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マックス・ボルン
【アインシュタインに「神はサイコロを振らない」と言わせた男】-8/16改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
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現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

確立統計(ニュートン編)
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【1882年12月11日 ~1970年1月5日】

【Wikimedia Commons ‗Public Domain:Max Born (1882–1970)】

マックスボルンと確率解釈

M・ボルンはユダヤ系ドイツ人なので、

第二次世界大戦時は大変苦労しています。

そんな中でボルンは形成時の量子論において本質的な

概念である「確率解釈」を提唱しています。

ボルンの「確率解釈」とは何か

マックス・ボルンが提唱した「確率解釈」は、
量子力学を理解する上で最も重要な考え方の一つです。
古典物理学では、物体の位置や速度は観測しなくても
一意に決まっていると考えられていました。
しかし量子力学では事情が異なります。
電子などのミクロな粒子は、
観測されるまでは「どこに存在するか」を
一つの値として決めることはできません。

波動関数が与えるのは、粒子そのものではなく
「その場所で観測される確率」です。
つまり量子力学は未来を完全に予言する理論ではなく、
観測結果の確率を計算する理論なのです。

現在では当たり前となったこの考え方ですが、
当時としてはニュートン以来の決定論的な世界観を
覆す革命的な発想でした。
そのためアインシュタインをはじめ、
多くの物理学者との激しい議論を生み出すことになります。

私自身は、この確率解釈を
「観測という行為そのものが統計的な現象である」
という考え方として理解しています。
つまり、観測によって得られるのは
唯一の答えではなく、
一定の確率で現れる結果なのです。
古典力学の決定論とは、
ここが大きく異なっています。

別言すれば、ボルンの「確率解釈」とは、
“粒子は観測されるまで、どこにあるか・どんな
値を持つかが一意には決まらない”

という考え方です。
我々が観測できるのは、
「ある結果がどの程度の確率で現れるか」
だけだ――これが量子力学の基本的な世界観になります。
古典物理では「物理量は必ず一つの値を持つ」ものでしたが、
量子論では「期待値(確率的平均)」として表されます。

古典物理学での観測値に対する物理量は量子論では期待値

特定の観測値を持つ場合は確率で表現されます。
1930年に初版が書かれた教科書
【dirac「量子力学」】から一文を引用します。
「観測結果の計算には避けられない不定さがあり、そして理論のなしうることは、
一般には我々が観測をする時にある特定の結果が得られる事の確率を計算するだけである」

ボルンの人間関係

ボルンはドイツ本国で教授職を解雇されたりしていて、
反戦の姿勢、非核の姿勢を貫き
ラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。

この点ではドイツに残り、原爆開発に参加
していたハイゼンベルクとは全く別の人生を歩んでいます。

ちなみに、

ハイゼンベルクはボルンの門下生です。
オッペンハイマーもまた弟子にあたります。
オッペンハイマーとは
「ボルン・オッペンハイマー近似」と呼ばれる業績を残しました。
共に研究していた時代があります。

共にユダヤ系でしたのでボルンはイギリス、
オッペンハイマーはアメリカへと追われていきます。
ユダヤ人排斥運動の中でボルンは教授職を奪われたのです。
戦時下でのどうしようもない事情でした。

彼の解釈で有名なやり取りがあります。

ボルンの考え方である確率解釈に対して反論した

アインシュタインが量子力学の解釈を

サイコロ遊びに例えたのです。

【(Wikipedeaより引用:)アインシュタインの有名な言葉
「彼(神)はサイコロを遊びをしない」は1926年
にボルンに当てた手紙の中で述べられたものである。】

さいころ遊びに例えた手紙が交わされた翌年の
1927年に
ハイゼンベルグが不確定性関係を定め、
このサイトTOPで写真を使っている
第五回ソルベー会議が開かれます。【於10月】

量子の本質に対して真剣な議論が交わされるのです。
人類の理解が大きく変化していった時代でした。

確率解釈は人類の思想にとって大きなパラダイムシフトです。

ボルンの考え方は、それまでの発想を大きく変えました。

最後にトリビア話

ボルンの孫の一人に歌手であるオリヴィア・ニュートン・ジョン
が居ました。私も初稿を書く際に調べ分かったのですが意外ですね。

勝手に想像するとボルンは如何にもドイツ人らしい人
だったのでしょうね。アインシュタインとのやり取りは、
そんな彼を偲ばせます。

イギリスに亡命後にドイツへ帰国しており、
プランクと同じゲッティンゲン市立墓地に眠っているそうです。
母国の土に帰りたい想いもあったのでしょう。
そしてきっと、
お孫さんのオリビア・ニュートンジョンも
墓参りに来ていたのでしょう。
原稿の改定が進む中で2022年の8月に
オリビアも亡くなり国葬が行われました。

関連URL(YouTubeへ:)
https://www.youtube.com/watch?v=E-JGTk_WM1k

関連URL(私の別ブログ:ダイエット日記)
https://ameblo.jp/nowkouji226/entry-12813195931.html


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(2021年10月時点での対応英訳)

Max Born and Probabilistic Interpretation

Since M. Born is a Jewish German, he had a lot of trouble during World War II. Under such circumstances, he advocates “probabilistic interpretation”, which is an essential understanding of phenomena in the early quantum theory. To express the probability interpretation simply, it is an interpretation that the phenomenon related to the observation includes not only the uniquely obtained object but also the event observed with a certain probability. In other words, the observed value is multiplied by the certain probability. It is permissible if it is a match.

Born Relationships

Born has been dismissed as a professor in Germany, and he has been involved in the Russell-Einstein Declaration with an anti-war and non-nuclear stance. In this respect, he remains in Germany and lives a completely different life from Heisenberg, who participated in the development of the atomic bomb. By the way, Heisenberg is a student of Born. Oppenheimer is also a disciple. There was a time when Oppenheimer left a work called “Born-Oppenheimer approximation” and studied together. Both were of Jewish descent, so Born was chased by England and

Oppenheimer was chased by the United States. Born was deprived of his professorship during the Jewish exclusion movement. It was a terrible situation during the war. There is a well-known exchange in his interpretation. Einstein, who argued against Born’s idea of ​​stochastic interpretation, likened the interpretation of quantum mechanics to dice play.

[Quoted from Wikipedea: Einstein’s famous words
“He (God) does not play dice” is 1926
It was stated in a letter to Born. ]

In 1927, the year after this letter was exchanged, Heisenberg established an uncertainty relationship, and the 5th Solvay Conference using photographs will be held on the top of this site. [October] There is a serious discussion about the essence. It was an era when human understanding changed drastically. Probabilistic interpretation is a major paradigm shift for human thought. Born’s thinking changed his way of thinking.

Finally the trivia story

One of Born’s grandchildren was the singer Olivia Newton-John. I also found out when writing the first draft, but it’s surprising. Imagine that Born was a German person. The interaction with Einstein is reminiscent of him. He returned to Germany after his exile in England and is sleeping in the same Göttingen Cemetery as Planck. Perhaps he also wanted to return to his homeland. And I’m sure his grandson Olivia Newton-John will come to visit the grave.

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ハンス・ガイガー
‗【不活性ガスを利用し放射線量を計測|ドイツ生まれ】-8/15改訂

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ガイガーカウンター
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【1882年9月30日 ~ 1945年9月24日】


【出典:Wikimedia Commons‗“Hans Geiger portrait”】

ガイガーはドイツ生まれです、研究機関としては
ニュルンベルク大学やマンチェスター大学で研究してます。

修行時代に英国のラザフォード卿のもとで研究者として
育っていきます。新しい知見である放射能に関して、
法則を確立して、計測器を作っていきます。

ガイガーが物理学にもたらしたもの

ハンス・ガイガーの最大の功績は、目に見えない放射線を
「定量的に測定できる時代」を切り開いたことです。

19世紀末から20世紀初頭にかけて放射能の存在は知られていましたが、
放射線を正確に数えたり比較したりする方法は十分ではありませんでした。

ガイガーはアーネスト・ラザフォードの研究室で
放射線測定技術を磨き、後に弟子のヴァルター・ミュラーとともに
ガイガー=ミュラー計数管を開発します。

この装置は放射線が通過した瞬間に発生する微弱な電気信号を
一つずつ数えることができ、現在でも「ガイガーカウンター」
として世界中で利用されています。

さらにガイガーは、ラザフォードとマースデンが進めた
金箔散乱実験にも重要な役割を果たしました。
この実験は、原子の中心に小さく重い原子核が存在することを
示す決定的な証拠となり、現代原子物理学の出発点となりました。

測定技術の発展と原子構造の解明。
ガイガーは、この二つの分野で20世紀物理学を大きく前進させた
科学者だったのです。

 

最早(もはや)ありふれた言葉です。
原理としては
不活性ガスを封入した筒の軸部分に
電極を取付け+極と−極の間に高電圧
を印加します。

電子機器で言う無通電の状態です。
ところが不活性ガスの電離により、陰極と陽極の間に
パルス電流が流れるのです。この特徴的な
通電回数を数える訳です。

また、原子構造の検証実験も有名です。

実験当時は原子の中に電子がバラバラに
(葡萄パンの中での葡萄のように)
存在するモデルも想定されていました。

鉄だとか炭素だとか元素の概念が確立できて来た後に
その中身がどうなっているのだろうという疑問が湧いたのです。

具体的には原子のサイズを大まかに見積もり、
それを検知できる粒子線を使って手探りで
原子の観測を始めていきます。

現在の知見である原子核の発見は重要です。
ガイガー=マースデンの実験と呼ばれます。

具体的にはラザフォードの指導下で、
ガイガーとマースデンはアルファ粒子の
ビームを金属の薄い箔に当て、更に蛍光板
を使って散乱を測定しました。

また、ガイガーの業績としてα線の
半減期に関する法則があげられます。
法則は

「ガイガー・ヌッタルの法則」

(英: Geiger–Nuttall law

と呼ばれます。放出されるアルファ粒子の
エネルギーが大きいと早く減衰します。

経験的に得られた関係です。


関連記事

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ガイガーを育て、原子核モデルを提唱した「原子核物理学の父」です。

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ラザフォード模型を発展させ、量子論による原子モデルを完成させました。

 

この分野の物理学者(原子物理学・放射線物理学)

アンリ・ベクレル(放射能の発見)

マリ・キュリー(放射性元素の研究)

アーネスト・ラザフォード(原子核の発見)

ハンス・ガイガー(放射線測定技術)

ニールス・ボーア(原子模型)

ジェームズ・チャドウィック(中性子の発見)

リーゼ・マイトナー(核分裂の理論)

オットー・ハーン(核分裂の実験的発見)

 

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2023/04/03‗初稿投稿
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(2023/4月時点での対応英訳)

Geiger was born in Germany, as a research institute
He has studied at the Universities of Nuremberg and Manchester.
During his apprenticeship, he grew up as a researcher under Lord Rutherford in England.
Regarding his new knowledge of radioactivity,
He establishes various laws and makes measuring instruments.

Geiger developed with his protégé Müller a measure of radiation dose
Famous for the “Geiger-Muller” counter tube.
Also known as a “Geiger counter”
It came out in one shot when I entered the computer.

It’s the first common word. as a principle
At the shaft part of the cylinder filled with inert gas
Attach the electrode and apply a high voltage
between the + and – poles.is applied.

This is the state of no electricity in electronic equipment.
However, due to the ionization of the inert gas, a
A pulse current flows. this characteristic
It counts the number of calls made.

It is also famous for its atomic structure verification experiments.
At the time of the experiment, the electrons were scattered in the atom
(Like grapes in grape bread)
Existing models were also assumed.

The discovery of the atomic nucleus, which is the current knowledge, is important.
It’s called the Geiger-Marsden experiment.
Specifically, under the guidance of Rutherford,

Geiger and Marsden are alpha particles
The beam is applied to a thin metal foil, and a fluorescent screen
was used to measure scattering.

In addition, Geiger’s achievements of alpha rays
There is a law about half-life.
the law is

“The Geiger-Nuttal Law”

(English: Geiger–Nuttall law)

called. The higher the energy of the emitted alpha particles, the faster they decay.
It is an empirical relationship.

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石原純
 (あつし・じゅん)【アインシュタイン来日時の通訳|俳人|結晶学者】-8/14改訂

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ポール・エーレンフェスト
【波動関数を統計的な手法で解釈・定理化し|後進を多数輩出】-8/13改訂

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A・アインシュタイン
【物理を考え続けた人|光電効果・ブラウン運動・相対性理論|EPS論文】‐8/12改訂

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WhoWasAlbertEinstein
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【1879年3月14日生まれ ~ 1955年4月18日没】

現時点で最も有名な物理学者でしょう。

アインシュタイン(Albert Einstein)は

様々なパラダイムシフトを起こし

20世紀初頭に

物理学に大きな変化をもたらしました。

本稿でご紹介している集合写真はソルベー会議
の時期の写真とローレンツとのツーショットです。
アインシュタインはド・ブロイディラックボーアらと
語りあい、議論を続け共通認識を形成していきました。
量子力学を誕生させていったメンバーなのです。


【画像出典:Wikimedia Commons】

【”Albert Einstein Head”(1947年 Princeton公式写真)】

1905年―「奇跡の年」と呼ばれる三つの論文

1905年、26歳だったアインシュタインはスイス特許局に勤務しながら、
わずか一年の間に物理学の歴史を変える三本の論文を発表しました。
この年は現在でも「奇跡の年(Annus Mirabilis)」と呼ばれています。

光量子仮説(光電効果の理論)

ブラウン運動(原子・分子の存在を統計的に裏付けた研究)

特殊相対性理論(時間と空間の概念を書き換えた理論)

それぞれ異なる分野の研究でしたが、共通していたのは
「自然現象を最も基本的な原理から考え直す」
という姿勢でした。
1905年の三論文は、20世紀物理学の出発点となり、
その後の量子力学と相対論の発展へつながっていきます。

 こういった考察から空間・時間の概念を変えていき、ミクロの物質の考察を進めています。
光量子仮説で物質の二面性を明確にしています。その一方で顕微鏡でしか
観察できないサイズの花粉がビリヤードの球と同様に弾性衝突しているモデルを示し、
微小サイズの領域でモデル化が可能だと示します。

色々な学者と討議を重ねて、現実に対しての理解を深めていきます。具体的に
マリ・キューリーと親交を深めていて、
チューリッヒ大学教職に推薦をしてもらっています。

相対性理論とは何か

アインシュタインと言えば相対性理論を思い浮かべる人が多いでしょう。実際、
相対性理論とは「時間や空間は絶対ではない」という考え方を数学的・物理学的に
体系化した理論です。

1905年に発表された特殊相対性理論では、「真空中の光の速さは誰が測定しても一定」
という事実を出発点としました。その結果、速く運動する物体では時間の進み方が遅くなり、
長さが縮み、質量やエネルギーの関係も変化することが導かれます。
高速で飛ぶ宇宙船の中と地上では時間の進み方がわずかに異なるという
「時間の遅れ」は、この理論から導かれる代表的な結果です。

さらに1915年には一般相対性理論を完成させました。
こちらでは重力を単に「力」ではなく、
空間と時間(時空)が物質によって曲げられる現象として説明しています。
例えば太陽のような巨大な質量を持つ天体の周囲では時空がゆがみ、
その曲がった時空の上を地球や惑星が運動していると考えるのです。
ニュートン力学では重力は離れた物体同士が引き合う力でしたが、
アインシュタインは「時空そのものの幾何学」として重力を理解しました。

この理論は現在でも人工衛星のGPS測位や宇宙物理学、
ブラックホールや重力波の研究などで不可欠となっています。
2015年には重力波が直接観測され、
アインシュタインの予言が約100年後に実証されました。
相対性理論は単なる難解な数式ではなく、
現代社会を支える基礎理論の一つとなっているのです。

光電効果とは何か

アインシュタインは一般には相対性理論で知られていますが、
ノーベル物理学賞を受賞した理由は「光電効果」の研究でした。
光電効果とは、金属に光を当てると電子が飛び出す現象です。
19世紀末には既に知られていた現象でしたが、
当時の波動としての光の理論だけでは説明できませんでした。

1905年、アインシュタインはプランクの量子仮説を発展させ、
光は連続した波ではなく、一定のエネルギーを持つ粒子
(現在では光子と呼ばれる)として振る舞う場合があると考えました。
電子は光子一つからエネルギーを受け取ることで金属表面から飛び出すため、
光の強さではなく「光の色(振動数)」が重要になると説明したのです。

この考え方によって、それまで説明できなかった
「弱い青色光では電子が飛び出すが、強い赤色光では飛び出さない」
という現象も理解できるようになりました。
後にロバート・ミリカンらの精密実験によって理論は実証され、
1921年、アインシュタインはこの功績によって
ノーベル物理学賞を受賞しています。

概念理解として光電効果は現代でも極めて重要です。
太陽電池、CCD・CMOSイメージセンサー、
光電子増倍管、各種光センサーなど、
身近な電子機器の多くはこの原理を利用しています。
また、この研究は量子力学誕生の大きな出発点となり、
ボーア、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、
シュレーディンガーらによる量子論の発展へとつながりました。
アインシュタイン自身は後年、
量子力学の確率解釈に疑問を抱くようになりますが、
その出発点を築いた人物でもあったのです。

少年時代のアインシュタイン

アインシュタインは少年時代から物理学者として
「考える」土壌を育んでいました。そういった話をする際に
よく語られるのは、居眠りから目覚めた後に
考え続けたと言われている思考実験です。

それは、「光の速さで光を追いかけたらどうなるか」
という思考実験です。子供が大人から「光は速い」
という事実と「光を使って物が見える」
という2つの事実を学んだとしたら、
その後に子供ならではの素朴な考えで、
「それならば・・・・」と考え続けていったのです。

考えること自体は誰でも出来る事ではありますが、
そこから先、解決出来ない疑問を覚えていて、
大事だと思い、解決した結果が
人類共通の知の財産となったのです。
そこには必ず苦労と乗り越えた時の喜びがあります。

苦労人のアインシュタイン

時代的な話があります。アインシュタインは
ユダヤ系であるので大変苦労しているのです。
当時のドイツはナチスの時代で
ホロコーストが実際に行われていました。
また、アインシュタインはドイツの為に
原爆の製造をすることに貢献出来た筈です。

実際にはナチス政権下のドイツを離れアメリカへ渡ります。
その後、原爆開発を促すルーズベルト大統領宛書簡に署名しましたが、
マンハッタン計画そのものには直接参加していません。
それでも、科学が戦争に利用されていく現実に、
複雑な思いを抱いていたと伝えられています。
個人の物理学者として多少の無力感を
感じていたのではないでしょうか。

またいつかアルバート・アインシュタイン
の子供であるハンス・アインシュタイン について
記述することが出来ればと思っています。

そして物理に対して考え続けました。ソルベー会議で
議論を重ね、量子の実態そのもの(観測問題)
に疑問を抱きました。アインシュタインの思考は、
いわゆるEPS論文での隠れた変数の議論へと繋がりました。
更には現在で言う「エンタングルメント」、
ひいては「量子コンピューター」へと繋がっています。

また因みに、「神はサイコロを振りたまわん(ふりません)」
という有名な言葉をアインシュタインが残した
とされていますが、正確にはこの言葉は
「アインシュタインがボルンへの手紙の中で残した言葉」
です。「アインシュタインが(よく?)使った言葉」
というのが真実でしょう。
確率概念の問題を端的に表現しています。
そして神を議論に巻き込みたくないという
「アインシュタインの思い」も感じます。

アインシュタインの言葉 

苦労人のアインシュタインは数々の名言を残していますが、

私が好きな言葉を最後に残します。

アインシュタインの意志の強さを感じます。

「think and think for months and years.

Ninety-nine times, the conclusion is false.

The hundredth time I am right.」

私は、数ヶ月も何年も考え続けます。

99回まで、その結論は正しくないですが、

100回目に正しい答えを出すことができるのです。


関連記事

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この分野の物理学者

マックス・プランク(量子論の創始者)

ヘンドリック・ローレンツ(相対論の基礎を築いた理論物理学者)

ロバート・ミリカン(光電効果を精密実験で検証)

アーネスト・ラザフォード(原子核の発見)

ニールス・ボーア(量子論を発展)

エルヴィン・シュレーディンガー(波動方程式の提唱者)

ヴェルナー・ハイゼンベルク(不確定性原理)

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 famous physicist  Einstein 

Isn’t it the most famous physicist at the moment? Introducing Albert Einstein, a paradigm shift that brought about major changes in physics in the early 20th century. In particular, in 1905, 26-year-old Einstein published three historical treatises. “Photon hypothesis,” “Brownian motion theory,” and “special relativity.”

Three paper’s

The photonunization theory is a paper that quantizes light properties, the Brownian motion is a paper that analyzes molecular motion from pollen behavior, and the special relativity is a study of moving objects that are close to light velocity.

From these considerations, we are changing the concept of space and time, and are proceeding with the consideration of microscopic matter. He discusses with various scholars and deepens his understanding of reality. He specifically has a close relationship with Mari Curie and has been recommended by the University of Zurich teaching profession.

Einstein in childfood 

Einstein has cultivated a “thinking” soil as a physicist since his childhood. When talking about such things, a thought experiment that is said to have continued to think after waking up from a doze is often talked about. In other words, it is a thought experiment of “what happens if you chase light at the speed of light”. If a child learns from an adult the fact that “light is fast” and “you can see things using light”, then the simple idea of ​​a child is “If so …” I kept thinking.

Anyone can think about it, but from that point onward, I remembered the questions that I couldn’t solve, thought it was important, and the results of the solutions became a common property of humankind. There is always the hardship and the joy of overcoming it.

Germany at that time

Einstein is of Jewish descent, so he is having a hard time. Germany at that time was in the Nazi era, so the Holocaust actually existed. Einstein could also have contributed to the production of the atomic bomb for Germany. He actually leaves the collapsing German Empire and joins the Manhattan Project in the United States. Perhaps he felt a little helpless as an individual physicist. I also hope to be able to describe Hans Einstein, a child of Albert Einstein, someday.

Einstein, a hard worker, has left a number of quotes, but the last one I like. I feel the strength of Einstein’s will.

“Think and think for months and years. Ninety-nine times, the conclusion is false. The hundredth time I am right.”

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大河内正敏
【リケンや日本ピストンリングの創設期に尽力した御曹司|政界でも活躍】‐8/10改訂

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理化学研究所100年目
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【1878年12月6日生まれ ~ 1952年8月29日没】


「国立国会図書館‗大河内正敏 肖像」
:昭和初期撮影

大河内家の御曹司

大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして子爵の

大河内正質の息子として生まれました。

正敏は学習院初等科に進み、大正天皇と共に学びます。

「大河内」という姓は当時としても由緒ある名であり、
正敏は同じ大河内家から夫人を迎えています。
旧大名家の血統を受け継ぐ華族の家柄は、まさに
近代日本の上流社会を象徴する存在でした。
きっと鹿鳴館で踊っていても違和感ありません。

ちなみに、寺田寅彦とは誕生日が物凄く近いのですが
交流はあったのでしょうか?当時から象牙の塔の中は
風通しが悪そうですね。互いに孤高を極めてた??

大河内正敏は政界で子爵議員として貴族院議員を2期務めます。
そして若かりし無名の田中角栄を可愛がっていた言われます。

そんな人なので理化学研究所の3代目所長に就任
した時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、
そして東京帝大教授でした。
そんな偉人を今回はご紹介します。

理化学研究所を世界的研究機関へ育てた大河内正敏

大河内正敏の最大の功績は、一人の研究者として論文を残したこと
だけではありません。
第3代理化学研究所所長として、日本の科学研究を産業へ
結び付ける仕組みを築いたことにあります。

当時の理化学研究所では、研究成果を企業へ移転し、その収益を再び研究
へ投資するという「研究と産業の循環」を積極的に進めました。この考え方は、
現在でいう産学連携や技術移転を先取りしたものであり、
日本の研究開発体制に大きな影響を与えています。

その代表例が、後に株式会社リケンへと発展したピストンリングの研究・事業化
でした。物理学や材料工学の成果を実際の工業製品へ結び付けることで、
日本の機械工業の発展にも大きく貢献したのです。

大河内正敏は「優れた物理学者」であると同時に、「研究成果を社会へ還元する仕組み」
を作った科学行政の先駆者でもありました。
 

大河内正敏の様々な業績

大河内正敏は東大で物理学を学んでましたが時節柄、
寺田寅彦と飛行弾丸の研究をしていたようです。
物理学を駆使すれば流体力学や表面の解析が出来ます。

大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例としては、
ピストンの開発があります。ここでもシリンダー内の
熱流体解析や、摂動面の摩擦特性を解析出来ます。

この研究は後の株式会社リケンにつながります。
戦後にリケンのグループは、GHQより
十五大財閥の
一つとして指定を受けます。

そして、眠りに

こうした業績を残して今、
大河内正敏は埼玉県にある
平林寺で永眠しています。

その近くには理化学研究所の研究室があり、
今でも研究者たちが世界に冠たる研究を続けています。
量子の根源を考え続けています。


前後の人物

◀ 前の人物:本多光太郎

▶ 次の人物:寺田寅彦

この分野の物理学者

長岡半太郎
日本の原子物理学の先駆者

本多光太郎
理研を支えた材料科学者

寺田寅彦
理研でも研究を続けた物理学者・随筆家

鈴木梅太郎
理研の「三太郎」の一人として知られる農芸化学者

 

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〆最後に〆

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Okochi family sergeant

Masatoshi Okochi was born as the son of Masatoshi Okochi, the former lord and viscount of the Otaki feudal lord of Kazusa. Masatoshi goes to Gakushuin Elementary School and studies with Emperor Taisho. Also, when I thought that Okochi was a rare surname, my wife was also a kid from the Okochi family, and I felt like a royal family. It feels like a splendid clan different from the commoners. I’m sure they were dancing at Rokumeikan.

He is a member of the House of Lords for two terms as a Viscount member in politics. Under such circumstances, it is said that he loved the young and unknown Kakuei Tanaka. As such, he was a RIKEN researcher, a member of the House of Lords, a Viscount, and a professor at the University of Tokyo when he became the third director of RIKEN. I would like to introduce such a great man this time.

Achievements of Masatoshi Okouchi

Masatoshi Okouchi studied physics at the University of Tokyo, but he seems to have been studying flying bullets with Torahiko Terada. He can use physics to analyze fluid mechanics and surfaces.

Another specific use case promoted by Masatoshi Okouchi is the development of pistons. Here, too, you can analyze the thermo-fluid inside the cylinder and the friction of the perturbing surface. This research will lead to RIKEN CORPORATION later. After the war, this group was designated by GHQ as one of the 15 major conglomerates.

And to sleep

With these achievements, Masatoshi Okouchi is now sleeping at Heirinji Temple in Saitama Prefecture. There is a branch office of RIKEN nearby, and researchers are still conducting world-class research.

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寺田 寅彦
【夏目漱石の教えを受けた俳人・作中では寒月さん】-8/9改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

天災と日本人
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【1878年11月28日生まれ ~ 1935年12月31日没】

【国立国会図書館デジタルコレクション所蔵肖像】

寺田寅彦―科学と文学をつないだ物理学者

寺田寅彦は、物理学者でありながら文筆家、そして俳人としても活動した人物です。

彼の面白さは、科学と文学を別々の世界として扱わなかったところにあります。
研究者として自然現象を観察し、その一方で、日常生活の中にある科学的な
現象を随筆として描きました。

文筆活動では「牛頓」と名乗り、あえて「ニュートン」と読ませる
洒落も仕込んでいます。明治・大正期の読者に、この遊びが
どこまで伝わっていたのかは分かりません。しかし、こうした
名前の選び方からも、寺田寅彦が科学を堅苦しい専門知識だけではなく、
知的な楽しみとして伝えようとしていたことが感じられます。

当時は、現在ほど科学知識が一般社会に広く普及していた時代ではありません。
寺田は随筆を通じて、自然現象を観察し、そこから
科学的に考える面白さを読者に伝えました。

その意味で寺田寅彦は、単なる「物理学者兼文学者」ではありません。
科学の世界と一般の人々の暮らしを、文章によってつないだ
科学啓蒙者
として見ることもできます。

そして、その知的な背景には、田中舘愛橘や長岡半太郎といった
日本の物理学を築いた先人たちとのつながりがありました。

そんな寺田寅彦は
熊本の高校で英語教師として赴任していた

夏目漱石と出会います。後に文学に関わった
のはこの出会いが大きかったと言われています。
贅沢な人生ですね。夏目漱石の作品
「吾輩は猫である」の中では寒月君として
登場する人物のモデルとなっていて
作品を通じて寺田寅彦の御人柄に
触れた人も多いのでは
ないでしょうか。
因みに、

2021年春の時点で日経新聞に掲載されていた
連載小説「伊集院静作、ミチクサ先生」
では、その様子が描かれていました。
その作品のなかで、
寒月さんは淡々と話を進めていた人で、
そのお人柄が伝わってきます。
当時の時代背景や文人達との交流も
感じられて面白かったです。

ミチクサ先生
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寺田寅彦と研究について

研究の点でも時代の枠にとらわれない
視点を持ち実績を残しています。

寺田寅彦の研究業績を考えるうえで重要なのが、
マックス・フォン・ラウエ
のX線回折に関する研究です。

 

先進的な結晶解析に関して考察ををしてます。
そして、
1913年に「X線と結晶」をNatureに発表してます。

寺田寅彦の研究人生をふりかえると、
田中舘愛橘に教えを受け、
原子の長岡モデルを提唱した長岡半太郎
教えを受けて、学生結婚をして、
その奥様に早く先立たれ、
東京帝国大理科大学で教鞭をとった後に
ベルリン大学で地球物理学を研究し、
理化学研究所、 東京帝大地震研究所
で研究を続けました。
57歳で亡くなられています。

〆最後に〆

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About Torahiko Terada

Torahiko Terada is a physicist and poet. As a writer, he calls himself Ushiton. He wrote Ushiton and read it as Newton.

He meets Soseki Natsume, who was assigned as an English teacher at a high school in Kumamoto. It is said that it was this encounter that was later involved in literature. It’s a luxurious life. In Natsume Soseki’s work “I Am a Cat”, I think there are many people who have come into contact with their personality through the work as a model of the person who appears as Mr. Kanzuki.

By the way,

The serial novel that was in progress in the Nikkei newspaper as of the spring of 2021 seems to describe the situation. I always read it diagonally, but Mr. Kanzuki is a person who talks in a straightforward manner, and I can feel his personality. It is interesting to feel the historical background of the time and the interaction with the writers.

About Torahiko Terada and research

In terms of his research, he has a track record with a perspective that is not bound by the boundaries of the times. Among them, his research achievement, which is highly evaluated, is a research inspired by Laue’s achievement and is an achievement on “X-ray crystal transmission”. He considers advanced crystal analysis. Then, in 1913, he published his “X-rays and crystals” in Nature.

Looking back on Torahiko Terada’s research life, he was taught by Tanakadate Aikitsu and Hantaro Nagaoka, who advocated the Nagaoka model of atomic atoms. After teaching at, I studied geophysics at the University of Berlin, and continued my research at RIKEN and the Earthquake Research Institute, the University of Tokyo.
He died at the age of 57.

/

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ヘンリー・ラッセル_
【HR図(Hertzsprung-Russell diagram)】-8/7改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

天文学入門

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【1877/10/25 ~ 1957/2/18】


Wikimedia Commons_
“Henry Norris Russell” 
Princeton Observatory collection

はじめに

ヘンリー・ノリス・ラッセルは星の進化を考えていたアメリカの天文学者です。
プリンストン大学で学び研究生活を始めます。

私が初めてラッセルの事を知ったのは多読を心がけていた高校時代に、C.セーガンと並び話に出てきた学者さんでした。当時はマンハッタン計画に関わっていたアインシュタインなどの学者さん達と天文学者の学者さん達が、私の中でごちゃ混ぜになっていました。

高校時代の「理解の浅さ」が懐かしいくらいです。ラッセルと言えば「数学者・哲学者のバートランド・ラッセル(1872-1970)と混同してはいけない」とか真面目に考えていました。

ラッセルとHR図 

ラッセルの研究で有名なものは
HR図(Hertzsprung-Russell diagram)です。

HR図は所謂「星の進化」に関しての理解に

不可欠な研究となっています。

H-R図とは何か

ヘンリー・ノリス・ラッセルの名前を語るうえで、最も重要な業績の一つがH-R図です。
H-R図は、恒星の「明るさ」と「表面温度」の関係を一つの図にまとめたもので、
恒星がどのような性質を持ち、どのような進化の段階にあるのかを考えるための
重要な手がかりとなります。

H-R図の縦軸には、恒星の明るさを表す絶対等級や光度が用いられます。
一般的な図では、上に行くほど明るい恒星を表します。一方、横軸には
恒星の表面温度やスペクトル型が配置されます。ここで注意したいのは、
温度の高い恒星が左側、温度の低い恒星が右側に配置されることが多い
点です。私たちが日常的に見る温度のグラフとは、左右の向きが逆になっています。

この図に多くの恒星を配置すると、恒星は無秩序に散らばるのではなく、
主系列と呼ばれる帯状の領域など、特徴的な分布を示します。また、
赤色巨星や白色矮星なども、それぞれ異なる領域に現れます。

ここから、恒星には誕生から進化、そして最終段階に至るまでの歴史が
あることが見えてきます。つまりH-R図は、単なる「星の明るさと温度の一覧表」
ではありません。恒星の内部で起きている核融合やエネルギー生成の仕組みと、
恒星がたどる進化の道筋を結びつけるための重要な道具なのです。

ヘルツシュプルングとラッセルは、それぞれ独立に恒星の絶対等級と
スペクトル型の関係に注目しました。そのため現在では、二人の名前を
合わせて「ヘルツシュプルング・ラッセル図」、略してH-R図と呼ばれています。

ラッセルの業績を理解するうえで重要なのは、この図を単に「星を分類する図」
として見るのではなく、観測可能な恒星の明るさやスペクトルから、恒星の
内部構造や進化を考えるための橋渡しとして見ることです。観測データを整理
することで、目には直接見ることのできない恒星内部の物理現象に迫ることができました。

この意味でH-R図は、天文学における「観測」と「理論」を結びつける代表的な
成果の一つだったといえるでしょう。

重力の効果が集まる部分にはより重心の集まっている物体が蓄積してきて
お月様のクラスの塊が宇宙で無数に出来ていくと想像されます。

未だお月様の内部構造は正確に観測されていませんが、宇宙を飛び交う
岩石クラスの大きさであれば実際にサンプルを持ち帰り内部を調べることが出来ます。

大気圏に入ってきた岩石もまたサンプルとなり研究材料と出来ます。こうした類の
大きさスケールが分かりやすい物体が宇宙には無数にあります。
その物体自体は暗い寒い宇宙の中で(真空中に)沢山漂っています。

そうした物体が様々な要因で更に集まってくると地球や火星、木星のような内部に地殻を持った衛星になってきます。内部に地殻を持つ事情は万有引力で地球内部の物体が中心方向に集まってくる事情からです。

例えば地球の場合、すべての物質が重心方向へ引かれるため、内部には非常に大きな圧力と高温が生じています。ただし地球内部では恒星のような核融合反応は起きておらず、主な熱源は形成時に蓄えられた重力収縮のエネルギーと、ウランやトリウムなどの放射性元素の崩壊熱です。

この内部熱がマグマ活動を生み、地表環境の安定にも寄与しています。
地球表面は比較的冷えていますが地球の内部は物凄い高熱です。

更に重力で重量物が集まってくると重力によって集まってくる物質の表面が冷えている状態が壊れます。地球の表面は人間が暮らせる程度の暖かさに保たれていて冷たい宇宙空間で冷やされている状態と地球内部からマグマで温められている状態に均衡がとれています。

地球が奇跡の星と呼ばれる理由の一つで温度での均衡で水が沸騰せず、かつ凍らない温度域でタンパク質、その他の物質が出来ていて肉体を持つ様々な動植物が存在出来ています。

もしも地球が100度以上の温度下であったら今の生命はほとんど生活が出来ないでしょう。生命の誕生、その後の進化には好ましい条件だったわけです。

近くを構成しているようなバランスが崩れると太陽のようにいつも光り続ける星となります。大きくなり、もはや地殻が維持できなくなって、その上で生き物が生活できる状態ではありません。

内部での核反応が非常に活発になり、外部に絶えず光を放射して輝き続けます。
光だけではなく各種素粒子やあらゆる波長の電磁波を放出します。

そうした活動として全体の重量が減っていく恒星(太陽のように光る)
もあれば、ほかの星を取り込んで更に重量を増していく恒星もあります。

そうした膨張や減衰を恒星はしていきますが、全体重量がもっともっと大きく
なってくると白色矮星、ブラックホールへと変化していくだろうと言われています。

最終的には全体の重力が大きくなり、光の素子である光子さえも
ブラックホールから脱出できなくなるのです。当然。ブラックホールは見えません。

1947年に引退するまで30余年の間、プリンストン大学天文台の所長として研究を
続けラッセルは余生を過ごしました。今もその研究成果は受け継がれ発展し続けています。


この分野の天文学者・物理学者

◀ 前の人物:
アイナー・ヘルツシュプルング

▶ 次の人物:
ヘンリエッタ・スワン・リービット

関連する人物:
アイナー・ヘルツシュプルング
ヘンリー・ノリス・ラッセル|
ヘンリエッタ・スワン・リービット

 

〆最後に〆

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(2022年10月の時点の英訳)

Preface

Henry Norris Russel is an American astronomer thinking about the evolution of the star.
I learn in Princeton University and begin study life.

It was the scholar who came out with Carl Sagan in the high school days when I kept a multi-reading in mind that I knew Russel for the first time.

Scholars and the scholars such as Einstein concerned with Manhattan Project of the astronomer became mixed-up among me in those days. I feel nostalgic for “shallowness of the very beginning understanding” at that time. Speaking of raschel, I thought, “you must not confuse it with the raschel of the philosopher” seriously.

Raschel and figure of HR

The thing which is famous for a study of the raschel
It is a figure of HR (Hertzsprung-Russell diagram).

The figure of HR for understanding about so-called “evolution of the star”

It becomes the essential study.

It is the following concepts when I give an outline.

(as for this report, a description about the evolution of the star is important)

Innumerable stones of the space are universal gravitation; (for self-respect)

Meet other objects; to steps

It becomes the object with a big center of gravity.

The part which is fast in a flow when I thought about the flow of the star in outer space

When there is a vortex; in a flow

The place where a lot of gravity gathers,

There is the place where the effect is light.

When the object that a part attracting gravitational effects attracts centers of gravity more accumulates, and there is the lump of the of class innumerably in space in a month, I am imagined.

The internal structure of moon is not yet observed exactly, but I actually take a sample home with me and can check the inside if it is the size of the rock class flying about the space.

The rock which entered the atmosphere also becomes the sample, and there is it with study materials. There are innumerable objects that the size scale of such a kind is plain in the space. Object itself drifts a lot (during a vacuum) in dark cold space.

When such objects gather in various factors more, it becomes the satellite with the earth crust in the earth and Mars, the inside such as the Jupiter. Circumstances having the earth crust are from the circumstances that objects in the earth gather in the central direction by universal gravitation inside.

For example, because all objects are going to fall into the center of gravity of the earth in the case of the earth, it comes under frightful pressure near the center of gravity, and nuclear reaction is taking place in the inside of the earth.

I collapse without individual atomic nucleuses being able to tolerate volume of pressure. The earth surface relatively gets cold, but the inside of the earth is terrible high heat.

Furthermore, the state that the surface of the material which gathers by gravity when heavy goods gather gets cold with gravity is broken. I am balanced in a state warmed with magma from a state and the inside of the earth that the appearance of the earth is kept by the warmth of the degree that a human being can spend, and are cooled in cold outer space.

Various animals and plants which the earth is one of the reasons called the miraculous star, there are protein, other materials in temperature area water does not boil and not to freeze, and have the body can exist. The present life may hardly live a life if there is the earth under the temperature more than 100 degrees. It was a favorable condition for birth of the life, the later evolution.

It becomes the star which continues always shining like the sun when balance constituting neighborhood collapses. It grows big and cannot maintain the earth crust anymore, and, after that, a creature is not in condition to be able to live. Nuclear reaction in the inside becomes very active and it emits light consistently outside and continues shining.

I release the electromagnetic wave of various elementary particles and every wavelength as well as light. If such an activity includes the fixed star (I shine like the sun) where overall weight decreases, there is the fixed star which takes other stars, and adds to weight more.

The fixed star does such expansion and decrement, but it is said that I will change into a white dwarf, a black hole when the whole weight grows big more and yet more. Overall gravity finally grows big, and even the photon that is an element of the light cannot escape from a black hole. Naturally. I do not see the black hole.

Finally

I continued studying it as a director of the Princeton University astronomical observatory,

and, during 30 rest of life, Russel reached the rest of life until I retired in 1947.

The results of research are inherited, and they continue still developing.

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高木 貞治
【ヒルベルトの弟子|長く日本で使われてきた名著である「解析概論」の著者】‐8/6改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

↑Credit:Wikipedia↑

解析概論
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【1875年4月21日生まれ ~ 1960年2月28日没】

【高木貞治(1875–1960)Wikimedia Commons】

日本人数学者をご紹介します。

そのお名前は

高木貞治と書いて名前を「ていじ」と読ませます。

高木貞治は岐阜に生まれ現在の京都大学を卒業した後

東京大学に進みます。現在の学校制度で見れば違和感だありますね。

高木貞治は岐阜県に生まれ、現在の京都大学にあたる学校で学んだ後、
東京帝国大学へ進みました。当時の日本では、現在の大学・大学院制度
とは教育制度そのものが異なっていたため、現代の「学士」「修士」「博士」
という区分にそのまま置き換えて考えるのは難しいようです。

その後、高木貞治はドイツへ留学し、ゲッティンゲン大学でダフィット・ヒルベルト
の指導を受けます。ここで近代数学の最前線に触れた経験は、その後の高木の研究人生
を大きく方向づけました。

高木が日本に持ち帰ったものは、単なる数学の知識だけではありませんでした。
近代的な数学を研究するための考え方や方法論そのものを日本に根付かせ、
日本の純粋数学が国際的な水準へ進むための重要な基盤を築いたのです。

その後、高木貞治はドイツへ留学してヒルベルト教え
受けます。現代日本での代数幾何学の原型を体系立てていったのです。

高木貞治が日本数学にもたらしたもの

高木貞治の重要性を考えるとき、単に「ヒルベルトに学んだ日本人数学者」
として紹介するだけでは、その業績の大きさが十分には伝わりません。
高木が果たした役割は、19世紀末から20世紀初頭にかけて形成された
近代数学の方法を日本に根付かせ、日本の純粋数学研究を国際的な
水準へと押し上げたことにあります。

高木がドイツ留学を通じて学んだのは、個々の計算技法だけではありません。
数学を公理や定義から出発し、論理的に体系化していくという近代数学の
考え方そのものです。帰国後の高木は東京帝国大学で研究と教育に取り組み、
日本における近代的な整数論研究の基礎を築いていきました。

その代表的な成果が「類体論」です。これは代数体の拡大と素数の分解
などを結びつける理論であり、後の現代数学にも大きな影響を与えています。
高木の研究は日本国内だけで完結したものではなく、国際的にも評価され、
現在では「高木類体論(Takagi class field theory)」として知られています。

こうして考えると、高木貞治の人生は、単に一人の数学者が優れた研究成果
を残したという話にとどまりません。海外で学んだ数学を日本に持ち帰り、
自ら研究を進めると同時に、次の世代の数学者を育て、日本の数学研究
そのものを国際的な舞台へ接続した人物だったのです。

この意味では、高木貞治は日本数学における「近代化の橋渡し役」
と見ることもできます。そして、その背景にはドイツ留学時代に
学んだダフィット・ヒルベルトの存在がありました。

【現代では空間を考えていく際にヒルベルト空間

という概念があり、量子力学で多用されます。】

そもそも、

個人的に高木貞治の名を知ったのはムツゴロウさんの著作でした。
たしか「ムツゴロウの青春期」。その中で彼が高校時代に
地元九州の先生に紹介された本が高木貞治の「解析概論」でした。

解析概論が明快であると言われ、高校の教科書とは別に数学の
エッセンスを学んでいきます。その後、バンカラな青春時代を過ごした
ムツゴロウさんは東大の物理学科に進み、最後はどうぶつ王国を作ります。

話戻って解析概論ですが、岩波文庫から出ていた解析概論を私も買って
、面白く読んだ思い出があります。色々な本屋さんに置いてました。

尚、2011年の時点で日本国内における著作権の

保護期間満了に伴いネットで著作が公開され始めています。

【Wikisourceや青空文庫を見てみて下さい】

’そして参考追記:】高木は帰国後、東京大学で代数的整数論を講じ、
日本の純粋数学研究の最初の学派を築きました。高木の「類体論」は
現在も国際的に Takagi Class Field Theory と呼ばれています。

以上、間違い・ご意見は
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In this time,

I would like to introduce a Japanese mathematician. The name is written as Teiji Takagi and his name is read as “Teiji”.

Teiji Takagi was born in Gifu and went on to the University of Tokyo after graduating from the current Kyoto University. He also gets the impression that it is different from the current school system. In terms of today’s expression, it seems like I got a bachelor’s degree at Kyoto University and a master’s degree at the University of Tokyo. After that, Teiji Takagi went to Germany to study abroad and was taught by Hilbert. He would have systematized the prototype of modern algebraic geometry. Mathematics used in Japan at that time seems to have been a development of so-called “Wasan”. Mathematically, real numbers are treated, but there is no evidence that a small number were commonly used. However, there is a feeling of 1 yen and 7 coins, so you should be able to keep thinking that 1/3 is 0.33333. Even if you think that there was a concept of a decimal point, it would not have developed into a concept of cutting or a proof using drawing. Also, when thinking about space, there is the concept of Hilbert space, which is often used in quantum mechanics.

In the first place,

it was Mr. Mutsugoro’s work that I personally knew the name of Teiji Takagi. Certainly “Mutsugoro’s adolescence”. Among them, the book he was introduced to by a local teacher in Kyushu when he was in high school was Teiji Takagi’s “Introduction to Analysis”. It is said that the introduction to analysis is clear, and you will learn the essence of mathematics separately from high school textbooks. After that, Mr. Mutsugoro, who spent his youth in a bunkara, proceeded to the Department of Physics at the University of Tokyo, and finally created the Animal Kingdom. Returning to the story, I would like to give you an introduction to analysis, but I also bought the book from Iwanami Bunko and read it in a fun way.

As of 2011, with the expiration of the copyright protection period in Japan, works have begun to be published online. [Please see Wikisource and Aozora Bunko]

 

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ハーゼノール
【E=MC^2をアインシュタインと別の考えで導出】-8/5改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
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(以下原稿です)

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高周波測定

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【1874年11月30日 – 1915年10月7日】

フリードリヒ・ハーゼノール
(Friedrich Hasenöhrl, 1874–1915)
パブリックドメイン
Wikimedia Commons

人脈に恵まれたハゼノール

ウィーンに生まれたハーゼノールは非常に人脈に恵まれていました。

まず、ウィーン大学でボルツマンに理論を学びます。

その後、ライデン大学のローレンツの下で研究をします。

そして、シュレディンガーらに物理学を伝えます。この話を知るまでは、

シュレディンガーは独自に考えるタイプの物理学者だと思っていたのですが、

その前に、理論の土台をハーゼノールが与えていたと知り、

個人的には何となく納得してしまった部分がありました。

定式化の方法で同じ雰囲気が感じられたのです。

ハーゼノールと質量・エネルギーの関係

ハーゼノールの研究で特に興味深いのが、
電磁放射のエネルギーと物体の慣性との関係です。

ハーゼノールは空洞内の電磁放射を研究し、放射のエネルギーが物体の慣性に関係
することを理論的に考察しました。1904年から1905年にかけて発表された研究では、
電磁放射のエネルギーに対応して、E/c²に相当する質量項が現れることを示しています。

ただし、これは現在知られている「質量とエネルギーは一般的に等価である」という
意味でのE=mc²を、そのまま導いたということではありません。ハーゼノールの議論は、
あくまで電磁放射という特定の物理現象を出発点として、
エネルギーと慣性の関係を明らかにしたものでした。

その後、アインシュタインは1905年の研究において、特殊相対性理論を背景に、物体が
エネルギーを放出・吸収するとき、その質量が変化するという一般的な関係を示しました。
ここから、質量とエネルギーの等価性という、現代物理学の基本的な考え方
へとつながっていきます。

二者の関心の起点が違います。

科学史の観点から見ると、ハーゼノールとアインシュタインの研究は、
単純に「どちらがE=mc²を発見したか」という一つの問いだけで整理
するよりも、電磁気学からエネルギーと慣性の関係を探ったハーゼノールの研究と、
相対性理論から質量とエネルギーの一般的な関係を導いたアインシュタインの研究が、
近い時代に交差した
と考えるほうが興味深いでしょう。

ハーゼノールの研究は、質量とエネルギーの等価性をめぐる科学史の一つの重要な
先行研究として位置づけることができます。そして、この流れをたどることで、
ボルツマン、ローレンツ、ハーゼノール、アインシュタインという科学者たちが、
異なる立場からエネルギーという概念をどのように捉えていたのかを考えることができます。

興味深い話なので後程、とりあげます。
第一次世界大戦が始まると、オーストリア・ハンガリー帝国陸軍に志願し、
南チロルでイタリア軍と戦って40歳で戦死します。
残念な事ですが運命に対峙した結果だったのでしょう。

ハーゼノールは空洞で生じている放射現象の中で「輻射(放射)を担う波」
に着目して、その慣性についての論文を1904年と1905年に発表しました。
この理論では電磁質量によって物質の慣性が大きくなると論じたのです。
この話を整理して考えた、ラウエはアインシュタインと比較して
様々な形態の「エネルギー」に対して「慣性」の確立を
アインシュタインに帰し、彼が相対性理論との関連でその等価性の深い意味合いを
初めて理解したと考えています。

実際の所は現代の視点で考えてみた時に、質量エネルギーの等価性はハーゼノールのように電磁気学的側面から整理理解していった方が実感できてくるものだと思えます。例えば、ボルツマンも質量エネルギーを考えています。「熱が伝わる性質をエネルギーが伝わる現象ととらえる事」は万人に分かり易い定式化でしょう。

エネルギーを基軸に考えて「熱」、「電磁波」、「静止質量」、「慣性質量」、、、、といった概念を分かり易くつなげていった結果がE=mC^2という定式化だと考えられるわけです。

科学史の観点から考えて明らかに言い切れることはハーゼノールもアインシュタインも20世紀初頭に同じ頂点(理論的帰結)を乗り越えていたという事実です。全く違う人生を歩んだ二人が同時期に同じ材料を使って考察して其々に結果を出していた事実を知る事はある意味で心地よいです。そして、その二人に其々何らかの示唆を与えていたローレンツの力量にも改めて敬意を払います。人を育てる事は素晴らしいですね。

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この分野の物理学者

ルートヴィッヒ・ボルツマン

ヘンドリック・ローレンツ

フリードリヒ・ハーゼノール

アルベルト・アインシュタイン

 

ムームーサーバー
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2022/01/02_初稿投稿
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Hazenor blessed with personal connections

Born in Vienna, Hasenöl was very blessed with connections.

He first learns theory from Boltzmann at the University of Vienna.

After that, he does his research under Lorenz at Leiden University.

And he tells Schrodinger and others about physics. Until I knew this story

Schrodinger thought he was the type of physicist he thought of himself,

Before that, he learned that Hazenor had provided the basis for his theory.

There was something he was personally convinced of.

He seemed to have many similarities in the formulation method.

Notable Hazenor achievements

Of particular note in Hasenöl’s research was the publication of an equation of the same form as E = mc² in 1904. It’s an interesting story, so I’ll cover it later. At the beginning of World War I, he volunteered for the Austro-Hungarian Imperial Army, fighting the Italian army in South Tyrol and dying at the age of 40. Unfortunately, it was probably the result of confronting fate.

Hazenol published a paper on its inertia in 1904 and 1905, focusing on “waves responsible for radiation” in the radiation phenomenon occurring in cavities. In this theory, he argued that the electromagnetic mass increases the inertia of matter. Arranging this story, Laue attributed the establishment of “inertia” to various forms of “energy” to Einstein, and for the first time he understood the deep implications of its equivalence in the context of the theory of relativity. I think.

Actually, when thinking from a modern point of view, it seems that the equivalence of mass energy can be realized by organizing and understanding from the electromagnetic aspect like Hasenöl. For example, as Boltzmann clarified, it would be an easy-to-understand formulation for everyone to regard the property of heat transfer as a phenomenon of energy transfer. It is thought that the formulation of E = mC ^ 2 is the result of connecting the concepts such as “heat”, “electromagnetic wave”, “static mass”, “inertial mass”, etc. in an easy-to-understand manner with energy as the basis. That’s why. From the perspective of the history of science, what can be clearly stated is the fact that both Hasenöl and Einstein overcame the same peak (theoretical consequences) in the early 20th century. It is in a sense comfortable to know the fact that two people who lived completely different lives considered using the same material at the same time and produced results for each. And I would like to pay tribute to Lorenz’s ability, which gave some suggestions to each of them. Raising people is wonderful.