効果を思い浮かべることができます。
ただし、宇宙論における銀河の赤方偏移は、
単純な音波のドップラー効果と同一視するのではなく、
宇宙膨張による効果を含めて考える必要があります。

こうしてハッブルによる観測結果は、
宇宙を「静的なもの」と考える従来のイメージを大きく変えました。
そして、宇宙膨張を理論的に考えていた研究者たちの議論とも結びつき、
後のビッグバン宇宙論へとつながる重要な流れを形成していきます。

 遠ざかる宇宙

1929年、ハッブルはセファイド変光星
の距離測定と、銀河スペクトルに見られる
赤方偏移を突き合わせることで、
銀河が距離に比例して遠ざかっている
という関係を見いだしたのです。

赤方偏移とはドップラー効果を考慮した考えで
観測可能な大部分の銀河の光が

**波長の長い方向(赤い色の方向)**へ
ずれて観測される現象です。

遠ざかっていく救急車の音が鈍くなっていくと
思い出してください。(これは「音」での話)

ハッブルが考える宇宙論では無論、直接の実験は出来ません。
使える理論も検証の為に理論が必要となる学問体系でした。

反面ハッブル提唱の赤方偏移は宇宙理論に明快な方向性
を与え、
次の考えに繋がっていくのです

の後のハッブルの軌跡

赤方偏移の考えから
膨張宇宙論の考えが裏付けられます。

ハッブルが示した銀河の距離と赤方偏移の関係は、
宇宙が膨張しているという観測的な証拠として重要な意味を持ちました。
一方で、宇宙膨張そのものを理論的に考えていた研究者もいました。

特に重要なのがベルギーの物理学者・宇宙論研究者
ジョルジュ・ルメートル(1894)です。
ルメートルは一般相対性理論を宇宙全体に適用し、
宇宙膨張を理論的に考察しました。

つまり、理論から宇宙膨張を考えた研究者と、
銀河の観測からその関係を示したハッブルの研究が
重なっていったことになります。
この流れは、後のビッグバン宇宙論を理解する上でも重要です。

さらに、宇宙膨張を時間的にさかのぼって考えると、
宇宙には非常に高温・高密度な初期状態があったという
ビッグバン宇宙論へと議論が進んでいきます。

また、我々が暮らす銀河と
別の銀河を見つけた業績も特筆すべきです。

ハッブルからつながる宇宙論の物理学者

ハッブルの研究を理解すると、宇宙膨張をめぐって
多くの研究者が議論を重ねてきたことが分かります。
関連する人物の記事もあわせてご覧ください。

 

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/08_初稿投稿
2026/08/27_改定投稿

サイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
アメリカ関係へ
力学関係
電磁気関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

The surprising side of Hubble

Hubble is a modern astronomer who is famous for Hubble’s law, which characterizes the theory of expanding cosmology. Although he is such a great astronomer, he used to break records in Illinois on land when he was in high school. Such a boyhood is completely different from later life. And when I was in college, I was so strong that I was able to get used to boxing and a promoter offered me a fight against a world champion. This is also surprising.

Hubble’s achievements

Hubble’s achievements will be the discovery of a redshift. He derived the idea of ​​redshift by observing the relationship between brightness and variable period from the observation of Cepheid variable stars in 1929. Redshift is a phenomenon in which the light of most galaxies that can be observed is biased toward a shorter wavelength (red direction) in consideration of the Doppler effect. Recall that the sound of an ambulance moving away is slowing down. Twice

Hubble’s cosmology, of course, does not allow direct experiments. The theory that can be used was also an academic system that required theory for verification. On the other hand, Hubble’s redshift gives a clear direction to the theory of the universe and leads to the next idea.

Hubble’s trajectory after that

The idea of ​​redshift supported the idea of ​​expanding cosmology, which in turn led to the Big Burn theory.

Also noteworthy is his achievement in finding a galaxy different from the one we live in.

に投稿 コメントを残す

ヴァルター・ゲルラッハ
【シュテルンと銀粒子の縮退解放の実験を実現】‐8/26改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

https://amzn.to/4aSbYo2

 

【スポンサーリンク】
【1889年8月1日生まれ ~ 1979年8月10日没】

【出典:Wikimedia Commons:Walther Gerlach】

 実験家ゲルラッハ

ゲルラッハはシュテルンと共に行った

実験で有名です。

本ブログの中でのシュテルンのご紹介は関連人物を中心としており、
実験内容が伝えられていませんでした。それなので、
ゲルラッハと実験内容について語りたいと思います。

その実験はゼーマンとローレンツによる実験と通じる部分があります。
古典的な考えだけでは説明出来ない量子力学的な状態である
「縮退」を考慮する
必要があるという結論に繋がります。

ゼーマン効果ではナトリム原子からの電磁波が対象で
波動的側面から現象が理解できます。一方で
ゲルラッハの実験では加熱して蒸発した銀粒子が対象
ですので粒子的側面から現象が理解できます。

其々の実験対象において磁場をかけた時に縮退が
解けていく様子が観察されます。

古典的な予測では輝点に幅が出ると予想されます。
二つの輝点に分かれる現象は古典的に説明が出来ません。

実験の歴史的意義 

具体的にゲルラッハとシュテルンが行った実験では、
銀原子がもつ磁気モーメントが磁場中で分離される様子が観測されました。
これは後に電子スピンの存在によって理解される現象です。

なぜ銀原子のビームが二つに分かれたのか

シュテルン=ゲルラッハ実験の面白さは、
「磁場をかけたら粒子が二方向に分かれた」という単純な現象の中に、
古典物理学と量子力学の違いが現れていることです。

古典的な磁気モーメントを持つ粒子を考えるだけなら、
磁場中で粒子の向きが連続的に変化するため、
検出板にはある程度幅を持った連続的な分布が現れると考えられます。
ところが実際の銀原子ビームでは、明瞭に二つの成分へ分かれました。

この結果は、原子の磁気的な状態が何でも自由な値を取るのではなく、
特定の量子状態として現れることを示しています。
当時は「空間量子化」という言葉で理解されましたが、
後に量子力学と電子スピンの概念が確立されることで、
この現象は現代的な形で説明できるようになりました。

シュテルン=ゲルラッハ実験の解釈例

この意味でシュテルン=ゲルラッハ実験は、
「目に見えない量子状態を、粒子の到達位置という目に見える結果に
変換して観測した実験」と考えると分かりやすいでしょう。 

加熱された銀粒子がビーム状に放射されている時に
ビーム経路
に対して垂直に磁場をかけます。

壁に当てたビームの輝点を見てみた時に古典論では輝点は一つです。
所が、
ゲルラッハとシュテルンの実験では
「縮退の解けた」2点が
はっきりと見てとれたのです。

量子力学の成立後にこの実験を振り返ると、銀原子の磁気モーメントは
電子のスピンによって説明できます。電子にはスピンという
固有の角運動量があり、磁場に対するその向きによって
異なる磁気的状態をとります。

ただし、ここは物理学史として重要なところです。
1922年にシュテルンとゲルラッハが実験を行った時点では、
電子スピンという概念はまだ確立していませんでした。

当時、この二つの輝点は「空間量子化」、すなわち原子の磁気モーメントが
連続的な値ではなく量子化された方向をとる現象として解釈されました。

その後、電子スピンの概念が登場し、量子力学が体系化されることで、
シュテルン=ゲルラッハ実験は電子スピンの二つの状態を
理解するための代表的な実験
として位置づけられるようになります。

つまり、この実験の価値は「最初からスピンを証明した」ことだけではなく、
古典物理では説明しにくい量子化された状態を実験によって明確に示した
ところにあります。

実際の現象とし「磁場に対する軌跡」が異なるのです。

この実験はゲルラッハが実現したようですが
シュテルンがドイツから亡命していた事情と、
政治絡みの判断、が相まって当初は
ゲルラッハの名は表に出ませんでした。

後日談 

さて、話を現代に近づけると、
2012年に日本で半導体内部に対して
同じ原理を使い同じ結果を得てます。

アイディアの種は色々な所にありますね。

強磁性体外部磁場を用いずに電子のスピン
揃えることに世界で初めて成功_2012年12月

https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf

この実験の理解
まずゼーマンローレンツ
による研究を知っておくと、より面白く見えてきます。

ゼーマン効果では原子から放出される光のスペクトルが磁場によって
分裂する現象を調べました。一方、シュテルン=ゲルラッハ実験では、
銀原子そのもののビームが磁場によって分離されます。

つまり、
光のスペクトルを見る方法から、原子そのものの運動を見る方法へ
視点を変えることで、微視的な世界の量子化を探っていったとも考えられます。

なお、シュテルン=ゲルラッハ実験を実現したもう一人の研究者が
オットー・シュテルンです。
シュテルンについては、ナチス政権下でドイツを離れた経歴や、
ゲルラッハとの共同研究について別の記事で詳しく紹介しています。


関連する物理学者

この分野の物理学者

 

|コスパ最強・タイパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初稿投稿
2026/08/16_改定投稿

舞台別の纏め
時代別(順)のご紹介
ドイツ関係のご紹介へ
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Famous experimenter Gerlach

Gerlach is famous for his experiments with Stern. The introduction of Stern was centered around related people, and the content of the experiment was not communicated. I would like to talk about Gerlach and his experiments. The experiment has some similarities to the experiment by Zeeman and Lorenz. It leads to the conclusion that it is necessary to consider the degeneracy of quantum mechanical states that cannot be explained by classical ideas alone.

In the Zeeman effect, electromagnetic waves from Natrim atoms are targeted, and the phenomenon can be understood from the wave side. On the other hand, in the Gerlach experiment, the target is silver particles that have been heated and evaporated, and the phenomenon can be understood from the particle side. It is observed that the degeneracy is released when a magnetic field is applied to each experimental object. The classical prediction is that the bright spots will be wider. The phenomenon of splitting into two bright spots cannot be explained classically.

Historical significance of the experiment

Specifically, in the experiments conducted by Gerlach and Stern, the electron spins in the silver particles are separated by a magnetic field. When the heated silver particles are radiated in a beam shape, a magnetic field is applied perpendicular to the beam path. When you look at the bright spots of the beam that hits the wall, there is only one bright spot in classical theory. However, in the experiments of Gerlach and Stern, two points that were “degenerate” were clearly visible.

According to quantum mechanics, electrons have spins, and there are spins in the same direction and spins in the opposite direction to the magnetic field. Therefore, the trajectory with respect to the magnetic field is different. This experiment seems to have been realized by Gerlach, but the name of Gerlach was not revealed at the beginning due to the combination of Stern’s exile from Germany and political judgment.

Later talk

Now, let’s get closer to the present age. In 2012, we used the same principle inside semiconductors in Japan and obtained the same results. There are many seeds of ideas.

World’s first success in aligning electron spins without using ferromagnets or external magnetic fields_December 2012

https://www.ntt.co.jp/journal/1212/files/jn201212058.pdf

に投稿 コメントを残す

ハリー・ナイキスト
_【微視的な揺らぎと熱を考察したアメリカの物理学者】-8/25改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

https://amzn.to/47Myo7D
【スポンサーリンク】
【1889年2月7日 ~ 1976年4月4日】

【出典:Wikimedia Commons:Harry Nyquist 】

アメリカに帰化したナイキストの生まれ

ナイキストはスウェーデンに生まれました。

1907年に家族がアメリカ合衆国に移り住み
その後、帰化しています。

その時点でナイキストはハイスクール修了くらいでしょう。
アメリカの名門、
イェール大学を卒業した後に
1917年からAT&T研究所(Wikipedia_Info)
で研究します。

その後もナイキストはベル研究所で研究します。アインシュタインがブラウン運動で考えた様に、
ナイキストは微視的な分子の運動と
巨視的に観測
される物理量の間の応答関係を考えています。

ベル研究所でナイキストは研究を進め1926年に
ジョンソンが発見した熱雑音に対して、
後に揺動散逸定理と呼ばれる考え方の原型を用いて
理論的な根拠を与えます。

ナイキストの熱雑音とは揺らぎという言葉
でも表現
される新しい概念です。

例えば交流電流が流れる時の熱雑音を考えてみると、
流れる交流の周波数に関わらずに
回路の設計とも
無関係に電流が流れる時点で熱雑音が生じます。

熱雑音とはそうした性質を持つ物理量なのです。

 ナイキストの様々な業績

また、
ナイキストは一方でFB(フィードバック)増幅器の
安定性を研究します。別途、特筆すべきは
離散化された信号の「サンプリング」に関する
処理手法でしょう。そのナイキストが提唱した周波数は
ナイキスト周波数と呼ばれ信号処理の世界では
今や基礎的な理念となっています。

ナイキスト周波数とは何か

ナイキストの名前が現在でも広く知られている理由の一つが、
ナイキスト周波数です。
これはアナログ信号をデジタル信号としてサンプリングするときに
非常に重要になる概念です。

例えば、ある信号の中に高い周波数成分が含まれているとします。
その信号を一定の時間間隔で測定してデジタル化する場合、
サンプリングする回数が少なすぎると、
元の信号を正しく再現できなくなります。

基本的な考え方として、
サンプリング周波数は、再現したい信号の
最高周波数の2倍より高くする必要があります。

この条件を満たさない場合には、
本来存在しなかった低い周波数の信号として観測される
エイリアシングが発生します。

そして、サンプリング周波数を
fsとすると、
その半分にあたる
fs/2
ナイキスト周波数です。

例えば、48 kHzで音声をサンプリングする場合、
ナイキスト周波数は24 kHzになります。
したがって、24 kHzを超える周波数成分を含む信号を
そのままサンプリングすると、正しい再現ができなくなる可能性があります。
実際のデジタル機器では、サンプリング前に
不要な高周波成分を取り除くアンチエイリアシングフィルター
を使用することが一般的です。

この考え方は、音声や音楽だけでなく、
計測器、通信機器、画像処理、デジタル制御など、
現代の電子技術の非常に広い範囲で重要になります。
ナイキストの研究は、現在のデジタル信号処理へとつながる
基礎的な考え方の一つになっているのです。

また、彼の考案した「ナイキスト線図」は
極座標を使い対象系の安定性を議論します。

ナイキスト線図も系の安定性を考える為に
現代の信号処理の世界で使われていて、
今でも市販のアナライザーに一つの機能として搭載されています。
そうした数々の成果をナイキストは残しました。

ナイキストと関連する物理学者

ナイキストの研究を辿ると、
微視的な熱運動、熱雑音、信号、フィードバック、制御という
異なる分野が一つにつながって見えてきます。

◀ 前の人物:アインシュタイン

▶ 次の人物:エーレンフェスト

この分野の物理学者:
アインシュタイン
ボルツマン
エーレンフェスト
プランク

関連する物理:
熱雑音・揺動散逸定理
ナイキスト周波数|
ナイキスト線図|
サンプリング定理|
フィードバック制御

 

|コスパ最強・タイパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介

アメリカ関連のご紹介へ
イェール大学関連のご紹介へ
熱統計関連のご紹介

AIでの考察(参考)

2020/11/10_初稿投稿
2026/08/25_改定投稿

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Nyquist naturalized in the United States

Nyquist was born in Sweden. He has been naturalized since his family moved to the United States in 1907. At that point, Nyquist will have completed high school. He has been studying at the AT & T Institute since 1917 after graduating from the prestigious Yale University in the United States. Nyquist then studies at Bell Labs.

As Einstein thought in Brownian motion, Nyquist considers the response relationship between microscopic molecular motion and macroscopically observed physical quantities. At Nokia Bell Labs, Nyquist pursues his research and uses the “fluctuation-dissipation theorem” to provide a rationale for the thermal noise discovered by Johnson in 1926. The thermal noise there is also expressed by the word fluctuation. For example, considering the thermal noise when an alternating current flows, it occurs when the current flows regardless of the frequency of the flowing alternating current and regardless of the circuit design. Thermal noise is a physical quantity that has such properties.

Various achievements of Nyquist

Nyquist also studies the stability of FB amplifiers, on the other hand. Separately, what should be noted is the processing method related to sampling of discretized signals. The frequency advocated by Nyquist is called the Nyquist frequency and is now a basic idea in the world of signal processing. Practically, considering from 256, which is 2 to the 8th power, the Nyquist frequency is guaranteed (in the mainstream circuit design) by measuring using a sampling frequency of 2.56 times.

In addition, his “Nyquist diagram” uses polar coordinates to discuss the stability of the target system. The Nyquist diagram is also used in the modern signal processing world to consider the stability of the system, and is still installed as a function in commercially available analyzers.

に投稿 コメントを残す

オットー・シュテルン
【アインシュタインと同じくドイツを逃れた実験家】‐8/24改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

https://amzn.to/47qJYot
【スポンサーリンク】
【1888年2月17日生まれ ~ 1969年8月17日没】

【Wikimedia Commons:Otto Stern portrait】

戦時下の物理学者シュテルン

オットー・シュテルンは1888年にドイツで生まれた物理学者です。
若い頃にはプラハでアインシュタインと研究上の接点を持ち、
その後チューリッヒでもアインシュタインと活動しました。
Nobel Prizeの経歴によれば、1912年にプラハでアインシュタインと合流し、
翌年にはチューリッヒ工科大学でも研究生活を送っています。

シュテルンは理論物理学から出発しましたが、1919年頃から実験物理学へ
研究の重点を移し、分子線法を発展させました。
原子や分子を細いビームとして飛ばし、その運動や磁気的性質を測定する方法です。
この方法によって、直接見ることのできない原子の性質を、
実験データから定量的に調べることが可能になりました。

1923年にはハンブルク大学の教授となり、研究室を率いて分子線法を発展させます。
そしてヴァルター・ゲルラッハとの
共同研究によって、1922年のシュテルン=ゲルラッハ実験へとつながります。

しかし1933年、ナチス政権の成立によってシュテルンはドイツでの地位を失い、
アメリカへ移ります。移住後はカーネギー工科大学で研究を続け、
戦後はカリフォルニア大学バークレー校で名誉教授となりました。

この人生を見ると、シュテルンの研究史には二つの流れがあります。
一つは、原子線という実験手法によって量子の世界を測定可能なものにしていった
科学史としての流れです。
もう一つは、ナチスによって研究者が国境を越えて移動することになった
20世紀の科学者史です。

そのためシュテルンの本記事は、量子力学の記事としてだけでなく、
アインシュタイン
リーゼ・マイトナー
オットー・ハーンなど、
戦時下の科学者を考える入口にもできます。

彼らは同じ恐怖と憤りを感じて反体制の話もしていたことでしょう。

シュテルンはドイツ本国で当時の感心事であった
原子線の研究をします。実験の様子としては、
温度をどんどんあげていって金属が光り出して
その後も、更に温度をあげていきます。

例えば、具体的に金属を恒温槽の中にいれて
小さな窓から出てくる光の様子を見るのです。

シュテルンの実験の様子 

その窓から連続して特定の粒子を放出する事で
粒子の性質を明らかにしていきます。

結果としてヴァルター・ゲルラッハと共に
歴史的な実験を完成させました。

この実験で注目したのは「個別粒子の磁気的性質」です。
加熱して蒸発させた銀の粒子をビーム状に放出した時に
その粒子線に対して磁界をかけたのです。

すると、
放出粒子は二つに分かれて一点だった輝点
(粒子の当たった場所)が
二点の輝点となります。
この事実は新しい知見へとつながるのです。

シュテルン=ゲルラッハ実験

シュテルンの代表的な業績として、ヴァルター・ゲルラッハ
ともに行った
シュテルン=ゲルラッハ実験があります。
1922年、二人は加熱した炉から銀原子のビームを作り、
それを不均一な磁場の中を通過させました。

古典物理学から単純に考えれば、原子が持つ磁気モーメントの向きは
連続的に分布し、検出器には幅のある連続的な像が現れると予想されます。
ところが実際には、銀原子のビームは二つの明瞭な成分に分かれました
この結果は、原子の磁気的性質が古典的な連続量だけでは説明できず、
量子化された状態を持つことを示す重要な証拠となりました。

現在では、この実験は角運動量の量子化やスピンの理解につながる
歴史的な実験
として知られています。
ただし、
1922年の実験をそのまま「電子スピンを発見した実験」と表現するより、

まずは空間量子化を実験的に示した研究と捉える方が歴史的には正確です。
その後、量子力学の発展とともにスピンという概念が整理され、
シュテルン=ゲルラッハ実験はスピンを理解する代表的な実験として
教科書に登場するようになります。

ここには、このサイトで紹介しているボーア
ハイゼンベルクらによる量子化の議論
ともつながる重要なポイントがあります。

目で直接見ることのできない原子の内部に対して、
原子そのものを「見る」のではなく、

原子ビームと磁場との相互作用から推測していったのです。

つまりシュテルンの仕事は、
「見えないミクロの世界を、実験によってどこまで確かめられるのか」
という20世紀物理学の大きな課題に対する、一つの答えでもありました。

つまり、放出粒子自体が磁気的な性質を
初めから持っているのです。

そして戦争に伴い、ナチスにハンブルグ大学の
地位を追われたシュテルンはアインシュタインと共に
1933年アメリカに亡命します。

戦後ナチス政権下で教授を続けたゲルラッハと対照的ですね。
最終的にはUCB(カリフォルニア大学バークレー校)
名誉教授を務めます。81歳の生涯でした。

シュテルンとつながる物理学者

シュテルンの研究は、原子線を利用して目に見えないミクロの世界を
実験的に調べるという方向へ発展しました。
その研究はシュテルン=ゲルラッハ実験を通じて、
量子化やスピンの理解にもつながっています。

◀ 前の人物:アインシュタイン

▶ 次の人物:ヴァルター・ゲルラッハ

この分野の物理学者:
ボーア
ハイゼンベルク
パウリ
シュレディンガー
マックス・ボルン
アインシュタイン

実験から量子力学を考える:
ゲルラッハ
ボーア
ハイゼンベルク

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
問題点には返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/10/31_初版投稿
2026/08/24_改定投稿

舞台別のご紹介へ
時代別(順)のご紹介
アメリカ関連のご紹介へ
カリフォルニア大学関連のご紹介へ
ドイツ関連のご紹介

量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Wartime physicist Stern

Stern is a German-born physicist who is chased by the Nazis and moves to the United States. Stern first met Einstein at the University of Prague in Poland and moved to the ETH Zurich together. Was he a friendly debate? As he proceeded with his investigation, I felt that he was of Jewish descent. Above all, it was the time when the Holocaust was actually taking place. He would have felt the same fear and resentment and talked about the dissident.

Stern will study atomic beams in Germany, which was a sensation at the time. In his experiment, he keeps raising the temperature even after the metal shines. For example, he specifically puts metal in a constant temperature bath and sees it coming out of a small window.

Stern’s experiment

We will clarify the properties of particles by continuously emitting specific particles from the window. As a result, he completed his historic experiment with Walther Gerlach. The focus of this experiment is on the “magnetic properties of individual particles.” When the heated and evaporated silver particles are emitted in the form of a beam, a magnetic field is applied to the particle beams. Then, the particle is divided into two and the bright spot (the place where the particle hits), which was one point, becomes two bright spots. This fact can be explained by the fact that the particles have spin.

Stern, who was displaced by the Nazis from the University of Hamburg due to the war, went into exile in the United States in 1933 with Einstein. This is in contrast to Gerlach, who continued to teach under the Nazi regime after the war.

He will eventually be an emeritus professor at UCB (University of California, Berkeley). He was 81 years old.

 

に投稿 コメントを残す

エルヴィン・シュレディンガー
【仮想の猫を使った思考実験で量子的に実在を考察】-8/23改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

シュレディンガー方程式【スポンサーリンク】
【1887年8月12日生まれ ~ 1961年1月4日没】

Scientific Identity, Portrait of Erwin Schršdinger

【出典:Wikimedia CommonsErwin Schrödinger portrait】

シュレディンガーの生い立ち

その名は Erwin Rudolf Josef Alexander Schrödinger 。
シュレディンガーはオーストリア=ハンガリー帝国
に生まれました。量子力学の発展史で欠かせない人物です。
20世紀初頭での議論の中で議論の中心に居た
という印象があります。確率波としての
「波動関数」を提唱し、1935年の論文では
「エンタングルメント」を言語化しています。

コペンハーゲン学派とは一定の距離を置きながら
概念形成で重要な役割を果たしました。
シュレディンガーの猫として例えられる話
や、エンタングルメントの議論でも
シュレディンガーは本質に
ぐんぐん迫っていきます。

目で見えないものに対して議論する時に
必要とされる大事なものを
シュレディンガーは考え続けました。

シュレディンガーはその父に影響を受けたと
言われていますが、その父とはバイエルン王国
に生まれ広い教養をもった人だったようです。その点が、
シュレディンガーの性格に影響しているかと思われます。

色々知るにつけ分かってくるのですが、
シュレディンガーの考えは物理学の枠囚われない所があります。
未知の事象を捕まえていく際に、
また対象を色々な視野から
洗い出していく際に、
活用できるような「考え方のモデル」
沢山作られていったのでしょう。

そもそも、
他の人が作りえないような独自のモデルを作るという
大きな目標が物理学にはあります。

シュレディンガーの猫

シュレディンガーは猫の例えで有名です。
具体的には「量子力学的現象」と連動して
「猫を毒殺する仮想実験」を議論しました。

議論の帰結として、ミクロな物理現象を
確率的に扱う量子力学の解釈が、
マクロな世界に適用されたときの違和感

鮮烈に示す思考実験となったのです。

具体的には空間的に広がる確率波を数学的に考えていきます。
確率波の時間発展はシュレディンガー方程式と呼ばれ
量子力学の基礎方程式となるのです。

私は大学院時代にそこから考え始めて超伝導現象に挑みました。
新しい現象理解に繋がっていったのです。
今もその枠組みで議論がされています。
世界中で議論がされています。

シュディンガ―音頭

こぼれ話となりますが、
若手の物理学者の
勉強会である「物性若手夏の学校」では
シュレディンガー音頭という歌があり
Ψ(ぷさい)とφ(ふぁぃ)
を取り入れて楽しげに、形の違いを確認出来ます。

英文で表記したりする時にこの二つは似ていて混同しがち
なのですが、直ぐに思い出せます。

シュレディンガー音頭で手のひらを上にあげる方がΨです。
一度踊ると踊った人は一生忘れません。 

シュレディンガー形式 

そうした量子力学の表現形式としては、
ハイゼンベルク形式(描像)とシュレディンガー形式があり、
その2つは完全に等価です。

数学の側面から大まかに表現すると、
ハイゼンベルク形式は
ヒルベルト空間上の行列とベクトルを使い、
シュレディンガー形式では同空間での演算子と波動関数を使います。

共に直感に響く側面を持ち相補して全体を補い合うのですが、
私には「粒子の二面性を感じる時などに初学者がイメージを
「作る段階」ではシュレディンガー形式が適していると思われました。
そんな記述をシュレディンガーは纏めたのです。

ボルツマンとシュレディンガー

最後に、もう一度シュレディンガーの人となりに話を戻したいと思います。
シュレディンガー
はウィーン大学でボルツマンの後任である
ハゼノール
の教えを受けていて、ボルツマンと関わりが出来たのです。

彼はボルツマンの示した道筋を受け継いでいた人でした
彼はボルツマンに対して
い想いを持っていました。曰く、

「ボルツマンの考えた道こそ
科学に於ける
私の初恋
と言っても良い亅_

【万有百科大事典 16 物理・数学の章より引用しました。】

いわば、ボルツマンが完全に確立出来なかった原子論を

シュレディンガーは彼らしい表現方法で具現化したのです。

ボルツマンからシュレディンガーへ

シュレディンガーの物理学を理解するうえで、ルートヴィヒ・ボルツマンとの
思想的なつながりは重要です。
シュレディンガー自身が
ボルツマンの考え方に強い影響を受けたことを語っており、
その熱力学・統計力学的な発想は、後の量子力学への関心にもつながっていきました。

ただし、ここは「ボルツマンの弟子」という単純な師弟関係として捉えるよりも、
ボルツマンが開いた物理学の道を、次の世代の研究者たちが
それぞれの方法で受け継いだ
と考える方が分かりやすいでしょう。

シュレディンガーの場合には、ウィーン大学でフリードリヒ・ハーゼノールらの
影響を受けながら、
ボルツマンにつながる理論物理学の流れを受け継ぎ、
最終的には波動力学という独自の表現方法へ進んでいきました。

一方、ポール・エーレンフェストも、
統計力学と量子力学の橋渡しを考えた重要な人物です。
エーレンフェストの定理では、量子力学的な期待値の時間発展と
古典力学的な運動との関係が整理されます。

つまり、ボルツマンから始まる統計力学的な考え方は、
一人の研究者によってそのまま受け継がれたのではありません。
シュレディンガーは波動力学という方向から、
エーレンフェストは統計力学と期待値という方向から、
それぞれ原子・量子の世界を理解しようとしました。

そして1920年代になると、この流れはハイゼンベルクの行列力学、
マックス・ボルンの確率解釈、
ポール・ディラックの量子力学へと広がっていきます。

こうして見ると、シュレディンガーの波動力学は突然現れたものではありません。
プランクによる量子論の出発点、
ボルツマンらによる統計力学、そしてボーアによる原子論など、
多くの研究者が積み重ねてきた議論の上に登場したものだったのです。

エーレンフェストの定理は個別粒子の運動を分かり易い形で記述する
と思えます。それまでの物理学と量子力学を上手くつなげています。
他方でシュレディンガーは波動的側面から
原子の表現に挑みました。

量子力学の初学者がこの二人のどちらを先に知るかといえば
シュレディンガーでしょう。
量子力学の議論の範囲で説明出来るからです。

大学ごとの教育カリキュラムで別途統計関係の講義との兼ね合い
も考えなければいけません。ただ、
歴史的にはシュレディンガーの理解が後なのです。

そして二人ともボルツマンの考えを受け継いでいるのです。

 

シュレディンガーとつながる物理学者

シュレディンガーの波動力学を理解すると、
量子力学が一人の天才によって突然生まれたものではなく、
多くの物理学者が議論を重ねて形成されたことが見えてきます。

 

〆最後に〆

|コスパ最強・タイパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/16_初稿投稿
2026/08/23‗原稿改定

舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介

オーストリア関連のご紹介
ウィーン大関連のご紹介
量子力学関係
グラーツ大学関連へ

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Schrodinger’s upbringing

Schrodinger was born in the Austro-Hungarian Empire. He is said to have been influenced by his father, who seems to have been born in the Kingdom of Bavaria and well-educated. It seems that this influences Schrodinger’s personality. As you can see from various investigations, Schrodinger’s idea is not bound by the framework of physics. It seems that many “models of thinking” have been created that can be used when capturing unknown events and when identifying objects from various perspectives. Physics has the big goal of creating unique models that no one else can.

Schrodinger’s cat

Schrodinger is famous for the analogy of cats. Specifically, we discussed “a virtual experiment to poison cats” in conjunction with “quantum mechanical phenomena”. As a result of the argument, Schrodinger’s interpretation that microscopic physical phenomena can be expressed as stochastic reality has been completed. Specifically, he mathematically considers the probability waves that spread spatially. The time evolution of stochastic waves is called the Schrodinger equation and becomes the basic equation of quantum mechanics. When I was in graduate school, I started thinking about it and challenged the superconducting phenomenon. It led to a new understanding of the phenomenon. Discussions are still being held within that framework. There is debate all over the world.

Shudinger Ondo

It’s a spillover story, but at the study session for young physicists in Japan, “Schrödinger Young Summer School,” there is a song called Schrodinger Dance, and Ψ (Psi) and φ (Phi) are incorporated to happily confirm the difference in shape. can. When writing in English, the two are similar and often confused, but I can easily remember them. It is Ψ to raise the palm up with Schrodinger dance. Once you dance, you will never forget the person who danced. Twice

Schrodinger format

There are two forms of expression of such quantum mechanics, the Heisenberg form (picture) and the Schrodinger form, and the two are completely equivalent. Roughly speaking from a mathematical point of view, the Heisenberg form uses matrices and vectors in Hilbert space, and the Schrodinger form uses operators and wavefunctions in the same space. Both have intuitive aspects and complement each other to complement each other, but I think that the Schrodinger format is suitable for “the stage where beginners create images when they feel the duality of particles”. rice field. Schrodinger put together such a description.

Boltzmann and Schrodinger

Finally, I would like to return to Schrodinger’s personality. Schrodinger was taught by Hazenor, Boltzmann’s successor, at the University of Vienna, and was able to get involved with Boltzmann. He was the one who inherited the path Boltzmann showed. He had a passion for Boltzmann. He says

“The way Boltzmann thought
In science
My first love
You can say that _

[Encyclopedia of Banyu 16 Quoted from the chapter on physics and mathematics. ]

So to speak, Schrodinger embodied the atomism that Boltzmann could not completely establish in his own way of expression. Also, when we think about Boltzmann, I think of another disciple, Ehrenfest. He challenged the expression of atoms from the perspective of statistical mechanics. Ehrenfest’s theorem seems to describe the motion of individual particles in an easy-to-understand manner. Schrodinger, on the other hand, challenged the expression of atoms from the wave side.

Schrödinger is the first to know which of these two scholars of quantum mechanics knows first. This is because it can be explained within the scope of the discussion of quantum mechanics. In the educational curriculum of each university, it is necessary to consider the balance with the lectures related to statistics. However, historically, Schrodinger’s understanding was later. And both of them inherit the idea of ​​Boltzmann.

に投稿 コメントを残す

ニールス・ボーア
【概念構築|新たな原子模型の提唱を通じて原子モデルを洗練化】-8/22改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

ボーア来日時【スポンサーリンク】
【1885年10月7日生まれ ~ 1962年11月18日没】

【Wikimedia Commons:「Niels Bohr portrait」】

ボーアの生い立ち

ボーアは量子力学の発展で重要な役割を果たしました。

ソルベー会議でも議論の中心に居て、TOP画で

使っている写真では中列右端に立っています。

そんなボーアは北海に面したユトランド半島および、
その近辺の
多くの島々からなる、立憲君主制国家である、
デンマーク王国にボーアは生まれました。

若い時代にはアマチュアサッカー選手リーグの
ABコペンハーゲンでゴールキーパーを務めていた
という一面もあります。
ボーアはそんな人でもあるのです。

ボーアと原子論

そしてボーアは前期量子論形成に於いて
先駆的な理論
を提供し続けました。
ボーアは当時、不完全であった
原子像を洗練させて
独自の原子模型を提唱します。議論の渦中に飛び込んで
色々な人々と切磋琢磨して新しい「かたち」
を作り上げたのです。

先ず1911年にイギリスへ留学し、J・J・トムソン
ラザフォード_の元で原子核に対する基礎知識を吸収
して
先進的な考察の土台を作っていきます。

そもそも光学顕微鏡で見えないほど
小さい領域にまで議論が進んでいくのですが、
その世界に対して考察を止めることなく
幾多の議論を重ね、
量子力学を確立していきます。

例えば今でも原子の大きさを議論する時に
「ボーア半径」という言葉を使います。

この言葉はボーアの時代に確立されていった概念です。

その後、ボーアはイギリスから帰国後に
幾多の仲間を
コペンハーゲンに集め、
コペンハーゲン学派と呼ばれた仲間を形成します。

コペンハーゲンでまとまった解釈は
コペンハーゲン解釈と呼ばれるようになり、
それまでの物理学でのスタイルを変えていきます。

ボーアとコペンハーゲン解釈 

コペンハーゲン解釈は微視的世界での

「観測に対する考え方」です。

光学顕微鏡で微細な世界を覗いても分解能の問題で
どうしても
画像がぼやけてしまう「限界」にいきつきます。

アルファー線やベータ―線といった粒子線を
純度の高い物質に当てて、光路から
内部構造を予想しようとする試みも
色々な形で繰り広げられました。

日本では寺田寅彦の時代にそうした解析が
行われています。解析の蓄積を辻褄(つじつま)の合う
総合理論で結びつける体系が必要とされていたのです。

目で見てとれる現象は顕微鏡の分解能の範囲で
終わってしまいます。実際にはそれ以下の大きさで
繰り広げられる現象が存在していて、
観測しようとして光を当てると(光子を作用させると)、
「観測する事情」で「状態をかき乱してしまう」のです。

位置と運動量の微視的分解能の限界をA・アインシュタイン
ボーアが論じた話などが今に残っています。

また段々に分かってくるのですが、後にパウリが示す
スピンの自由度も電子は持っていて「軌道半径だけを
イメージして議論すれば話が終わる」訳ではないのです。

その中でボーアは本質的な「ボーアの量子化条件」を用いて
様々な現象を新しい議論の枠組みで説明してみせます。

長さスケールで10の−10乗メートル程度の微視的領域では、
「位置等の観測値」が「とびとびの値」を示すのですが、
その事象を現実世界での本質的な性質であると提唱したのです。

原子半径、磁気的性質も現代では、その形式で考えるが方が
わかりやすい訳です。師であるラザフォードの原子モデルに
改良を加えてボーアモデルを作りあげます。

第2次大戦時のボーア

第二次世界大戦が始まると、ボーアの人生も大きく揺さぶられます。
1940年4月、ドイツ軍がデンマークを占領しました。
ボーアはすぐに国外へ逃れるのではなく、占領下のコペンハーゲンに残り、
研究所と研究者たちを守ろうとしました。

ボーアは1930年代から、ナチス政権によって迫害された科学者たちの
国外脱出を支援していました。第二次世界大戦が始まった後も、
科学者としての立場を利用しながら、研究者を守る活動を続けています。

この時期のボーアを語るうえで興味深いのが、
「Maud Ray Kent」という言葉をめぐる逸話です。
1940年、ボーアが英国側へ送った電文の末尾には
「Cockcroft and Maud Ray Kent」という名前が記されていました。

英国側では、この「Maud Ray Kent」が何を意味するのか分かりませんでした。
そこで秘密の暗号ではないかと考えられ、
文字を組み替えることで「radium taken(ラジウムが取られた)」
という意味になるのではないか、と解釈されたのです。
この出来事が、後に英国の原子爆弾研究委員会
MAUD Committeeの名称につながったとされています。

ところが戦後になって、この「Maud Ray」は暗号ではなく、
ボーア家で子どもたちの英語を教えていた女性
Maud Rayであり、彼女がKent出身だったことが分かりました。
つまり、歴史的な秘密情報と思われた言葉には、
実はボーア家の日常生活に関係する人物の名前が含まれていたのです。

リーゼ・マイトナーはイギリスにいる甥に手紙を出します。その中で
「最近 ボーア夫妻に 会い、 二 人 とも 元気 だ が 事態 に は 悲んでいる。

核物理学者 と モード ・ レイ ・ ケント ( Maud Ray Kent ) に 知らせて 」
という 電文 を打ちました。 受け取っ た 英国の物理学者達は
モード ・ レイ ・ ケント( Maud Ray Kent )

に 心当たり が なかっ た ため 、 それ を 何 か の 秘密 の メッセージ
だ と 考え て 一 か所 “ y ” を “ i ” と 読み替えるました。つまりそれ が
「 ラジウム とら れた 」( radium taken ) の アナグラム だ と 解釈 できる
こと に 気がつい たのです 。イギリスの G・P・トムソン のグループは
この アナグラム から事態の深刻さを受け止めたのです。
ノーマン・マクレイ著「フォン・ノイマンの生涯」より太字部抜粋)

この逸話は、第二次世界大戦下で科学者同士がどのように情報を
伝えようとしていたのかを考えるうえでも興味深い出来事です。
同時に、核物理学の研究が戦争と急速に結びついていった時代背景を
象徴するエピソードでもあります。

占領下のデンマークからスウェーデンへ

ボーアは1940年のデンマーク占領後もしばらく国内に留まりました。
しかし戦争が激しくなり、ナチスによるユダヤ人迫害が
デンマークにも及ぶようになると、状況は急速に危険になります。

1943年、ボーアはついにデンマークから脱出することになります。
まずスウェーデンへ逃れ、その後イギリスへ渡りました。
さらにアメリカへ移り、核兵器開発に関係する研究にも接することになります。

ただし、ここで重要なのは、ボーアが単純に核兵器開発を推進した人物
というわけではないことです。彼は戦後の核兵器による国際的な対立を
強く懸念し、科学情報を国家間で閉ざすのではなく、
国際的な透明性を高める必要があると考えていました。

この考え方は、戦後にボーアが「開かれた世界」を訴えた活動にも
つながっていきます。核物理学の発展によって科学と国家安全保障の
関係が大きく変化した時代に、科学者にはどのような責任があるのか。
ボーアは晩年まで、この問題を考え続けました。

そして晩年

ボーアはデンマーク最高の勲章である
エレファント勲章を受けています。
その際には東洋密教で使う陰陽のマーク
を模してボーア家の紋章を
デザインしたと言われています。

また、英国の王立協会では
外国人会員の栄誉を受けていました。

ボーアとつながる物理学者たち

ニールス・ボーアの仕事は、ボーア一人だけで完成したものではありません。
ラザフォードの原子核模型を出発点として、ボーアが原子模型を発展させ、
その後の量子力学へと議論が受け継がれていきました。
ここでは、ボーアを中心とした物理学史上のつながりを整理しておきます。

 

 

 

|コスパ最強・タイパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/08/31_初版投稿
2026/08/22_改定投稿

サイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
デンマーク関係
イギリス関係

ケンブリッジ関連
熱統計関連のご紹介
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Bohr’s upbringing

Bohr played a demanding role in the development of quantum mechanics. He was also at the center of the discussion at the Solvay Conferences, standing at the right end of the middle row in the photo used in the TOP picture.

Bohr was born in the Kingdom of Denmark, a constitutional monarchy of the Jutland Peninsula facing the North Sea and many of its surrounding islands. On the one hand, he was a goalkeeper in the amateur soccer player league, AB Copenhagen, when he was young. Bohr is also such a person.

Bohr and Atomism

And Bohr continued to provide pioneering theories in old quantum theory. Bohr refines the imperfect atomic image at the time and proposes his own atomic model.

He first studied abroad in England in 1911, and under the guidance of JJ Thomson and Rutherford, he absorbed basic knowledge about atomic nuclei and proceeded with advanced consideration. In the first place, the discussion goes to a level that is too small to be seen with an optical microscope.

He continues to discuss the world with many discussions and establish quantum mechanics. For example, he still uses the term “Bohr radius” when discussing the size of an atom. This word is a concept established in this era.

After returning from England, Bohr gathered many friends in Copenhagen to form a group called the Copenhagen School. The collective interpretation came to be called the Copenhagen interpretation, changing the style of physics up to that point.

Bohr and Copenhagen Interpretation

The Copenhagen Interpretation is the “thinking about observation” in the microscopic world. Even if you look into the minute world with an optical microscope, you will reach the “limit” where the image will be blurred due to the problem of resolution.

Attempts to predict the internal structure from the optical path by applying particle beams such as alpha rays and beta rays to high-purity substances have also been made in various forms. In Japan, such an analysis was carried out during the time of Torahiko Terada. There was a need for a system that would connect such accumulations with a theory that fits Tsujitsuma.

Phenomena that are visible to the eye end up within the resolution of the microscope. Actually, there is a phenomenon that unfolds in a size smaller than that, and when light is applied to observe it (when photons act), it “disturbs the state” due to “observation circumstances”. There is a story that discusses the limit of microscopic resolution of position and momentum with A. Einstein.

Also, as we gradually understand, electrons also have the degree of freedom of spin that Pauli shows later, and the discussion does not end if we discuss only by imagining the orbital radius.

In it, Bohr explains various phenomena using the essential “Bohr’s quantization condition”. In the discussion on the scale of 10-23 meters on the length scale, “observed values ​​such as position” indicate “staggered values”, but we propose that the phenomenon is an essential property in the real world. I did.

In modern times, it is easier to understand the atomic radius and magnetic properties in that format. He will improve the atomic model of his teacher, Rutherford, to create the Bohr model.

And his later years

Bohr has received the Order of the Elephant, Denmark’s highest medal. At that time, he is said to have designed the coat of arms of the Bohr family, imitating the Yin-Yang mark used in Oriental esoteric Buddhism. He also received the honor of a foreign member at the Royal Society of England.

に投稿 コメントを残す

西川 正治
【植物由来の構造体|X線解析で現象論を確立し後進を育てた偉人】-8/21改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

https://amzn.to/4aQaJG6【スポンサーリンク】
【1884年12月5日生まれ ~ 1952年1月5日没】

 

Order of Culture award
ceremony (Tokyo, 1951).jpg

From left, Kensuke Mitsuda, Saneatsu Mushanokōji, Kunio Yanagita, Nakamura Kichiemon I,
Mokichi Saitō, and Shōji Nishikawa, receiving the Order of Culture,
pose for a commemorative photo at the Imperial Palace.

Unknown photographer_Wikimedia Commons に Public Domain

## **食物繊維と西川**

西川正治は[寺田寅彦](https://www.nowkouji226.com/terada_1878/)の指導を受け、
物理学を学んでいきます。
西川が取り組んだ重要なテーマの一つが、
**X線を使って結晶や繊維状物質の内部構造を調べること**でした。

竹や麻などの繊維状物質は、一見すると単純な植物材料に見えます。しかし、
その内部には分子が規則的に並んだ構造があり、X線を照射すると、
その構造に応じた回折像が得られます。

西川正治は、こうしたX線回折を利用して、目で直接見ることの
できない物質内部の構造を読み取ろうとしました。

このような研究は、後にセルロースなどの高分子物質の構造を
X線回折によって調べる研究ともつながる、**繊維状物質の構造解析
という重要な流れの一部**として位置づけることができます。

ここで重要なのは、「見えないものを見る」という物理学の方法です。

X線そのものを目で見るのではなく、物質にX線を当て、その結果として
現れる回折像を測定します。そして、そのパターンを解析することで、
物質内部の原子や分子の規則的な配列を推定していくのです。

手法としては「X線回折」を駆使して
スピネル群結晶内の電子配置を決定しています。

X線解析での問題

そもそも「電子」は不可視の存在ですが、
電磁波に対して作用して結果を残すので
その結果を画像で解析できます。

解析をすることで、
結晶内での微視的な電子配置の情報が得られるのです。

初学者は単純なモデルから学ぶので電子が個々の性質を見せる
と思いがちです。実際はそんな事は無くて電子単体で
「観測にかかる」事象はなかなか見当たりません。

たとえば相互作用を考えていって
「輝点」の議論をしている時でも、
話の中には色々な要素があって、どこまでが観測事実か、
はたまた勝手な想像であるか、判断に迷うことがあります。

万人に説得力を持つ議論を進めるのはとても大変な作業です。
加えて、当時の時点での知識で原子からの寄与と、
電子からの寄与を明確にしていくには
多くの知見が必要だったと思われます。

X線情報の精度を考えるだけで大変で、
一つ一つ推論を裏付けていった筈です。

**見えない電子をどうやって知るのか**

電子を直接目で見ることはできません。しかし、
電子は電磁場やX線などと相互作用します。

その相互作用によって生じた「結果」を測定すれば、そこから電子や
原子の状態について推論することができます。
X線回折も、
その代表的な方法です。
X線を結晶に照射すると、結晶中の規則的な
原子配列によって回折が起こります。観測される回折強度は、
結晶内部の電子密度分布と関係しています。

したがって研究者は、単に「写真に写ったもの」を見ているわけではありません。

**測定された回折データ → 数学的な解析 → 原子・電子の配置に関する推論**

という段階を踏んで、目には見えない物質内部の構造を明らかにしていきます。

ここにX線結晶学の面白さがあります。

観測できるのは回折という現象ですが、そこから直接見ることのできない
物質内部の構造を推定するのです。
西川正治の研究も、この
「観測できる現象から見えない構造を読み解く」という物理学の方法の中に
位置づけることができます。

 

そうした「新しい計測手法」を手掛かりに

西川正治は解析していったのです。

西川正治はそうした業績を残しながら

二人のお子様を育て、其々が学者として

名を残しています。また、同時に

幾人もの弟子を育て、日本物理学会に

今も続く、大きな足跡を残しています。

西川正治とつながる物理学者

西川正治の研究を理解するには、一人の物理学者だけを見る
のではなく、
誰から学び、誰と同じ時代を生き、どのような研究分野へ
つながっていったのか
を見ることも重要です。

ここでは、人物の生年による「前後の流れ」と、研究テーマによる
「関連人物」の二つの方向から、
私のサイト;nowkouji226.com
の記事をたどれるようにしています。

前後の人物

◀ 前の人物:松山基範

西川正治(1884–1952)

▶ 次の人物:次の物理学者を年代順に読む

師・寺田寅彦から西川正治へ

西川正治を知るうえで、まず読んでおきたい人物が
寺田寅彦です。

西川正治は寺田寅彦の指導を受けて物理学を学びました。
そのため、西川正治の記事だけでなく、
寺田寅彦がどのような人物で、
どのような科学観を持っていたのかを知ることで、
西川の研究者としての背景も見えてきます。


寺田寅彦の記事を読む →

X線回折からつながる物理学者

西川正治の研究をさらに深く理解するなら、
X線回折がどのように生まれ、
結晶構造の研究へ発展していったのかをたどるのがおすすめです。

  • マックス・フォン・ラウエ
    X線と結晶の相互作用を研究し、
    X線回折という研究手法の発展に大きく貢献した物理学者です。
  • ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ
    X線を利用した結晶構造解析を発展させた物理学者です。
  • ウィリアム・ローレンス・ブラッグ
    父ウィリアム・ヘンリー・ブラッグとともに
    X線結晶学を大きく発展させました。

西川正治の研究を入口として、
ラウエやブラッグ父子へ進むと、
「X線を使って、目に見えない物質内部の構造をどう調べるのか」
という研究の流れを理解しやすくなります。

1884年前後に生まれた物理学者

西川正治は1884年生まれです。
同じ時代には、地球物理学、物性物理学、
原子物理学など、さまざまな分野で研究を進めた人物がいました。

例えば、同じ1884年生まれの
松山基範は、
岩石に残された磁化を手掛かりとして
地磁気逆転を研究した地球物理学者です。

X線回折によって「物質内部」を探った西川正治と、
岩石の磁化から「地球の過去」を探った松山基範。
研究対象は異なりますが、
直接見ることのできない対象を観測データから推論する
という点では共通するものがあります。


松山基範の記事を読む →

物理学者を年代からたどる

西川正治の記事を読み終えたら、
同じ時代に生きた物理学者を年代順にたどってみるのもおすすめです。

一人の人物を起点にして、
師弟関係、研究分野、同時代の人物へと進んでいくと、
個々の人物の業績だけでは見えにくい
物理学の歴史そのものが見えてきます。


物理学者を年代順に読む →

 

【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
次のアドレスまでお願いします。
適時、返信・改定を致します。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/13_初稿投稿
2026/08/12_改定投稿

サイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
日本関連のご紹介
東大関連のご紹介
力学関係のご紹介
熱統計関連のご紹介へ
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点他の対応英訳)

Dietary fiber and Nishikawa

Shoji Nishikawa will study physics under the guidance of Torahiko Terada. In particular, he focused on plant-derived structures such as bamboo and hemp and considered how electromagnetic waves act on fibrous structural materials. As a method, the electron configuration in the spinel group crystal is determined by making full use of X-ray diffraction.

Problems with X-ray analysis

In the first place, electrons are invisible, but they act on electromagnetic waves and leave results, so if you analyze the results with images, you can obtain information on the microscopic electron configuration in the crystal. Beginners tend to think that electrons show individual properties because they learn from simple models. Actually, there is no such thing, and it is difficult to find an event that “observes” an electron alone. For example, even when thinking about interaction and discussing “bright spots”, there are various elements in the story, and it is judged how far the observation facts are, or whether it is a selfish imagination.

You may get lost. Proceeding with a convincing discussion for everyone is a daunting task. In addition, it seems that a lot of knowledge was needed to clarify the contribution from atoms and the contribution from electrons with the knowledge at that time. It was difficult just to think about the accuracy of X-ray information, and it should have supported the inference one by one.

Shoji Nishikawa analyzed using such a “new measurement method” as a clue. Shoji Nishikawa raised two children while leaving such achievements, and each of them has left his name as a scholar. At the same time, he raised a number of disciples and left a large footprint that continues to the Physical Society of Japan.

に投稿 コメントを残す

ピーター・デバイ
【比熱のデバイモデル|比熱の定式化で新しい物理モデルを提案】‐8/19改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

熱力学
【スポンサーリンク】
【1884年3月24日生まれ ~ 1966年11月2日没】

【Wikimedia Commons _ Public Domain :】
【Peter Debye in 1935‗Photographer: Unknown】

オランダ生まれのデバイ

デバイはオランダに生まれていて、

物理学者にして化学者です。

ドイツで教授を務めていたりもしました。

第二次大戦の時には渡米してコーネル大学で

教授を務めていました。そんなデバイは、

比熱の定式化で名を残しています。

デバイの業績①

デバイは電子の双極子モーメントを使って誘電率の説明
をしました。これは後世に重要な功績です。

物質の中には、電気的に正負の電荷がわずかに偏ることで、
電気双極子として振る舞う分子があります。

外部から電場を加えると、この双極子は電場の影響を受けて
向きを変えようとします。

このような分子の双極子モーメントを考え、
物質全体としてどの程度分極するのかを考えることで、
電場と誘電率との関係を説明していきました。

ここで重要なのは、

**「物質の中で電荷がどのように偏るのか」というミクロな現象から、
「物質全体の誘電率」というマクロな物性へ橋を架けたこと**

です。

これは、原子や分子の性質を出発点として、
実際に測定される物質の性質を説明するという、
物性物理学らしい考え方でもあります。

また、分子が持つ双極子モーメントは、
外部電場の変化に対して常に瞬時に追従できるとは限りません。

特に交流電場の周波数が高くなると、
分子の向きが電場の変化についていけなくなり、
誘電率が周波数によって変化する現象が現れます。

こうした考え方は、後の誘電緩和や誘電分散を理解するうえでも
重要な意味を持っています。

誘電率は真空中を基準とした相対的な値で考えると、

アルミナ、雲母、NaCl、水晶、ダイヤモンドでは
おおむね5から9程度の値をとり、
水(純水)では約80、
メチルアルコールでは約33となります。
【理科年表2021より】

このように、同じ電場を加えても物質によって応答は大きく異なります。

デバイは、こうした物質の電気的応答を
分子レベルの性質から理解する道を切り開きました。

そして彼の名前は、分子モーメントの単位である
**デバイ(Debye)**にも残されています。

デバイの別の業績②

また、

デバイの別の業績としては比熱に対しての物もあります。

一般的に比熱のモデルですが、今日では一般的に

アインシュタイン・モデルと

デバイ・モデルが使われます。

アインシュタインの比熱モデルは拘束された原子核が
バネでつながれたイメージです。

二次元で例えてみると碁盤の線の交点に原子があって、
交点間の線にバネがあって隣の交点に熱を伝えます。
交点に足る特定の原子が激しく動くと
隣接する上下左右4点の原子がバネを介して
エネルギーを受けるイメージのモデルです。

対してデバイ・モデルでは、
結晶を連続弾性体とみなし、格子振動(フォノン)の
全モード密度を積分して比熱を導く という定式化が行われます。
その結果、低温では比熱が温度:に比例する
ことを自然に説明できます。

デバイモデルでは長波長の弾性波を
モデルに
取り入れる事が出来るうえに、
外界とのリンクも勘定しやすいです。

現代の我々は夫々のモデルが当てはめられる場合の考察が出来るのです。

具体的にデバイモデルでは外界とのリンクを
取り入れていて、
それは箱の出口となるドアで表されています。

こういった概念を纏めているサイトを見つけました。
最後に以下にURLを記します。
ご参考にして下さい。


(ときわ台学さん)(別リンク)

**関連する物理学者(前後の流れ)**

◀ 前の人物:ポール・エーレンフェスト
▶ 次の人物:エンリコ・フェルミ

**この分野の物理学者(物性物理・量子論・低温物理)**

ローレンツ
ピーター・ゼーマン
アインシュタイン
ポール・エーレンフェスト
→ **デバイ**
フェルミ
ハイゼンベルク
ポール・ディラック

☆彡

デバイを理解すると、

**分子の性質 → 物質の性質 → 格子振動 → 量子論 → 低温物理**

という流れが見えてきます。

みなさんも関連する人物の記事も合わせて読むことで、
20世紀前半の物理学がどのようにつながっていったのかを
追ってみてください。きっと、小さな感動につながります。
 

|コスパ最強・タイパ最強・テックジム|
プログラミング教室の無料カウンセリング【スポンサーリンク】

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/09/25_初稿投稿
2026/08/19‗改訂投稿

サイトTOP
舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介
オランダ関係
ドイツ関係
アメリカ関係
力学関係
電磁気関係
熱統計力学関係
量子力学関係

AIでの考察(参考)

【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】

(2021年10月時点での対応英訳)

Dutch-born debye

Debye was born in the Netherlands and is a physicist and chemist. He was also a professor in Germany. He traveled to the United States during the war and was a professor at Cornell University. Such Debye has made a name for himself in the formulation of his specific heat.

Debye’s achievements ①

I also explained the permittivity using the dipole moment of electrons. When considering a dielectric in which free electrons do not exist inside, the electrons and nuclei move in opposite directions when an electric field is applied inside the material to form a dipole. Based on this idea, the “dipole moment” was defined, and the relationship between the electric field and the permittivity was shown by examining the value per unit volume. The permittivity takes a value of 5 to 9 for alumina, mica, NaCl, crystal, and diamond, 80 for water (pure water), and 33 for methyl alcohol, based on vacuum. [From the Chronological Scientific Tables] _ From these achievements, Debye has left its name as a unit of molecular moment.

Another achievement of Debye②

Another achievement of Debye is for specific heat. Although it is generally a specific heat model, the Einstein model and the Debye model are commonly used today. Einstein’s specific heat model is an image of constrained nuclei connected by springs. If you compare it in two dimensions, there is an atom at the intersection of the lines on the board, and there is a spring in the line between the intersections to transfer heat to the next intersection.

This is a model of the image that when a specific atom sufficient for an intersection moves violently, four adjacent atoms on the top, bottom, left, and right next to it receive energy via a spring. On the other hand, the Debye model is a model in which a phonon moves around in a box, which is similar to the movement of an ideal gas. In the Debye model, long-wavelength elastic waves can be incorporated into the model, and it is easy to count links with the outside world. Specifically, the Debye model incorporates a link to the outside world, which is represented by the door that exits the box.