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ロジャー・ペンローズ
【ブラックホールにおける特異性を示しノーベル賞を受賞】-10/19改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

皇帝の新しい心
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【1931年8月8日生まれ ~ (ご存命中)】

【出典:Wikimedia Commons‗Roger Penrose】

 芸術家肌のペンローズ

その名はロジャー・ペンローズ
;Sir Roger Penrose OM FRS。
英国の物理学者ですが、

2025年9月時点で94歳。まだご存命

の方なので簡単に取り上げたい

と思います。有名人のブライアンとは

少し系統が違う気がするのです。


(芸能系ではない純理論の学者さんです。

ムツゴロウさんとも雰囲気が違いますね)

ロジャー・ペンローズは精神科医にして遺伝学者の父を持ち、
父方母方共に沢山の学者、芸術家がいる家庭に生まれました。
ロジャー自身も学者としてケンブリッジに進みます。

1994年にはナイトに叙せられています。また、
ホーキングと共にブラックホールにおける特異点を示し、
後に2020年のノーベル賞を受賞します。

ペンローズと「意識の量子論」

私がペンローズの研究業績で気になっているのは、
ブラックホールや幾何学だけではありません。
「意識とは何か」という問題に量子力学を持ち込んだ議論です。

ペンローズは著書『皇帝の新しい心』などで、
人間の意識や数学的な理解には、通常のコンピューターによる
アルゴリズムでは説明しきれない部分があるのではないかと考えました。
その議論から、量子力学における状態の収縮、さらに重力が関係する
「客観的収縮(objective reduction)」という考え方へ進んでいきます。

ここで重要なのは、
「脳の中でも量子力学が働いている」という一般論と、
「量子状態の収縮が意識の本質である」というペンローズの仮説を
分けて考えることです。
前者は物質を記述する基本理論としての量子力学の話ですが、
後者は現在の標準的な量子力学だけから自動的に導かれる結論ではありません。

さらにペンローズは、麻酔科医のスチュアート・ハメロフとの共同研究で、
神経細胞内部の微小管(microtubules)を量子状態の舞台として考える
方向へ議論を進めています。
量子状態の重ね合わせが重力によって客観的に収縮し、
それが意識の基本的な出来事に対応する、という考え方です。

この仮説には現在も議論があります。
特に、脳のような温かく複雑な環境で量子状態がどの程度の時間維持できるのか、
また、その量子過程が本当に意識の成立に結び付くのかという問題があります。
この点については、量子意識を扱う研究の中でもペンローズとハメロフのモデルは
非常に大胆な仮説として位置付けられており、実証された理論として扱うことはできません。

私自身が感じた「違和感」も、ここにあります。
脳内の物質現象を量子力学で記述できることと、
量子状態の収縮を意識そのものの原因と考えることの間には、
まだ一段階、大きな論理があります。

その一段階をどのように埋めるのか。
そこまで系統的に読み進めて初めて、
私の感じている違和感が本当の問題なのか、
それとも単に私の理解が追いついていないだけなのかが分かるのでしょう。

そう考えると、ペンローズの議論は非常に興味深い研究テーマです。
確立した物理理論として紹介するのではなく、
「物理学は意識をどこまで説明できるのか」という未解決問題を
考えるための一つの大胆な仮説として読んでみたいと思います。 

ペンローズの芸術的感性と独創性

ロジャー・ペンローズは、理論物理学者でありながら
「芸術家肌」と評されることが多い人物です。
その理由の一つが、彼の研究に見られる強い幾何学的直観です。

特に有名なのが、ペンローズ・タイルと呼ばれる図形構造です。
これは規則的でありながら周期性を持たない不思議なパターンで、
数学・物理・芸術の境界を越えて大きな影響を与えました。

また、彼の研究スタイルは「既存の枠組みにとらわれない」こと
でも知られています。ブラックホールの特異点定理においても、
スティーヴン・ホーキングと協力しながら、
時空の幾何学的性質から問題を解き明かしました。

このようにペンローズの思考は、幾何学的直観/物理理論/哲学的問い

を横断する特徴を持っています。そのため、意識の問題に対する
アプローチも、単なる物理学の枠を超えたものになっているのです。


ペンローズの議論は、物理学だけでなく「意識とは何か」
という哲学的問題にも踏み込んでいる点で特異な位置を占めています。

 ペンローズの研究業績

研究業績で気になってしまうのは認識に関する仮説に関してです。
脳内での活動については個人的に昔から気になっている部分
ではあるのですが、ロジャー・ベンローズの話の展開に、
ほんの少しの違和感を覚えるのです。

ロジャーの主張は著書:皇帝の新しい心_で示されているのそうですが脳内の情報処理には量子力学が関わる。即ちユニタリー発展(U)と波束の収束(R)が含まれている仮定のもとに、ペンローズは、量子力学における「波束の収束(R)」が現在の理論では十分に説明されていない点に着目し、この未解決問題こそが意識の本質に関わるのではないかと主張しています。

無論、脳内の活動は大きさスケールで考えた時に量子力学の対象となると思えます。脳内の伝達物質の一つは情報を与える電子であったりするからです。

その系統の話をきちんと読み通してはじめて分かる話なのか、
考え落としを含んでいる危うい話なのか、失礼ながら
気になってしまうのです。

関連する物理学者(前後の流れ)

◀ 前の人物:
アインシュタイン
▶ 次の人物:
S・W・ホーキング

この分野の物理学者(一般相対性理論・ブラックホール・量子論)

アインシュタイン、
ロジャー・ペンローズ、
S・W・ホーキング、
フォン・ノイマン

アインシュタインが一般相対性理論を築き、
ペンローズがその数学的構造からブラックホール形成と特異点の問題を追究し、
ホーキングとの共同研究によって特異点定理へと展開していきます。
一方、量子力学の数学的基礎という観点では、
フォン・ノイマン
の仕事も、状態の収縮という問題を考える上で重要な背景になります。

〆

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(2021年11月時点での対応英訳)

Artist skin pen rose

Its name is Roger Penrose OM FRS.

He’s a British physicist, but he’s still alive, so I’d like to take a quick look. He feels a little different from the celebrity Brian.

(I’m a non-entertainment scholar of pure theory. The atmosphere is different from that of Mr. Mutsugoro.)

Roger Penrose was born into a family with a psychiatrist and geneticist father, and many scholars and artists on both his paternal and maternal sides. Roger himself goes to Cambridge. He, along with Hawking, showed his singularity in black holes and later won the 2020 Nobel Prize. The reason for his award was his appreciation for the relationship between black holes and relativity.

Penrose research achievements

What is worrisome about his research achievements is the cognitive hypothesis. I’ve always been concerned about activities in the brain, but I feel a little uncomfortable with the development of Roger Ben Rhodes’ story. The claim is shown in Roger’s book: The Emperor’s New Heart, but quantum mechanics is involved in information processing in the brain. That is, under the assumption that unitary development (U) and wave packet convergence (R) are included, we are proceeding from the standpoint that there is a lack of discussion on one R. I’m rude and worried whether it’s a story that can only be understood by reading through the story of that system properly, or a dangerous story that includes oversight. I would like to confirm whether the “uncomfortable feeling” I use in this article is a genuine uncomfortable feeling or a discomfort of having a hard time moving. In that sense, it’s very interesting.

〆

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関孝和【 1637年1642年生まれ_傍書法と点竄術で和算を革新した“算聖”の生涯と業績】-10/19改訂

こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。
今回の改定は英訳部の削除が主です。
ご覧ください。(以下原稿です)

江戸時代を代表する数学者 ― 関孝和(せき たかかず)
【1637年1642年生まれ1708年12月5日没】

関孝和の肖像画

出典:
Wikimedia Commons(Public Domain)

関孝和(1642年頃〜1708年)は、日本の数学史において最も重要な人物の一人として知られています。
江戸時代中期に活躍し、「和算(わさん)」と呼ばれる日本独自の数学体系を大成させました。特に、
「円理(えんり)」や「筆算」の改良、そして行列式に相当する「行列法(こうれつほう)」を
早期に取り入れた点で、世界的にも高く評価されています。

彼の著書『解伏題之法』『発微算法』などは、後世の和算家たちに大きな影響を与え、
日本数学の黄金期を築きました。特に「高次方程式の数値解法」や「算額(数学的奉納板)」の普及により、
数学が庶民の文化の一部として定着する契機を作ったことは特筆に値します。

関孝和の功績は、単なる技術的進歩に留まりません。彼は「独立した知の体系」を築きました。
当時ヨーロッパで発展しつつあった代数学・解析学と比較しも、
独自性の高い数学体系を、日本語と算木・筆算によって構築した点は特筆に値します。その革新性は、
近代以降の数学史研究でも再評価されています。

参考文献:
・島田徹『和算の世界』岩波書店, 1998年
・日本数学史学会『関孝和の数学的遺産』2005年
・Wikipedia – 関孝和

彼は独自の記号法「傍書法」と、
筆算術を応用した「点竄術」を生み出し、それまで解けなかった
高次方程式を扱えるようにしました。この革新は、連立方程式や
行列式、さらには微積分に相当する問題まで取り組める新しい数学の地平を
切り開きます。和算の枠を大きく広げた功績により、後世の和算家は関の流れを
「関流」と称し、彼を「算聖」と仰ぎました。本記事では、関孝和の人物像と
研究の中核に迫り、その意義を現代的な視点から解説します。


関孝和の生涯と和算の登場

出自と生涯の背景

関孝和は江戸時代前期、武士の家に生まれ、幕府の勘定役を務めたと伝わります。
生年や前半生には不明点が多いものの、確かなのは彼が数学的才能を発揮し、
和算を飛躍的に発展させたことです。和算は中国から伝わった数学を基盤と
しながらも、日本独自の発展を遂げていました。孝和の登場は、まさに和算の
「成熟期」を象徴する出来事でした。

中国数学からの影響

当時の日本数学は、中国の『算数書』や『天元術』を受け継いでいました。
しかし、中国式の天元術は未知数が一つしか扱えず、問題解決には
限界がありました。孝和はこの制約を打破する方法を模索し、
傍書法や点竄術を通じて、未知数を複数扱う革新的な
アプローチを生み出したのです。

算聖と呼ばれるまで

関の業績は弟子や後継者に継承され、18世紀には「算聖」と称されるほどの
尊敬を集めました。「関孝和は、江戸時代において『算聖』と称され、
和算を通じて学問と文化の融合を象徴する存在となりました。」


数学的革新 ― 傍書法と点竄術の深堀り

傍書法の誕生と意義

傍書法とは、数式を紙面の傍らに記号として書き込む独自の表記法です。
これにより、複数の未知数を同時に扱えるようになり、数式の整理が飛躍的に
簡単になりました。現代の代数記号の先駆けともいえる画期的な発明であり、
数学を抽象的に操作する力を高めました。

点竄術による計算革命

点竄術は、筆算のように符号や記号を操作して高次方程式を解く方法でした。
未知数を扱う複雑な問題を体系的に処理できるため、和算における「計算技術革命」
とも呼べます。連立方程式の消去法や行列式の萌芽がここに見られる点は、
特筆すべきです。

天元術の応用拡大

従来の天元術は一次元的な問題に限定されていましたが、傍書法と
点竄術の導入により、複数未知数や高次方程式にも応用可能になりました。
例えば、孝和は正三角形から正20角形に至る多角形の面積計算を体系化し、
数学を幾何・代数の両面から進化させました。


和算の発展と関流の形成

後世の和算家への影響

孝和の技術革新により、和算は多くの分野に応用されました。彼の方法は
計算を効率化し、後世の和算家が新しい公式を導き出す基盤を築きました。
この恩恵は18世紀を通じて広がり、日本独自の数学文化の成熟を支えました。

関流という学派の誕生

18世紀後半になると、孝和を中心とする和算家の系譜は「関流」と称されました。
和算家たちは系譜を誇りとし、孝和の記号法や計算法を標準として学びました。
関流は、和算を日本全国に普及させる大きな原動力となったのです。

算聖としての文化的地位

関孝和は単なる数学者にとどまらず、日本文化の象徴的存在へと昇華しました。
和算は学問としてだけでなく、文化・芸術と並ぶ知的営みとみなされ、
孝和の名は「算聖」として歴史に刻まれました。


まとめ

関孝和は、日本の数学史において決定的な役割を果たした革新者でした。
傍書法と点竄術によって、和算は未知数を複数扱える新たな地平に到達し、
連立方程式や高次方程式を体系的に解く力を獲得しました。この成果は
後世の和算家に継承され、「関流」として全国に広がり、和算を文化的にも
学術的にも高みに押し上げました。俳聖・茶聖と並ぶ「算聖」としての
関孝和の名は、今もなお日本数学史に燦然と輝いています。


関連する科学者の系譜(和算・数学史)

◀ 前の人物:アイザック・バロー(1630-1677)

▶ 次の人物:ゴットフリート・ライプニッツ(1646-1716)

この分野の数学者(和算・数学史)

ブレーズ・パスカル

ゴットフリート・ライプニッツ

アイザック・ニュートン

〆

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ロバート・シュリーファー
【超電導を理論化したBCS理論を提唱】‐10/18改訂

こんにちはコウジです。

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超伝導の理論
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【1931年5月31日 ~ 2019年7月27日】


【引用:Wikimedia Commons“John R. Schrieffer”】

 BCS理論を構築したシュリーファー

BCS理論を作った3人の中の一人が

シュリーファーであって、

BCS理論でのSはシュリーファのSです。

BCS理論自体の説明は他のメンバーである
バーディーン、クーパーのご紹介の中で
解説していますので繰り返しません。
超伝導を微視的に解説した理論です。

シュリーファーの人物像と研究のひらめき

ジョン・ロバート・シュリーファーは、理論物理学者の中でも
「ひらめき型」の研究者として知られています。

BCS理論の完成において決定的だったのは、彼が電車に乗って
移動中に思いついたとされる波動関数の形でした。
このアイディアにより、超伝導状態を記述する理論が
一気に完成へと近づいたのです。

彼の役割は、ジョン・バーディーンとレオン・クーパーが築いた
物理的な直観を、一つの美しい数式として結晶化することにありました。

また、若い頃から電子工学に強い関心を持っていたことも特徴的です。
ロケットや無線といった実践的な趣味を通じて、「見えない現象を扱う感覚」
を身につけていたことが、後の理論構築にも影響していたと考えられます。

研究者としては寡黙で、どちらかと言えば内向的な性格だった
とも言われています。その分、一つの問題に深く集中する力に優れており、
短期間で決定的な成果を出すタイプの研究者でした。

シュリーファーが完成させたBCS波動関数

BCS理論を作った3人の中の一人がシュリーファーです。
BCS理論での「S」はシュリーファーの頭文字です。

BCS理論そのものについては、すでに
バーディーン、
クーパーの記事で説明していますので、
ここではシュリーファー自身の役割に絞ります。

バーディーンが超伝導を説明するための問題を追い、
クーパーが電子同士の結合した状態、いわゆるクーパー対を考えた後、
シュリーファーは「多数のクーパー対が集まった超伝導状態全体を、
どのような量子状態として表現すればよいか」という問題に取り組みました。

1957年初頭、シュリーファーは移動中に、
多数の電子対が協調して存在する状態を一つの波動関数で表すという
重要なアイデアを得たとされています。
この波動関数によって、超伝導状態を数学的に扱う道が開かれました。

ここがシュリーファーの大きな役割です。
クーパーが「電子対」という部分を示し、
バーディーンが超伝導を説明する物理的問題を整理する一方で、
シュリーファーは多数の電子対からなる集団状態を
量子力学的な波動関数として記述する方法を与えました。

こうして3人の仕事が結びつき、1957年にBCS理論が完成します。
同年12月に発表された論文
「Theory of Superconductivity」
には、バーディーン、クーパー、シュリーファーの3人の名前が並んでいます。
この理論によって、従来から知られていた超伝導現象を
電子と結晶格子の相互作用という微視的な立場から説明する道が開かれました。

シュリーファーはその後も物性理論の研究を続けました。
BCS理論は単に超伝導だけを説明する理論にとどまらず、
多数の粒子が協調して量子的な状態を形成する現象を考える上で、
その後の物理学にも大きな影響を与えています。

 シュリーファーと超電導の研究

シュリーファはMIT(マサチューセッツ工科大学)で
半導体の研究を当初進めていました。特に半導体表面での
電子の振る舞いを研究していたのです。そして後に超伝導現象の
研究に移ります。シュリーファーの業績は、物理現象を

「一つの波動関数で記述する」という量子力学の美しさを体現したものでした。

シュリーファ達がBCS理論をまとめた後、世界での研究は常温での
超伝導実現に向けた研究が進んでいます。常温高圧環境下で現象を
起こしたりする試みがされていて、マイナス百数十ケルビンまで
転移温度は近づいてきています。

現実には実現が難しいような高圧をかけた時に、常温で超電導現象が
実現した報告もあります。私が研究していた時代には
青学の秋光先生や東工大の細野先生が挑んでいました。

それぞれご存命かと思われますので詳細は控えます。

科学史と言うより最前線に近いかと思えますので。

ご本人達にしてみれば未だ少し、

「今でも研究してますよ!」って気持ちも

あるのではないかとと思えるのです。

 シュリーファーの晩年

話し戻って、シュリーファは1957年から米国代表の立場で英国バーミンガム大学とコペンハーゲンのボーア研究所で超電導の研究を続けています。そして残念な事に、晩年に自動車事故を起こし人を殺めてしまい、懲役を課されています。カリフォルニア州サンディエゴにある刑務所で懲役に服しました。

素晴らしい研究のセンスとうっかりミスを犯してしまう性格は共に
シュリーファの人生に影響を与えました。この出来事は、優れた研究者
であっても一人の人間として社会的責任を負っていることを
改めて考えさせるものです。こんな話をするのは事故当時
シュリーファは免許停止中だったからです。
立場のある人間であれば尚更、責任を持った行動が求められます。

それだから、この話を知って「とても残念」です。
バーディン教授の人を集める性格とシュリーファー教授の
人を遠ざけてしまう性格は対象的に思えてしまうのです。

バーディンは仲間とトランジスタを開発して、別途BCS理論をつくりあげて
仲間の輪を広げました。その過程で出会った日本人、中嶋貞雄を
アメリカに呼んで、もてなしていたりします。朗らかなアメリカ人のイメージです。

反面、シュリーファーは立派な立場をいくつも受けた後に
人を殺めてしまいました。朗らかなアメリカ人として
単純に語れない人生です。こんな話を我々は
大きな教訓として考えるべきだと思います。

シュリーファーの人物像と研究のひらめき

シュリーファーは若い頃から電子工学に強い関心を持っていました。
アマチュア無線や手作りロケットなどに興味を持ち、
MITでは当初電気工学を専攻した後、物理学へ進んでいます。
こうした経験も含め、理論だけに閉じた研究者ではなく、
目に見えない電子の振る舞いを具体的な現象として
捉えようとした研究者だった

と見ることができます。

一方で、BCS理論を「シュリーファー一人のひらめき」
と考えるのは適切ではありません。

バーディーン、クーパー、シュリーファーのそれぞれの研究が結びつき、
電子対という物理的な考え方と、それを集団的な量子状態として記述する数学が
組み合わさったことで理論が完成したのです。

この研究史を見ると、科学における「ひらめき」は、
一人の研究者が突然すべてを発見することではなく、
それまで積み重ねられていた問題やアイデアを別の形にまとめ、
一気に理論として結びつける瞬間でもあることが分かります。

関連する物理学者(前後の流れ)

◀ 前の人物:
レオン・クーパー
▶ 次の人物:
久保亮五

この分野の物理学者(超伝導・低温物理学・物性物理学)

ヘイケ・カメルリング・オネス、
ジョン・バーディーン、
レオン・クーパー、
ロバート・シュリーファー、
久保亮五

超伝導の歴史は、オネスによる超伝導現象の発見から、
バーディーン、クーパー、シュリーファーによるBCS理論へと進み、
さらにその後の低温物理学・物性物理学へとつながっています。

また、現在も続く高温超伝導や室温超伝導への研究については、
室温超電動に関する記事
でも紹介しています。

〆

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2026/10/18_改定

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(2021年11月時点での対応英訳)

Schrieffer of BCS theory

One of the three who created the BCS theory is Schrieffer, and the S in BCS theory is Schrieffer’s S.

Research on Schrieffer and superconductivity

When he was a boy, Shrifa was a boy who loved electronics, making handmade rockets and ham radio. Such Schrifa was initially conducting research on semiconductors at MIT (Massachusetts Institute of Technology). He was especially studying the behavior of electrons on the surface of semiconductors. And he later moved on to study superconducting phenomena.

After Schrifa et al. Summarized the BCS theory, research in the world is progressing toward the realization of superconductivity at room temperature. Attempts have been made to cause phenomena in a normal temperature and high pressure environment, and the transition temperature is approaching to minus one hundred and several tens of Kelvin.

There is also a report that the superconducting phenomenon was realized at room temperature when a high voltage that was difficult to realize in reality was applied. When I was studying, Professor Akimitsu of Seigaku and Professor Hosono of Tokyo Institute of Technology were challenging. I will refrain from detailing each of them as they may be alive. I think it’s closer to the front line than the history of science. For the people themselves, I think they may have the feeling that they are still researching!

Schrieffer’s later years

Returning to the story, Schrifa has been studying superconductivity at the University of Birmingham in the United Kingdom and the Bohr Institute in Copenhagen since 1957. And unfortunately, in his later years he had a car accident, killed a person and was sentenced to imprisonment. He was sentenced to jail in San Diego, California. Both his great sense of research and his inadvertent mistaken personality have influenced Shrifa’s life. He wanted him to live a life with a sense of tension if possible. I tell this story because Shrifa was out of license at the time of the accident.

If you are a person in a position, you are even more required to act responsibly.
So I’m very sorry to know this story. The character of gathering Professor Bardeen and the character of keeping Professor Schrieffer away seem to be symmetrical. Bardeen developed a transistor with his companions and created a separate BCS theory to expand the circle of his companions. I invite Sadao Nakajima, a Japanese who I met in the process, to the United States for hospitality. It is an image of a cheerful American. On the other hand, Schrieffer killed a person after receiving several good positions. It’s a life I can’t talk about as a cheerful American. I think we should consider this story as a big lesson.

〆

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ロバート・フック【ばねの運動に働く力学を法則化した英国人】-10/18改訂

こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。
今回の改定は英訳部の削除が主です。
ご覧ください。(以下原稿です)

「ニュートンに消された男(中島秀人著)」
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【1635年7月28日生まれ ~ 1703年3月3日没】

ロバート・フック(Robert Hooke, 1635–1703)
― 忘れられた万能科学者 ―

肖像画(再建) | 出典 : Wikimedia Commons
「Portrait of Robert Hooke (reconstruction, 2004)」 (Wikipedia 英語版)

 

第1章 生い立ちと初期教育

ロバート・フックは1635年7月18日、イギリス南部ワイト島の
フレッシュウォーター村に生まれました。父ジョン・フックは
英国国教会の牧師で、家庭は敬虔で教育熱心でした。幼い頃から
機械細工に興味を持ち、模型を作る手先の器用さで周囲を驚かせたといいます。

その才能を見抜かれたフックはロンドンのウェストミンスター校で学び、
数学と物理の基礎を修めた後、オックスフォード大学
クライスト・チャーチ校に進みました。

クライスト・チャーチ校(オックスフォード大学) | 出典 : Wikimedia Commons

 

第2章 ボイルとの出会いと科学者としての出発

フックは在学中に哲学者・科学者ロバート・ボイルと出会い、
助手として空気ポンプの実験に携わります。二人は空気の弾性と
圧力の関係を研究し、ボイルの法則(Boyle’s Law)確立の一翼を担いました。

この経験を通じてフックは、実験と理論を結びつける
近代科学的思考を身につけ、後の業績の基盤を築きました。
フックは単なる助手ではなく、実験装置の改良・観測技術・測定手法を
自ら作り上げた「実験科学の技術者」でもありました。

ボイルの空気ポンプ(1660年代) | 出典 : Wikimedia Commons 「Robert Boyle’s air pump」

 


第3章. 代表的業績

・「ばねの伸びが力に比例する」という関係、
いわゆるフックの法則を提唱しました。

・1665年出版の『Micrographia』では、
コルク片を顕微鏡観察した際、
小部屋状の構造を「cell(細胞)」と呼び、
後の細胞学の発展へ繋がる重要な視点を提示しました。

 


・1666年のロンドン大火後には、
建築・測量・都市復興計画にも関与し、
科学者としてだけではなく技術者としても活躍しました。

 


第4章. 人間的側面・評価

フックは非常に多才であった一方で、
同時代のアイザック・ニュートンとの対立でも知られています。

また、ロバート・フックには「確実な肖像画が残っていない」
という科学史上のミステリーも存在します。
そのため現在知られる肖像の多くは、
後世の想像図や復元画である可能性があります。

若年期から背骨が徐々に曲がっていったという記録もあり、
外見への強いコンプレックスを抱えていたとも言われています。

しかしその苦悩の一方で、
フックは実験装置・顕微鏡観察・建築・力学など
多方面に巨大な足跡を残しました。

関連する科学者の系譜(実験科学と力学)

◀ 前の人物:ロバート・ボイル(1627-1691)

▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727)


この分野の科学者(実験科学・顕微鏡)

〆

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有馬朗人_
【ゆとり教育の推奨|複雑な原子核の状態を簡易に数式化】-10/17改訂

こんにちはコウジです。

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【出典:Wikimedia Commons‗Akito Arima】

 有馬氏へお悔やみ

東京大学総長を務めた有馬朗人氏が、2020年12月6日に亡くなりました。 享年90歳でした。謹んでお悔やみを申し上げます。

有馬朗人は原子核物理学の世界で業績をあげ、特に 有馬・堀江理論(配位混合の理論)、 相互作用するボゾン模型の提唱、 クラスター模型への貢献、の3つの業績が大きな業績です。

有馬朗人の業績

有馬朗人の原子核物理学における代表的な仕事として、有馬・堀江の配位混合理論、相互作用する ボソン模型、そして原子核のクラスター構造に関する研究が挙げられます。 日本物理学会も、有馬の初期の代表的仕事として有馬・堀江による配位混合理論を、 その後の重要な研究として相互作用するボソン模型を挙げています。

相互作用するボソン模型とは何か

特に有馬朗人の名前と結び付いているのが、相互作用するボソン模型(Interacting Boson Model)です。

原子核は陽子と中性子という多数の核子から構成されています。その一つ一つの運動を すべて追いかけようとすると、非常に複雑な量子多体系になります。そこで有馬らは、 原子核の低エネルギー状態を理解する際に重要となる核子対の自由度に着目し、 それらを有効的なボソンとして扱う方法を発展させました。

つまり、原子核を構成するすべての粒子を直接記述するのではなく、現象を支配する 自由度を取り出して、より少数の変数で原子核の集団運動を記述しようとしたわけです。

ここに有馬朗人の仕事の面白さがあります。複雑な原子核を単純化するだけではなく、 どの自由度を残せば、実際に観測される原子核の性質を説明できるのかを考えたのです。これは 理論物理学における「複雑な系から本質的な構造を取り出す」という考え方の一例として見ることができます。

有馬朗人の研究は、原子核を単純なニュートン力学で記述するという話ではありません。 量子力学的な多体系の中から、原子核の形状や集団運動を表す有効な自由度を取り出し、 対称性や数学的構造を利用して整理していきます。そのため、原子核物理学の専門的な 理論でありながら、複雑な現象を「見通しのよいモデル」に置き換えるという、 理論物理学らしい発想を見ることができます。

この研究は有馬朗人個人だけで完結したものではありません。海外の研究者との 共同研究を通じて発展した点も重要です。日本物理学会によれば、有馬は 1960年代から原子核物理学の理論研究を進め、1971年からはニューヨーク州立大学 ストーニーブルック校教授、1975年には東京大学教授となりました。 その後の研究と教育を通じて、日本の原子核物理学の発展にも大きな役割を果たしました。

以上の説明は一般の人には分かりづらいかもしれませんが 原子核の状態を記述するには古典的な(ニュートン的な)記載 では不十分で、波動関数を使うだけではなくて群論や 電磁気的な側面を考慮して議論を進めていきます。

有馬朗人の研究は、複雑な原子核の世界を「見通しのよい形」 に整理した点に大きな価値があります。

有馬朗人の人柄と教育への情熱

有馬朗人は、優れた理論物理学者であると同時に、 教育者・行政者としても強い信念を持った人物でした。

研究者としての顔だけでなく、東京大学総長や文部大臣を歴任し、 日本の教育政策にも深く関わっています。その根底にあったのは、 「知識を詰め込むだけではなく、広い視野を持つ人材を育てるべきだ」 という考え方でした。

特に知られている「ゆとり教育」に関しても、 単なる授業時間の削減ではなく、

  • 世界史と日本史を統合的に学ぶ

  • 知識の“つながり”を理解する

  • 自ら考える力を養う

といった理念が本来の意図でした。

また、人柄としては非常に温厚で、研究者としても後進の 育成に力を注いだことが知られています。若手研究者の 意見にも耳を傾け、議論を大切にする姿勢は、 多くの教え子に影響を与えました。

科学と社会をつなぐ存在として活動した点も、有馬朗人の 大きな特徴です。理論物理という高度に専門的な分野に 身を置きながら、その知見を社会に還元しようとした姿勢は、 現代の科学者にとっても示唆に富むものと言えるでしょう。

そして、有馬さんは現象を嚙砕いて数式化して 難しい原子の世界を簡単な数式で表現したのです。 

有馬朗人とゆとり教育

また、政界においても活躍され、 特にゆとり教育の推奨が知られています。

有馬朗人が勧めたかった当初の教育は 世界史と日本史を

共に学ぶ事で 知識をより豊かに身に着けていく様な 試みであって、 現場に話が伝わった時点では 全く別の解釈として伝わっていました。 有馬朗人はその解釈を非常に 遺憾に感じていたようです。

関連する物理学者(前後の流れ)

◀ 前の人物:湯浅年子 ▶ 次の人物:梶田隆章

この分野の物理学者(原子核物理学・量子多体系・日本の物理学)

坂田昌一、 仁科芳雄、 湯浅年子、 有馬朗人、 梶田隆章

もっと他にも色々と語りたかったでしょう。 ご冥福をお祈りします。

〆

以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 問題点には適時、 返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/07_初稿投稿
2026/10/17_改定投稿

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AIでの考察(参考)

(2021年11月時点での対応英訳)

Condolences to Mr. Arima

Akito Arima, the president of the University of Tokyo, died on December 8, 2020. He is 90 years old. We would like to express our deepest condolences. Akito Arima has made great achievements in the world of nuclear physics, and is particularly famous for his three achievements: Arima-Horie theory (theory of mixed coordination), proposal of interacting boson models, and contribution to cluster models.

Achievements of Akito Arima

In particular, the interacting boson model was announced by Akito Arima in 1974 when he was at a research institute in the Netherlands, and many of you may know it under the alias of “interacting boson approximation”. ..

Akito Arima’s approximation is used in the discussion of so-called “second quantization” for objects whose wavefunction signs do not invert with respect to particle replacement. It was

It is also active in the political world, and is especially known for recommending Yutori education. The initial education that Akito Arima wanted to recommend was an attempt to acquire more knowledge by studying both world history and Japanese history, and when the story was conveyed to the field, it was a completely different interpretation. It was transmitted as. Akito Arima seems to have felt very regretful about his interpretation.

He would have wanted to talk a lot more. He prays for souls.

〆

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アイザック・バロー
【幾何学的に微積分を考えニュートンを育てた】-10/17改訂

オックスフォード大学(OXFORD)

こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。
今回の改定は英訳部の削除が主です。
ご覧ください。(以下原稿です)

「遥かなるケンブリッジ」藤原正彦著
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【1630年10月生まれ ~ 1677年5月4日没】

アイザック・バロー(Isaac Barrow)
ルーカス教授職の初代数学者

Wright of Derby, Joseph; Isaac Borrow, Recorder of Derby; Derby Museums Trust; http://www.artuk.org/artworks/isaac-borrow-recorder-of-derby-61236

肖像画:Isaac Barrow(1630-1677頃)|出典:Art UK / Wikimedia Commons

生涯と背景

今回のご紹介するバロー教授は
イギリス・ケンブリッジ大学の数学者です。
バローはケンブリッジ大学での
ルーカス教授職に初めて任命されています。
ルーカス教授職とは、ケンブリッジ大学に設置された著名な数学講座です。
後にニュートン、ディラック、ホーキングらが就任したことで
知られています。
特に数学系の理解が高い人物に贈られます。

アイザック・バロー(Isaac Barrow)は1630年10月(または同年)にロンドンで生まれ、
1677年5月4日にロンドンで46歳で没しました。:contentReference[oaicite:1]{index=1}

彼は英国ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、1648年に学士、
1652年に修士を取得しています。:contentReference[oaicite:2]{index=2}

1663年には、ケンブリッジ大学における数学講座「Lucasian Professorship
(ルーカス教授職)」に初めて任命されました。:contentReference[oaicite:4]{index=4}
その職位を1669年に弟子である Isaac Newton に譲り、
数学から神学の研究へと移行しています。:contentReference[oaicite:6]{index=6}

バローの数学的業績

バローは微分積分学の先駆者として、「導関数と積分は逆操作である」という
概念を幾何学的に整理しました。:contentReference[oaicite:7]{index=7}

これらの整理・体系化は、後にニュートンやライプニッツが
微積分法を構築する際の理論的背景となりました。

 筆者とバローの出会い

私がバローの名を初めて知ったのは
高校の時の英語の教材で、
次の様な文章だった気がします。

Just under three hundred years ago,
the professor of mathematics
at Cambridge did distinctly unusual
thing. He decided one of his pupil was..…

上記英文での教授がバロー先生で
その後に出てくる弟子(生徒)がニュートン
なのです。バローはニュートンに
ルーカス職を譲ります。(1669年の話です)
当時20代のニュートンの方が
ルーカスの職位に相応しいと判断したのです。

異例な判断だったようですが
その後のニュートンの業績を考えると
バローの判断は素晴らしいと分かります。
因みにその後、名誉あるルーカス職は
ディラック
やホーキングが

引き継いでいきます。

 バローの業績

上記、英語の文書が書かれた時代
から更に時代は進んでますが、
バローの残した業績は物理学のみ
ならず、工学、ひいては産業に
大きな成果を残しています。

また正割(secant; セカント・Arccos;アークコサイン)関数
の積分を「閉じた式」で表現しました。

またバローは、正割関数(sec)の積分に関する整理でも知られています。

積分をバローは「閉じた式」で表現しましたが無限に続く
漸化式や、点線(・・‣)を含む式は使わない表現です。

こうした整理・体系化をバローは進めました。
ニュトンに教授職を引き継いだ後は
神学の研究に移ったと言われています。

関連する科学者の系譜(微積分の成立)

◀ 前の人物:ルネ・デカルト(1596-1650)

▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727)


この分野の科学者(数学と物理)

ゴットフリート・ライプニッツ

アイザック・ニュートン

ルネ・デカルト

〆最後に〆

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2020/10/06_初稿投稿
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レオン・クーパー
_【26歳でクーパ対|超電導理論での電子挙動をモデル化】-10/16改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

超伝導の理論
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【1930年2月28日 ~2024年10月23日】


【出典:Wikimedia Commons‗LeonCooper】

 クーパと超電導

初めに、本稿は関連用語の解説が中心となリます。
今後も含め分かり易い内容にしたいので
超伝導現象を科学史の観点から改めて
まとめ直した方が有益だろうと感じたからです。

既に内容をご承知の方にはしつこく感じるかと。
そうでしたらごめんなさい。読み飛ばしてください。

クーパーはジョン・バーディーン等と共にBCS理論を確立しました。
クーパーはユダヤ系です。賢い人達ですね。そもそも
BCS理論の大事な考え方であるクーパー対という
考え方をクーパーは26歳の時に纏めています。

さて、本題です。1911年のK・オンネスの発見により
通常の伝導性とは異なる超伝導状態が存在すると明らかに
なりました。定量的には絶対零度近くの
‐273℃=ゼロ・ケルビン(k)
に近づくと超伝導現象が起きます。

その時は抵抗値ゼロです。

例えばニオブ(Nb)は9.22ケルビンで
超伝導状態になります。超伝導状態への
転移を上手く説明した理論がBCS理論で
あって、BCSでのCはクーパーの名前に
由来します。

超伝導の別の側面

ここで、超伝導を電気抵抗だけではなく磁場との関係から考えてみます。

超伝導体では、抵抗がゼロになるだけではありません。1933年にマイスナーと
オクセンフェルトによって発見されたマイスナー効果では、超伝導状態になると
物質内部から磁束が排除されることが確認されました。これは超伝導を単なる
「抵抗ゼロの状態」と考えるだけでは説明できない重要な特徴です。マイスナー効果は、
オンネスによる超伝導の発見から20年以上を経て見つかった、超伝導の本質を
理解するうえで重要な発見でした。K・オンネスからマイスナー効果、
そしてBCS理論へと研究が進んでいったわけです。

磁石が超伝導体の上に浮かぶ写真は、この性質をイメージする有名な例です。
ただし、磁石が浮く現象を単純に「超伝導体の内部磁場がゼロだから」とだけ
説明すると少し足りません。実際には、超伝導体が外部磁場に対して反磁性的に
振る舞い、磁束を排除するマイスナー効果が重要です。

この現象が知られるようになったことで、超伝導を説明する理論には
「なぜ抵抗が消えるのか」だけでなく、「なぜ磁場が排除されるのか」
という問題も求められるようになりました。そして1957年、ジョン・バーディーン、
レオン・クーパー、ジョン・ロバート・シュリーファーによってBCS理論が完成します。
BCS理論は、それまでに知られていた超伝導現象を電子の微視的な振る舞いから
説明する理論でした。ジョン・バーディーンの記事と合わせて読むと、
この研究の流れが分かりやすくなります。

クーパー対という発想

クーパーの重要な仕事は、電子同士の間に弱い引力が存在すると、通常なら互いに
反発するはずの電子が対を形成できることを示した点にあります。
これが現在いうクーパー対です。

この引力には、結晶格子の振動、すなわちフォノンが関係します。電子が
格子に働きかけ、その格子の応答を介して別の電子との間に有効的な引力が
生じるという考え方です。BCS理論では、このような電子対が多数の電子からなる
量子状態を形成することで、通常の金属とは異なる超伝導状態が生まれると考えます。([APS](https://link.aps.org/accepted/10.1103/RevModPhys.90.011001))

したがって、クーパー対を単純に「2個の電子がくっついたもの」と考えるだけ
では十分ではありません。重要なのは、多数の電子が協調した量子状態を形成すること
です。ここに超伝導が巨視的な量子現象として現れる面白さがあります。

こうして見ると、超伝導の研究には三つの大きな段階があります。まず1911年の
オンネスによる抵抗の消失、次に1933年のマイスナー効果による磁束排除、
そして1957年のBCS理論による微視的な理論説明です。クーパーは
その第三段階の中心人物として、クーパー対という考え方を提供しました。

その後、超伝導研究はBCS理論だけでは説明できない物質へも広がっていきます。
液体ヘリウムによる低温研究から、液体窒素で冷却可能な高温超伝導体、さらに
量子材料やナノスケールの研究へと対象は広がりました。超伝導は
「抵抗がゼロになる現象」から、物質中の電子が集団として示す量子現象へと理解が深められてきたのです。

ここで別の側面から超伝導状態を考えます。温度を下げ相転移温度で現象が起きると
電流を流した時に抵抗値がゼロになりますが同時に相転移温度で磁界に対して変化が生じます。

超伝導状態になった時に磁石が浮かぶ写真は有名な例えですね。更に
磁石は極性を持ちますから、ラダーと呼ばれる軌道で極性を切り替えていく事で
リニアモーターカーは進むのです。この「完全反磁性」または
「マイスナー効果」と呼ばれる現象は超伝導現象での特徴の一つです。

ここで関連して磁力線について整理したいと思います。ご存知の通り磁石は
N極とS極からなり磁力を持ちます。一般的に模式図で示される様に磁力線は
片方から他方へゆったりした曲線で繋がっていきます。

所が超伝導現象では内部へ磁力線が侵入出来ない様な現象が起きます。相転移の前後で
形が突然変わります。更には変化の違いで第一種超伝導体 と第二種超伝導体に
物質によって分かれます。これらの現象を理解する為にクーパー等が
確立したBCS理論が基礎になっていくつのです。

クーパーのアイディアは、電子同士が
格子振動(フォノン)を介して弱く引き合い、
「クーパー対」と呼ばれる対を形成するというものです。
この対はスピンが打ち消し合うだけでなく、
集団として同一の量子状態に凝縮することで、
散乱を受けずに流れる超伝導状態を生み出します。
その電子の対は今でも
超電導の学者達の間で「クーパ対」と呼ばれています。
クーパー対は単なる2電子の結合ではなく、多数の電子が同一の量子状態
を共有する「巨視的量子現象」の一部として理解されます。。

この考えが発展していき、現代では相転移の温度がどんどん高くなっています。
実用上は常温常圧下で相転移を起こすことが大事になっていますので
液体ヘリウムよりも安価な液体窒素で冷やせる事が望ましいのです。

実際、液体窒素の沸点は−196℃ですので現在は、液体窒素で冷やす事で
相転移を実用出来る素材を中心に研究が行われて居ます。そして、現在では
現象発生に対して「ゆらぎ」のメカニズムをより解明していこうという
取り組みが進んでいます。さらなる今後の進展に期待しましょう。

クーパーの人柄と研究スタイル

レオン・クーパーは、理論物理学者として極めてエレガントな発想
を持つ人物として知られています。若干26歳で「クーパー対」の概念
を提示したことからも分かる通り、複雑な現象の中にシンプルな
本質を見抜く力に長けていました。

彼はジョン・バーディーンやロバート・シュリーファーと共に
BCS理論を完成させましたが、その関係は単なる
共同研究者というよりも、互いの強みを補い合う
理想的なチームだったと言われています。

  • バーディーン:現象の本質を見抜く統率者

  • クーパー:核心となるアイディアを提示

  • シュリーファー:数学的に理論を完成

この三者の役割分担が、20世紀物理学の中でも
屈指の成功例を生み出しました。

またクーパーは、教育者としても知られており、ブラウン大学で
長く教鞭をとりました。学生に対しては非常に穏やかで、
直感的な理解を重視する講義スタイルだったと伝えられています。
難解な数式よりも「なぜそうなるのか」を重視する姿勢は、
彼の研究スタイルそのものでもありました。

最後に、クーパー氏は2024年10月23日に
プロビデンスの自宅で死去しています。

94歳の生涯でした。ご冥福をお祈りいたします。

関連する物理学者(前後の流れ)

◀ 前の人物:ジョン・バーディーン

▶ 次の人物:久保亮五

この分野の物理学者(超伝導・低温物理学・物性物理学)

超伝導をさらに学ぶ

超伝導を低温物理学の歴史からたどる場合は、
オンネス、
バーディーン、
そしてクーパーへと読み進めることができます。

また、電子の集団的な振る舞いを統計力学・物性物理学から考える場合は、
久保亮五の記事も関連します。

20世紀の物理学者を時代の流れから探す場合は、
20世紀生まれの物理学者
も参照できます。

 

【ニューヨークタイムスが報じた訃報】

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〆

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(2021年11月時点での対応英訳)

Cooper and superconductivity

First, this article focuses on explanations of related terms. I wanted to make the content easy to understand, including in the future, so I felt that it would be useful to reorganize the superconducting phenomenon from the perspective of the history of science.

Do you feel persistent to those who already know the contents? If so, I’m sorry.

Cooper established the BCS theory with John Bardeen and others. Cooper is of Jewish descent. He’s smart people, aren’t he?

In the first place, Cooper summarized the idea of ​​Cooper pair, which is an important idea of ​​BCS theory, at the age of 26.

Well, the main subject. The discovery of K. Onness in 1911 revealed that there is a superconducting state that is different from normal conductivity.
Quantitatively, a superconducting phenomenon occurs when approaching minus 273 ° C = zero Kelvin (k) near absolute zero. At that time, the resistance value is zero. For example, niobium (Nb) becomes superconducting at 9.22 Kelvin. The theory that well explains the transition to the superconducting state is the BCS theory, where C comes from Cooper’s name.

Another aspect of superconductivity

Now consider the superconducting state from another aspect. When the temperature is lowered and a phenomenon occurs at the phase transition temperature, the resistance value becomes zero when a current is passed, but at the same time, the phase transition temperature changes with respect to the magnetic field.

The current application is a linear motor car. In detail, the internal magnetic field becomes zero inside the superconductor, blocking the external magnetic field. The picture of a magnet floating when it is in a superconducting state is a famous analogy. Furthermore, since magnets have polarity, the linear motor car advances by switching the polarity in a trajectory called a ladder. This phenomenon called the complete antimagnetism or the Meissner effect is one of the characteristics of the superconducting phenomenon.

Here, I would like to organize the lines of magnetic force in relation to this. As you know, a magnet consists of N pole and S pole and has magnetic force. Generally, as shown in the schematic diagram, the lines of magnetic force are connected by a loose curve from one side to the other.

However, in the superconducting phenomenon, a phenomenon occurs in which the lines of magnetic force cannot penetrate inside. The shape changes suddenly before and after the phase transition. Furthermore, it is divided into type 1 superconductors and type 2 superconductors depending on the substance due to the difference in change. The BCS theory established by Cooper et al. Is useful for understanding these phenomena.

This idea has evolved, and the temperature of the phase transition is getting higher and higher in modern times. In practice, it is important to cause a phase transition under normal temperature and pressure, so it is desirable to cool it with liquid nitrogen, which is cheaper than liquid helium.

In fact, since the boiling point of liquid elements is -196 ° C, research is currently being conducted focusing on materials that can be used for phase transition by cooling with liquid nitrogen. At present, efforts are underway to further elucidate the mechanism of “fluctuation” in response to the occurrence of phenomena. Let’s look forward to further progress.

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クリスティアーン・ホイヘンス
【オランダ物理学の黎明期に光学を研究】-10/16改訂

こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。
今回の改定は英訳部の削除が主です。
ご覧ください。(以下原稿です)

ポータブルDVDドライブ
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【1629年4月14日‐1695年7月8日】

Christiaen Huygens II (1629-1695)
*oil on paper on panel
*30 x 24 cm
*signed b.l.: C.Netscher / 1671

【出典:出典:Wikimedia Commons】

ホイヘンスの生い立ち

ホイヘンスはオランダ物理学の歴史を感じさせます。

17世紀前半からホイヘンスのような
大物が出てくるのです。 

オランダの名家にホイヘンスは生まれライデン大学で

数学と法律を修めました。物理学はその知見を活かす

フィールドだったと言えます。特にホイヘンスは

数学で優秀さを発揮していたと言われています。

同時代のニュートンが光を粒子として捉えたのに対し、ホイヘンスは
波として理解しようとしました。光学
モデルは幾何学的なイメージを
しっかり作ると分かり易く話が整理しやすいのです。

ホイヘンスの業績

ホイヘンスの物理学関係の業績としては何より光学での業績が
顕著です。所謂「ホイヘンスの原理」は後の物理学者達
が波動を考えていく上でとても有益だった筈です。

波の性質が突き詰められていき、縦波とか横波とか
周波数とか周期とか最終的には波面や、さざ波も、
後の時代には光も同じ定数で表現出来る現象となるのです。

ホイヘンスの原理は、波の伝播を幾何学的に理解する枠組みを与え、
後の波動光学の発展に大きな影響を与えました。こうした考え方は、
後世において音や光といった波動現象の理解へと繋がっていきます。

この理解が重ね合わせの原理の土台として役立ち、
振動解析や音響解析へと話が進んでいくのです。

デルフフト工科大学
Credit:Casper van Battum

【出典:Pixabay】 

ホイヘンスから繋がる人脈

更に20世紀初頭にエーレンフェストやアインシュタインがホイヘンスの
母校であるライデン大学で議論していたと考えてみると、人々の繋がり
に小さな感動さえ覚えます。加えてライデン大学ではローレンツやカメリー・オネス
も研究を進めていくのです。

科学での一番最初の障壁は一般化を含めた

「理解」だと感じます。

一般の人々にも説明出来る

「言葉」を出来るだけ沢山、科学者が

作り出すことが大事です。その点で

ホイヘンスは初めの難しさを超えたのです。

 

ホイヘンスの他の業績

別途、ホイヘンスは土星の衛星タイタンの発見したり、振り子の原理を
理解して時計を制作したり、オリオン大星雲を発見してスケッチしたり、
その進取の精神には驚かされます。特に1675年ごろ、ホイヘンスは
火薬の反応を利用した運動装置(ピストンまたは往復運動機構)に関する
実験記録を残していますが、これが“内燃機関”と呼ばれる構造そのものかどうか
には議論があります。なおニュートン(Isaac Newton)の
『プリンキピア』(1687年)よりも先行して、動力の伝達や反動
に関する思索を行っていた点は注目に値します。

「瞬時に伝番していく撃力」に関する考察を、ホイヘンスが独自
に形にしているとも言えます。特筆すべき一面かと思えます。

なお、いわゆるエーテルの存在をホイヘンスは想定して

後の物理学に議論の土壌を残しました。

この功績も非常に重要です。

補足・修正すべき情報と一次資料確認

  • Christiaan Huygens(1629-1695)はオランダ・ハーグ生まれで、数学・物理・天文学・計時機械など
    で幅広く業績を残しています。 Encyclopedia Britannica+2数学史+2

  • 彼は1645年に Leiden University(ライデン大学)で数学・法学を学びました。
    Encyclopedia Britannica+1

  • 光学・波動理論において「ホイヘンスの原理(Huygens’ principle)」を提起し、
    光波の伝播理論に大きな影響を与えました。 ウィキペディア+1

  • 土星の環や衛星タイタンを発見・説明するなど、天文学分野の貢献も顕著です。 数学史+1

  • 振り子時計を発明・特許取得し、計時技術の基礎を築いたことも確認できます。 数学史

なお、本稿での「火薬を使った往復型の内燃機関を形にした」という記述については、
確認できる一次情報が見つかっていません。確認が出来ましたら次の原稿で改訂します。

関連する科学者の系譜(波動と力学)

◀ 前の人物:ロバート・ボイル(1627-1691)

▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727)


この分野の科学者(波動・光学)

〆最後に〆

 

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舞台別の纏めへ
時代別(順)のご紹介
オランダ関係の紹介へ       
ライデン大学のご紹介へ
電磁気学の纏めへ
量子力学関係へ

AIでの考察(参考)

 

 

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梶田隆章
【スーパーカミオカンデでニュートリーの振動を追及してノーベル賞】-10/15改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

【1959年(昭和34年)3月9日- ご存命中】


【Photo:Wilipedia‗Takaaki Kajita, Nobel Laureate in physics in Stockholm 2015】

2015年、ノーベル物理学賞の受賞が決定した梶田隆章氏
(当時56歳・東京大学宇宙線研究所所長)は、
受賞発表の翌日、長年の恩師であり2002年の同賞受賞者
でもある小柴昌俊・東京大学特別栄誉教授(当時89歳)
と、感動の再会を果たしました。

小柴氏が巨大地下実験装置「カミオカンデ」
を用いて世界で初めてニュートリノを観測し、

宇宙線研究に道を拓いたのに対し、梶田氏はその
後継プロジェクト「スーパーカミオカンデ」
において、ニュートリノに質量があることを示す
「ニュートリノ振動」
の存在を実証。標準理論を揺るがすこの発見は、
現代物理学に大きなインパクトを与えました。

親子のような師弟関係から生まれたこの成果は、
日本の物理学が世界に誇る知的資産であり、
数十年にわたる地道な研究の積み重ねが
いかに重要であるかを物語っています。

ニュートリノの質量は「0」?:研究が解き明かす宇宙の謎

目に見えず、ほとんど何にも反応しない神秘的な素粒子「ニュートリノ」。
その存在は長らく謎に包まれていましたが、日本の研究者たちの
地道な観測と情熱によって、その本質が少しずつ明らかになってきました。
特に、梶田隆章氏による「ニュートリノ振動」の発見は、宇宙の成り立ちに迫る
重要な一歩となりました。

ニュートリノとは? ― 見えない素粒子の正体

ニュートリノは、電子や陽子と同じく「素粒子」の一種で、
3種類のタイプが存在します。非常に軽く、物質とほとんど
相互作用しないため「幽霊粒子」とも呼ばれてきました。
かつては質量ゼロと考えられていましたが、
最新の研究によってその常識は覆されつつあります。

「ニュートリノ振動」の発見がもたらしたもの

梶田氏は、スーパーカミオカンデという巨大な観測装置を使い、
大気中のニュートリノが別の種類に変わる「振動現象」を観測しました。
2001年には太陽ニュートリノの振動も確認され、2011年には、
加速器を用いたニュートリノ実験(T2Kなど)によりニュートリノ振動
を特徴づける重要なパラメータ(混合角θ13)が測定され、

振動現象の理解が大きく前進しました。

これにより、3種類のニュートリノが相互に変化する仕組みが
より精密に記述できるようになり、標準理論を超える物理への
手がかりが得られました。

これらの成果は、
素粒子物理学に新たな道を開いたと高く評価されました。

師弟でつないだノーベル賞の系譜

2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏の業績を継ぎ、
梶田氏も2015年に同賞を受賞。二人はカミオカンデと
スーパーカミオカンデといった観測装置の開発・運用を通じて、
長年にわたり日本のニュートリノ研究を牽引してきました。
梶田氏が「小柴先生のおかげです」と感謝を述べたのに対し、
小柴氏は「おめでとう」と穏やかに応えました。その姿は、
日本の科学が誇る「師弟の絆」を象徴しています。
なお2015年のノーベル物理学賞は、Arthur B. McDonald と
共同受賞であり、太陽ニュートリノの研究とあわせて
ニュートリノ振動の存在が確立されました。

質量の存在を示すニュートリノ振動の発見

ニュートリノは、質量が極めて小さいとされる素粒子で、
その性質は長らく謎に包まれていました。しかし、
1998年に梶田隆章が大気ニュートリノの観測を通じて、
その質量の存在を示すニュートリノ振動を発見しました。

さらに、2001年には太陽ニュートリノの観測で新たな
振動モードを確認し、2011年には人工ニュートリノを用いて
第3の振動モードも発見しました。これらの発見は、
宇宙初期の物質生成の謎解明に重要な手がかりを提供しています。

大気ニュートリノの観測とニュートリノ振動の発見

1998年、梶田はスーパーカミオカンデを用いて、
大気中のニュートリノが地球を通過する際に、
電子ニュートリノからミューニュートリノや
タウニュートリノへと変化する
「ニュートリノ振動」を発見しました。
この発見により、ニュートリノには質量があること
が示され、素粒子物理学の新たな扉が開かれました。

質量の存在を示したニュートリノ振動の発見

梶田隆章氏の研究を語るうえで最も重要なのが、1998年にスーパーカミオカンデで示された大気ニュートリノのニュートリノ振動です。

ニュートリノは電荷を持たない素粒子で、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの3種類があります。非常に軽く、物質との相互作用も弱いため、長い間その性質を調べることは容易ではありませんでした。

1998年、スーパーカミオカンデでは、大気中で生成されたミューニュートリノについて、上空から直接到来したものに比べ、地球を通過して反対側から到来したものが少ないことが確認されました。ニュートリノが地球を通過する長い距離を移動する間に、別の種類へ変化したと考えると、この観測結果を説明できます。これがニュートリノ振動です。

そしてニュートリノ振動が起こるためには、ニュートリノが質量を持ち、質量の異なる状態が混ざっている必要があります。つまり、この発見はニュートリノに質量があることを示す実験的証拠となりました。ニュートリノの質量をゼロとしていた標準模型の枠組みを見直す必要が生じたことが、この発見の大きな意味です。

1998年以後に広がったニュートリノ研究

梶田氏らによる1998年の発見で、ニュートリノ振動という現象が明確になった後も、研究は続きました。

2001年には、カナダのSNO(サドベリー・ニュートリノ観測所)などによる太陽ニュートリノ研究によって、太陽から地球へ届くニュートリノにも種類の変化が起こることが明らかになりました。これは「太陽から届くニュートリノが少ない」という長年の問題を、ニュートリノそのものが変化することで説明する重要な成果でした。

さらに2011年には、T2K実験によって、加速器で作ったミューニュートリノから電子ニュートリノが現れるνμ→νeの出現が観測され、ニュートリノ振動を記述する3世代の枠組みの理解が大きく進みました。

したがって、1998年の梶田氏らによる大気ニュートリノ振動の発見を出発点として、太陽ニュートリノや加速器ニュートリノの研究が積み重なり、現在のニュートリノ振動の精密な理解へとつながった、と整理するのが適切です。

小柴昌俊から梶田隆章へ――ニュートリノ研究の流れ

梶田隆章氏の研究を理解するには、師である小柴昌俊から続く研究の流れを見ると分かりやすくなります。

小柴昌俊はカミオカンデを用いて、1987年の超新星SN1987Aから飛来したニュートリノを観測し、ニュートリノ天文学の発展に大きく貢献しました。現在のスーパーカミオカンデは、その研究の流れを受け継ぐ巨大な水チェレンコフ検出器です。

そして梶田隆章氏は、スーパーカミオカンデで大気ニュートリノを観測し、1998年にニュートリノ振動の決定的な証拠を示しました。小柴氏がニュートリノを「観測する道」を切り拓いたのに対し、梶田氏はその観測技術を発展させ、ニュートリノそのものの性質に迫ったと見ることができます。

なお、スーパーカミオカンデの研究では梶田氏だけでなく、多くの研究者と国際共同研究者が成果を支えています。梶田氏自身もノーベル賞講演で、小柴昌俊氏や戸塚洋二氏をはじめとする多くの共同研究者への感謝を述べています。

戸塚洋二への感謝

梶田氏が2015年のノーベル物理学賞受賞に際して、同じ小柴門下でスーパーカミオカンデの研究を率いた戸塚洋二氏に触れたことも、この研究史を理解するうえで重要です。

戸塚氏は2008年に亡くなっており、梶田氏は「一緒に受賞できたらよかった」という趣旨の思いを語っています。スーパーカミオカンデの公式研究史でも、戸塚氏は1996年の実験開始時の最初のスポークスパーソンとして記録されています。

小柴昌俊から梶田隆章へ続くニュートリノ研究は、さらに素粒子の標準模型や、その限界を考える研究へつながっています。こうした人物を研究テーマの流れでたどることで、日本の実験物理学と世界の素粒子理論がどのように接続してきたのかが見えてきます。

これらの研究成果により、梶田は2015年に
ノーベル物理学賞を受賞しました。受賞の際、
師である小柴昌俊先生への感謝の意を表したのです。
師弟揃っての受賞となりました。

これらの発見は、日本が世界に誇る物理学の成果として、
今後の科学技術の発展に寄与し続けることでしょう。

ニュートリノ振動の発見が宇宙の謎に迫る鍵に

私たちの身の回りには、目に見えないけれども宇宙の
成り立ちに深く関わる「素粒子」が存在しています。
その中でも、非常に小さな質量を持つとされる
「ニュートリノ」は、宇宙を飛び交いながら
変身を繰り返しているという不思議な性質を持っています。
梶田隆章先生らの研究により発見された
「ニュートリノ振動」は、その秘密を解き明かす
鍵となりました。

少なく見えていたのは、、別の種類のニュートリノに!!

1998年、梶田先生はスーパーカミオカンデでの観測から、
大気中で生まれたニュートリノの数が予想より
少ないことを発見しました。しかしこれは、
ニュートリノが「ミューニュートリノ」から
「タウニュートリノ」など別の種類に変化する
「ニュートリノ振動」によるものだと判明しました。

この現象は、ニュートリノが質量を持っている
ことを示す大きな証拠となりました。

(出典:東京大学宇宙線研究所、スーパーカミオカンデ実験)

太陽ニュートリノの観測でさらに明らかになった振動現象

2001年には、カナダのSNO(サドベリー・ニュートリノ観測所)
と協力しながら、太陽から放出されるニュートリノにも
振動が起きていることを確認しました。これにより、
太陽内部で起こっている核融合反応の理解が深まり、
ニュートリノの謎はさらに科学的に裏付けられたのです。

(出典:SNO Collaboration, Physical Review Letters 87, 071301)

人工ニュートリノによって第3の振動モードも解明

2011年には、加速器を用いて人工的に作られた
ニュートリノを用いた実験によって、3種類目の振動モード
(すなわち、3つ目の種類のニュートリノへの変身)
も発見されました。これにより、ニュートリノが
3種類すべてを行き来していることが確認され、
標準理論を超えた物理の可能性が広がりました。

これは、物質と反物質の不均衡、ひいては
宇宙の成り立ちを解明する
重要なヒントになると期待されています。

(出典:T2K実験、Physical Review Letters 107, 041801)

もう一人の大事な人

同じ小柴門下で08年に亡くなった研究グループのリーダー、戸塚洋二さんに触れ、
「まず戸塚先生に感謝したい。一緒に受賞できたらよかった」と語ったそうです。



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〆最後に〆

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Takaaki Kajita, Nobel Prize Laureate in Physics 2015, and His Emotional Reunion with Masatoshi Koshiba

In 2015, Takaaki Kajita (then 56 years old and director of the Institute for Cosmic Ray Research at the University of Tokyo) was awarded the Nobel Prize in Physics. The day after the announcement, he had an emotional reunion with his long-time mentor, Masatoshi Koshiba, a Special Distinguished Professor at the University of Tokyo, who had won the same prize in 2002 and was 89 years old at the time.

While Koshiba pioneered neutrino observations using the large underground experiment “Kamiokande,” paving the way for cosmic ray research, Kajita later led its successor project, “Super-Kamiokande.” There, he provided the first experimental proof of “neutrino oscillations,” demonstrating that neutrinos have mass. This groundbreaking discovery challenged the Standard Model of particle physics and had a profound impact on modern physics.

The achievement, born from a mentor-student relationship akin to that of a parent and child, stands as an intellectual asset that Japan’s physics community proudly presents to the world. It also highlights the significance of persistent research efforts spanning several decades.

Do Neutrinos Have Zero Mass? Research Unraveling the Mysteries of the Universe

Neutrinos are mysterious elementary particles that are invisible and interact with almost nothing. For a long time, their nature remained an enigma. However, thanks to the dedicated observations and passion of Japanese researchers, their properties are gradually being revealed. Particularly, Kajita’s discovery of “neutrino oscillations” marked a significant step toward understanding the origins of the universe.

What Are Neutrinos? – The Identity of the Invisible Particles

Neutrinos are a type of elementary particle, just like electrons and protons, and they exist in three different types. Because they are extremely light and rarely interact with matter, they have often been called “ghost particles.” It was once believed that neutrinos had zero mass, but recent research has overturned this assumption.

The Impact of the Discovery of “Neutrino Oscillations”

Using the massive Super-Kamiokande observatory, Kajita observed a phenomenon where atmospheric neutrinos changed from one type to another—this was the first direct evidence of neutrino oscillations. In 2001, oscillations of solar neutrinos were also confirmed, and in 2011, a third oscillation mode was discovered through experiments with artificially produced neutrinos. These achievements opened new frontiers in particle physics and have been highly regarded in the scientific community.

The Nobel Prize Legacy Passed Down from Mentor to Student

Following in the footsteps of Masatoshi Koshiba, who won the Nobel Prize in Physics in 2002, Takaaki Kajita also received the same honor in 2015. The two scientists led Japan’s neutrino research for many years through the development and operation of observatories such as Kamiokande and Super-Kamiokande.

Kajita expressed his gratitude, saying, “I owe it all to Professor Koshiba,” to which Koshiba gently responded, “Congratulations.” This moment symbolized the deep mentor-student bond that Japan’s scientific community takes pride in.

Discovery of Neutrino Oscillations Proving the Existence of Mass

Neutrinos are elementary particles believed to have extremely small masses, and their properties remained mysterious for a long time. However, in 1998, Takaaki Kajita discovered neutrino oscillations through atmospheric neutrino observations, providing evidence that neutrinos do, in fact, have mass.

Further studies in 2001 confirmed a new oscillation mode in solar neutrinos, and in 2011, a third oscillation mode was discovered using artificial neutrinos. These discoveries have provided crucial clues to understanding the formation of matter in the early universe.

Observing Atmospheric Neutrinos and Discovering Neutrino Oscillations

In 1998, Kajita used Super-Kamiokande to observe that neutrinos produced in the atmosphere change types—transforming from electron neutrinos into muon neutrinos or tau neutrinos—while passing through the Earth. This phenomenon, known as “neutrino oscillation,” provided strong evidence that neutrinos have mass, opening a new chapter in particle physics.

Solar Neutrino Observations and the Discovery of a New Oscillation Mode

In 2001, observations of neutrinos arriving on Earth from the Sun confirmed the occurrence of solar neutrino oscillations. This finding deepened our understanding of neutrino transformations and their mass, as well as nuclear fusion reactions occurring inside the Sun.

The Third Oscillation Mode Discovered Using Artificial Neutrinos

In 2011, experiments using artificially generated neutrinos revealed a third oscillation mode. This discovery further refined theoretical models of neutrinos and significantly advanced our understanding of the origin of the universe and the formation of matter.

As a result of these groundbreaking achievements, Kajita was awarded the Nobel Prize in Physics in 2015. During the award ceremony, he expressed his heartfelt gratitude to his mentor, Masatoshi Koshiba. It was a historic moment, as both mentor and student had now received the same prestigious honor.

These discoveries are among Japan’s most significant contributions to global physics and will continue to play a vital role in the advancement of science and technology.

The Discovery of Neutrino Oscillations: A Key to Unlocking the Mysteries of the Universe

Invisible to the naked eye, elementary particles exist all around us and play a crucial role in shaping the universe. Among them, neutrinos—particles with an extremely small mass—exhibit a fascinating behavior: they continuously transform as they travel through space. The discovery of “neutrino oscillations” by Kajita and his colleagues has become a key to unraveling these cosmic mysteries.

Why Were Fewer Neutrinos Observed? They Were Transforming into Other Types!

In 1998, Kajita’s observations at Super-Kamiokande revealed that the number of atmospheric neutrinos detected was lower than expected. However, this discrepancy was explained by the discovery that neutrinos were undergoing “neutrino oscillations”—changing from muon neutrinos into tau neutrinos and other types.

This phenomenon provided strong evidence that neutrinos have mass.

(Source: Institute for Cosmic Ray Research, University of Tokyo; Super-Kamiokande Experiment)

Solar Neutrino Observations Further Confirmed the Oscillation Phenomenon

In 2001, in collaboration with the Sudbury Neutrino Observatory (SNO) in Canada, researchers confirmed that neutrinos emitted from the Sun also undergo oscillations. This finding enhanced our understanding of nuclear fusion reactions occurring inside the Sun and provided further scientific validation of neutrino oscillations.

(Source: SNO Collaboration, Physical Review Letters 87, 071301)

Artificial Neutrinos Revealed the Third Oscillation Mode

In 2011, experiments using accelerator-generated artificial neutrinos uncovered a third type of oscillation mode, proving that neutrinos transition among all three types. This discovery expanded the possibilities beyond the Standard Model of particle physics.

It is now expected to provide crucial insights into the matter-antimatter asymmetry of the universe, which may help explain the fundamental mechanisms behind the formation of the cosmos.

(Source: T2K Experiment, Physical Review Letters 107, 041801)

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ブライアン・ハロルド・メイ
【ロックスター・クィーンのブライアン】‐10/15改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
ご覧ください。内容を整理し、
主に英訳を削除しています。
(以下原稿です)

クイーン・フォーエバー
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【1947年7月19日生まれ ~ ご存命】


【Brian May Wikimedia Commons】

クイーンのブライアン

有名なロックバンド Queen のギタリスト、Brian May の
正式名はBrian Harold May CBE です。

この「CBE」は「Commander of the Order of the British Empire
(大英帝国勲章コマンダー)」を意味し、

英国の栄誉制度における高位の勲章の一つです。

なおCBEはナイト爵(Sir)の称号とは異なり、
敬称「Sir」は付与されませんが、文化・科学・社会への
顕著な貢献が認められた人物に授与されます。

所謂、女王陛下を守る騎士団の仲間達ですね。
For God and the Empire がモットーです。

ブライアンは学生時代に天文学、宇宙工学を専攻
していました。2007年に研究を再開して論文を
書き博士号をとったので物理学者として取り上げています。
【京大‗花山天文台訪問時のFacebook記事】

ブライアンの音響へのアプローチ

ヘルムホルツの時代から音響解析がより定量的なものとなり、振動数・音の振幅・増減比が記録可能な情報として共有されています。5セントコインでギターを奏でるブライアンは彼なりに物理学を駆使してギターの中での「音を出す仕組み」を解析していって作りこんでオリジナリティーを突き詰めていく作業をしています。無論、学者が同様の試みを今まで何度もしてきたと思いますがブライアンの取り組みは著名なロックバンドの主要メンバーとしての活動でした。楽器メーカーとのコラボレーションも可能ですし、一線級の技術者や職人との会話もブライアンの財産となっていった筈です。無名時代からギターを自作していた日々が最上級の経験の中で更に進化していったのです。他の誰にもできないい「音」を確立していったと感じています。

ブライアンの天文学への取り組み

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ブライアン・メイの天文学への取り組み

ブライアン・メイは、クイーンのギタリストとして世界的に知られていますが、もともとは
インペリアル・カレッジ・ロンドンで物理学を学び、天文学の研究を進めていました。
1960年代後半から研究を始めたものの、クイーンの活動が本格化したため、
博士課程の研究はいったん中断されます。

しかしメイは研究を完全に手放したわけではありません。2000年代になって研究を再開し、
2007年に博士論文「A Survey of Radial Velocities in the Zodiacal Dust Cloud」を提出して
PhDを取得しました。この研究では、太陽系内に広がる黄道光(zodiacal light)と黄道ダスト
を対象に、ファブリ・ペロー分光器を用いて光のスペクトルを測定し、黄道ダストの運動を
調べています。博士論文はインペリアル・カレッジの公開リポジトリでも確認できます。

この研究は単に「有名人が博士号を取った」という話ではありません。メイが1970年代に始めた
観測研究を、30年以上の中断を経て改めて整理し、当時のデータとその後の天文学の発展を
踏まえて博士論文として完成させたものです。インペリアル・カレッジによれば、
彼の博士論文は約4万8000語に及び、黄道ダストの運動を観測的に研究したものでした。

ブライアン・メイと小惑星ベンヌ

さらにメイは、その立体画像解析の技術を宇宙探査にも生かしています。
NASAのOSIRIS-RExミッションでは、2019年にクラウディア・マンゾーニとともに
ミッションのサイエンスチームへ協力者として加わり、小惑星ベンヌを異なる
視点から撮影した画像を組み合わせたステレオ画像を作成しました。

こうした立体画像は、ベンヌ表面の地形を立体的に把握するために利用され、
サンプル採取地点を選ぶ際にも役立ちました。NASAは、メイらが作成した
ステレオデータが、ベンヌ上でのサンプル採取地点の選定に利用されたと説明しています。

OSIRIS-RExは2020年にベンヌから試料を採取し、2023年9月24日にその試料を地球へ
届けることに成功しました。したがって、ブライアン・メイを
「NASAの探査機を運用した科学者」と表現するよりも、
「ベンヌの立体画像解析を通じて、サンプル採取地点の選定を支援した研究協力者」
と説明する方が、彼の実際の役割を正確に伝えられるでしょう。

このミッションは2023年にサンプルリターンに成功し、
太陽系形成の理解に重要なデータをもたらしています。
2023年に報じられていました。具体的には2016年に打ち上げられた
探査機の着陸時のミッションでブライアンは成果をあげました。
ベンヌのデータから三次元情報を解析して安全に着陸できる為に尽力したのです。


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▶ スティーヴン・ホーキング:宇宙論とブラックホール

▶ アルベルト・アインシュタイン:現代物理学の基礎

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・アインシュタイン
・チャンドラセカール
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〆

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全てのメールを読んでいます。
適時返信のうえ改定を致しします。

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2026/10/17_改定投稿

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Queen Brian

Brian of the famous rock band Queen, but his name is written in English as Brian Harold May, CBE. He has a medal, so he gets a CBE. Since CBE is difficult to understand, I would like to add that he is a commander in the expression of the Knights era, and is in a position next to Knight as a class. It is positioned that there are officers and members under his subordinates. So-called members of the Knights who protect Her Majesty. For God and the Empire is our motto.

Brian majored in astronomy and space engineering when he was a student. He has taken up as a physicist because he resumed his research in 2007, wrote a dissertation and earned a PhD.

Brian’s approach to acoustics

Since the time of Helmholtz, acoustic analysis has become more quantitative, and frequency, sound amplitude, and increase / decrease ratio are shared as recordable information. Brian, who plays the guitar with a nickel coin, uses physics in his own way to analyze and create the “mechanism that produces sound” in the guitar, and is working to pursue originality. Of course, I think scholars have made similar attempts many times, but Brian’s work was as a key member of a prominent rock band. Collaboration with musical instrument makers is possible, and conversations with first-class engineers and craftsmen should have become Brian’s property. The days of making his own guitar since his unknown days have evolved further in his top-notch experience. He feels that he has established a “sound” that no one else can.

Brian’s commitment to astronomy

Brian, who had been suspended from his research activities for a while due to his rock activities, proceeded with his research at the Canary Islands Observatory as a research on celestial bodies, passed the examination at his alma mater Imperial College, and obtained his PhD. rice field. He also wants to talk about him on another occasion.

〆