2026年10月22日2026年10月12日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すP・V・ミュッセンブルーク【ライデン瓶を発明し静電気の基礎を確立】-10/22改訂 こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。 今回の改定は英訳部の削除が主です。 ご覧ください。(以下原稿です)ライデン瓶発電機 【スポンサーリンク】 【1692年3月14日生まれ-1761年9月19日没】像画:1741年制作、画家 Hieronymus van der Mij、 所蔵:ライデン大学(University of Leiden)コレクション。The Linda Hall Library+1 ライデン瓶を考案したミュッセンブルークその名はピーテル・ファン・ミュッセンブルーク;Pieter van Musschenbroek。ライデン瓶の発明で知られているオランダの物理学者です。ポンプや顕微鏡、望遠鏡を作る職人の子として生まれます。何より、最初の蓄電器であるライデン瓶を作ったことで知られています。ミュッセンブルークはラテン語学校でギリシア語・ラテン語・フランス語・ドイツ語などを修めた後、Leiden University(ライデン大学)で医学博士号(1715年)を取得しました。当時の学識の付け方は今と大きく異なっていたようですね。そして、ロンドンで当時の大物である物理学者ニュートンの講義を受けています。その後、ミュッセンブルークは数学、哲学、医学、占星術の教授を歴任します。占星術は当時の教養の中で合理的な学問体系であると考えられていて、少し前の時代には王家に使えていたノストラダムスが天文学と占星術を修めていたという史実もあります。そして、ミュッセンブルークが1726年に刊行した「Elementa Physica」では広くニュートンの理論をヨーロッパに広めています。 ミュッセンブルークと帯電現象の理解その後、その後ミュッセンブルークは、 静電気の性質に強い関心を持つようになります。特に有名なのが、 ガラス瓶に水を入れて電荷を蓄える 「ライデン瓶(Leyden jar)」の研究です。これは後の蓄電器(コンデンサ)の原型となる装置であり、 人類が初めて「電気を蓄える」という概念を 実験的に扱えるようになった重要な発明でした。当時の研究者たちは、 帯電した物体同士が反発・吸引する現象を観察していましたが、 ミュッセンブルークらは、 水やガラスを利用することで微弱な電気作用を より安定して観測しようと試みました。こうした研究は、 後のクーロンの法則や電磁気学へと繋がっていきます。ニュートン力学が「力」を定量化した時代の後に、 電気という新しい“見えない力”を扱う流れが生まれていったのです。 また、支点を介した二つの棒が重力と直角方向に開いていくので 開いた角度がθの時に重力の分力がSinθで考えられるのです。数学上、θが0の近傍ではSinθが殆ど0なのです。上記の数学的な仕組みで、①荷電現象で生じた力と②ニュートンの明確にした力が釣り合い、平衡を保っています。その様子は少し感動できます。後の時代に動的な電磁気学が発展していきますがミュッセンブルークは静電磁気学の土台を作ったのです。理論で期待される効果が目視で確認できます。浮力が重力を打ち消す効果と分力でSinθだけ考えればよい事情が相まって電気による微細な反発力が目に見える効果として現れます。開き角度が狭い時点では殆ど重力の効果がない形で帯電に起因する力が可視化出来るのです。 それまで帯電棒をこすり続けたりしなければ示せなかった「静電容量に起因する力」をミュッセンブルークによって示しました。後の電磁気学の発展に繋がる成果です。確かな一歩が残されたと言えるでしょう。記事末テンプレ(ミュッセンブルーク版) 関連する科学者の系譜(静電気学と実験物理)◀ 前の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727) ▶ 次の人物:シャルル・クーロン(1736-1806) この分野の科学者(静電気学・電磁気学) P・V・ミュッセンブルーク ロバート・ボイル ベンジャミン・フランクリン C・A・クーロン マイケル・ファラデー〆 【リミックスでんき】【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2021/07/01_初回投稿 2026/10/22_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 オランダ関係のご紹介へ イギリス関係のご紹介 電磁気関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】 FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月21日2026年10月6日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すJ・J・サクライ【ハーバードを首席で卒業し49歳で夭折した天才物理学者】‐10/21改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)現代の量子力学 【スポンサーリンク】 【1933年1月31日生まれ ~ 1982年11月1日没】 【出典:J Sakurai Wikimedia Commons】JサクライとアメリカJサクライの日本語表記は「桜井純」で日本の東京生まれの人です。私が使っていていた教科書でカタカナ表記でしたので個人的には カタカナ表記がしっくりきて、好きです。ミドルネームに由来する と思われますが、もう一つ「J」をつけて記載する事が多いです。 何故ミドルネームがJなのかは未だ調べています。(以下、少し呟いてみます)よく言及されるのですが、 英国の物理学者J・J・トムソンを真似て「J」に由来する という一説があります。ただ、科学史の観点から私は納得いきませんでした。「電子線を考え抜いたトムソン(別途、トムソン卿って人が居ます)」と「相互作用に対して考え抜いていた桜井さん」は物凄く似通った所があるのですが、それを裏付ける一次情報が得られていないのです。探すことに時間を使わない言い訳としては、桜井さんは日本での活躍が少なく、夭折してる(早くに亡くなっている)という事情もあって日本における交流が少ないと予想出来るからです。仮にご家族が追記集をまとめたりしていたら読んでみたいのですが、そういう類の話も聞きません。そもそも、そういった話が聞かれない時点で仮に、 ご遺族が居たとしてもJJサクライの「J」についての由来は明らかにしたくないと 考えている場合も予想されるからです。 追及点を掘り下げる際の 科学史での難しい所を実感しました。 (そして、文字を小さくして呟いてみました)いずれにせよJJサクライの響きは良いですね。JJサクライは新制高校に在学していた16歳の時に留学生選抜試験に合格し、アメリカに渡りました。学問好きの少年だったのでしょう。その後、ニューヨークにある高校を卒業した後に、ハーバードを主席で卒業しています。J・J・サクライと弱い相互作用J・J・サクライの研究を理解するうえで重要なのが、 弱い相互作用のV−A理論です。サクライはコーネル大学の大学院生だった時期に、 弱い相互作用について研究し、1950年代後半に V−A(ベクトル・軸性ベクトル)型の理論を独立に提案しました。 これはリチャード・ファインマン、マレー・ゲルマンらが進めていた研究とも 並行して発展したものです。この時代、弱い相互作用については大きな問題がありました。 1956年にリーとヤンが、弱い相互作用ではパリティ対称性が 保存されない可能性を指摘し、1957年にはウーらの実験によって その破れが確認されました。つまり、自然界の弱い相互作用は、鏡に映したような左右反転に対して 強い相互作用や電磁相互作用とは異なる振る舞いをすることが 明らかになったのです。サクライのV−A理論は、この弱い相互作用を 「どのような形の相互作用として記述するのか」という問題に対する 理論的な答えの一つでした。 後の電弱理論につながっていく重要な研究の流れの中に、 サクライの仕事を位置付けることができます。ここで初学者が注意したいのは、 「弱い力は単純に弱い力だから弱い相互作用と呼ばれる」 という理解ではありません。 弱い相互作用は、ベータ崩壊などの粒子の崩壊や変換に深く関係し、 その特徴は非常に短い距離で働くことと、パリティ対称性を破ること にもあります。自然界の基本相互作用を大きく分類すると、 重力、電磁相互作用、強い相互作用、弱い相互作用の 「4つの基本相互作用」があります。 ただし、ここで大切なのは数の比較だけではありません。 それぞれが異なる対称性や媒介粒子、結合の仕組みを持っています。サクライが研究した弱い相互作用は、 その後の素粒子物理学において電磁相互作用との統一という 大きな流れにつながっていきます。 現在の標準模型を理解するうえでも、 1950年代の「パリティは本当に保存されるのか」という問題は 重要な出発点の一つだったのです。J・J・サクライの名前についてところで、なぜ「J・J・サクライ」と呼ばれるのでしょうか。 この点は私自身も以前から気になっていました。調べてみると、サクライの英語表記は Jun John Sakuraiです。 つまり「J・J」は一つのミドルネームの頭文字というより、 JunとJohnという二つの名前の頭文字と考えることができます。そのため、英国の物理学者 J・J・トムソン を意識して「J」を付けたのではないか、という話には 興味をそそられますが、少なくとも確認できた資料からは、 その由来を裏付ける一次資料までは確認できませんでした。科学史では、こうした「もっともらしいエピソード」と 「史料で確認できる事実」を分ける必要があります。 私としては、現時点では 「Jun John SakuraiだからJ・J・サクライ」 というところまでを確かな情報として紹介しておきたいと思います。J・J・サクライの「J・J」とは?(2026/10/14‗追記)J・J・サクライの正式な名前は、Jun John Sakuraiです。このことは、サクライの代表的な著書『Modern Quantum Mechanics』の Cambridge University Press版の巻頭にある「In Memoriam」に明記 されています。そこでは、サクライを「Jun John Sakurai」と表記し、1933年に 東京で生まれ、1949年に高校生として渡米したことなども記されています。したがって「J・J」は、Jun と Johnという2つの名前の頭文字と考える のが自然です。少なくとも、J・J・トムソンの名前を意識して「J・J」 と名乗った、という説明を事実として扱う根拠は確認できません。この点は、科学者の人物史を書くうえでも重要です。本人の正式な 名前として確認できる「Jun John Sakurai」と、そこから想像した 「J・J・トムソンとの関係」は分けて記述したほうが良い理解なのでしょう。。出典: J. J. Sakurai / Jim Napolitano, Modern Quantum Mechanics, Cambridge University Press, 「In Memoriam」。そしてまた相互作用の話 初学者は4つの力を考える時に「力の働く範囲」 と 「力の大きさ」を別々に把握しないといけません。具体的に弱い力(相互作用)は、働く範囲が陽子直径より小さいのです。また、素粒子や準粒子がボゾンを交換して相互作用する中で、弱い力は強い力や電磁学に比べて大きさが数桁小さな力として作用します。 弱い相互作用は標準模型での全てのフェルミ粒子とヒッグスボソンに作用します。フェルミ粒子とボーズ粒子を合わせて「素粒子」と呼びますが、相互作用の議論では素粒子間に働く力が議論されるのです。 特にニュートリノは重力と弱い相互作用のみを使って相互作用します。 重力が天文学的スケールで月と地球の間の相互作用に関与していたり、 電磁力が原子間レベルで互いに力を与えあったりする束縛状態 とは異なります。また、弱い相互作用とは違い 強い核力は原子核の内部で非常に強い束縛状態を持ちます。弱い相互作用は、強い力のように安定した束縛状態(原子核のような構造) を直接形成することはほとんどありません。しかし、 粒子の崩壊や変換(ベータ崩壊など)に関与し、物質の性質や 宇宙の進化において重要な役割を果たしています。まとめると、 素粒子間に働く「強い」・「弱い」の二つの力に加えて 重力と電磁相互作用で働く二つの力を考えた時に 「4つの力」がとして表現されるのです。 夫々の力は独自のメカニズムで働きます。JJサクライの人柄と教育者としての魅力JJサクライは、研究者としてだけでなく教育者としても 非常に高く評価されていました。特に有名なのが、彼の著書である『Modern Quantum Mechanics』です。この教科書は現在でも世界中で使われており、直感と数式のバランスが非常に良い/ 物理の本質を掴ませる構成/初学者から研究者まで支持される内容 という特徴があります。彼の講義スタイルは「厳密でありながら美しい」と評され、学生に対しても非常に誠実だったと言われています。また、 人柄としては静かで知的/無駄な誇張をしない/理論の美しさを重視 という、いわば「理論物理学者らしい気質」を持っていた人物でした。そのため、派手なエピソードは少ないものの、“教科書を通じて世界中の物理学者を育てた人物”とも言える存在です。JJサクライの突然の他界 JJサクライはこうしたメカニズムを深く研究していきました。そして49歳で突然、他界してしまいました。1982年にCERN(欧州原子核研究機構)での会議中に 体調を崩し、にジュネーブで亡くなったそうです。 少し調べてみましたが、その死因に対しては 情報が残されていません。何はともあれ、 惜しい人材を失ったこととなり残念です。4つの力の理解と加速器を初めとした応用研究は未だ 続いています。次々問題が出てきます。そんな議論に 参加して欲しかったです。 謹んでご冥福をお祈り致します。合掌。〆関連する物理学者(前後の流れ)◀ 前の人物: ハンス・ベーテ ▶ 次の人物: 南部陽一郎この分野の物理学者(素粒子論・量子場理論・弱い相互作用)ハンス・ベーテ、 リチャード・ファインマン、 マレー・ゲルマン、 南部陽一郎、 J・J・サクライベーテから量子場理論・素粒子論へ進み、 サクライの弱い相互作用の研究を経て、 ファインマン、ゲルマン、南部らへつながる流れを見ると、 20世紀後半の素粒子論がどのように発展していったのかが見えてきます。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 この頃は全て返信できていませんが 頂いたメールは全て見ています。 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/11/11_初稿投稿 2026/10/21_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 アメリカ関連のご紹介へ UCBのご紹介へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年11月時点での対応英訳)J Sakurai and AmericaThe Japanese notation for J Sakurai is “Jun Sakurai”, a person born in Tokyo, Japan. She used katakana notation in the textbook I was using, so I personally like the katakana notation. She seems to be derived from her middle name, but she is often listed with another “J”. I’m still investigating why her middle name is J.(Hereafter, I will mutter a little) There is a theory that it is derived from “J” by imitating the British physicist JJ Thomson. However, I was not convinced from the perspective of the history of science. “Thomson who thought out the electron beam (I’m Sir Thomson separately)” and “Mr. Sakurai who thought out about the interaction” have very similar points, but I got the primary information to support it. I haven’t.As an excuse not to spend time searching, Mr. Sakurai is less active in Japan, and she is dying (she died early), so it can be expected that there will be little interaction in Japan. Because. I would like to read it if my family is compiling a collection of additional notes, but I do not hear such stories.In the first place, it is expected that he does not want to clarify the origin of JJ Sakurai’s “J” even if there is a bereaved family at the time when such a story is not heard. I realized the difficult part in the history of science when digging into the pursuit point. (And she tried to make the letters smaller and muttered)In any case, the sound of JJ Sakurai is good.JJ Sakurai passed the international student selection test at the age of 16 when he was in a new high school and went to the United States. He must have been an academic boy. Then, after he graduated from high school in New York, he graduated from Harvard as chief.JJ Sakurai and weak forceSince then, JJ Sakurai has been conducting research at Cornell University’s graduate school, advocating the idea of weak interactions while still in school. I will mention a little because his research shows weak and strong interactions. It is said that there are four powers in the natural world in the first place, and the two here are two of the four.When considering the four forces, beginners must grasp the “range of force” and the “magnitude of force” separately.Specifically, the weak force has a working range smaller than the proton diameter. In addition, while elementary particles and quasiparticles exchange bosons and interact with each other, weak forces act as strong forces or forces that are several orders of magnitude smaller than electromagnetics. Weak interactions affect all fermions and Higgs bosons in the Standard Model.Fermions and bosons are collectively called “elementary particles”, but in the discussion of interactions, the forces acting between elementary particles are discussed. Neutrinos in particular interact only with gravity and weak interactions. Weak interactions do not result in bound states.This is different from the bound state where gravity is involved in the interaction between the Moon and the Earth on an astronomical scale, and electromagnetic forces exert forces on each other at the interatomic level.Also, unlike weak interactions, strong nuclear forces have a very strong bound state inside the nucleus. In other words, weak interactions do not contribute to binding energy. JJ Sakurai has studied these mechanisms in depth. And at the age of 49 he suddenly passed away. He did some research, but no information was left about the cause of death. Anyway, it’s a pity that he lost a regrettable talent.Sudden Last of JJ Understanding of the four forces and applied research including accelerators are still ongoing. Problems come up one after another.He wanted me to participate in such a discussion. It wasWe sincerely pray for your souls.Gassho.FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月21日2026年10月11日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す建部賢弘(たけべ かたひろ)_【江戸時代に生まれ和算を大成_円周率 41桁】-10/21改訂 こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。 今回の改定は英訳部の削除が主です。 ご覧ください。(以下原稿です)建部堅弘の数学 【スポンサーリンク】 【イメージ画(コウジ作成)】和算の大成者である健部賢弘建部賢弘は日本の数学者で、和算を大成した人物です。 江戸時代1664年生まれです。関ヶ原の合戦が1600年で江戸太平の世が200年ほど だったことを思い返せば建部はまさに江戸時代の中期 に活躍したと言えますね。時は享保の時代で8代将軍の暴れん坊将軍「徳川吉宗」 の信頼を得ます。そして享保四年(1719年)「日本総図」 を作成します。また、 師である関孝和の業績に関する著作を多数残しました。その内容は歴史的な記述というよりも内容に深く入り込んでいます。 いわば数学の側面からの解説書であったようです。関孝弘の考察を建部が補う そもそも、関孝和は沢口一之が残した『古今算法記』での 未解決問題を関さん独自の点竄術を使って解決していました。そこで「関さんの悪い所」なのですが、 省略し過ぎで難しい本だったのです。 関孝和の考察を建部が補うそもそも関孝和は、沢口一之『古今算法記』に残されていた 未解決問題を、自身の「点竄術」によって解決しました。しかし関孝和の著述は、数学的発想の飛躍が大きく、 途中計算や説明を大胆に省略する傾向がありました。 そのため、当時の和算家たちの間でも 「理解が難しい」という声があったようです。そこで建部賢弘は、師の理論を丁寧に整理し、 後世の学習者にも理解できる形へ体系化していきました。特に『大成算経』では、 関孝和・建部賢弘・建部賢明らによって、 江戸時代和算の集大成とも言える内容がまとめられています。「大成算経」は当時の和算をまとめ上げた 秀作として評価され続けています。円に対しての建部の業績建部賢弘の大きな業績として円に対しての 定量的な追及があります。物凄い精度で 円について考えていったのです。ヨーロッパでは同時代にニュートンやライプニッツが 微積分学を発展させていましたが、 日本では建部賢弘が独自に円周率計算を深化させていました。 【アイザック・ニュートン(1643-1727) 】そもそも、精度の高い真円が描けたとしても その円での半径とこの長さの関係は自明ではありません。今でこそ、子供たちも3.14…と記憶していけるのですが 理論的に真円が描けたと考えた時の弧の長さは 「三角関数を使って級数を作り極限」 を求めていくしかありません。三角関数、級数、極限といった概念を和算の中で 正確に使っていくデリケートさが求められるのです。建部賢弘は丁寧に言葉を選んで誰でもわかる 表現をして未知の世界に挑んでいったのです。建部以前の時代から使われていた正多角形を 円が囲む近似から考えていきました。建部は逆に正多角形に円が囲まれた部分を想像して、 円の面積がA以上B以下であると証明していくのです。そして円弧の長さがα以上β以下であると証明していったのです。建部賢弘は、和算において円周率および円弧の長さの計算法を深め、 少なくとも小数点以下41桁近くまで算出したとされます。 江戸時代の和算家としては極めて高精度な数値解法であり、 当時としても突出した成果でした。その他の建部の業績その他にも建部賢弘は多くの業績を日本に残しましたが、 以下備忘録的に羅列します。・指数1/2の二項級数の近似解法を紹介 ・ディオファントス方程式の近似解法を紹介 ・帰納法に基づいた数値解析の方法論を紹介 ・無限の概念を「不尽」として導入 ・三角関数の内容を表の形で明示そして今、 日本数学会では建部賢弘特別賞や建部賢弘奨励賞 という形で若手数学者を奨励する賞を設けています。 建部賢弘のように若かりし人が 新しい分野を開いていく姿を数学会は期待しています。🔍 補足・一次情報調査建部賢弘(たけべ かたひろ)は、寛文4年(1664年)6月(江戸)生まれ、 元文4年(1739年8月24日)没とされています。 ウィキペディア+2コトバンク+2彼は、関孝和(せき たかかず)の門人であり、円理 (円周率・円弧長さに関する理論)において大きな足跡を残しました。 mathsoc.jp+1記録によれば、建部賢弘は「累遍増約術」という方法を用い、 円周率を多角形近似法によって詳細に求めたとされています。 mathsoc.jp+1ただし「点竄術」「傍書法」などと関係づけて高次方程式や行列式にまで言及する部分については、 明確に「行列式」という語を和算当時が使っていた史料は確認できていません。 より慎重に「行列類似の考え方」「多変数未知数の処理法」などと記す方が学術的です。関連する科学者の系譜(和算と数学史)◀ 前の人物:関孝和(1642?-1708) ▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727) この分野の科学者(和算・数学史) 関孝和 建部賢弘 沢口一之 ライプニッツ ニュートン〆大学教科書・専門書・医学書 専門買取サイト「専門書アカデミー」【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 時間がかかるかもしれませんが 必ず返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2022/10/06_初稿投稿 2026/05/21_ 改訂投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介AIでの考察(参考)FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月20日2026年10月5日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す広田良吾【1932年2月1日 ~2015年1月17日】 — ソリトン理論を革新した孤高の数学者 —10/20改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)【差分と超離散(PR)】生年月日:1932年2月1日 没年月日:2015年1月17日非線形現象は、自然界の至るところに存在しています。 波の伝播、流体の振る舞い、さらには光やプラズマの動き に至るまで、現実の世界は単純な線形理論だけでは説明できません。こうした複雑な現象を、驚くほど簡潔な数学的手法で 解き明かした日本の数学者がいます。ソリトンの概念は、 ジョン・スコット・ラッセルの観測に始まり、 クルスカルらによって再発見され、 広田良吾の手法によって体系的に扱われるようになりました。 広田良吾は、「広田法」と呼ばれる独自の解法を確立し、 ソリトン理論の発展に決定的な役割を果たしました。彼の研究は、難解な非線形方程式に対して新たな視点を 与えただけでなく、物理学や工学における応用にも広がっていきます。本記事では、広田良吾の「業績」「人物像」「後世への影響」 を軸に、その独創的な研究人生と知的遺産を丁寧に読み解いていきます。広田良吾の業績概略 — 非線形科学を変えた広田法ソリトンとは何か広田良吾の研究を理解するうえで重要なのが「ソリトン」という概念です。ソリトンとは、波でありながら形を崩さずに伝播し、他の波と 衝突しても元の形を保つという特異な性質を持つ現象です。このような非線形現象は、従来の解析手法では扱いが難しく、 その理論的理解は長い間困難とされていました。広田法の革新性広田は、非線形偏微分方程式を扱うための画期的な 方法として「広田の双線形形式(広田法)」を提案しました。広田法の革新性 — 非線形方程式を双線形形式で扱う広田良吾の研究を理解するうえで、最も重要なのが 「広田の双線形形式」、いわゆる広田法です。非線形偏微分方程式では、線形方程式のような単純な重ね合わせの原理が そのまま使えません。そのため、複数の波がどのように相互作用するのかを 数式から直接調べることは容易ではありませんでした。広田が1971年に考案した方法では、非線形偏微分方程式をそのまま 無理に解こうとするのではなく、まず適切な従属変数変換を行って 双線形微分方程式へ変換します。 そして、その双線形形式に対して摂動計算を行うことで、 ソリトン解を体系的に構成していきます。ここで興味深いのは、通常の摂動計算では近似解になるはずの計算が、 広田の双線形形式では途中で打ち切ることができ、 厳密なソリトン解につながる点です。 これは広田自身も、双線形微分方程式が持つ特殊な性質によるものとして 説明しています。つまり広田法は、「非線形方程式を線形方程式に変えてしまう方法」 ではありません。 非線形問題の中にある構造を、双線形形式へ写し替えることで、 ソリトン解を直接的に構成しやすくする方法と考えるほうが正確です。この方法によって、1個のソリトンだけでなく複数のソリトンが存在する 解を明示的に構成できるようになりました。 現在でも広田法は、非線形発展方程式や可積分系に対して 多ソリトン解を構成する代表的な手法の一つとして使われています。ソリトン研究の流れから見る広田良吾広田良吾の仕事を単独で見るよりも、ソリトン研究の流れの中に置くと その意味が分かりやすくなります。ソリトンにつながる歴史的な出発点の一つは、 1834年に水路で孤立した波を観測した ジョン・スコット・ラッセルの報告です。 その後、非線形波動方程式の研究が進み、 クルスカルらによる1960年代の研究によって 「soliton」という概念が確立していきました。広田の特徴は、このソリトンという現象を単に観察したり、 個別の方程式を解いたりするのではなく、 非線形方程式からソリトン解を構成するための直接的な数学的方法 を提示したことにあります。さらに広田は、連続的な微分方程式だけでなく、 差分方程式による離散系にも研究を広げました。 広田自身が説明しているように、1977年から1978年にかけて KdV方程式、Toda方程式、sine-Gordon方程式、Burgers方程式などの 差分化にも取り組んでいます。この「連続から離散へ」という展開は、 現在の可積分系研究を考えるうえでも重要です。 広田法は単なる一つの計算テクニックではなく、 非線形な連続系と離散系の中にある可積分な構造を探る方法 として発展していったのです。従来、非線形方程式は重ね合わせの 原理が成り立たず、解の構造を体系的に理解することが困難でした。しかし広田は、方程式を双線形形式に書き換えることで、 複数のソリトン解を明示的に構成できる方法を提示しました。これにより、「非線形=扱えないもの」という認識が大きく転換され、 可積分系研究が一気に進展することになりました。従来の方法と比べて計算が明確であり、 多数の解を構築できる点が大きな特徴です。離散系・可積分系への拡張広田の研究は、連続系だけでなく 離散系にも拡張されました。差分方程式においても可積分性を保つ構造を見出し、 「離散可積分系」という新たな研究分野の基礎を築きました。この成果は、数値計算や情報科学にも 影響を与えるものとなっています。広田良吾の人物像 — 独自の道を貫いた研究者実用と理論をつなぐ視点広田は、純粋数学と応用物理の間をつなぐ研究を重視していました。単なる理論の美しさだけでなく、現象を理解し、 実際に役立つ形で表現することを大切にしていたと考えられます。この姿勢が、広田法のような実用性の高い手法を生み出す背景となりました。簡潔さを追求する美学広田の研究の特徴の一つは、「いかに簡潔に表現できるか」という点にあります。複雑な現象をシンプルな数式で表すことは容易ではありませんが、 彼はその可能性を追求し続けました。その結果として生まれた広田法は、まさに 「簡潔さの中の深さ」を体現するものと言えるでしょう。国際的評価と静かな存在感広田の業績は国際的にも高く評価され、 多くの研究者に影響を与えました。一方で、その研究スタイルは派手さとは無縁であり、 静かに理論を積み重ねるタイプの研究者でした。その姿勢は、研究とは何かを考えさせるものがあります。後世への影響 — 数学・物理・情報科学への広がり可積分系研究の発展広田法は、可積分系の研究において標準的な手法の一つとなりました。多くの非線形方程式に対して適用され、理論の発展を加速させています。物理学・工学への応用ソリトンの概念は、光通信やプラズマ物理など、さまざまな分野に応用されています。広田の理論は、これらの応用の基盤として重要な役割を果たしています。現代科学への示唆広田の研究は、「複雑なものをいかに単純に捉えるか」という科学の本質的な課題に対する一つの答えを示しています。現代においても、複雑系やデータ科学の分野で、この視点は重要性を増していると考えられます。まとめ:簡潔さの中に深さを見出した数学者広田良吾は、非線形という難解な世界に対して、 独自の視点と方法で挑み続けた数学者でした。その成果は、理論的な美しさと実用性を兼ね備えたものであり、 現在も多くの分野に影響を与え続けています。彼の研究は、複雑な現象の中に潜む秩序を 見出すことの重要性を私たちに教えてくれます。そしてその姿勢は、これからの科学においても 大きな示唆を与え続けるのではないでしょうか。 ▶ 前後の流れ◀ 前の人物:ジョン・スコット・ラッセル(ソリトンの最初の発見)▶ 次の人物:ピーター・ラックス(可積分系・保存則の理論化)▶ この分野の物理学者・数学者マーティン・クルスカルノーマン・ザブスキーエンリコ・フェルミ👉(FPU問題 → ソリトン再発見の流れ) 〆さいごに〆以上、間違いやご意見などがございましたら、 以下のアドレスまでご連絡ください。 内容については確認のうえ、 適宜返信・改定を行わせていただきます。nowkouji226@gmail.com 2026/04/04_初版投稿 2026/10/20_改訂投稿舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 力学関係へ 電磁気関係へ※本記事にはAIによる考察を含みます。 ※当サイトはAmazonアソシエイト・プログラムに参加しています。(2026年春の時点での対応英訳)Nonlinear phenomena exist everywhere in the natural world.From wave propagation and fluid behavior to the dynamics of light and plasma, reality cannot be fully explained by simple linear theories alone.Amid these complex phenomena, there was a Japanese mathematician who illuminated them using remarkably concise mathematical methods.Ryogo Hirota established an original solution technique known as the Hirota method, playing a decisive role in the development of soliton theory.His work not only introduced a new perspective for tackling highly complex nonlinear equations, but also expanded into applications in physics and engineering.In this article, we will carefully explore Hirota’s creative research life and intellectual legacy through three key perspectives: his achievements, his character, and his influence on later generations.Overview of Hirota’s Achievements — The Hirota Method That Transformed Nonlinear ScienceWhat Is a Soliton?To understand Hirota’s work, it is essential to grasp the concept of a soliton.A soliton is a type of wave that maintains its shape as it propagates and retains its original form even after colliding with other waves—an unusual property.Such nonlinear phenomena are difficult to handle using conventional analytical methods, and their theoretical understanding remained a challenge for a long time.The Innovation of the Hirota MethodHirota proposed a groundbreaking approach for dealing with nonlinear partial differential equations, known as the bilinear formalism (or Hirota method).In this method, a complex nonlinear equation is first transformed into a bilinear form, from which solutions can be systematically constructed. This makes it possible to derive soliton solutions in an organized and efficient manner.Compared to conventional methods, the calculations are clearer, and the approach allows for the construction of multiple solutions—one of its defining strengths.Extension to Discrete and Integrable SystemsHirota’s work extended beyond continuous systems to discrete ones.He identified structures that preserve integrability even in difference equations, laying the foundation for a new field known as discrete integrable systems.These contributions have also influenced numerical computation and information science.Character of Ryogo Hirota — A Researcher Who Pursued an Independent PathBridging Theory and ApplicationHirota emphasized research that connects pure mathematics with applied physics.Rather than focusing solely on theoretical elegance, he valued understanding phenomena and expressing them in forms that are practically useful.This perspective helped give rise to highly practical methods such as the Hirota method.Aesthetic of SimplicityOne of the defining features of Hirota’s work is his pursuit of simplicity.Expressing complex phenomena through simple mathematical formulations is not easy, yet he continually sought this possibility.The Hirota method can be seen as a perfect embodiment of depth within simplicity.International Recognition and Quiet PresenceHirota’s achievements have been highly regarded internationally and have influenced many researchers.At the same time, his research style was far from flamboyant—he was a quiet figure who steadily built his theories.His approach invites reflection on the true nature of research itself.Influence on Later Generations — Expanding into Mathematics, Physics, and Information ScienceAdvancement of Integrable Systems ResearchThe Hirota method has become one of the standard techniques in the study of integrable systems.It has been applied to many nonlinear equations, accelerating the development of the field.Applications in Physics and EngineeringThe concept of solitons has found applications in various domains, including optical communications and plasma physics.Hirota’s theories play a crucial foundational role in these applications.Implications for Modern ScienceHirota’s work offers an answer to one of the fundamental questions of science: how to understand complexity in simple terms.Even today, this perspective is becoming increasingly important in fields such as complex systems and data science.Conclusion — A Mathematician Who Found Depth Within SimplicityRyogo Hirota was a mathematician who persistently challenged the difficult world of nonlinearity with his own unique perspective and methods.His achievements combine theoretical elegance with practical utility and continue to influence many fields today.His work teaches us the importance of discovering the hidden order within complex phenomena.And this mindset will likely continue to offer profound insights for the future of science.FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月20日2026年10月10日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すアイザック・ニュートン【微積分を駆使して空間・時間・力を明確に定式化】-10/20改訂 こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。 今回の改定は英訳部の削除が主です。 ご覧ください。(以下原稿です)「数学の世界史」 【スポンサーリンク】 【1642年12月25日 ~ 1727年3月20日】 【出典:Wikimedia Common_Public Domain(パブリックドメイン)】物理学を変えたニュートン物理学でのパラダイムシフトを語るうえで 外せない人物が、このニュートンでしょう。物理学に於いてそれまでの常識を覆しました。 数学を駆使して物理学を大きく変えています。今では世界で彼の名を冠した科学関係の雑誌が 刊行されている程です。多くの人がその名と 業績を知っています。イギリスで生まれたニュートンはケンブリッジでアイザック・バローに師事し 研究をしていきます。アイザック・ニュートン(Sir Isaac Newton)は、 1642 年12 月25 日(新暦:1643 年1 月4日)に英国リンカンシャー州ウールストープ で生まれました。 Encyclopedia Britannica+1 両親を幼くして亡くし、母方の祖母に 育てられたという幼少期の状況は、後年の思索生活にも影響を与えた とされています。 ウィキペディア+1 その後、彼は ケンブリッジ大学 の トリニティ・カレッジに進み、師である アイザック・バロー(Isaac Barrow) との出会いを通じて数学・物理学の本格的研究を開始します。特に大きな転機となったのは学位を習得する時期です。ペストがヨーロッパ中に 大きな被害をもたらし、ケンブリッジも封鎖された時期があったのです。 その時期にニュートンは地元に戻り思索の時間を多くとれたのです。 その時間が1665年の万有引力発見に繋がります。ニュートンの業績 ニュートンが示したものは大きいのです。力が「相互作用」であって小さなリンゴと大きな地球が相互作用するように、全ての物質が相互に作用して、互いに引き合う事象を見出しました。『プリンキピア』では、幾何学的手法を用いながらも、 後に微積分学へと繋がる洗練された発想を取り入れ、 力学を数学的に体系化しました。その後の学問の発展に 大きな基礎を築いています。ニュートンの足跡 何年もの後にマッハが「力学の哲学的批判史」の中でニュートン独自の 空間概念の定式化を批判しますが、それもニュートンの整理・確立した 空間概念、慣性の法則、などがあって初めて気づき得る話なのです。特に神との関りにおいてニュートンは「人格神に対する信仰を固辞している」 (ハイゼンベルグ「現代物理現象の自然像」(1955)より)という指摘 が重要です。神を想定して「絶対空間」を想定している時点で、後世の 相対的(人間的)思想とニュートンの理解体系は少しずつ乖離していくのです。 実際にはアインシュタインが空間の相対性を明確化する中でも「基礎理論」 としてのニュートン力学は依然として有益な理論なのですが、特に20世紀初頭の 物理学の進展で適用範囲に大きな疑問を投げかけました。ニュートンの力学を 土台の一つとして更に量子力学が出来てくるのです。その他、ニュートンの業績は光学、微積分学、と尽きませんが 空間・時間・力を明確に定式化した点が後世の我々にとっても、 物理学にとっても何より大きいと思えます。ニュートンは人々の物に対する考え方を大きく変えました。関連する科学者の系譜(古典力学と数学)◀ 前の人物:アイザック・バロー(1630-1677) ▶ 次の人物:レオンハルト・オイラー(1707-1783) この分野の物理学者(古典力学・天文学) ガリレオ・ガリレイ ヨハネス・ケプラー クリスティアーン・ホイヘンス ロバート・フック 〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点には適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/09/02_初版投稿 2026/05/20_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 イギリス関係のご紹介 ケンブリッジ関連 力学関係へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月19日2026年10月5日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すロジャー・ペンローズ【ブラックホールにおける特異性を示しノーベル賞を受賞】-10/19改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)皇帝の新しい心 【スポンサーリンク】 【1931年8月8日生まれ ~ (ご存命中)】 【出典:Wikimedia Commons‗Roger Penrose】 芸術家肌のペンローズその名はロジャー・ペンローズ;Sir Roger Penrose OM FRS。英国の物理学者ですが、2025年9月時点で94歳。まだご存命の方なので簡単に取り上げたいと思います。有名人のブライアンとは少し系統が違う気がするのです。 (芸能系ではない純理論の学者さんです。ムツゴロウさんとも雰囲気が違いますね)ロジャー・ペンローズは精神科医にして遺伝学者の父を持ち、 父方母方共に沢山の学者、芸術家がいる家庭に生まれました。 ロジャー自身も学者としてケンブリッジに進みます。1994年にはナイトに叙せられています。また、 ホーキングと共にブラックホールにおける特異点を示し、 後に2020年のノーベル賞を受賞します。 ペンローズと「意識の量子論」私がペンローズの研究業績で気になっているのは、 ブラックホールや幾何学だけではありません。 「意識とは何か」という問題に量子力学を持ち込んだ議論です。ペンローズは著書『皇帝の新しい心』などで、 人間の意識や数学的な理解には、通常のコンピューターによる アルゴリズムでは説明しきれない部分があるのではないかと考えました。 その議論から、量子力学における状態の収縮、さらに重力が関係する 「客観的収縮(objective reduction)」という考え方へ進んでいきます。ここで重要なのは、 「脳の中でも量子力学が働いている」という一般論と、 「量子状態の収縮が意識の本質である」というペンローズの仮説を 分けて考えることです。 前者は物質を記述する基本理論としての量子力学の話ですが、 後者は現在の標準的な量子力学だけから自動的に導かれる結論ではありません。さらにペンローズは、麻酔科医のスチュアート・ハメロフとの共同研究で、 神経細胞内部の微小管(microtubules)を量子状態の舞台として考える 方向へ議論を進めています。 量子状態の重ね合わせが重力によって客観的に収縮し、 それが意識の基本的な出来事に対応する、という考え方です。この仮説には現在も議論があります。 特に、脳のような温かく複雑な環境で量子状態がどの程度の時間維持できるのか、 また、その量子過程が本当に意識の成立に結び付くのかという問題があります。 この点については、量子意識を扱う研究の中でもペンローズとハメロフのモデルは 非常に大胆な仮説として位置付けられており、実証された理論として扱うことはできません。私自身が感じた「違和感」も、ここにあります。 脳内の物質現象を量子力学で記述できることと、 量子状態の収縮を意識そのものの原因と考えることの間には、 まだ一段階、大きな論理があります。その一段階をどのように埋めるのか。 そこまで系統的に読み進めて初めて、 私の感じている違和感が本当の問題なのか、 それとも単に私の理解が追いついていないだけなのかが分かるのでしょう。そう考えると、ペンローズの議論は非常に興味深い研究テーマです。 確立した物理理論として紹介するのではなく、 「物理学は意識をどこまで説明できるのか」という未解決問題を 考えるための一つの大胆な仮説として読んでみたいと思います。 ペンローズの芸術的感性と独創性ロジャー・ペンローズは、理論物理学者でありながら 「芸術家肌」と評されることが多い人物です。 その理由の一つが、彼の研究に見られる強い幾何学的直観です。特に有名なのが、ペンローズ・タイルと呼ばれる図形構造です。 これは規則的でありながら周期性を持たない不思議なパターンで、 数学・物理・芸術の境界を越えて大きな影響を与えました。また、彼の研究スタイルは「既存の枠組みにとらわれない」こと でも知られています。ブラックホールの特異点定理においても、 スティーヴン・ホーキングと協力しながら、 時空の幾何学的性質から問題を解き明かしました。このようにペンローズの思考は、幾何学的直観/物理理論/哲学的問いを横断する特徴を持っています。そのため、意識の問題に対する アプローチも、単なる物理学の枠を超えたものになっているのです。ペンローズの議論は、物理学だけでなく「意識とは何か」 という哲学的問題にも踏み込んでいる点で特異な位置を占めています。 ペンローズの研究業績研究業績で気になってしまうのは認識に関する仮説に関してです。 脳内での活動については個人的に昔から気になっている部分 ではあるのですが、ロジャー・ベンローズの話の展開に、 ほんの少しの違和感を覚えるのです。ロジャーの主張は著書:皇帝の新しい心_で示されているのそうですが脳内の情報処理には量子力学が関わる。即ちユニタリー発展(U)と波束の収束(R)が含まれている仮定のもとに、ペンローズは、量子力学における「波束の収束(R)」が現在の理論では十分に説明されていない点に着目し、この未解決問題こそが意識の本質に関わるのではないかと主張しています。無論、脳内の活動は大きさスケールで考えた時に量子力学の対象となると思えます。脳内の伝達物質の一つは情報を与える電子であったりするからです。その系統の話をきちんと読み通してはじめて分かる話なのか、 考え落としを含んでいる危うい話なのか、失礼ながら 気になってしまうのです。関連する物理学者(前後の流れ)◀ 前の人物: アインシュタイン ▶ 次の人物: S・W・ホーキングこの分野の物理学者(一般相対性理論・ブラックホール・量子論)アインシュタイン、 ロジャー・ペンローズ、 S・W・ホーキング、 フォン・ノイマンアインシュタインが一般相対性理論を築き、 ペンローズがその数学的構造からブラックホール形成と特異点の問題を追究し、 ホーキングとの共同研究によって特異点定理へと展開していきます。 一方、量子力学の数学的基礎という観点では、 フォン・ノイマン の仕事も、状態の収縮という問題を考える上で重要な背景になります。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2021/07/02_初回投稿 2026/10/21_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 イギリスのご紹介へ ケンブリッジのご紹介へ 力学関係のご紹介へ 量子力学関係へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年11月時点での対応英訳)Artist skin pen roseIts name is Roger Penrose OM FRS.He’s a British physicist, but he’s still alive, so I’d like to take a quick look. He feels a little different from the celebrity Brian.(I’m a non-entertainment scholar of pure theory. The atmosphere is different from that of Mr. Mutsugoro.)Roger Penrose was born into a family with a psychiatrist and geneticist father, and many scholars and artists on both his paternal and maternal sides. Roger himself goes to Cambridge. He, along with Hawking, showed his singularity in black holes and later won the 2020 Nobel Prize. The reason for his award was his appreciation for the relationship between black holes and relativity.Penrose research achievementsWhat is worrisome about his research achievements is the cognitive hypothesis. I’ve always been concerned about activities in the brain, but I feel a little uncomfortable with the development of Roger Ben Rhodes’ story. The claim is shown in Roger’s book: The Emperor’s New Heart, but quantum mechanics is involved in information processing in the brain. That is, under the assumption that unitary development (U) and wave packet convergence (R) are included, we are proceeding from the standpoint that there is a lack of discussion on one R. I’m rude and worried whether it’s a story that can only be understood by reading through the story of that system properly, or a dangerous story that includes oversight. I would like to confirm whether the “uncomfortable feeling” I use in this article is a genuine uncomfortable feeling or a discomfort of having a hard time moving. In that sense, it’s very interesting.〆FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月19日2026年10月10日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す関孝和【 1637年1642年生まれ_傍書法と点竄術で和算を革新した“算聖”の生涯と業績】-10/19改訂 こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。 今回の改定は英訳部の削除が主です。 ご覧ください。(以下原稿です)江戸時代を代表する数学者 ― 関孝和(せき たかかず) 【1637年1642年生まれ1708年12月5日没】 出典: Wikimedia Commons(Public Domain)関孝和(1642年頃〜1708年)は、日本の数学史において最も重要な人物の一人として知られています。 江戸時代中期に活躍し、「和算(わさん)」と呼ばれる日本独自の数学体系を大成させました。特に、 「円理(えんり)」や「筆算」の改良、そして行列式に相当する「行列法(こうれつほう)」を 早期に取り入れた点で、世界的にも高く評価されています。彼の著書『解伏題之法』『発微算法』などは、後世の和算家たちに大きな影響を与え、 日本数学の黄金期を築きました。特に「高次方程式の数値解法」や「算額(数学的奉納板)」の普及により、 数学が庶民の文化の一部として定着する契機を作ったことは特筆に値します。関孝和の功績は、単なる技術的進歩に留まりません。彼は「独立した知の体系」を築きました。 当時ヨーロッパで発展しつつあった代数学・解析学と比較しも、 独自性の高い数学体系を、日本語と算木・筆算によって構築した点は特筆に値します。その革新性は、 近代以降の数学史研究でも再評価されています。参考文献: ・島田徹『和算の世界』岩波書店, 1998年 ・日本数学史学会『関孝和の数学的遺産』2005年 ・Wikipedia – 関孝和彼は独自の記号法「傍書法」と、 筆算術を応用した「点竄術」を生み出し、それまで解けなかった 高次方程式を扱えるようにしました。この革新は、連立方程式や 行列式、さらには微積分に相当する問題まで取り組める新しい数学の地平を 切り開きます。和算の枠を大きく広げた功績により、後世の和算家は関の流れを 「関流」と称し、彼を「算聖」と仰ぎました。本記事では、関孝和の人物像と 研究の中核に迫り、その意義を現代的な視点から解説します。関孝和の生涯と和算の登場出自と生涯の背景関孝和は江戸時代前期、武士の家に生まれ、幕府の勘定役を務めたと伝わります。 生年や前半生には不明点が多いものの、確かなのは彼が数学的才能を発揮し、 和算を飛躍的に発展させたことです。和算は中国から伝わった数学を基盤と しながらも、日本独自の発展を遂げていました。孝和の登場は、まさに和算の 「成熟期」を象徴する出来事でした。中国数学からの影響当時の日本数学は、中国の『算数書』や『天元術』を受け継いでいました。 しかし、中国式の天元術は未知数が一つしか扱えず、問題解決には 限界がありました。孝和はこの制約を打破する方法を模索し、 傍書法や点竄術を通じて、未知数を複数扱う革新的な アプローチを生み出したのです。算聖と呼ばれるまで関の業績は弟子や後継者に継承され、18世紀には「算聖」と称されるほどの 尊敬を集めました。「関孝和は、江戸時代において『算聖』と称され、 和算を通じて学問と文化の融合を象徴する存在となりました。」数学的革新 ― 傍書法と点竄術の深堀り傍書法の誕生と意義傍書法とは、数式を紙面の傍らに記号として書き込む独自の表記法です。 これにより、複数の未知数を同時に扱えるようになり、数式の整理が飛躍的に 簡単になりました。現代の代数記号の先駆けともいえる画期的な発明であり、 数学を抽象的に操作する力を高めました。点竄術による計算革命点竄術は、筆算のように符号や記号を操作して高次方程式を解く方法でした。 未知数を扱う複雑な問題を体系的に処理できるため、和算における「計算技術革命」 とも呼べます。連立方程式の消去法や行列式の萌芽がここに見られる点は、 特筆すべきです。天元術の応用拡大従来の天元術は一次元的な問題に限定されていましたが、傍書法と 点竄術の導入により、複数未知数や高次方程式にも応用可能になりました。 例えば、孝和は正三角形から正20角形に至る多角形の面積計算を体系化し、 数学を幾何・代数の両面から進化させました。和算の発展と関流の形成後世の和算家への影響孝和の技術革新により、和算は多くの分野に応用されました。彼の方法は 計算を効率化し、後世の和算家が新しい公式を導き出す基盤を築きました。 この恩恵は18世紀を通じて広がり、日本独自の数学文化の成熟を支えました。関流という学派の誕生18世紀後半になると、孝和を中心とする和算家の系譜は「関流」と称されました。 和算家たちは系譜を誇りとし、孝和の記号法や計算法を標準として学びました。 関流は、和算を日本全国に普及させる大きな原動力となったのです。算聖としての文化的地位関孝和は単なる数学者にとどまらず、日本文化の象徴的存在へと昇華しました。 和算は学問としてだけでなく、文化・芸術と並ぶ知的営みとみなされ、 孝和の名は「算聖」として歴史に刻まれました。まとめ関孝和は、日本の数学史において決定的な役割を果たした革新者でした。 傍書法と点竄術によって、和算は未知数を複数扱える新たな地平に到達し、 連立方程式や高次方程式を体系的に解く力を獲得しました。この成果は 後世の和算家に継承され、「関流」として全国に広がり、和算を文化的にも 学術的にも高みに押し上げました。俳聖・茶聖と並ぶ「算聖」としての 関孝和の名は、今もなお日本数学史に燦然と輝いています。関連する科学者の系譜(和算・数学史)◀ 前の人物:アイザック・バロー(1630-1677) ▶ 次の人物:ゴットフリート・ライプニッツ(1646-1716)この分野の数学者(和算・数学史)ブレーズ・パスカルゴットフリート・ライプニッツアイザック・ニュートン 〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/10/11‗初稿投稿 2026/10/19_改訂投稿舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月18日2026年10月4日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すロバート・シュリーファー 【超電導を理論化したBCS理論を提唱】‐10/18改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)超伝導の理論 【スポンサーリンク】 【1931年5月31日 ~ 2019年7月27日】 【引用:Wikimedia Commons“John R. Schrieffer”】 BCS理論を構築したシュリーファーBCS理論を作った3人の中の一人がシュリーファーであって、BCS理論でのSはシュリーファのSです。BCS理論自体の説明は他のメンバーである バーディーン、クーパーのご紹介の中で 解説していますので繰り返しません。 超伝導を微視的に解説した理論です。シュリーファーの人物像と研究のひらめきジョン・ロバート・シュリーファーは、理論物理学者の中でも 「ひらめき型」の研究者として知られています。BCS理論の完成において決定的だったのは、彼が電車に乗って 移動中に思いついたとされる波動関数の形でした。 このアイディアにより、超伝導状態を記述する理論が 一気に完成へと近づいたのです。彼の役割は、ジョン・バーディーンとレオン・クーパーが築いた 物理的な直観を、一つの美しい数式として結晶化することにありました。また、若い頃から電子工学に強い関心を持っていたことも特徴的です。 ロケットや無線といった実践的な趣味を通じて、「見えない現象を扱う感覚」 を身につけていたことが、後の理論構築にも影響していたと考えられます。研究者としては寡黙で、どちらかと言えば内向的な性格だった とも言われています。その分、一つの問題に深く集中する力に優れており、 短期間で決定的な成果を出すタイプの研究者でした。シュリーファーが完成させたBCS波動関数BCS理論を作った3人の中の一人がシュリーファーです。 BCS理論での「S」はシュリーファーの頭文字です。BCS理論そのものについては、すでに バーディーン、 クーパーの記事で説明していますので、 ここではシュリーファー自身の役割に絞ります。バーディーンが超伝導を説明するための問題を追い、 クーパーが電子同士の結合した状態、いわゆるクーパー対を考えた後、 シュリーファーは「多数のクーパー対が集まった超伝導状態全体を、 どのような量子状態として表現すればよいか」という問題に取り組みました。1957年初頭、シュリーファーは移動中に、 多数の電子対が協調して存在する状態を一つの波動関数で表すという 重要なアイデアを得たとされています。 この波動関数によって、超伝導状態を数学的に扱う道が開かれました。ここがシュリーファーの大きな役割です。 クーパーが「電子対」という部分を示し、 バーディーンが超伝導を説明する物理的問題を整理する一方で、 シュリーファーは多数の電子対からなる集団状態を 量子力学的な波動関数として記述する方法を与えました。こうして3人の仕事が結びつき、1957年にBCS理論が完成します。 同年12月に発表された論文 「Theory of Superconductivity」 には、バーディーン、クーパー、シュリーファーの3人の名前が並んでいます。 この理論によって、従来から知られていた超伝導現象を 電子と結晶格子の相互作用という微視的な立場から説明する道が開かれました。シュリーファーはその後も物性理論の研究を続けました。 BCS理論は単に超伝導だけを説明する理論にとどまらず、 多数の粒子が協調して量子的な状態を形成する現象を考える上で、 その後の物理学にも大きな影響を与えています。 シュリーファーと超電導の研究シュリーファはMIT(マサチューセッツ工科大学)で 半導体の研究を当初進めていました。特に半導体表面での 電子の振る舞いを研究していたのです。そして後に超伝導現象の 研究に移ります。シュリーファーの業績は、物理現象を「一つの波動関数で記述する」という量子力学の美しさを体現したものでした。シュリーファ達がBCS理論をまとめた後、世界での研究は常温での 超伝導実現に向けた研究が進んでいます。常温高圧環境下で現象を 起こしたりする試みがされていて、マイナス百数十ケルビンまで 転移温度は近づいてきています。現実には実現が難しいような高圧をかけた時に、常温で超電導現象が 実現した報告もあります。私が研究していた時代には 青学の秋光先生や東工大の細野先生が挑んでいました。それぞれご存命かと思われますので詳細は控えます。科学史と言うより最前線に近いかと思えますので。ご本人達にしてみれば未だ少し、「今でも研究してますよ!」って気持ちもあるのではないかとと思えるのです。 シュリーファーの晩年話し戻って、シュリーファは1957年から米国代表の立場で英国バーミンガム大学とコペンハーゲンのボーア研究所で超電導の研究を続けています。そして残念な事に、晩年に自動車事故を起こし人を殺めてしまい、懲役を課されています。カリフォルニア州サンディエゴにある刑務所で懲役に服しました。素晴らしい研究のセンスとうっかりミスを犯してしまう性格は共に シュリーファの人生に影響を与えました。この出来事は、優れた研究者 であっても一人の人間として社会的責任を負っていることを 改めて考えさせるものです。こんな話をするのは事故当時 シュリーファは免許停止中だったからです。 立場のある人間であれば尚更、責任を持った行動が求められます。それだから、この話を知って「とても残念」です。 バーディン教授の人を集める性格とシュリーファー教授の 人を遠ざけてしまう性格は対象的に思えてしまうのです。バーディンは仲間とトランジスタを開発して、別途BCS理論をつくりあげて 仲間の輪を広げました。その過程で出会った日本人、中嶋貞雄を アメリカに呼んで、もてなしていたりします。朗らかなアメリカ人のイメージです。反面、シュリーファーは立派な立場をいくつも受けた後に 人を殺めてしまいました。朗らかなアメリカ人として 単純に語れない人生です。こんな話を我々は 大きな教訓として考えるべきだと思います。シュリーファーの人物像と研究のひらめきシュリーファーは若い頃から電子工学に強い関心を持っていました。 アマチュア無線や手作りロケットなどに興味を持ち、 MITでは当初電気工学を専攻した後、物理学へ進んでいます。 こうした経験も含め、理論だけに閉じた研究者ではなく、 目に見えない電子の振る舞いを具体的な現象として 捉えようとした研究者だった と見ることができます。一方で、BCS理論を「シュリーファー一人のひらめき」 と考えるのは適切ではありません。 バーディーン、クーパー、シュリーファーのそれぞれの研究が結びつき、 電子対という物理的な考え方と、それを集団的な量子状態として記述する数学が 組み合わさったことで理論が完成したのです。この研究史を見ると、科学における「ひらめき」は、 一人の研究者が突然すべてを発見することではなく、 それまで積み重ねられていた問題やアイデアを別の形にまとめ、 一気に理論として結びつける瞬間でもあることが分かります。関連する物理学者(前後の流れ)◀ 前の人物: レオン・クーパー ▶ 次の人物: 久保亮五この分野の物理学者(超伝導・低温物理学・物性物理学)ヘイケ・カメルリング・オネス、 ジョン・バーディーン、 レオン・クーパー、 ロバート・シュリーファー、 久保亮五超伝導の歴史は、オネスによる超伝導現象の発見から、 バーディーン、クーパー、シュリーファーによるBCS理論へと進み、 さらにその後の低温物理学・物性物理学へとつながっています。また、現在も続く高温超伝導や室温超伝導への研究については、 室温超電動に関する記事 でも紹介しています。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 時間がかかるかもしれませんが 必ず返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/09/17_初稿 2026/10/18_改定舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 アメリカ関連のご紹介へ イギリス関係のご紹介へ オランダ関係のご紹介へ 熱統計関連のご紹介へ 量子力学関係へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年11月時点での対応英訳)Schrieffer of BCS theoryOne of the three who created the BCS theory is Schrieffer, and the S in BCS theory is Schrieffer’s S.Research on Schrieffer and superconductivityWhen he was a boy, Shrifa was a boy who loved electronics, making handmade rockets and ham radio. Such Schrifa was initially conducting research on semiconductors at MIT (Massachusetts Institute of Technology). He was especially studying the behavior of electrons on the surface of semiconductors. And he later moved on to study superconducting phenomena.After Schrifa et al. Summarized the BCS theory, research in the world is progressing toward the realization of superconductivity at room temperature. Attempts have been made to cause phenomena in a normal temperature and high pressure environment, and the transition temperature is approaching to minus one hundred and several tens of Kelvin.There is also a report that the superconducting phenomenon was realized at room temperature when a high voltage that was difficult to realize in reality was applied. When I was studying, Professor Akimitsu of Seigaku and Professor Hosono of Tokyo Institute of Technology were challenging. I will refrain from detailing each of them as they may be alive. I think it’s closer to the front line than the history of science. For the people themselves, I think they may have the feeling that they are still researching!Schrieffer’s later yearsReturning to the story, Schrifa has been studying superconductivity at the University of Birmingham in the United Kingdom and the Bohr Institute in Copenhagen since 1957. And unfortunately, in his later years he had a car accident, killed a person and was sentenced to imprisonment. He was sentenced to jail in San Diego, California. Both his great sense of research and his inadvertent mistaken personality have influenced Shrifa’s life. He wanted him to live a life with a sense of tension if possible. I tell this story because Shrifa was out of license at the time of the accident.If you are a person in a position, you are even more required to act responsibly. So I’m very sorry to know this story. The character of gathering Professor Bardeen and the character of keeping Professor Schrieffer away seem to be symmetrical. Bardeen developed a transistor with his companions and created a separate BCS theory to expand the circle of his companions. I invite Sadao Nakajima, a Japanese who I met in the process, to the United States for hospitality. It is an image of a cheerful American. On the other hand, Schrieffer killed a person after receiving several good positions. It’s a life I can’t talk about as a cheerful American. I think we should consider this story as a big lesson.〆FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月18日2026年10月8日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すロバート・フック【ばねの運動に働く力学を法則化した英国人】-10/18改訂 こんばんは、コウジです。半年ごとの改定です。 今回の改定は英訳部の削除が主です。 ご覧ください。(以下原稿です)「ニュートンに消された男(中島秀人著)」 【スポンサーリンク】 【1635年7月28日生まれ ~ 1703年3月3日没】ロバート・フック(Robert Hooke, 1635–1703) ― 忘れられた万能科学者 ―肖像画(再建) | 出典 : Wikimedia Commons 「Portrait of Robert Hooke (reconstruction, 2004)」 (Wikipedia 英語版) 第1章 生い立ちと初期教育ロバート・フックは1635年7月18日、イギリス南部ワイト島の フレッシュウォーター村に生まれました。父ジョン・フックは 英国国教会の牧師で、家庭は敬虔で教育熱心でした。幼い頃から 機械細工に興味を持ち、模型を作る手先の器用さで周囲を驚かせたといいます。 その才能を見抜かれたフックはロンドンのウェストミンスター校で学び、 数学と物理の基礎を修めた後、オックスフォード大学 クライスト・チャーチ校に進みました。クライスト・チャーチ校(オックスフォード大学) | 出典 : Wikimedia Commons 第2章 ボイルとの出会いと科学者としての出発フックは在学中に哲学者・科学者ロバート・ボイルと出会い、 助手として空気ポンプの実験に携わります。二人は空気の弾性と 圧力の関係を研究し、ボイルの法則(Boyle’s Law)確立の一翼を担いました。 この経験を通じてフックは、実験と理論を結びつける 近代科学的思考を身につけ、後の業績の基盤を築きました。 フックは単なる助手ではなく、実験装置の改良・観測技術・測定手法を 自ら作り上げた「実験科学の技術者」でもありました。 ボイルの空気ポンプ(1660年代) | 出典 : Wikimedia Commons 「Robert Boyle’s air pump」 第3章. 代表的業績 ・「ばねの伸びが力に比例する」という関係、 いわゆるフックの法則を提唱しました。 ・1665年出版の『Micrographia』では、 コルク片を顕微鏡観察した際、 小部屋状の構造を「cell(細胞)」と呼び、 後の細胞学の発展へ繋がる重要な視点を提示しました。 ・1666年のロンドン大火後には、 建築・測量・都市復興計画にも関与し、 科学者としてだけではなく技術者としても活躍しました。 第4章. 人間的側面・評価 フックは非常に多才であった一方で、 同時代のアイザック・ニュートンとの対立でも知られています。また、ロバート・フックには「確実な肖像画が残っていない」 という科学史上のミステリーも存在します。 そのため現在知られる肖像の多くは、 後世の想像図や復元画である可能性があります。 若年期から背骨が徐々に曲がっていったという記録もあり、 外見への強いコンプレックスを抱えていたとも言われています。しかしその苦悩の一方で、 フックは実験装置・顕微鏡観察・建築・力学など 多方面に巨大な足跡を残しました。 関連する科学者の系譜(実験科学と力学)◀ 前の人物:ロバート・ボイル(1627-1691)▶ 次の人物:アイザック・ニュートン(1643-1727)この分野の科学者(実験科学・顕微鏡)アントニ・ファン・レーウェンフックロバート・ボイルクリスティアーン・ホイヘンス〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/09/11_初版投稿 2026/10/18_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 イギリス関係のご紹介 オックスフォード関連へ 力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy
2026年10月17日2026年10月4日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す有馬朗人_【ゆとり教育の推奨|複雑な原子核の状態を簡易に数式化】-10/17改訂 こんにちはコウジです。半年ごとの記事見直しです。 では、ご覧ください。内容を整理し、 主にリンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)大学貧乏物語 【スポンサーリンク】 【1930年9月13日 ~ 2020年12月6日】 【出典:Wikimedia Commons‗Akito Arima】 有馬氏へお悔やみ東京大学総長を務めた有馬朗人氏が、2020年12月6日に亡くなりました。 享年90歳でした。謹んでお悔やみを申し上げます。有馬朗人は原子核物理学の世界で業績をあげ、特に 有馬・堀江理論(配位混合の理論)、 相互作用するボゾン模型の提唱、 クラスター模型への貢献、の3つの業績が大きな業績です。 有馬朗人の業績有馬朗人の原子核物理学における代表的な仕事として、有馬・堀江の配位混合理論、相互作用する ボソン模型、そして原子核のクラスター構造に関する研究が挙げられます。 日本物理学会も、有馬の初期の代表的仕事として有馬・堀江による配位混合理論を、 その後の重要な研究として相互作用するボソン模型を挙げています。相互作用するボソン模型とは何か特に有馬朗人の名前と結び付いているのが、相互作用するボソン模型(Interacting Boson Model)です。原子核は陽子と中性子という多数の核子から構成されています。その一つ一つの運動を すべて追いかけようとすると、非常に複雑な量子多体系になります。そこで有馬らは、 原子核の低エネルギー状態を理解する際に重要となる核子対の自由度に着目し、 それらを有効的なボソンとして扱う方法を発展させました。つまり、原子核を構成するすべての粒子を直接記述するのではなく、現象を支配する 自由度を取り出して、より少数の変数で原子核の集団運動を記述しようとしたわけです。ここに有馬朗人の仕事の面白さがあります。複雑な原子核を単純化するだけではなく、 どの自由度を残せば、実際に観測される原子核の性質を説明できるのかを考えたのです。これは 理論物理学における「複雑な系から本質的な構造を取り出す」という考え方の一例として見ることができます。有馬朗人の研究は、原子核を単純なニュートン力学で記述するという話ではありません。 量子力学的な多体系の中から、原子核の形状や集団運動を表す有効な自由度を取り出し、 対称性や数学的構造を利用して整理していきます。そのため、原子核物理学の専門的な 理論でありながら、複雑な現象を「見通しのよいモデル」に置き換えるという、 理論物理学らしい発想を見ることができます。この研究は有馬朗人個人だけで完結したものではありません。海外の研究者との 共同研究を通じて発展した点も重要です。日本物理学会によれば、有馬は 1960年代から原子核物理学の理論研究を進め、1971年からはニューヨーク州立大学 ストーニーブルック校教授、1975年には東京大学教授となりました。 その後の研究と教育を通じて、日本の原子核物理学の発展にも大きな役割を果たしました。以上の説明は一般の人には分かりづらいかもしれませんが 原子核の状態を記述するには古典的な(ニュートン的な)記載 では不十分で、波動関数を使うだけではなくて群論や 電磁気的な側面を考慮して議論を進めていきます。有馬朗人の研究は、複雑な原子核の世界を「見通しのよい形」 に整理した点に大きな価値があります。有馬朗人の人柄と教育への情熱有馬朗人は、優れた理論物理学者であると同時に、 教育者・行政者としても強い信念を持った人物でした。研究者としての顔だけでなく、東京大学総長や文部大臣を歴任し、 日本の教育政策にも深く関わっています。その根底にあったのは、 「知識を詰め込むだけではなく、広い視野を持つ人材を育てるべきだ」 という考え方でした。特に知られている「ゆとり教育」に関しても、 単なる授業時間の削減ではなく、世界史と日本史を統合的に学ぶ知識の“つながり”を理解する自ら考える力を養うといった理念が本来の意図でした。また、人柄としては非常に温厚で、研究者としても後進の 育成に力を注いだことが知られています。若手研究者の 意見にも耳を傾け、議論を大切にする姿勢は、 多くの教え子に影響を与えました。科学と社会をつなぐ存在として活動した点も、有馬朗人の 大きな特徴です。理論物理という高度に専門的な分野に 身を置きながら、その知見を社会に還元しようとした姿勢は、 現代の科学者にとっても示唆に富むものと言えるでしょう。そして、有馬さんは現象を嚙砕いて数式化して 難しい原子の世界を簡単な数式で表現したのです。 有馬朗人とゆとり教育また、政界においても活躍され、 特にゆとり教育の推奨が知られています。有馬朗人が勧めたかった当初の教育は 世界史と日本史を共に学ぶ事で 知識をより豊かに身に着けていく様な 試みであって、 現場に話が伝わった時点では 全く別の解釈として伝わっていました。 有馬朗人はその解釈を非常に 遺憾に感じていたようです。関連する物理学者(前後の流れ)◀ 前の人物:湯浅年子 ▶ 次の人物:梶田隆章この分野の物理学者(原子核物理学・量子多体系・日本の物理学)坂田昌一、 仁科芳雄、 湯浅年子、 有馬朗人、 梶田隆章 もっと他にも色々と語りたかったでしょう。 ご冥福をお祈りします。〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 問題点には適時、 返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/12/07_初稿投稿2026/10/17_改定投稿【スポンサーリンク】サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 AIでの考察(参考)(2021年11月時点での対応英訳)Condolences to Mr. ArimaAkito Arima, the president of the University of Tokyo, died on December 8, 2020. He is 90 years old. We would like to express our deepest condolences. Akito Arima has made great achievements in the world of nuclear physics, and is particularly famous for his three achievements: Arima-Horie theory (theory of mixed coordination), proposal of interacting boson models, and contribution to cluster models.Achievements of Akito ArimaIn particular, the interacting boson model was announced by Akito Arima in 1974 when he was at a research institute in the Netherlands, and many of you may know it under the alias of “interacting boson approximation”. ..Akito Arima’s approximation is used in the discussion of so-called “second quantization” for objects whose wavefunction signs do not invert with respect to particle replacement. It wasIt is also active in the political world, and is especially known for recommending Yutori education. The initial education that Akito Arima wanted to recommend was an attempt to acquire more knowledge by studying both world history and Japanese history, and when the story was conveyed to the field, it was a completely different interpretation. It was transmitted as. Akito Arima seems to have felt very regretful about his interpretation.He would have wanted to talk a lot more. He prays for souls.〆FacebookXBlueskythreadsHatenaCopy