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こんにちは。コウジです。半年ごとの改定ですが、
今回の半年では英訳部分を削除しています。大きな改訂はありません。
(以下原稿です)

ギリシア哲学史
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【Democritus painting public domain】

【BC460年頃 ~ BC370年頃】

 原子論の始まり

デモクリトスは、古代ギリシアの哲学者です。苗字と名前がありそうだから調べてみたら
見つかりません。この時代には未だ無いのかも知れません。そして、
何よりデモクリトスは初期の原子論を明確に示した人です。

デモクリトスはレウキッポスを師匠として考察を始め、その理論を確立しました。
ベルシャの僧侶やエジプトの神官に学び、果てはインドやエチオピアまで出かけて
見聞を広めたそうです。そんな活動的な人生を歩んでいて、仕舞いには生活に
困るようになってしまい、最後は故郷のご兄弟に扶養の世話になっていたそうです。
ただ死後はデモクリトスの著作物の公開朗読によって多額の贈与を受け
国葬されたと伝えられています。こうした話を聞くと人徳について考えてしまいますね。
デモクリトスはまさに「人が語り継ぎたい」と考えるような立派な人
だったのです。隣人にそう思わせる人柄だったのです。

デモクリトスと統計的総合作用

 デモクリトスは、世界を「見えるもの」ではなく「小さな粒(原子)」の集まり
として理解しようとしました。つまり、あらゆる物体を小さな単位の集合
として捉えるという考え方――後の統計的な思考の“原点”を作ったのです。
これは、世界を数や比率で説明しようとする最初の試みとも言えます。
ハイゼンベルグはその著書「現代物理学の自然像」(1955)において指摘しています。
「デモクリトスは次の命題を立てている。『甘いもの、または酸っぱいものは
ただ見かけだけであり、色はただ見かけだけであり、
実際にはただ原子と空間があるだけである。』 」

デモクリトスは統計的手法そのものを持っていたわけではありません。
しかし、「世界は多数の微小な粒子の集まりとして理解できる」
という発想は、後の統計力学へとつながる重要な視点でした。

すなわち彼は、「個々の粒子の集まりが全体の性質を決める」
という考え方の原型を提示した人物と見ることができます。

たとえば、私たちが「甘い」と感じる味覚も、ハイゼンベルクの理解では
“原子の動きと配置の組み合わせ”で説明されるものです。
つまり、
感覚や色、音の違いさえも、原子と空間の配置という
「統計的な構造」が作り出しているのです。

そして、デモクリトスの命題を解決するための
「原子と空間の新しい理論」をハイゼンベルグは全力で模索したのです。
食物は、燃やしてしまえば匂いも舐めた味もほぼ均一化されるのです。
人間生活の上で大事なものは対象物の、①特定時間での統計的法則性であり
また、観測する(または過去の事象の場合はパラメターを採取する)②タイミング
なのです。統計的な手法によって、私たちは「現実を最もよく説明する近似値
(=統計の解)」を求めることができます。そして、その解が本当に最適かどうかを
比較・検証するという科学の方法論が、ここから始まっていったのです。

また、上記①、②と最適解の判断が、会話の中で出来ていない人は
残念な人として扱われてしまいます。皆さん、少しでも良い議論を交わして下さい。

デモクリトスは哲学、詩学、倫理学、数学、天文学、音楽、生物学などで博識を示し、「知恵 (Sophia)」の異名を受けていました。私の視点では(物理学の観点から)原子論を創り出した点が特に重要です。

物質根源への定性的アプローチ 

物質の根元についての学説は、(後の)アリストテレスが完成させた四大元素(火・空気・水・土)が別途あって、時代ごとに原子論か四代元素かのどちらかが主流となって人々は根源物質を考えていました。デモクリトス以後、原子論は長らく反主流でしたが、ジョン・ドルトンの時代に彼によって優勢となりました。

【ドルトン以降の原子論は、デモクリトスの説と全く同じではありません。】ドルトンの時代には対象原子の質量やサイズに関する議論は無かったようですが、物質の根源物質を原子として考えて、元素の種類があると考えたのです。

現代では、原子は核反応によって別の元素に変わることもわかっています。しかし、日常生活で目にするあらゆる物質が、共通する最小単位「元素」の組み合わせでできている――この考えの原型を、デモクリトスはすでに語っていたのです。


化学的手段が無い時代に、こうした基礎知見を
確立できたのは驚くべき考察力です。

デモクリトスの洞察は、後の科学の根幹そのものに息づいています。
現代の量子物理学や統計力学も、実は彼の「原子と空間」
という発想を出発点にしているのです。いまもその知恵は、
私たちの科学的な思考の奥に静かに流れ続けています。

■前後リンク(古代→近代)

◀ 前の人物:
ピタゴラス(数による世界理解の始まり)

▶ 次の人物:
ドルトン(原子論の科学的復活)

■原子論・統計物理の系譜

・デモクリトス(原子概念)
・ジョン・ドルトン(近代原子論)
・ルートヴィッヒ・ボルツマン(統計力学)
・ジェームズ・クラーク・マクスウェル(分布則)
・ヴェルナー・ハイゼンベルク(量子論)

 

〆最後に〆



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竹内均(ひとし)
【科学の啓蒙活動を続けた初代Newton編集長】‐10/2改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

科学雑誌NEWTON
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【1920年7月2日生まれ ~ 2004年4月20日没】

【出典:純歯科医院‗竹内均】
【https://www.jun-dental-office.com/2013/04/09/%E5%83%95%E3%81%AE%E5%B8%AB%E5%8C%A0-%EF%BC%91-%E7%AB%B9%E5%86%85%E5%9D%87%E5%85%88%E7%94%9F/】

 竹内均のメガネ

私の中での竹内均さんのイメージは

特徴的な眼鏡かけたTVコメンテーターでした。

実際、
竹内均さんは文筆活動中もあんな感じだったそうです。
沢山本を出していますが、多くの著作はテープレコーダーに口述した内容を
秘書が文章化する形で執筆されていました。文章に起こす秘書さんが居て
一緒に作業します。独特の書き方ですね。

それでもお人柄から悪い印象は持ちません。
人から好かれる性格ですね。竹内均は自分に厳しくて
子供に優しい人だったと言われています。
独特の喋り口調が印象的で通り易い声で
聴きやすいリズムで人に語りかけていました。
子供向けの伝記を沢山、監修していて
「キューリー夫人伝」とか「エジソン伝」とかの表紙に
小さく竹内均の名前が入っていたりしました。
そんな啓蒙活動を考え続けて初代NEWTON編集長
として日本の一般向け教育書を作っていきます。
ちなみに、
非常に名前が似ていると思える方で
竹内薫さん
という方が居まして、私は時々混同してしまいます。
失礼。。。
ご本人がツイッターでコメしているように
「親戚ではありません(笑)」

 民衆と竹内均―科学を社会へ伝える

物理学の理解には個人の勉強も必要ですが、
学問の性質上、万物を人がどう考えるか
(モデル化していき理解するか)
という論点が欠かせません。

個人が理解するという考え方と同時に日本人が、
そして人類が理解していくというプロセスが欠かせません。

大衆にも理解出来る物理モデルが作れた時に理論は出来上がる
のです。ギブスの文章を書くときに協調しましたが
「数学者と物理学者の視点は異なる」のです。

数学は論理として完結しているモデルであれば
現実と対応が付かないでも問題がないです。
そんなものです。

物理学は絶えず現実と対応する理論を作らないと
意味がありません。特定の事例で有効でも
大衆が間違えやすい理論を構築できないのです。

竹内均はそういった民衆との対話をとても大事にしていました。

物理学は、研究者だけが理解していれば終わる学問ではありません。

自然現象を観測し、そこからモデルを作り、数式によって理論として
整理していくことが研究者の仕事だとすれば、そこで得られた
知識を社会へ伝えていくことも、科学が根付くためには重要です。

ここで注意したいのは、「一般の人が理解できること」が
物理理論の成立条件ではない
ということです。
物理学の理論は、観測や実験との対応、理論内部の整合性、
そして現象を説明・予測する能力などによって検討されます。

竹内均が果たした役割は、その科学的な理論を、
専門家だけの言葉に閉じ込めなかったところにあります。

難しい数式や専門用語をそのまま並べるのではなく、図や文章、
身近な例を使いながら、一般の読者が「何が起きているのか」を
イメージできるようにする。その仕事を長年続けたのが竹内均でした。

この意味では、寺田寅彦にも通じるものがあります。寺田寅彦も
物理学者でありながら随筆を通して科学と日常生活を結びつけて考えた人物でした。

ただし、竹内均の場合は、その活動をさらに大きな出版・編集の仕事へと
発展させました。その代表例が、1981年に創刊された科学雑誌Newtonです。

つまり竹内均を考えるとき、「地球物理学者」と「科学の伝え手」を
別々に考える必要はありません。
地球物理学を研究した経験を背景に、
地球や宇宙の現象を一般の人にも伝わる言葉へ置き換えて
いったことが、竹内均という人物の大きな特徴だったと考えられます。

研究によって自然を理解する。そして、その理解を社会へ戻していく。

竹内均の仕事は、この「研究と啓蒙をつなぐ役割」
として観ると分かりやすいでしょう。

科学雑誌NEWTONの創刊

竹内均 が日本の科学啓蒙で特に大きな役割を果たしたのが、
科学雑誌 ニュートン の創刊です。

1981年に創刊されたこの雑誌は、一般の読者に向けて科学
をわかりやすく解説することを目的としていました。

それまで日本では、専門的な学術誌か、あるいは子供向けの科学雑誌が中心で、
大人向けの本格的な科学解説雑誌はあまり存在していませんでした。

竹内は、複雑な理論でも図解やイラストを用いれば理解できる
という考えを持っていました。そのためNEWTONでは、
大胆な図解と分かりやすい解説を組み合わせる編集方針が採られました。

このスタイルは日本の科学出版に大きな影響を与え、
現在でも多くの読者に親しまれています。


竹内均の事実( 地球内部構造研究/プレートテクトニクス)

竹内均は地球物理学者として地震波・地球内部構造
の研究を行いました。地震波の解析から

地球の内部構造を理解する研究

を行ったのです。これは地球内部構造研究の重要分野です。


竹内均はプレートテクトニクスを日本で広めた一人です。1960年代~70年代に
この理論が確立した時、日本でも理解を広める役割を果たしました。

竹内均は東京大学の地球物理学教授でした。
研究者としての基盤はここです。

 竹内均と地球物理学

竹内均の仕事を考えていくと寺田寅彦の系譜です。
具体的には直接の講義・指導を受けていない孫弟子
にあたります。

地球物理学に関心を持って、特にプレートテクトニクス理論
を広く広めています。実際に地面が少しずつ動いていく様子
を伝える際に物理学者として地球の内部構造や
境界面での様子を伝えたのです。
深い知見を持って伝えたのです。

そして何より、

竹内均さんの独特の「優しい言葉」で伝えたのです。

関連する物理学者・科学者

竹内均の歩みは、近代日本の地球物理学から、一般社会へ科学を
伝える啓蒙活動へとつながっています。特に東京大学を中心とした
日本の物理学の系譜を見ると、次の人物とのつながりが見えてきます。

◀ 前の人物:久保亮五

▶ 次の人物:中嶋貞雄

この分野の物理学者(地球物理学・日本の物理学)

  • 寺田寅彦 ― 地球物理学と科学随筆
  • 田中舘愛橘 ― 日本の地球物理学・測地学の先駆者
  • 和達清夫 ― 地震学・地球内部の研究
  • 久保亮五 ― 統計力学・物性物理学
  • 竹内均 ― 地球物理学・科学啓蒙
  • 中嶋貞雄 ― 物性物理学・超伝導研究

東京大学から見る竹内均

竹内均を日本の物理学の流れの中で眺めるなら、
東京大学関連の物理学者
も合わせて読むと、人材と研究分野のつながりが見えてきます。

20世紀の物理学者として見る

1920年生まれの竹内均は、
20世紀生まれの物理学者
の流れの中にも位置づけられます。
同時代には久保亮五、南部陽一郎、中嶋貞雄などがおり、
研究分野の違いを比較することで、20世紀日本の
物理学の広がりを見ることができます。

分野から見る竹内均

地球物理学だけでなく、力学や日本の物理学の
歴史から竹内均を眺めることもできます。

力学関連の物理学者
では、寺田寅彦から竹内均へと続く
日本の物理学の流れも確認できます。

 

〆

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(2021年11月時点での対応英訳)

Hitoshi Takeuchi’s glasses

The image of Hitoshi Takeuchi in me is

It is a commentator with characteristic glasses.

In fact, he was like that during his writing activities.

I have published a lot of books, but the work is a tape recorder

It’s all about recording to. There is a secretary who wakes up in the text

Work together It’s a unique way of writing.

 

Still, I don’t have a bad impression from my personality. It’s a personality that people like. Hitoshi Takeuchi is said to have been a strict and child-friendly person. His unique speaking tone was impressive, and he spoke to people with an easy-to-listen voice and an easy-to-listen rhythm. I supervised a lot of biographies for children, and there was a small name of Hitoshi Takeuchi on the cover of “Mrs. Curie’s biography” and “Edison’s biography”. Continuing to think about such enlightenment activities, as the first editor-in-chief of NEWTON, I will make educational books for the general public in Japan as well.

People and Hitoshi Takeuchi

Understanding physics requires individual study, but due to the nature of scholarship, the issue of how people think of everything (modeling and understanding) is indispensable. At the same time as the idea of ​​individual understanding, the process of understanding by the Japanese and humankind is indispensable. The theory is completed when a physical model that can be understood by the general public is created. I collaborated when writing Gibbs’ writing, but “the perspectives of mathematicians and physicists are different.” If mathematics is a model that is complete as logic, there is no problem even if it does not correspond to reality. That’s it. Physics is meaningless without constantly creating a theory that corresponds to reality. Hitoshi Takeuchi cherished such dialogue with the people.

Hitoshi Takeuchi and Geophysics

Considering Hitoshi Takeuchi’s achievements, it is the genealogy of Torahiko Terada. Specifically, he is his grandchild who has not received direct lectures or guidance. He has an interest in geophysics and is particularly widespread in plate tectonics theory. As a physicist, he told us about the internal structure and boundaries of the Earth when he actually told us how the ground was moving little by little. He conveyed it with deep knowledge. And above all, I conveyed it with Hitoshi Takeuchi’s unique “gentle words.”

〆

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こんにちは。コウジです。

半年ごとの改定ですが、改訂点は英訳の削除です。

(以下原稿です)

ピタゴラスの定理100の証明法
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【BC582 ~ BC496】


【出典:Wikipedia:ローマのカピトリーノ美術館にある
サモス島出身のピタゴラスの胸像】

謎に包まれたピタゴラスの人生

ピタゴラスは古代ギリシャの数学者です。

皆さんもピタゴラスの定理(三平方の定理)

という言葉は聞いた事があると思います。

初等幾何学で出てくる話で、色々と応用が効きます。

同じギリシャのデモクラテスは朗らかなイメージ
なのに対し、ピタゴラスのイメージは暗く
謎に包まれています。現在のトルコ西部にあたる
サモス島周辺で生まれたとされています。そして、

その後は現代に余り情報が残っていません。そもそもピタゴラスが
組織したと言われた教団は秘密主義を徹底して、組織内の話を外部に漏らす
ことを厳しく禁じました。実際に秘密結社ですから掟に背いた時は罰を受け、
海に突き落とされたとも言われています。

何度聞いても残酷な話しみたいで、その時代の人は泳げなかったから
死刑に相当しました。ピタゴラス教団の強い秘密主義のため
内部の教義や活動内容は外部にほとんど伝えられていません。
そのため、掟に背いた場合の厳しい処罰があったとする他の記述も残されて
いますが、
具体的な内容については後世の伝承による部分が多く、
史実としては慎重に扱う必要があります。

斯様な(かような;こんな感じの)秘密主義の教団
だったので、ピタゴラスの肖像画も見れませんし、遺稿も無いそうです。

我々がピタゴラスの人物像を垣間見れるのは2次情報で、教団との
関わりが無くなってきた御弟子さんの話とか著作物なのです。
そうした2次情報によると、ピタゴラスの若い時代にはエジプトや
インドを旅したりしていて、幾何学、天文学、算術、比率、宗教密儀、
ゾロアスター教などに関わりピタゴラスは知識を深めました。

 ピタゴラスの独自性

ピタゴラスの考え方で特徴的なのは、「あらゆる事象には数的な秩序が内在
している」と考えた点です。つまり、音の高さ、星の運行、人間の体のバランス
といった自然現象の背後には共通する数の法則があるという発想です。

例えば身近な所では「血圧が高いから塩分控えないといけないねぇ。」
といった会話が出来ているのは有益です。昔の人には分からない会話です。
「定量的に物事を理解・整理してみよう。」という発想は凄いのです。 

確かに後の理解で整理すると、その時々に万物には質量があり、
「固体・気体・液体」といった状態があり、空間上で占めている体積があって、
その時の温度があります。

その後の学者たちは、長さ・重さ・時間・温度などを数で表し、自然現象の
法則を定式化していくことになります。ピタゴラスは、そうした
「現象を数値で表す」という科学の基礎的な視点を最初に提示した
人物の一人と言えるでしょう。そうした議論の土壌をピタゴラス
は作り始めたと言えます。これは、人間が世界を「感覚」ではなく
「数量」で理解しようとした最初の一歩であり、後の科学や哲学の
発展にとって非常に大きな進歩でした。なお、
「ピタゴラスの定理」自体は彼以前の文明でも知られていた可能性があり、
ピタゴラス学派によって体系化されたと考えられています。

 

特に音楽では、弦の長さの比が音程の違いを生むことを実験的に示し、
「数で美や調和を説明できる」という画期的な考えを提示しました。
これは後の天文学や物理学にもつながる発想でした。

ピタゴラス学派の活動と顛末

エジプトでは幾何学と宗教の密儀を学び、フェニキアで算術と比率の知識を得て、
ゾロアスター教の司祭のもとで学んだといわれています。そうした修行・研修
の時期を過ごした後にピタゴラスはイタリア半島を拠点とし活動しています。

色々な人々をピタゴラスは言動で惹き付け、やがては沢山の弟子を集めピタゴラス学派(ピタゴラス教団)と呼ばれる団体を組織します。この組織にはいつしかパトロンが出来たりした時期もあったのですが、組織に対抗する人も出てきたりして、最終的には暴動が起きてしまいピタゴラスも殺されてしまったようです。物凄く価値のある定式化を行った人があっけない最期を遂げています。ピタゴラスは輪廻転生を考えて菜食主義で健全な体を作ろうと努力したそうです。しかし人徳のない最期を遂げているのです。暴力反対。

〆最後に〆

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久保 亮五
【線形応答理論を使ったフーリエ変換NMR理論を展開】‐10/1改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

デジタルフーリエ変換
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【1920年2月15日生まれ ~ 1995年3月31没】


【出典:Wikimedia Commons‗久保亮五】

物理学者久保亮五

久保亮五と同名(漢字違い)の別人が居ますが、
以下記載は物理学者に関する文章で、ここでの
久保亮五は統計力学で私が使った教科書の著者です。

私の指導教官は久保先生の講義を受けていたそうです。
そんな時代の物理学者についての記載です。

久保亮五は学者肌の家で育ち、中国文学者であった
お父様の仕事で子供時代には台湾で生活しています。
高校まで台湾で過ごし、帰国後に旧制高校へ入学、
東大へ入学、その後に助手、助教授、教授をつとめました。

久保亮五の業績

 なにより先ず1957年に日本物理学会誌で発表した久保公式です。
原子や分子のミクロな現象を上手く説明します。

なにより先ず1957年に発表した「統計力学的不可逆過程論」です。
この研究は、外部から小さな摂動を加えたとき、物質が
どのように応答するのかを、平衡状態における揺らぎや
時間相関から記述する線形応答理論として発展しました。

この研究の中心となった1957年の論文
「Statistical-Mechanical Theory of Irreversible Processes. I」
は、Journal of the Physical Society of Japanに掲載されています。
(手前味噌ですが、後に私の指導教官がJPSJの編集用を務めました)
現在でも多数の研究から引用されており、久保公式が統計力学・物性物理学
における重要な理論的枠組みとして受け継がれていることが分かります。

引用数は利用する文献データベースや集計時期によって変化するため、
ここでは特定の数字を断定しません。久保公式を生んだ
1957年の研究そのもの
に注目したいと思います。

(参考:日経新聞2024年5月4日の記事「成果に名を刻んだ日本人」会員限定)
平衡状態にある系に対してハミルトニアンと密度行列を用い、そこに小さな
摂動を加えることで、時間発展する物理量の応答を記述することができます。。

その他に久保亮五の仕事で何より特筆すべきは
物性論での成果です。ゴムの弾性に関する研究と、
線形応答理論を使ったフーリエ変換NMRへの応用研究
があげられます。その他のコンピューターシュミレーション
でも久保亮五が確立したモデルは有効です。

単純に「実験屋さん」とか「理論屋さん」と区別出来ません。
どちらも深く兼ね備えている研究を久保亮五はしていたのです。
試料の純度が実験結果に大きく関わるような実験を
沢山の試行錯誤を重ねて一つ一つ成し遂げてきたのです。

久保亮五の理論と評価

久保亮五の代表的な業績として知られているのが
**線形応答理論(linear response theory)**です。

物理学では、外部から小さな刺激が加えられたときに
物質がどのように応答するかを調べることが重要になります。

例えば、

  • 電場を加えたときに電流が流れる

  • 磁場を加えたときに磁化が変化する

  • 温度差があると熱が流れる

といった現象です。久保亮五はこれらの現象を統計力学の立場から
統一的に記述できる理論を作りました。特に有名なのが

久保公式(Kubo formula)

と呼ばれる関係式です。この公式によって

  • 電気伝導率

  • 磁気応答

  • 熱輸送

といった物性の重要な量を
ミクロな量子力学から計算する道筋が示されました。

現在のナノ物性、量子輸送、スピントロニクスなどの研究でも、
この理論は基本的な枠組みとして使われています。また、1957年論文
Statistical Mechanical Theory of Irreversible Processes

も特筆すべきです。統計力学の歴史的論文の一つです。

線形応答理論と久保公式は、現在の統計物理学・物性物理学で
用いられる基本的な理論的枠組みの一つです。

さらに久保亮五は日本物理学会の会長も務めています。
また、東京大学では統計物理学の研究拠点を形成しました。

久保亮五とNMR

久保亮五の基礎理論を構築したNMRの概説を
一般の人向けに記してみたいと思います。
先ずフーリエ変換理論は端的には
「時系列の波形を周波数を基準に考えた
波形に変換して解析する技術」です。

そうした「数学的に確立されているフーリエ変換」
を理論的基礎として電子回路で応用されています。
離散化された電気信号に対して回路上で
実質的にマトリクス変換を加えます。

さて、ここからちょっと医療機器の話になります。

診察で実際にNMRを使った経験のある人はNMRの中で
測定を受けている時を思い出してみてください。

(Credit:Pixabay)

久保亮五とNMR――線形応答理論が測定につながる

久保亮五の研究を一般の読者に伝えるうえで、NMR(核磁気共鳴)との関係は
興味深い例になります。ただし、ここで重要なのは、久保亮五がMRIそのもの
を発明したということではなく、物質に外部から刺激を加えたときに
現れる応答を、統計力学から記述する理論を築いた
ことです。

1957年に発表された久保の線形応答理論では、外部から小さな摂動を加えたとき、
系がどのように応答するかを、系の時間的な揺らぎや相関と結びつけて
記述します。原論文では、磁気的・電気的な応答や電気伝導などが
具体例として扱われています。

NMRでも、外部から電磁波を加えることで原子核のスピンが応答し、
その信号を測定します。測定された信号には時間変化として
情報が含まれており、そこから周波数領域の情報を
取り出すためにフーリエ変換が重要な役割を果たします。

つまり、久保亮五の研究をNMRから見ると、単に「NMRの理論を作った」
という話ではありません。外部からの刺激に対する物質の応答を、
ミクロな物理と結びつけて理解する
という久保の理論が、
磁気共鳴をはじめとする物性研究の考え方につながっているのです。

NMRとMRIは同じものではない

なお、病院で頭部などを撮影する装置については、現在では一般に
MRI(磁気共鳴画像法)と呼びます。NMRはその基礎となる
核磁気共鳴現象・測定法を指す言葉として理解した方が適切です。

MRIでは強い静磁場と電磁波、さらに磁場勾配を利用して、体内の
水素原子核などから得られる信号を位置情報と結びつけ、
画像を作ります。したがって、「強磁場を頭部に二次元的に与える」
というより、磁場と電磁波、磁場勾配を組み合わせて空間情報
を持った信号を取得する
と説明する方が正確です。

久保亮五の本記事でMRIを詳しく考えすぎる必要はありません。
むしろ、「久保の線形応答理論が、物質の応答を理解するための
一般的な理論であり、その考え方が磁気共鳴の研究にもつながる」
というところで止める事で、全体理解の焦点が明確して頂きたいです。

こうして見ると、久保亮五の仕事は1957年の一つの公式に終わるもの
ではありません。ミクロな揺らぎとマクロな応答を結びつける統計力学の
考え方として、現在の物性物理学や輸送現象の研究にもつながっています。

(Credit:Pixabay)

最終的な写真で見える画像は、
これらの処理の結果です。

そして今、久保亮五はこの世に居ませんが、
その仕事を応用したNMRは世界中の病院で
患者達の情報を集めています。きっと今、
この瞬間も医療行為の中
NMRの機械が動いています。

【参考:東大理学部での退官当時の広報】

関連する人物

久保亮五の研究は、統計力学から物性物理学へ、さらに
輸送現象・磁気共鳴・量子輸送へと広がっています。
また、東京大学を中心とした日本の物理学研究の流れから見ることもできます。

◀ 前の人物:リチャード・P・ファインマン

▶ 次の人物:中嶋貞雄

この分野の物理学者(統計力学・物性物理学)

久保亮五とつながる研究分野

  • 線形応答理論
  • 揺動散逸定理
  • 非平衡統計力学
  • 輸送現象
  • 物性物理学
  • NMR・磁気共鳴

東京大学の物理学者

東京大学に関係する物理学者
をたどると、久保亮五につながる日本の物理学史を見ることができます。

20世紀の物理学者を生年順にたどる場合は、
20世紀生まれの物理学者・数学者
から関連する人物を探すことができます。

 

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(2021年11月時点での対応英訳)

Physicist Ryogo Kubo

There is another person with the same name (different Chinese characters) as Ryogo Kubo, but the following is a sentence about a physicist, and Ryogo Kubo here is the author of the textbook I used in statistical mechanics. My supervisor took a lecture. This is a description of physicists of that era. Ryogo Kubo grew up in a scholarly-skinned house and lived in Taiwan as his childhood for his father’s work. He spent his time in Taiwan until high school, and after returning to Japan he entered a high school, the University of Tokyo, and then an assistant, associate professor, and professor.

Achievements of Ryogo Kubo

The most notable thing about Ryogo Kubo’s work is the result of condensed matter theory. His research on the elasticity of rubber and his applied research to Fourier transform NMR using linear response theory can be mentioned. I would like to write an overview of NMR that Ryogo Kubo thought about for the general public. First of all, the Fourier transform theory is simply “a technology that converts a time-series waveform into a waveform that is considered based on frequency and analyzes it.” Such “mathematical established Fourier transform” is applied in electronic circuits as a theoretical basis. Substantially matrix transformation is applied on the circuit to the discretized electrical signal.

Ryogo Kubo and NMR

If you have actually used NMR in a medical examination, remember when you were taking measurements in it. A strong magnetic field is applied to the human head two-dimensionally when examining the inside of the head. There is a loud noise at that time, but the impulse-like information is mechanically processed in that time series to obtain information on the frequency response. As a result, the information of each spin is collected by measuring the absorption spectrum, and finally the image of the cross section is processed from there. The image you see in the final photo is the result of these processes.

And now, Ryogo Kubo is not in the world, but NMR, which applies his work, collects information on patients at hospitals around the world. I’m sure I’m collecting this moment as well.

〆

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アイザック・アシモフ
【「ロボット3原則」で有名なSF作家】‐9/30改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

ロボット戦士
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【1920年1月2日 ~ 1992年4月6日】


【出典:Wikimedia Commons‗アイザック・アシモフ】

アシモフの人物像

今回、少し物理から離れます。アシモフは

「ロボット3原則」で有名なSF作家です。

アシモフが考えた「ルールで縛られたロボット」の問題

アシモフのロボット作品が現在でも興味深いのは、ロボットが単純に
「人間の命令に従う機械」として描かれていないことです。

三原則を与えられたロボットであっても、実際の状況では
「人間に危害を与える」とは何を意味するのか、
「命令」と「人間を守ること」が衝突した場合には
どちらを優先するのか、といった問題が発生します。

アシモフは、こうした矛盾を単純な悪意のあるロボットの話にせず、
ロボットがルールを忠実に守ろうとするからこそ問題が起こるという形で物語にしました。

ここにアシモフのロボットSFの面白さがあります。問題は
「ロボットが悪意を持つかどうか」だけではありません。

人間が与えたルールそのものが曖昧だったり、複数のルールが
衝突したりすれば、善意で動くロボットでも予想外の結果を生み出します。

この考え方は、現在のAI倫理やAIガバナンスを考える際にも
興味深い視点になります。ただし、アシモフが現在のAIや自律型兵器を
具体的に予言したという意味ではありません。

むしろ重要なのは、高度な機械に判断を委ねるとき、人間は
どのような目的と制約を与えるべきなのか
という問題を、アシモフが
20世紀半ばのSF作品の中で繰り返し考えたことです。

現在のAIを考える場合にも、「AIに悪意があるか」という問いだけでは
十分ではありません。人間が設定した目的、データ、制約、優先順位が
適切なのか。そして複数の目的が衝突したとき、最終的に誰が判断するのか。

このように考えると、アシモフのロボット三原則は現在のAIを直接説明する
規則ではありません。しかし、
「人間が機械に判断を委ねるとき、どのようなルールが必要なのか」
を考えるための古典的な思考実験として、今でも読む価値があります。

 

?具体的に3原則とは?

第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。
また、その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない.

第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。

第3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、
自己を守らなければならない。

となります。

悪い人が善人を攻撃しなさいと命じたらどうなるか?
と考えていくと議論のネタになるのですが、
そうした考察を現代の我々は当然していかなければ
いけない段階に来ています。
鉄腕アトムも色々と悩んでいましたよね。

最近のウクライナ紛争ではドローンが強力な兵器となり、
白兵戦での戦局に影響を与えています。

平和利用として地雷探査ロボが活躍していますが、
殺傷能力を持ったロボットが戦う日も想定できます。
ロボットの動きは正確で素早く、人間よりもはるかに高い機動性を
持っています。そのため、もし殺傷能力を持つロボットが戦場に投入
された場合、その影響は極めて大きいものになる可能性があります。

何故ならロボットに殺されていく貧しい国の人々が
想像出来るからです。今の時代は尚更、
無念な死が現実として迫ってきているのです。

過去に、人類は核兵器を具現化して
暗黒の歴史を作りました。悲劇は繰返しありません。

ロボットのもう一つの懸念は判断です。
今やAIで判断が進み、更に進化していけば
人間が初期設定を誤る時点でロボット群が
人間に不利益を働くかもしれません。
ロボットに悪意が無くとも不利益を働きます。 

実際のアシモフの研究分野としては生化学なのですが、
作家としての顔の方が有名ですね。

また調べてみるとアシモフはロシア生まれでした。
リニアモーターカーが走る今日の世界を見せてあげたいと、
個人的には考えてしまいます。また、もはやロボットも日常的ですよね。

そんな未来をアシモフは20世紀の初めにに予見していました。

20世紀の知見で機械化が進む未来を描き、進んだら
どうなるだろうと考えますが、好ましい方向性を指摘して
大衆に問いかける。つまり、科学の夢を投げかけていたのです。

ロボット三原則の拡張

アイザック・アシモフは、後年になってロボット三原則の前に
新しい原則を追加しました。それは次の「第0原則」です。

第0条:ロボットは人類に危害を与えてはならない。
また、その危険を看過することによって人類に危害を及ぼしてはならない。

この原則は、後の作品で登場します。つまり、

人間 individual より人類 humanity を優先する

という思想です。

この考え方は一見合理的に見えますが、重大な問題を含みます。
例えば、一部の人間を犠牲にすれば人類は救われるのか、
AIが人類の利益をどう定義するのか、という問題が生じるからです。

実際、アシモフ自身の小説では、この原則が原因でロボットが
複雑な倫理的ジレンマに陥ります。現在議論されている

AI倫理・AIガバナンス

の問題は、実はすでにアシモフの作品の中で描かれていたとも言えます。


アシモフの事実


① ロボット三原則が初めて登場した作品

1942年の短編:Runaround

この作品で
初めて三原則が明文化されました。


② 「ロボット」という言葉の由来

「ロボット」という言葉は実はアシモフではなく

カレル・チャペックの戯曲R.U.R.(1920年)が起源です。

ただし、ロボット倫理を作ったのはアシモフです。


③ アシモフの最大のシリーズ

アシモフはSF史上最大級のシリーズを書いています。

Foundation series

このシリーズでは

数学で未来社会を予測する「心理歴史学」

という概念が登場します。

これは、ビッグデータ・社会シミュレーションを
先取りしていたとも言われています。

アシモフの作家デビュー

アシモフは1938年に初めてのSF作品を雑誌に持ちかけて認められ、
1939年から作家デビューしています。

才能を認めるアメリカっぽいですね。
この年にコロンビア大学を卒業して大学院に進みます。

所謂、ロボット三原則などを提唱していますが、
時代は第二次大戦に向かう時代で
アシモフは学校を休学したりしています。

科学が知識を集めるスピードの速さにアシモフは驚愕していて、
社会が叡智を集結する事を求めていました。
相変わらず分断している世界をどう見るのでしょうか。

意外な結末

そして、意外な最後なのですが、アシモフは

1992年にHIV感染が元でこの世を去ってます。

心臓バイパス手術の時に使用された
輸血血液が感染源のようです。

本当に色々と経験されてきた人生だったと思います。

関連する人物

アシモフは物理学者としてではなく、科学者としての知識を背景に、
ロボット・人工知能・未来社会をSFの中で考え続けた人物です。
その問題意識は、現在のAI倫理やAIガバナンスを考える際にも興味深い視点を与えてくれます。

◀ 前の人物:リチャード・P・ファインマン

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この分野につながる科学者・SF作家

ロボット・AI・科学を考える

  • ロボット三原則
  • AI倫理
  • AIガバナンス
  • 人工知能と人間の関係

20世紀の科学者を生年順にたどる場合は、
20世紀生まれの物理学者・数学者
から関連する人物を探すことができます。

 

〆

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〆

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全てのメールを読んでいます。
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(2021年11月時点での対応英訳)

Asimov’s portrait

This time, I’m a little away from physics. Asimov is a science fiction writer famous for “Three Laws of Robotics”. Biochemistry is the actual research field of Asimov, but his face as a writer is more famous. When I looked it up, Asimov was born in Russia. He personally wants to show us the world of today’s maglev trains. Also, robots are no longer commonplace. Asimov foresaw such a future in the 20th century. He envisions a future of mechanization with his knowledge of the 20th century, and wonders what will happen if it progresses, but he points out a favorable direction and asks the public. In short, he was throwing a dream of science.

Asimov’s writer debut

Asimov was recognized for his first science fiction work in a magazine in 1938, and has made his debut as a writer since 1939. He’s like America, who recognizes his talent. He graduated from Columbia University this year and went on to graduate school.

He advocates the so-called Three Laws of Robotics, but Asimov is taking a leave of absence from school in the era of World War II. Asimov was amazed at the speed at which science gathered knowledge, and he wanted society to gather wisdom. How does he see the world that is still divided?

Unexpected ending

And, surprisingly, Asimov died in 1992 due to HIV infection. He seems to be infected with the transfused blood used during heart bypass surgery. I think he really had a lot of experience in his life.

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R・P・ファインマン
【天才|経路積分やファインマンダイヤグラムを考案】‐9/29改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

経路積分
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【1918年5月11日 ~1988年2月15日】


【出典:WikipediaCommons‗Public domain‗
Engineering and Science, In1960‗Richard Feynman circa 1960.jpg】

アメリカのファインマン

有名な教科書の著者で、私が学生時代からその著書は
日本で使われていました。世界中でその教科書は使われています。
またファインマンは量子電磁気学の業績で
朝永 振一郎と共にノーベル賞を受賞しています。。

具体的に、ファインマンの名を聞いて
真っ先に思い出す業績は経路積分です。
数学的な定式化が驚異的なのです。

【参考_Wikipedeiaの記載:経路積分】

その発想はとてもユニークだとも言えます。

ファインマン流の物理の考え方

リチャード・ファインマンの魅力は、単なる数学的能力ではなく
「物理の考え方」にありました。彼はしばしば、
難しい理論をできるだけ直感的な形で理解しようとしました。

有名なエピソードとして、学生時代から「問題を図で考える」
という癖があったと言われています。その姿勢が後に、
素粒子の相互作用を線と点で表す ファインマン・ダイアグラム
へと結実しました。

この図式化の方法は、量子場理論の計算を劇的に簡単にし、
現在でも世界中の物理学者が日常的に使っています。

数学的な式だけでなく「図で考える」という方法を確立したことは、
理論物理学の文化そのものを変えたとも言われています。

また、ファインマンは「理解していないものは説明できない」という考え
を持っていました。彼は講義の中で「一年生に説明できなければ、本当には
理解していない」という言葉を残しています。そのため、
彼の講義は非常にわかりやすく、後にまとめられた
教科書は世界中で読み継がれることになりました。

ファインマン・朝永・シュウィンガーと量子電磁力学

ファインマンを語るうえで欠かせないのが、朝永振一郎、
そしてジュリアン・シュウィンガーとの関係です。

第二次世界大戦後、量子電磁力学(QED)には計算すると無限大になる項が
現れるという大きな問題がありました。ファインマン、朝永、シュウィンガーは、
それぞれ独立した方法からこの問題に取り組み、観測可能な物理量を
有限の値として計算できる理論を発展させました。

ファインマンは経路積分をはじめとする独自の定式化を発展させ、さらに
ファインマン・ダイアグラムによって摂動計算を図式化しました。一方、
朝永振一郎は超多時間理論を基礎として相対論的な量子電磁力学を構築し、
くりこみの考え方を体系化しました。

方法は異なっていても、両者は「量子力学と電磁気学を矛盾なく結びつけ、
実験と比較できる理論にする」
という共通の問題に取り組んでいました。

1965年、ファインマン、朝永、シュウィンガーの3人は、
この量子電磁力学における基礎的研究によってノーベル物理学賞を受賞しました。

読者諸氏もファインマンの記事から朝永振一郎の記事へ、そして朝永の記事から再び
ファインマンへ戻ることで、日本の量子電磁力学研究とアメリカの理論物理学を
一つの研究史として回遊できる時間
になります。


ファインマンの残した事実

誠実なお人柄を感じさせるエピソードをご紹介いたします。

1️⃣ ノーベル賞の正確な内容

1965年、リチャード・ファインマン‗朝永振一郎‗ジュリアン・シュウィンガー

の3人が量子電磁力学(QED)の再正規化理論で受賞。


2️⃣ 世界で最も有名な物理の教科書

The Feynman Lectures on Physics

これは史上最も有名な物理教科書の一つ

と言われています。

カリフォルニア工科大学の講義を本にしたものです。


3️⃣ スペースシャトル事故の調査

1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故

の調査委員会に参加。テレビ中継で

ゴムリング(Oリング)を氷水に入れる実験

を行い事故原因を説明したことで有名です。

経路積分の考え方

ファインマンの理論物理学を理解するうえで、代表的な仕事の一つが経路積分です。

通常の古典力学では、ある時刻の位置と速度などを決めれば、物体がどのような
経路を通るのかを考えることができます。ところが量子力学では、粒子が二つの場所の間を
移動するとき、古典力学のように「ただ一つの経路」を考えるだけでは十分ではありません。

ファインマンは、粒子が始点から終点へ移動する際に考えられるさまざまな経路からの量子力学的な
寄与をすべて足し合わせる
という考え方を導入しました。これが経路積分の基本的な発想です。

ここでいう「すべての経路」は、粒子が実際に無限本の道を同時に通過している
という意味ではありません。量子力学で観測される遷移振幅を計算するために、
可能な経路それぞれに対応する振幅を考え、それらを数学的に足し合わせるという定式化です。

この考え方をダブルスリット実験と結びつけて考えると、直感的に理解しやすくなります。
二つのスリットを通る場合だけでなく、出発点から到着点までのさまざまな経路を考え、
それぞれの経路に対応する位相を持った振幅を加えることで、最終的な干渉パターンを説明できます。

そして、経路積分の考え方は単なる量子力学の解釈ではありません。量子場理論、
とりわけ量子電磁力学(QED)を計算するための強力な枠組みへと発展していきました。

ここから生まれたもう一つの代表的な道具がファインマン・ダイアグラムです。

ファインマン・ダイアグラムという「図で考える」方法

ファインマン・ダイアグラムは、素粒子の相互作用を線と頂点を使って
図式化する方法です。単なるイラストではなく、量子場理論における
摂動計算の各項を整理して表現するための数学的な道具になっています。

電子や光子などの粒子の伝播、粒子同士の相互作用を図として表現することで、
複雑な計算の構造を視覚的に把握しやすくなりました。現在でも
素粒子物理学における摂動計算で広く使われています。

つまりファインマンの重要性は、「計算を簡単にする図を発明した」という
だけではありません。量子力学・量子場理論を、物理的なイメージと
数学的な計算を結びつけながら扱う方法を発展させた
ところにあります。

経路積分とファインマン・ダイアグラムは別々の業績に見えます。しかし、
どちらもファインマンが「量子現象をどのように計算し、どのように
物理的に理解するか」を追究した結果として見ることができます。

もう少し具体的にファインマンの考えを紹介しますと、
「ダブルスリットの実験を拡張した場合に、
無限の経路を想定すると何も無い空間
を考える事になっていく」という考え方なのです。

この経路に関するファインマンの考え方には数学的な難点
も指摘されているようですが物理の世界では非常に面白い
考えであり、進めて考えていきたい視点です。

また、素粒子の反応を模式化したファインマンダイアグラムは
視覚的に、直感的に秀逸です。本当に天才の技に見えました。

業績の話が先行しましたが、最後に
生い立ち,人つながりの話を致します。

ファインマンはユダヤ系の家庭に生まれました。当時のアメリカの大学には、
いわゆる「ユダヤ人枠制限」が存在しており、入学が容易ではない
時代でもありました。それでも彼は才能を認められ、後にMIT、
さらにプリンストン大学で研究を進めていきます。

電気力学の量子論についてのゼミをプリンストン大学で
行うことになった時には、ゼミの話を聞きつけて
ユージン・ウィグナー、ヘンリー・ノリス・ラッセル、
フォン・ノイマン、E・パウリ、アインシュタイン
が参加していたそうです。天才大集合ですね。

そして、ファインマンはアインシュタインと共に
原爆開発の計画であるマンハッタン計画に参画しています。その中で、率直に意見を述べたメモが
没後の2018年にサザビースで落札されています。

関連する人物

ファインマンの研究は、量子力学から量子電磁力学へ、さらに量子場理論や
量子情報へとつながっています。また、プリンストンやロスアラモスでの
研究生活をたどると、多くの物理学者との人的なつながりも見えてきます。

◀ 前の人物:デヴィッド・ボーム

▶ 次の人物:久保亮五

この分野の物理学者(量子力学・量子電磁力学)

量子電磁力学からつながる物理学者

20世紀の物理学者を生年順にたどる場合は、
20世紀生まれの物理学者の纏め
から関連する人物を探すことができます。

 

〆

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American Feynman

He is the author of a well-known textbook, and his book has been available in Japan since I was a student. The textbook is used all over the world. He has won the Nobel Prize with Shinichiro Tomonaga for his achievements in quantum electrodynamics. .. Specifically, the first achievement that comes to mind when I hear Feynman’s name is path integral.

The mathematical formulation is amazing.
[Reference_Wikipedeia description: Path integral]

Concept of path integral

Two, three, four, … infinite routes that can be expanded when considering the two routes first and then the contributions from each. And expand the route to infinity. To introduce Feynman’s idea a little more concretely, the idea is that if we expand the double-slit experiment, we will think of an empty space. It seems that Feynman’s way of thinking about this path has some mathematical difficulties, but it is a very interesting idea in the world of physics, and I would like to continue thinking about it. In addition, the Feynman diagram, which models the reaction of elementary particles, is visually and intuitively excellent. It really looked like a genius.

I talked about achievements first, but at the end I will talk about how I grew up and how people connect. Feynman is struggling because he is Jewish. There was a time when he couldn’t enter university because of the Jewish quota, but he pursued research at MIT and Princeton University. When it was decided to hold a seminar on quantum theory of electromechanics at Princeton University, Eugene Wigner, Henry Norris Russell, von Neumann, E. Pauli, and Einstein were attending the seminar. is. Feynman and Einstein are participating in the Manhattan Project, a plan to develop the atomic bomb.
Among them, a memo that frankly expressed his opinion
It was sold at Sotheby’s in 2018 after his death.

〆

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D・J・ボーム
_【マンハッタン計画に参画しボーム解釈を提唱】‐9/28改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
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現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

ロシア革命
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【1917年12月20日 ~ 1992年10月27日】

【出典:Wikimedia Commons‗David Bohm portrait】

 ペンシルバニアに生まれたボーム

細かく記載すると、その名は、

デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_

David Joseph Bohm、ヘブライ語表記

ではדייוויד ג’וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。

偶然ですが、ボームはロシア革命の年に生まれてます。
閉塞的な社会が打破された様子を新大陸で知ったのです。

そんな時代背景もボームの人生に影響を残しているのでは
ないでしょうか。ハンガリー系‎‎ユダヤ人の父と
リトアニア系ユダヤ人の母の間に
ペンシルベニア州で生まれ、
UCB(カリフォルニア州立大学バークレー校)で
オッペンハイマーの教えを受けます。

そんな時期に学生時代に当時の知人の影響で
思想的に影響を受け、異なった社会モデルを持つ
急進的な主義の考えをボームは抱きます。
後にはその為にFBIにマークされます。

ボーム解釈と量子力学

デヴィッド・ボーム が最も知られている業績の一つが、量子力学のボーム解釈です。

量子力学は通常、ニールス・ボーア やヴェルナー・ハイゼンベルク
が提唱した コペンハーゲン解釈によって理解されています。

この解釈では、粒子の状態は観測されるまで確定しないと考えます。

しかしボームは、粒子には常に確定した位置と運動があり、
量子波動関数はその運動を導く「量子ポテンシャル」
として働くのだと考えました。

この理論は

パイロット波理論(pilot-wave theory)

とも呼ばれています。

当時は少数派の解釈でしたが、現在では量子力学の基礎研究の中で
再び重要な議論の対象になっています。


追加の重要事実

ボームの人生で、以下3つを考えます。


① Aharonov–Bohm効果

ボームはヤキール・アハラノフと共に

Aharonov–Bohm効果

を提唱しました。これは

電磁場がゼロでもポテンシャルが量子位相に影響する

という現象です。

量子力学の概念を根本から変えた重要な発見です。


② EPRパラドックスの研究

ボームは

アルベルト・アインシュタイン
ボリス・ポドルスキー
ネイサン・ローゼン

によるEPRパラドックスを スピン系の形に再定式化しました。
この形が後のベルの不等式研究につながります。


 思想的関心(晩年)

晩年のボームはジッドゥ・クリシュナムルティと対話を重ね、

  • 意識

  • 全体性

  • 秩序

といったテーマを探求しました。その成果が

『Wholeness and the Implicate Order』

です。

物理学者としてはかなり哲学的な方向へ進んだ人物です。

 マンハッタン計画とボーム

第二次大戦時にボームはマンハッタン計画に関連する理論研究に関わり
ましたが、 当時の政治的事情からロスアラモス研究所への参加は
認められませんでした。その計画は陽子と重陽子の衝突研究を進め、
濃縮ウランを作り原爆を製造する計画で実行に移されました。

戦後、ボームはプリンストン大学でアインシュタイン
と共に働いていましたが、いわゆるマッカーシズム(政治的な圧力)
にあい、プリンストン大学を追われます。

社会主義者としての過去の活動を当局に問題視されたのです。
アインシュタインはボームに彼の助手として大学に残る事を勧めました。

ところが、その願いは叶わずにボームは
ブラジルのサンパウロ大学に移りました。
少し島流し的な印象を持ってしまいます。
菅原道真公の左遷も思い起こされます。

【まとめ】ボームは量子力学の「解釈」を問い続けた

デヴィッド・ボームの研究を理解するうえで重要なのは、個々の成果を別々に見るのではなく、
「量子力学とは何を記述しているのか」という問題を生涯にわたって問い続けた点です。

ボームは、量子力学を単なる計算規則として受け入れるのではなく、粒子の運動や
量子状態、観測、そして物理的実在がどのように結びついているのかを考えました。
その代表が、1952年に発表したパイロット波理論です。

この理論では、粒子の位置を明確なものとして扱いながら、波動関数が粒子の運動を
導くという考え方を採ります。後に「ボーム力学」や「ボーム解釈」
と呼ばれるこの考え方は、量子力学を別の角度から理解する試みとして位置づけられます。

さらにボームの研究は、量子力学の基礎問題そのものへと進みます。
アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンが1935年に提起したEPR問題を、
ボームはスピンを用いた形で扱い、遠く離れた粒子の相関という問題をより明確にしました。

この研究は、後のジョン・スチュワート・ベルによるベルの不等式の議論へつながる、
量子力学の基礎研究の重要な流れの一つです。
1957年のBohmとAharonovの論文でも、EPR問題と離れた系の相関が論じられています。

そしてもう一つの代表的な成果が、Aharonov–Bohm効果です。ヤキール・アハラノフと
ボームは1959年、電磁場そのものが粒子の通過する場所でゼロであっても、
電磁ポテンシャルが量子力学的な位相に影響を与えうることを示しました。

これは、古典電磁気学では補助的な量として見られがちだった「ポテンシャル」が、
量子力学では物理的意味を持ちうることを示した重要な研究です。
後の実験によってもAharonov–Bohm効果は検証され、量子位相と
電磁ポテンシャルの関係を考える代表的な現象となりました。

このように見ると、ボームの研究には一本の線があります。

ボーム解釈 → EPR問題 → 量子もつれ・ベルの不等式 → Aharonov–Bohm効果

いずれも、量子力学の数式を使うだけではなく、「その数式は自然界の何を意味しているのか」という問いにつながっています。

この点が、ボームを量子力学の歴史の中で特徴的な物理学者にしています。

 それぞれ問題の本質をとらえようと
考え続けていたように思えます。

こうした業績で、その分野の考えに
今でも残る影響を与えています。

関連する人物

デヴィッド・ボームの研究は、量子力学の解釈だけでなく、EPR問題、
量子もつれ、ベルの不等式、Aharonov–Bohm効果へとつながっています。

人物の流れから見ると、20世紀前半の量子物理学を築いた
研究者たちとのつながりが見えてきます。

◀ 前の人物:ジョン・バーディーン

▶ 次の人物:リチャード・P・ファインマン

この分野の物理学者(量子力学・量子基礎論)

量子力学を日本の物理学者から見る

20世紀の物理学者を生年順にたどる場合は、
20世紀生まれの物理学者・数学者
から関連する人物を探すことができます。

 

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〆

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Baume born in Pennsylvania

To be precise, its name is David Joseph Bohm, in Hebrew notation דייוויד ג’וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם.

Coincidentally, Baume was born in the year of the Russian Revolution. I think that such a historical background has also influenced Baume’s life. Born in Pennsylvania to a Hungarian Jewish father and a Lithuanian Jewish mother, he is taught by Oppenheimer at the UCB (University of California, Berkeley). At that time, Baume embraced the idea of ​​radicalism, which was ideologically influenced by his acquaintances at the time when he was a student and had a different social model. He was later marked by the FBI for that.

Manhattan Project and Baume

During World War II, Baume follows his teacher Oppenheimer to participate in the Manhattan Project. The plan was put into practice with a plan to produce enriched uranium and produce an atomic bomb by proceeding with research on the collision of protons and deuterium. After the war, Baume worked with Einstein at Princeton University, but was ousted from Princeton University due to so-called McCarthyism. His past activities as a socialist were questioned by the authorities. Einstein advised Baume to stay in college as his assistant. However, that wish did not come true and Baume moved to the University of Sao Paulo in Brazil.

As a researcher, Baume has made many achievements. He first interprets Baume in terms of the interpretation of quantum mechanics. Proposal of the EPR paradox. And the AB effect in electromagnetism. It seems that each of them kept trying to capture the essence of the problem. These achievements still have an impact on his thinking in the field.

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矢野 健太郎
【数々の数学書を監修|「解法のテクニック」の著者】-9/2訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

解法のテクニック
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【1912年3月1日生まれ ~ 1993年12月25日没】


【出典:Wikimedia Commons:Kentaro_Yano】

矢野健太郎の多彩な活躍

矢野健太郎は私が使っていた数学の教科書の著者でした。
同名の方で漫画家の「矢野健太郎」と
サッカー選手の「矢野健太郎」が居ますが、
本稿は数学者の矢野健太郎に関する原稿です。

因みに、名前の「矢野」に関するエピソードとして
有名なものがあります。外人との雑談をする中で
「矢野」って英語でいえばどんな表現?
と聞かれた時に、当意即妙で矢野さんは
次のように答えました。

「矢」=「Vector」、「野(野原)」=「Field」。

だから「矢野」って「ベクトル場」ですね。

そう答えたそうです。当然、外人は大喜び。

専門は微分幾何学であり、特にリーマン幾何や接続理論の研究
で知られています。彫刻家の子として生まれ東京帝大で学びます。

矢野健太郎とパリ大学

矢野健太郎の小学生時代にアインシュタインが来日し
健太郎は刺激を受けました。また、
帝大の山内恭彦先生から物理学の理解には
代数幾何学が必要だと教えを受けました。

物理現象のモデル化の有用性を感じた筈です。
その後、矢野はカルタン先生の下で学ぶべく
パリ大学へ留学します。パリ大学で纏めた博士論文は
射影接続空間に関する論文でした。

この頃から統一場理論にも関心を持ちます。

日本の数学教育への影響

矢野健太郎 は研究者であると同時に、数学教育に強い関心を持っていました。

戦後の日本では大学教育だけでなく、高校や受験数学の教材整備が急務となっていました。
その中で矢野は、数学を単なる試験科目としてではなく、
思考力を鍛える学問として教えるべきだと考えていました。

その代表例が、受験参考書として広く知られた『解法のテクニック』です。

この本は単なる問題集ではなく、問題をどのような視点で整理し、どのような発想で解くのか
を示した教材でした。多くの受験生に読まれ、日本の受験数学文化にも大きな影響を与えました。

また矢野は海外の科学書の紹介にも積極的で、欧米の科学思想を日本の読者に伝える役割も
果たしました。数学研究者でありながら、教育者としても大きな足跡を残した人物と言えるでしょう。


事実(2026年3月追記の2項目)


① カルタンの弟子

矢野健太郎はエリ・カルタンの弟子です。カルタン師は

  • 微分幾何学

  • リー群

  • 接続理論

の基礎を作った数学者です。つまり矢野健太郎は 近代幾何学の本流にいた人物です。


 ②ボッホナーとの共同研究と国際数学者会議

サロモン・ボッホナーとの研究は重要です。Bochner–Yano 定理はリーマン幾何の古典定理の一つです。

矢野健太郎は国際数学者会議で招待講演をしています。これは数学者としてかなり高い評価です。

 矢野健太郎とアインシュタイン

戦後にはプリンストン高等研究所で微分幾何学の研究
をしていき、同時期に在席していたアインシュタインと交流
を持ちます。奥様と一緒にアインシュタインが写った写真は
大事にしていて、家宝としたそうです。

矢野健太郎と微分幾何学―カルタンからBochnerへ

矢野健太郎を理解するうえで最も重要なのは、数学教育者としての活動
だけではありません。矢野の本来の専門は微分幾何学・リーマン幾何学であり、
20世紀の幾何学研究の国際的な流れの中で重要な仕事を残しています。

1930年代、矢野はフランスへ渡り、近代微分幾何学の巨匠であるエリ・カルタン
のもとで学びました。1938年の博士論文も射影接続空間を扱うもので、
矢野の研究が当初から幾何学の本流に位置していたことが分かります。
矢野の博士論文の指導教員としてカルタンが記録されていることも確認できます。

その後、矢野はプリンストンのInstitute for Advanced Studyで研究を進め、
そこでサロモン・ボッホナーの研究と出会います。矢野はそれまでの
局所的な微分幾何学から、曲率やベッチ数などを扱う大域的な
微分幾何学
へ研究領域を広げていきました。

Bochnerとの共同研究

矢野とボッホナーの共同研究の成果の一つが、1953年に刊行された
『Curvature and Betti Numbers』です。この著作は曲率とベッチ数を結びつける
大域微分幾何学を体系的に扱ったもので、矢野自身も序文でボッホナーから
多くの助言を受けたことを記しています。

この研究の流れからBochner–Yano定理として知られる結果も生まれました。
簡潔にいえば、負のRicci曲率をもつコンパクトなリーマン多様体では、
その等長変換群が有限になるという結果です。これは「曲率という局所的な
幾何学的性質が、空間全体の対称性をどのように制限するのか」
を示す重要な成果です。

この意味で矢野健太郎は、単に海外で学んだ日本人数学者ではありません。
カルタンから学んだ微分幾何学を、ボッホナーとの共同研究を通じて
大域的な幾何学へ発展させた研究者
として見ることができます。

矢野健太郎の業績

矢野健太郎の著作は多岐に渡り、

受験参考書の定番だった(今でも定番)

「解法のテクニック」は矢野健太郎の著作です。

また、アイザックアシモフ、ポアンカレ、アインシュタイン
の書物を日本に紹介する際に監修をしたりしました。更に、
矢野健太郎は微分幾何学において「Bochner–Yano 定理」を提唱しました。
この定理は、ボッホナーと共同で、負のリッチ曲率をもつコンパクトリーマン多様体の
等長群が有限であることを明らかにした重要な成果です ウィキペディア1_ウィキペディア2

他には、

  • 東京大学、東京工業大学名誉教授のほか、東京慈恵会医科大学、新潟大学、
    プリンストン高等研究所、ローマ大学、イタリア国立高等数学研究所、
    アムステルダム数学研究所、サウサンプトン大学、香港大学、ワシントン大学、
    リヴァプール大学、ブラウン大学、アバディーン大学など、
    非常に多彩な研究機関で国際的に活躍しました ウィキペディア。

  • 国際数学者会議(1954年アムステルダム)で招待講演を
    行ったことも記録されています ウィキペディア。

また、

主な著作として、以下のようなものがあります ウィキペディア:

Les espaces à connexion projective et la géométrie projective des “paths”(1938年、博士論文)

Geometry of Structural Forms(1947年、日本語)

Groups of Transformations in Generalized Spaces(1949年)

Curvature and Betti Numbers(Bochnerとの共著、1953年)

The Theory of Lie Derivatives and its Applications(再版あり)

Differential geometry on complex and almost complex spaces(1965年)

Integral formulas in Riemannian Geometry(1970年)

Tangent and cotangent bundles: differential geometry(石平との共著、1973年)

Anti-invariant submanifolds, CR Submanifolds…, Structures on Manifolds(今野・小林との共著、1970~80年代)

私や皆さんが知った情報も矢野健太郎
の仕事かも知れませんね。

そんな、矢野健太郎はバイオリンが好きな静かな人でした。

安らかな印象を持ち続けたいと思います。

関連する人物

矢野健太郎の研究は、カルタンの微分幾何学からボッホナーとの大域微分幾何学へ、さらに日本の微分幾何学の研究者へとつながっています。また、幾何学と物理学の関係をたどることで、アインシュタインの一般相対性理論にも接続できます。

◀ 前の人物:武谷三男

この分野の数学者(微分幾何学・リーマン幾何学)

  • エリ・カルタン
  • サロモン・ボッホナー
  • 矢野健太郎
  • 小林昭七

数学と物理学をつなぐ人物

日本の数学者・物理学者を生年順にたどる場合は、
20世紀生まれの物理学者・数学者のまとめ
から関連する人物を探すことができます。

 

〆

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2020/11/12_初稿投稿
2026/09/17‗改定投稿

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Various activities of Kentaro Yano

Kentaro Yano was the author of the textbook I was using. There is a manga artist “Kentaro Yano” and a soccer player “Kentaro Yano” who have the same name, but this article is about the mathematician Kentaro Yano. By the way, there is a famous episode about the name “Yano”. What kind of expression is “Yano” in English while chatting with foreigners? When asked, Mr. Yano was selfish
“Arrow” = “Vector”, “Field (field)” = “Field”, so “Yano” is a “vector field”. I heard that he answered. Naturally, foreigners are overjoyed. Was my specialty related to geometry or analysis? He was born as a child of a sculptor and studied at the University of Tokyo.

Kentaro Yano and the University of Paris

Kentaro Yano was inspired by Einstein’s visit to Japan when he was in elementary school. Also, Professor Yasuhiko Yamanouchi of Imperial University taught me that algebraic geometry is necessary to understand physics. It seems that he found the usefulness of modeling physical phenomena. After that, Yano will study abroad at the University of Paris to study under Professor Cartan. His dissertation he compiled was a dissertation on the projective connection space. From this time on, he was also interested in unified field theory.

Kentaro Yano and Einstein

After the war, he studied differential geometry at the Princeton Institute for Advanced Study and interacted with Einstein, who was present at the same time. He cherished the photo of Einstein with his wife and made it a heirloom.

Kentaro Yano has a wide variety of authors, and Kentaro Yano’s “Solution Technique”, which was a staple of examination reference books. He also supervised the introduction of Isaac Asimov, Poincaré and Einstein’s books to Japan. The information that I and everyone knew may be Kentaro Yano’s work. Kentaro Yano was a quiet person who liked the violin. He wants to keep a peaceful impression.

〆

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武谷三男 
【利益・便益と それに伴う被曝の有害さ・リスクを考察|三段階理論での現象把握を考察】‐9/26改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

原爆の秘密

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【1911年10月2日生まれ – 2000年4月22日没】


【出典:Wikimedia Commons‗MitsuoTaketani】

武谷三男の研究基盤

武谷三男は京大理学部で理論物理学の基礎を修めました。

武谷三男の主な関心は原子核の振る舞いや素粒子論です。

湯川秀樹や坂田昌一と共同で研究を進めていった時代の人です。
反ファシズムの立場だった武谷は原子核関連の開発と
発展についての発言で政治的ともいえる言葉を
残しています。原爆や水爆の
開発に対しての是非について発言しています。

また会津に亡命していたロシア人女性と結婚したという
私生活上のエピソードも興味深いものがあります。
「まさかあの人と!」
とかいった話が出てきそうです。

いずれにしても武谷は未だ曖昧だった原子核に対して
形を与えていった時代の人なのです。

一つ一つ現象を見ていき、定式化していったのです。
何より武谷は独自の方法論を駆使したのです。

科学哲学としての武谷三男

武谷三男の三段階理論は、単なる物理学の説明方法ではありません。
それは科学そのものの発展過程を説明する「科学方法論」
として構想されたものでした。

武谷は、自然科学の理論は突然完成するのではなく、

  1. 観測された現象を整理する段階

  2. その背後にある実体を想定する段階

  3. それらを統合して数学的理論を構築する段階

という過程を経て発展すると考えました。

この考え方は、
量子力学成立の歴史にもよく当てはまります。

例えば

  • スペクトル線の観測(現象論)

  • 原子模型の導入(実体論)

  • 量子力学の数式化(本質論)

という形で、物理学は段階的に発展してきました。

武谷の三段階理論は、こうした科学史の分析から導き出された方法論でもあり、
物理学だけではなく科学哲学の議論でも取り上げられています。(更に後述します)


湯川理論の理解者/坂田昌一との関係

武谷は湯川秀樹の中間子理論を早い段階から評価した理論物理学者でした。

当時はまだ実験で確認されていませんでしたが、
理論の重要性を理解していた数少ない研究者の一人です。


 また武谷は坂田昌一とも関係が深く、日本の素粒子理論の形成期に
関わっています。坂田の「坂田模型」は後のクォーク模型の先駆とも言われます。

武谷は日本科学者会議の創設に関わるなど、
科学者の社会的責任について積極的に発言した人物です。

戦後日本の科学者倫理議論では欠かせません。

科学方法論としての武谷三段階論

武谷三男の名前を理解するうえで重要なのが、1942年に提示した「三段階論」です。
これは単なる物理学の計算方法ではなく、自然科学の認識がどのように発展していくのか
を考えるための科学方法論でした。

武谷は、自然を理解する過程を現象論的段階・実体論的段階・本質論的段階
という三つの段階から捉えました。

現象論的段階

まず、実験や観測によって得られた現象を整理し、その特徴を把握します。まだ
現象の背後にある実体を十分に説明できなくても、
観測された事実を整理することが出発点になります。

実体論的段階

次に、現象を生み出していると考えられる実体や模型を想定します。
原子や粒子など、直接観測される現象の背後にあるものを考えることで、
個々の現象をより統一的に理解しようとします。

本質論的段階

そして、現象と実体について得られた理解を、理論や数学的な体系
として統合していきます。武谷にとって重要だったのは、
単に最後に数式を作ることではなく、
科学の認識が歴史の中でどのような段階を経て深まっていくのかを捉えることでした。

この方法論は、武谷自身の湯川理論への理解や、日本の素粒子論研究の発展
とも結びついています。坂田昌一は武谷三段階論の重要な理解者の一人であり、
両者は素粒子論グループの中で交流を続けました。日本物理学会の研究でも、
坂田が武谷の三段階論を深く理解し、その考え方を自身の素粒子論研究に
生かしていたことが紹介されています。:

したがって武谷三段階論は、武谷個人の哲学にとどまらず、湯川秀樹・坂田昌一ら
による日本の素粒子論研究を考えるための方法論
として見ることができます。


(以下ウィキペディアから引用)

①現象論的段階
量子力学の範疇に入る現象で
「測定にかかるもの」を
そのまま記述する
(第一)段階

②実体論的段階
上記現象の方程式を作る前に、
現象論的段階に出てこない実体
(模型、粒子など)を知る
(場合によっては新たに導入する)
(第二)段階

③本質論的段階
現象論的段階で記述される現象を、
実体論的段階で導入した実体も含めて、
方程式など主として
数学的手法で記述する
(第三)段階
【引用ここまで】

 

その時代から数十年遡って思い返せば、
量子力学創設の時代以前にはすべての段階が
意識化されていなかったのです。

また、米国のビキニ環礁での水爆実験に際し、
問題点を掘り下げて定量的な指標を考察して
放射線の許容量(がまん量とも表現しました)を
議論していきました。

具体的に「急性の放射線障害」と「長期的に蓄積される効果」
を明確に区別して議論すべきだと主張していきました。
昨今の福島原発での処理水放出でこうした議論が
生かされているでしょうか。一考の価値ありです。

当時、立教大学の教授であった武谷は、
放射線防護の概念を考え直し、
「自然科学的な対象の概念」
に留まらず、
放射線利用の「利益・便益と
それに伴う被曝の有害さ・リスク
ともいえる社会的概念」
として考え直した功績も指摘されています。

また、別の方のブログで武谷の業績について
記載されているブログがあるのでご紹介しておきます。
武谷は本当に「色々な足跡」を残していますね。

武谷三男と科学者の社会的責任

武谷三男の活動は、素粒子論や科学方法論だけにとどまりません。
戦後には、核兵器や原子力をめぐる問題についても積極的に発言しました。

特に1954年のビキニ水爆実験と第五福竜丸の被災は、武谷の科学者としての
社会的発言を考えるうえで重要な出来事です。武谷は『死の灰』を著し、放射線による
健康影響について、急性の影響だけでなく長期的な影響を含めて考える必要性を論じました。

ここには、科学を単に自然現象の理解に限定せず、科学技術が社会に与える
影響まで考えようとした武谷の姿勢を見ることができます。

ただし、現在の放射線防護の考え方はその後も大きく発展しています。そのため、
武谷の議論をそのまま現在の放射線防護基準に当てはめるのではなく、
科学的知識と社会的判断をどのように結びつけるかという問題提起として読むのが
適切でしょう。現在の放射線防護では、線量概念そのものも歴史的に変化してきています。

武谷三男と湯川秀樹・坂田昌一

武谷三男を単独の科学哲学者として見るだけでは、その研究の位置づけは十分に
理解できません。武谷は、湯川秀樹の中間子理論や、坂田昌一らによる
素粒子論研究と密接に関わりながら、自身の方法論を発展させていきました。

湯川の中間子理論は、原子核を結びつける力を新しい粒子によって説明しようと
するものでした。武谷はこの理論を早くから評価し、湯川や坂田と共同研究を進めました。

特に坂田昌一との関係は重要です。日本物理学会の研究によれば、坂田は
武谷三段階論の理解者の一人であり、両者は日本の素粒子論グループの形成期から交流を続けていました。

この関係をたどると、武谷三段階論は単なる科学哲学上の議論ではなく、
当時の日本の素粒子論研究を支えた研究方法論としても見ることができます。

関連する物理学者

武谷三男の研究は、湯川秀樹の中間子理論、坂田昌一の素粒子論、そして
戦後日本の科学方法論へとつながる流れの中で理解すると、その位置づけがより明確になります。

◀ 前の人物:坂田昌一

この分野の物理学者(素粒子論・科学方法論・日本の理論物理学)

日本の物理学者をさらに年代順にたどる場合は、
日本の物理学者や20世紀生まれの物理学者もご覧ください。

また、京都大学を中心とした日本の理論物理学の系譜については、
京都大学に関連する物理学者から関連人物をたどることができます。

 

〆最後に〆

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【2022年1月時点での対応英訳】

 Base of Taketani

Taketani Mitsuo studied the basics of theoretical physics

at the Faculty of Science, Kyoto University.

His main interests are nuclear behavior and particle physics.

He is in collaboration with Hideki Yukawa and Shoichi Sakata

He is a man of the era when he was advancing research.
T
aketani, who was in an anti-fascist position

Remarks on nuclear-related development and development

He leaves behind words that can be called political.

He is about the pros and cons of atomic and hydrogen bombs.

Also, a Russian wife who was in exile in Aizu

I am also interested in the relationship with. No way, with that person

There seems to be a story like that.

In any case, Takeya was still ambiguous

He was a man of the era that gave shape to the atomic nucleus.

He looked at the phenomena one by one and formulated them.

Above all, Takeya established a methodology.

Three step of Taketani

Here, as a methodology, a three-step theory

Because Takeya used the reasoning called

I will introduce you. (Quoted from Wikipedia below)

① Phenomenon stage
A phenomenon that falls into the category of quantum mechanics
“What is measured”
Describe as it is
(the first stage

② Realistic stage
Before making the equation of the above phenomenon
Entities that do not appear in the phenomenological stage
Know (models, particles, etc.)
(In some cases, newly introduced)
(Second) stage

③ Essentialist stage
Phenomena described at the phenomenological stage,
Including the substance introduced at the realist stage,
Mainly equations etc.
Describe with mathematical methods
(Third) stage
[Quote so far]

This Takeya’s theory is based on the measurement method.

It can be said that the theory is conscious of the limitation of the observation problem.

Looking back decades from that era,

All stages before the era of quantum mechanics

Was not conscious.

Also, during a hydrogen bomb test at Bikini Atoll in the United States,

Dig into the problem and consider quantitative indicators

Radiation allowance (also referred to as the amount of radiation)

I continued to discuss.

Specifically, “acute radiation injury”

A clear distinction between “long-term accumulated effects”

I insisted that it should be discussed.

Takeya, who was a professor at Rikkyo University at that time,

Rethinking the concept of radiation protection,

Beyond the “concept of natural science objects”

“Benefits / benefits of radiation use and the harmful effects of radiation exposure /

As a “social concept that can be called a risk”

His rethinking achievements have also been pointed out.

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坂田 昌一
【相互作用の過程を議論|電磁場の量子化を行った先駆者】‐9/25改訂

こんにちはコウジです。

半年ごとの記事見直しです。
では、ご覧ください。内容を整理し、
主にリンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

星新一ショートショート
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【1911年1月18日生まれ ~ 1970年10月16日没】


【”画像Wikipedia:坂田昌一(1949年)”アサヒグラフ(1949年5月4日号)】

坂田昌一の生きた時代 

坂田昌一は、日本の素粒子論の発展に
重要な役割を果たした理論物理学者です。

湯川秀樹、朝永一郎らと同じ時代を生き、議論を交わしながら
日本の理論物理学の発展を支えた人物でもあります。

京都帝国大学を卒業した後、名古屋帝国大学(現在の名古屋大学)
で研究と教育に携わりました。


名古屋大学はその後、日本の素粒子研究の重要拠点となり、
多くの研究者を育てることになります。

また意外な縁として知られているのが、 坂田昌一の妻・信子さん
が SF作家の星新一と親族関係にあるという点です。

 日本のSF文学を代表する作家と、日本の素粒子物理学を
代表する研究者が家族としてつながっていたというのは
興味深い話でしょう。

その中で重要な役割を果たした人物の一人が、理論物理学者・坂田昌一です。
彼は素粒子論の発展に大きな影響を与えた「坂田モデル」を提唱し、
日本の素粒子研究の方向性を決定づけました。

坂田昌一の名前は、一般的にはそれほど広く知られていないかもしれません。
しかし彼の理論は、後のクォークモデルや標準模型に至る
研究の流れの中で重要な役割を果たしています。

また私生活では、SF作家・星新一の親族とも縁があるなど、
意外なエピソードも残されています。
本記事では、坂田昌一の生きた
時代背景と研究、そして素粒子物理学への影響について整理していきます。

坂田昌一の生きた時代

坂田昌一は、日本の理論物理学が大きく発展していく時代に活動した
物理学者です。
20世紀前半、日本の物理学界は急速に国際水準へと到達し、
多くの優れた研究者が登場しました。

坂田昌一もまた、その中心にいた研究者の一人でした。

湯川秀樹・朝永振一郎と同時代の物理学者

坂田昌一は、湯川秀樹や朝永振一郎と同じ時代を生きた理論物理学者です。
彼らは互いに議論を交わしながら、日本の物理学研究を発展させていきました。

特に素粒子論の分野では、湯川秀樹が提唱した「中間子理論」が大きな
影響を与えます。
この理論は、原子核内で働く強い力を説明するために
提唱されたものであり、日本の理論物理学が世界的に評価される契機となりました。

坂田昌一もまた、この研究の流れの中で活躍した研究者であり、
湯川の中間子理論をめぐる議論にも深く関わっていました。

京都帝国大学から名古屋帝国大学へ

坂田昌一は京都帝国大学(現在の京都大学)で学びました。
当時の京都帝国大学は、日本の理論物理学研究の中心的な拠点であり、
多くの優れた研究者が集まっていました。

その後、坂田昌一は名古屋帝国大学(現在の名古屋大学)で研究と教育に携わる
ことになります。
名古屋大学はその後、日本の素粒子研究の重要な拠点となり、
多くの研究者を輩出することになります。

坂田昌一の研究と量子電磁力学

坂田昌一の研究は、当時急速に発展していた量子論と素粒子論の分野において
重要な役割を果たしました。
特に量子電磁力学(QED)の問題に対する
理論的な取り組みは、日本の物理学界の研究水準の高さを示すものでもあります。

電磁場の量子化という問題

当時の物理学では、電磁場を量子論でどのように扱うかという問題が
大きな課題となっていました。
電子と電磁場の相互作用を理論的に
説明しようとすると、計算の途中で電子の質量が無限大に発散するという
問題が生じてしまうのです。

この問題は量子電磁力学の根本的な困難の一つであり、
多くの研究者が解決を試みていました。

坂田昌一の研究と量子電磁力学

坂田昌一の研究は、素粒子の構造だけでなく、当時発展途上にあった
場の量子論の問題にも及んでいました。特に戦後の坂田は、
量子電磁力学(QED)における電子の自己エネルギーの発散という難問に取り組みました。

坂田の理論的アプローチとくりこみ理論

坂田昌一は、こうした発散の問題に対して、中間子を含む相互作用の構造から
問題を理解しようとする独自の理論的アプローチ
を試みました。

坂田らは電子の自己エネルギーの発散を取り除くためにC中間子を導入する
理論を研究しました。この研究は、後に朝永振一郎らによって体系化される
「くりこみ理論」へ至る研究の流れの一つとして位置づけられます。

ここで重要なのは、坂田昌一が「くりこみ理論を完成させた」
ということではありません。発散という難問に独自の物理的解釈を
与えようとした研究が、その後の場の量子論の発展と接続している
点にあります。

この時期の研究を朝永振一郎のくりこみ理論と並べて見ると、坂田と朝永が同じ時代の
異なる角度から素粒子論の根本問題に取り組んでいたことが分かります。 

最終的には、この量子電磁力学の問題は朝永振一郎らによる
「くりこみ理論」によって体系的に整理されます。

この理論は後にノーベル賞の対象となり、現代物理学の基礎理論の一つとなりました。

坂田昌一の研究もまた、この理論的発展の流れの中に位置づけられるものです。

坂田モデルと素粒子論への影響

坂田昌一の名前を最も有名にした業績が「坂田モデル」です。
これは現在のクォークモデルに先立つ素粒子の構造モデルであり、
素粒子物理学の発展に重要な役割を果たしました。

坂田モデルとは何か

坂田モデルでは、陽子・中性子・ラムダ粒子の三つを基本粒子と考え、
それらの組み合わせによって他の粒子が構成されると考えました。

現在の標準模型ではクォークが基本粒子として扱われますが、
当時はまだその概念は存在していませんでした。

その意味で坂田モデルは、粒子の内部構造を考える
先駆的な試みだったと言えるでしょう。

次世代の理論へとつながる研究

坂田モデルはその後、素粒子論の発展の中でより
洗練された理論へと発展していきます。

特に日本の理論物理学者である小林誠、益川敏英らの研究にも影響を与え、
日本の素粒子論の研究伝統の中で重要な役割を果たしました。

このように坂田昌一の研究は、単独の理論としてだけでなく、
後の世代の研究者たちが新しい理論を構築するための基盤として機能したのです。

関連する物理学者

坂田昌一の研究は、湯川秀樹の中間子論、朝永振一郎のくりこみ理論、そして
坂田モデルからクォーク模型へと続く、日本の素粒子論の流れの中で見ると、より深く理解できます。

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この分野の物理学者(素粒子論・量子場理論・日本の理論物理学)

日本の理論物理学の流れをさらにたどる場合は、
京都大学関連の物理学者
も参考になります。

また、20世紀の物理学者を生年順にたどる場合は、
20世紀生まれの物理学者のまとめ
をご覧ください。

坂田昌一から名古屋大学の素粒子論へ続く研究の系譜を考える場合は、
小林誠や
西島和彦
の記事へ進むことで、その後の素粒子論の展開を見ることができます。

参考書籍

素粒子物理学入門(Amazon)
湯川秀樹と日本の理論物理学(Amazon)

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2020/10/12_初稿投稿
2026/09/25_改定投稿

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(2021年11月時点での対応英訳)

The time when Dr. Sakata lived

Shoichi Sakata is a physicist who studied elementary particles. He lived in the same era as Hideki Yukawa and Ichiro Tomonaga, exchanged discussions, and opened the Physical Society of Japan.

He is a graduate of Kyoto Imperial University and teaches at Nagoya Imperial University. In addition, Shoichi Sakata’s wife, Nobuko, is a cousin of science fiction writer Shinichi Hoshi.

Dr. Sakata of Sakata model

Shoichi Sakata’s achievements in theoretical physics are related to the quantization of electromagnetic fields. At that time, the problem was that the mass of the electron diverged when the field was quantized.

Shoichi Sakata tries to solve the problem by using the concept of mesons. Finally, this problem in quantum electrodynamics will be explained by Shinichiro Tomonaga using renormalization theory. Shoichi Sakata is also a co-author of a paper on Hideki Yukawa’s mesons.

It should be noted that Shoichi Sakata’s achievements are that he considered protons, neutrons, and lambda particles as elementary particles, and proposed a “Sakata model” for their composition. The Sakata model became the next theoretical foundation for Yoshiro Onuki, Toshihide Maskawa, and Makoto Kobayashi, and discussions proceeded. These are solid results that have led to discussions for the next generation.

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