2026年3月25日2026年3月15日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す中嶋 貞雄【日本で超電導現象の土台を作っていた人|低温電子物性】-3/25改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)超伝導 【スポンサーリンク】 【1923年6月4日生まれ ~ 2008年12月14日没】 【出典:東京大学物性研究所アーカイブ‗中嶋貞雄】 物理学者の中嶋貞雄映画監督で似た名前の方が居ますが 映画監督の方は貞夫と書きます。 物理学者の中嶋さんは貞雄と書きます。 中嶋貞雄は私が昔使っていた量子力学での 教科書の著者でした。(発行元は岩波書店) そして、私がい今回記したエピソードを聞いたのは 指導教官との談話タイムでした。そんな風に 語り継がれていた物語です。東京大学を卒業後に名古屋大で教授を務め、 東大物性研の所長を務めています。 超伝導現象の理論化に先鞭をつけた方です。超電導の議論史の中で有名な エピソードがありますのでご紹介します。 BCS理論とは何か話が前後しますが、理解のために減少の説明をいたします。 超伝導現象の理論的説明として最も有名なBCS理論です。これはジョン・バーディーン/レオン・クーパー/J・R・シュリーファー の三人によって1957年に提案されました。この理論では、固体中の電子が単独で振る舞うのではなく、**二つの電子が対を作る「クーパー対」**として振る舞うと考えます。通常、電子は同じ電荷を持つため反発し合います。しかし結晶中では、格子振動(フォノン)を介して間接的に引き合う状態が生まれることがあります。この結果、電子が集団的な量子状態を形成することで電気抵抗が完全に消える、すなわち 超伝導が生まれると説明されました。この理論は現在でも低温超伝導の基本理論として広く使われています。中嶋貞雄関連の事実【ノーベル賞/超伝導とその研究】1972年にバーディーン/クーパー/シュリーファーが ノーベル物理学賞を受賞しています。バーディーンはノーベル物理学賞を2回受賞した唯一の人物です。超伝導現象はヘイケ・カメルリング・オネスによって 1911年に発見されました。この現象の理論的理解には約半世紀の時間がかかったのです。日本では東京大学物性研究所が超伝導研究の 重要な拠点でした。中嶋貞雄はその所長も務めています。バーディンと中嶋貞夫中嶋貞雄は低温物理の物性に関わる研究をしていきました。 そんな中で名古屋で会議が開かれ、くりこみ理論を応用した 低温電子物性の議論をします。その話にアメリカのバーディーン が着目し、講演内容のコピーを中嶋に求めました。その時点ではカメリー・オネスの発見した超伝導現象は 実験的に示されていましたが理論的な説明はなされてません。 バーディーンはそれを作ろうとしていたのです。個別電子のモデルはありましたがその電子が 集団励起していく姿は誰も想像していませんでした。中嶋はこの議論は、当時まだ理解されていなかった 超伝導の理論化に向けた重要な示唆を含んでいました。 半導体の大家と一緒に現象を追求したのです。 後に名古屋駅でバーディンにコピーを渡します。バーディンは帰国後に英訳し、共同研究者であるクーパー・ シュリーファーと共に考察を進め、クーパー対のアイディア を盛り込み、BCS理論を完成させます。日本でなくアメリカ で生まれた事が残念ですが、そうした議論の端緒は 日本でも芽生えていたのです。 科学技術と我々私は科学技術は人類が共有する財産だと思っています。 それだから、コピーを届けた中嶋貞雄の行為は素晴らしい と感じています。これからの若い研究者達も知を共有して 育んで欲しいと思います。そうした行為が、 最後には日本の発展に繋がっていくと信じています。 そして、世界人類の発展に繋がっていくと信じています。最後は信念とか、 宗教っぽい話になりましたが 感動・情熱から繋がる話 ではないでしょうか。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 問題点に対しては適時、 返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/12/19_初版投稿 2026/03/25_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介へ 東大関連のご紹介へ 熱統計関連のご紹介へ 量子力学関係のご紹介へAIでの考察(参考)(2021年11月時点での対応英訳)Physicist Sadao NakajimaThere is a movie director with a similar name, but I write that as Sadao. This is written as Sadao. Sadao Nakajima was the author of a textbook on quantum mechanics that I used to use. (Published by Iwanami Shoten) He is a professor at Nagoya University after graduating from the University of Tokyo, and is the director of the Institute for Solid State Physics of the University of Tokyo. He was a pioneer in theorizing superconducting phenomena. I would like to introduce a famous episode in the history of superconductivity discussions.Birdin and Sadao NakajimaSadao Nakajima has been conducting research related to the physical properties of low temperature physics. Under such circumstances, a conference will be held in Nagoya to discuss low-temperature electronic properties applying the renormalization theory. Bardeen of the United States paid attention to the story and asked Nakajima for a copy of the lecture. At that time, the superconducting phenomenon discovered by Kamerlingh Ones was experimentally shown, but no theoretical explanation was given. Bardeen was trying to make it.Nakajima must have been convinced of the direction of his research. He later gives a copy to Birdin at Nagoya Station. After returning to Japan, Bardeen will translate it into English, discuss it with his collaborator Cooper Schriefer, incorporate ideas for Cooper vs., and complete the BCS theory. It’s a pity that I was born in the United States instead of Japan, but the beginning of such discussions was also budding in Japan.Science and technology and usI think science and technology are a property shared by humankind. Therefore, I feel that Sadao Nakajima’s act of delivering the copy was correct. I hope that young researchers in the future will share their knowledge and nurture them. I believe that such actions will eventually lead to the development of Japan. And I believe that it will lead to the development of humankind in the world.At the end, it was a belief or a religion-like story, but I think it is a story that connects with emotion and passion.〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年3月24日2026年3月14日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すP・アンダーソン【”More is different”と語った物性論の大家】-3/24改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)メゾスコピック系 【スポンサーリンク】 1923年12月13日生まれ ~ 2020年3月29日没 【出典:Wikimedia Commons‗フィリップ・W・アンダーソン】 物性論の大物、アンダーソン博士その名の綴りは”Philip Warren Anderson”。物性研究で有名なアンダーソン博士をご紹介します。所属研究機関はハーバード大で学びベル研・ケンブリッジ大・ プリンストン大で勤務しました。米国・英国の綺羅星が並びます。 素晴らしい研究人生です。アンダーソンの研究で先ず思いつくものは アンダーソン局在です。無秩序系における電子の基本的な性格で、物性論の一つの基礎原理 になっています。その理論では電子が実空間上で局在した状態は 非局在の状態と明らかに異なりエネルギー的に区別されます。 アンダーソンと磁性当たり前ですが、超伝導で議論される運動量空間(k空間)の議論と、 実空間におけるアンダーソン局在とは区別して考える必要があります。 アンダーソン局在では電子が空間的に局在するので、 電気伝導について考えた時に 「固体中の電子が電導に寄与しなくなる」という事実が大事です。 導体が不導体に近づいていくのです。更にアンダーソンは、長さ・時間のスケールを変換する理論を スケーリング理論として展開して理論を発展させたのです。また、磁性を紐解く解釈も行っています。 こういった業績を評価され、アンダーソンは ノーベル物理学賞を受賞しています。 とある研究によると、 論文引用の頻度から評価してアンダーソンは世界で 「最も創造的な物理学者」だという位置づけを得ています。“More is different”という思想フィリップ・W・アンダーソンは1972年に有名な論文 More Is Differentを発表しました。この論文の主張は 非常にシンプルですが、深い意味を持っています。それは「要素が増えると、全く新しい性質が現れる」という考えです。例えば、水分子一つには「濡れる」という性質は ありません。しかし無数の水分子が集まると 「液体」という性質が生まれます同様に、電子一つ原子一つでは 説明できない現象が、多数の粒子が集まることで突然現れるのです。この考え方は現在物性物理、複雑系科学、生物物理など多くの 分野に影響を与えています。つまりアンダーソンは「複雑な世界を理解する新しい科学の視点」を提示したとも言えるのです。アンダーソンの事実【ノーベル賞‗高温超電導‗ベル研】フィリップ・W・アンダーソンは1977年にネヴィル・モットジョン・ハスブルック・ヴァン・ヴレックとともに磁性と電子構造の研究でノーベル物理学賞を受賞しています。また、アンダーソンは高温超伝導理論にも大きな影響を与えました。 特にRV B理論は現在も議論されています。アンダーソンの重要な研究はベル研究所で行われました。 ベル研はトランジスタ、レーザー、情報理論などを生み出した 研究機関です。 アンダーソンの足跡またアンダーソンは 東京大学から名誉博士号を贈られています。 その記念として物性研で記念植樹されていたようですが、 赤坂・防衛省の近くでしょうか。柏でしょうか。 何時か見に行きたいと思います。最後に、アンダーソンの 残した言葉を一つご紹介します。”More is different”アンダーソンは多様性の中から秩序を拾い出していました。皆さんも多様性に怯まないで下さい。寧ろ、多様性の中で 逍遥する心持で複雑怪奇の中で物事の本質を探って下さい。数学的な手法に拘って、何度も検算を繰り返してみても良い と思えます。数学はあくまで現実のモデル化なのですが、 本質に近いことが多いです。また、 別解を探してみると面白いかもしれません。 少しでも多くの手法で考え続けて下さい。私も励みます。〆 【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/11/03_初稿投稿 2026/03/24_改定投稿舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 アメリカ関連へ イギリス関連へ ケンブリッジのご紹介へ 東大関連のご紹介 熱統計関連のご紹介へ 量子力学関係へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年11月時点での対応英訳)Dr. Anderson, a big figure in condensed matter theoryThe spelling of the name is “Philip Warren Anderson”. Introducing Dr. Anderson, who is famous for his research on physical properties. As his research institute, he studied at Harvard University and worked at Bell Labs, Cambridge University, and Princeton University. He is lined with Great Britain in the United States and Britain. He has a wonderful research life.The first thing that comes to mind in Anderson’s research is Anderson localization. It is the basic character of electrons in a chaotic system, and is one of the basic principles of condensed matter physics. According to the theory, the state in which electrons are localized in real space is clearly different from the delocalized state and is energetically distinguished.Anderson and magnetismObviously, it must be clearly distinguished from the localization in topological space mentioned in the story of superconductivity. In Anderson localization, electrons are spatially localized, so the fact that “electrons in a solid no longer contribute to the Hall of Fame” is important when considering electrical conduction. The conductor is getting closer to the non-conductor.In addition, Anderson developed his theory by developing the theory of transforming the scale of length and time as a scaling theory.He also interprets magnetism. In recognition of his achievements, Anderson has won the Nobel Prize in Physics.According to one study, Anderson is positioned as the “most creative physicist” in the world, judging by the frequency of his dissertation citations.Anderson has received an honorary doctorate from the University of Tokyo. It seems that a commemorative tree was planted at the Institute for Solid State Physics as a memorial, but is it near the Akasaka Ministry of Defense? Is it Kashiwa? I would like to go see it someday.Finally, Anderson’s I would like to introduce one word he left behind.“More is different”Anderson was picking order out of diversity. Don’t be scared of diversity. Rather, explore the essence of things in a complex mystery with a feeling of wandering in diversity. I think it’s okay to repeat the checkup many times, regardless of the mathematical method. Mathematics is just a modeling of reality, but it is often close to the essence. Also, it may be interesting to look for another solution. Keep thinking in as many ways as you can. I also encourage you.FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年3月23日2026年3月13日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す南部 陽一郎【自発的対称性の破れを使って素粒子を研究|大戦時はレーダー研所属】-3/23改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)対称性の破れ 【スポンサーリンク】 【1921年1月18日生まれ ~ 2015年7月5日没】【引用:Wikimedia Commons‗南部陽一郎】 戦時下の南部陽一郎南部 陽一郎は第二次世界戦時に理学を志しました。 まさに時は戦時中。彼の頭脳は武器製造に貢献できる と判断されて陸軍のレーダー研に配属されました。戦時下ではどんな研究をしていたんでしょうね。 そして、どんな気持ちだったのでしょうね。戦争の前後で東京帝国大学で研究を進めます。 戦後、南部 陽一郎は朝永 振一郎のグループで研究を続けます。 そして物質を構成する原子を考えていき、 今に続く素粒子論を完成させていきます。南部陽一郎と自発的対称性 南部陽一郎の新規性は真空概念の再考でしょう。「特定の対称性をもった物理系が特定の対称性を持つ物理系でも、エネルギー的に より安定な状態が存在する場合、系は自発的にその真空状態へと移行」します。BCS理論でのクーパ対生成はこの考え方に従っています。電子対の生成が「安定」です。中間子をひもとき、素粒子間の総合作用を考え、 その形成に関して実験事実と、つじつまの合う 理論を展開していきます。そうした研究を重ね南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」で ノーベル賞を受賞しています。南部陽一郎の話の組み立てとしては、 強磁性体の自発磁化状態(外部からの磁場無しで 内部磁気モーメントを揃えている状態)が温度上昇に伴い 磁化を失う状態を考え、ラグラジアンを巧みに使い 素粒子に適用しているのです。また彼は量子色力学や紐理論でも成果を上げています。南部理論とヒッグス機構南部陽一郎 の「自発的対称性の破れ」という概念は、その後の素粒子理論に 非常に大きな影響を与えました。この考え方は、後にピーター・ヒッグスらによって発展し、素粒子が質量を持つ仕組みを説明する理論へとつながります。いわゆるヒッグス機構です。2012年にはCERNの加速器実験によってヒッグス粒子が発見されました。 この発見は、南部が1960年代に提案した自発的対称性の破れの考え方が、 自然界の基本法則の一部として実在することを強く示すものでもありました。南部陽一郎の事実① ノーベル賞‗南部は2008年 ノーベル物理学賞を受賞しました。 受賞理由は「自発的対称性の破れの発見」です。 【共同受賞者小林誠・益川敏英(CP対称性の破れ)】② シカゴ大学‗南部陽一郎は長くシカゴ大学で研究しました。 ここはエンリコ・フェルミやマレー・ゲルマン などがいた、理論物理の中心地です。③ 弦理論への貢献‗南部陽一郎は弦理論 の初期研究にも関わっています。弦の作用:Nambu–Goto actionとして知られています。そういえば、南部洋一郎は私が学生時代に使っていた教科書の著者でした。 その時点で米国の国籍を得ていた記憶があり、 研究者に対しての日本での待遇に疑問を抱いたものです。私は理論物理学の研究室に所属して居ましたが、 卒業後も研究を続けて研究者として身を立てている仲間は 今では数えるほどしかいません。多くは私のように、 民間の会社に所属して物理学とは全く関係のない業務に従事しています。少子化という流れもありますが名誉職としての教授に対して 日本社会の扱いは低いとも感じていました。 狭き門である事に加えて扱いが低いのです。 そして、南部陽一郎のような優秀な頭脳は どんどん海外に流出していきます。 それだから南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは少しは理解出来る気がするのです。〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレス迄お願いします。 適時、返信改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2020/09/10_初版投稿 2026/03/23_改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 量子力学関係へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】【2021年11月時点での対応英訳】Yoichiro Nambu during the warYoichiro Nambu aspired to his research during World War II. However, the time is during the war. Judging that his brain could contribute to the manufacture of weapons, he was assigned to the Army’s Radar Lab. What kind of research did he do during the war? And what was your feeling? Before and after the war, he pursued research at the University of Tokyo. After the war, Yoichiro Nambu continued his research with Shinichiro Tomonaga’s group. And he thinks about the atoms that make up matter, and completes the theory of elementary particles that continues to this day.Spontaneous symmetry with Yoichiro NambuYoichiro Nambu’s novelty would be a rethinking of the vacuum concept. ・ “When a physical system with a specific symmetry considers various states with energy, it spontaneously settles into a more stable vacuum state.” Cooper pair production in BCS theory follows this idea. The electron pair generation is stable.We will consider the overall action between elementary particles when using mesons, and develop a theory that is consistent with experimental facts regarding the formation of mesons. After repeating such research, Yoichiro Nambu won the Nobel Prize for “spontaneous symmetry breaking”. As for the construction of Yoichiro Nanbu’s story, considering the state in which the spontaneous magnetization state of the ferromagnet (the state in which the internal magnetic moments are aligned without an external magnetic field) loses magnetization as the temperature rises, the Lagradian is skillfully used. It is applied to particles. He has also been successful in quantum chromodynamics and string theory.by the way,Yoichiro Nanbu was the author of the textbook I used when I was a student. I remember he had American citizenship at that time I was skeptical about the treatment of researchers in Japan. I belonged to the laboratory of theoretical physics, but now there are only a few colleagues who continue their research after graduation and become researchers. Many, like me, belong to a private company and engage in work that has nothing to do with physics.Although there is a trend toward a declining birthrate, I also felt that the treatment of Japanese society was low for professors as honorary positions. In addition to being a narrow gate, it is not easy to handle.that is whyI feel that I can understand the feeling that Yoichiro Nambu was naturalized in the United States.FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年3月22日2026年3月12日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す竹内均(ひとし)【科学の啓蒙活動を続けた初代Newton編集長】-3/22改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)科学雑誌NEWTON 【スポンサーリンク】 【1920年7月2日生まれ ~ 2004年4月20日没】 【出典:純歯科医院‗竹内均】 【https://www.jun-dental-office.com/2013/04/09/%E5%83%95%E3%81%AE%E5%B8%AB%E5%8C%A0-%EF%BC%91-%E7%AB%B9%E5%86%85%E5%9D%87%E5%85%88%E7%94%9F/】 竹内均のメガネ私の中での竹内均さんのイメージは特徴的な眼鏡かけたTVコメンテーターでした。 実際、 竹内均さんは文筆活動中もあんな感じだったそうです。 沢山本を出していますが、多くの著作はテープレコーダーに口述した内容を 秘書が文章化する形で執筆されていました。文章に起こす秘書さんが居て 一緒に作業します。独特の書き方ですね。それでもお人柄から悪い印象は持ちません。 人から好かれる性格ですね。竹内均は自分に厳しくて 子供に優しい人だったと言われています。独特の喋り口調が印象的で通り易い声で 聴きやすいリズムで人に語りかけていました。子供向けの伝記を沢山、監修していて 「キューリー夫人伝」とか「エジソン伝」とかの表紙に 小さく竹内均の名前が入っていたりしました。そんな啓蒙活動を考え続けて初代NEWTON編集長 として日本の一般向け教育書を作っていきます。ちなみに、 非常に名前が似ていると思える方で 竹内薫さん という方が居まして、私は時々混同してしまいます。 失礼。。。 本人がツイッターでコメしているように 「親戚ではありません(笑)」 民衆と竹内均物理学の理解には個人の勉強も必要ですが、 学問の性質上、万物を人がどう考えるか (モデル化していき理解するか) という論点が欠かせません。個人が理解するという考え方と同時に日本人が、 そして人類が理解していくというプロセスが欠かせません。大衆にも理解出来る物理モデルが作れた時に理論は出来上がる のです。ギブスの文章を書くときに協調しましたが 「数学者と物理学者の視点は異なる」のです。数学は論理として完結しているモデルであれば 現実と対応が付かないでも問題がないです。 そんなものです。物理学は絶えず現実と対応する理論を作らないと 意味がありません。特定の事例で有効でも 大衆が間違えやすい理論を構築できないのです。竹内均はそういった民衆との対話をとても大事にしていました。科学雑誌NEWTONの創刊竹内均 が日本の科学啓蒙で特に大きな役割を果たしたのが、 科学雑誌 ニュートン の創刊です。1981年に創刊されたこの雑誌は、一般の読者に向けて科学 をわかりやすく解説することを目的としていました。それまで日本では、専門的な学術誌か、あるいは子供向けの科学雑誌が中心で、 大人向けの本格的な科学解説雑誌はあまり存在していませんでした。竹内は、複雑な理論でも図解やイラストを用いれば理解できる という考えを持っていました。そのためNEWTONでは、 大胆な図解と分かりやすい解説を組み合わせる編集方針が採られました。このスタイルは日本の科学出版に大きな影響を与え、現在でも多くの読者に親しまれています。竹内均の事実( 地球内部構造研究/プレートテクトニクス)竹内均は地球物理学者として地震波・地球内部構造 の研究を行いました。地震波の解析から地球の内部構造を理解する研究を行ったのです。これは地球内部構造研究の重要分野です。竹内均はプレートテクトニクスを日本で広めた一人です。1960年代~70年代に この理論が確立した時、日本でも理解を広める役割を果たしました。竹内均は東京大学の地球物理学教授でした。 研究者としての基盤はここです。 竹内均と地球物理学竹内均の仕事を考えていくと寺田寅彦の系譜です。 具体的には直接の講義・指導を受けていない孫弟子 にあたります。地球物理学に関心を持って、特にプレートテクトニクス理論 を広く広めています。実際に地面が少しずつ動いていく様子 を伝える際に物理学者として地球の内部構造や 境界面での様子を伝えたのです。 深い知見を持って伝えたのです。そして何より、竹内均さんの独特の「優しい言葉」で伝えたのです。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2021/07/04_初版投稿 2026/03/22_原稿改定舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 力学関係へ 量子力学関係へ AIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年11月時点での対応英訳)Hitoshi Takeuchi’s glassesThe image of Hitoshi Takeuchi in me isIt is a commentator with characteristic glasses.In fact, he was like that during his writing activities.I have published a lot of books, but the work is a tape recorderIt’s all about recording to. There is a secretary who wakes up in the textWork together It’s a unique way of writing. Still, I don’t have a bad impression from my personality. It’s a personality that people like. Hitoshi Takeuchi is said to have been a strict and child-friendly person. His unique speaking tone was impressive, and he spoke to people with an easy-to-listen voice and an easy-to-listen rhythm. I supervised a lot of biographies for children, and there was a small name of Hitoshi Takeuchi on the cover of “Mrs. Curie’s biography” and “Edison’s biography”. Continuing to think about such enlightenment activities, as the first editor-in-chief of NEWTON, I will make educational books for the general public in Japan as well.People and Hitoshi TakeuchiUnderstanding physics requires individual study, but due to the nature of scholarship, the issue of how people think of everything (modeling and understanding) is indispensable. At the same time as the idea of individual understanding, the process of understanding by the Japanese and humankind is indispensable. The theory is completed when a physical model that can be understood by the general public is created. I collaborated when writing Gibbs’ writing, but “the perspectives of mathematicians and physicists are different.” If mathematics is a model that is complete as logic, there is no problem even if it does not correspond to reality. That’s it. Physics is meaningless without constantly creating a theory that corresponds to reality. Hitoshi Takeuchi cherished such dialogue with the people.Hitoshi Takeuchi and GeophysicsConsidering Hitoshi Takeuchi’s achievements, it is the genealogy of Torahiko Terada. Specifically, he is his grandchild who has not received direct lectures or guidance. He has an interest in geophysics and is particularly widespread in plate tectonics theory. As a physicist, he told us about the internal structure and boundaries of the Earth when he actually told us how the ground was moving little by little. He conveyed it with deep knowledge. And above all, I conveyed it with Hitoshi Takeuchi’s unique “gentle words.”〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年3月21日2026年3月11日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す久保 亮五【線形応答理論を使ったフーリエ変換NMR理論を展開】‐3/11改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)デジタルフーリエ変換 【スポンサーリンク】 【1920年2月15日生まれ ~ 1995年3月31没】 【出典:Wikimedia Commons‗久保亮五】物理学者久保亮五久保亮五と同名(漢字違い)の別人が居ますが、 以下記載は物理学者に関する文章で、ここでの 久保亮五は統計力学で私が使った教科書の著者です。私の指導教官は久保先生の講義を受けていたそうです。 そんな時代の物理学者についての記載です。久保亮五は学者肌の家で育ち、中国文学者であった お父様の仕事で子供時代には台湾で生活しています。 高校まで台湾で過ごし、帰国後に旧制高校へ入学、 東大へ入学、その後に助手、助教授、教授をつとめました。久保亮五の業績 なにより先ず1957年に日本物理学会誌で発表した久保公式です。 原子や分子のミクロな現象を上手く説明します。その発表以降、 なんと12000回を超える引用が世界の物理学会でなされています。 (日経新聞2024年5月4日の記事「成果に名を刻んだ日本人」会員限定) 平衡状態にある系に対してハミルトニアンと密度行列を用い、そこに小さな 摂動を加えることで、時間発展する物理量の応答を記述することができます。。その他に久保亮五の仕事で何より特筆すべきは 物性論での成果です。ゴムの弾性に関する研究と、 線形応答理論を使ったフーリエ変換NMRへの応用研究 があげられます。その他のコンピューターシュミレーション でも久保亮五が確立したモデルは有効です。単純に「実験屋さん」とか「理論屋さん」と区別出来ません。 どちらも深く兼ね備えている研究を久保亮五はしたのです。 試料の純度が実験結果に大きく関わるような実験を 沢山の試行錯誤を重ねて一つ一つ成し遂げてきたのです。久保亮五の理論と評価久保亮五の代表的な業績として知られているのが**線形応答理論(linear response theory)**です。物理学では、外部から小さな刺激が加えられたときに物質がどのように応答するかを調べることが重要になります。例えば、電場を加えたときに電流が流れる磁場を加えたときに磁化が変化する温度差があると熱が流れるといった現象です。久保亮五はこれらの現象を統計力学の立場から 統一的に記述できる理論を作りました。特に有名なのが久保公式(Kubo formula)と呼ばれる関係式です。この公式によって電気伝導率磁気応答熱輸送といった物性の重要な量をミクロな量子力学から計算する道筋が示されました。現在のナノ物性、量子輸送、スピントロニクスなどの研究でも、 この理論は基本的な枠組みとして使われています。また、1957年論文 Statistical Mechanical Theory of Irreversible Processesも特筆すべきです。統計力学の歴史的論文の一つです。久保亮五の理論はノーベル賞級の仕事と言われることが多いです。実際に線形応答理論や久保公式は統計物理の基礎理論として現在も使われています。さらに久保亮五は日本物理学会の会長も務めています。 また、東京大学では統計物理学の研究拠点を形成しました。久保亮五とNMR久保亮五の基礎理論を構築したNMRの概説を 一般の人向けに記してみたいと思います。 先ずフーリエ変換理論は端的には 「時系列の波形を周波数を基準に考えた 波形に変換して解析する技術」です。そうした「数学的に確立されているフーリエ変換」 を理論的基礎として電子回路で応用されています。 離散化された電気信号に対して回路上で 実質的にマトリクス変換を加えます。久保亮五とNMR 診察で実際にNMRを使った経験のある人はNMRの中で 測定を受けている時を思い出してみてください。 (Credit:Pixabay) 頭の中を調べる時などに、強磁場を人間の頭部に 二次元的に与えます。その時に大きな音がしますが、 音がしている時に「時系列でインパルス的な情報」 を機械的に処理して「周波数応答に関する情報」を得ます。作業として、吸収スペクトルを測定することで 各スピンの情報を集め、そこから最終的には 断面の画像を処理します。 (Credit:Pixabay) 最終的な写真で見える画像は、 これらの処理の結果です。そして今、久保亮五はこの世に居ませんが、 その仕事を応用したNMRは世界中の病院で 患者達の情報を集めています。きっと今、 この瞬間も医療行為の中 NMRの機械が動いています。【参考:東大理学部での退官当時の広報】〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2020/10/11_初稿投稿 2026/03/21‗改定投稿サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 日本関連のご紹介 東大関連のご紹介 力学関係のご紹介へ 熱統計関連のご紹介へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年11月時点での対応英訳)Physicist Ryogo KuboThere is another person with the same name (different Chinese characters) as Ryogo Kubo, but the following is a sentence about a physicist, and Ryogo Kubo here is the author of the textbook I used in statistical mechanics. My supervisor took a lecture. This is a description of physicists of that era. Ryogo Kubo grew up in a scholarly-skinned house and lived in Taiwan as his childhood for his father’s work. He spent his time in Taiwan until high school, and after returning to Japan he entered a high school, the University of Tokyo, and then an assistant, associate professor, and professor.Achievements of Ryogo KuboThe most notable thing about Ryogo Kubo’s work is the result of condensed matter theory. His research on the elasticity of rubber and his applied research to Fourier transform NMR using linear response theory can be mentioned. I would like to write an overview of NMR that Ryogo Kubo thought about for the general public. First of all, the Fourier transform theory is simply “a technology that converts a time-series waveform into a waveform that is considered based on frequency and analyzes it.” Such “mathematical established Fourier transform” is applied in electronic circuits as a theoretical basis. Substantially matrix transformation is applied on the circuit to the discretized electrical signal.Ryogo Kubo and NMRIf you have actually used NMR in a medical examination, remember when you were taking measurements in it. A strong magnetic field is applied to the human head two-dimensionally when examining the inside of the head. There is a loud noise at that time, but the impulse-like information is mechanically processed in that time series to obtain information on the frequency response. As a result, the information of each spin is collected by measuring the absorption spectrum, and finally the image of the cross section is processed from there. The image you see in the final photo is the result of these processes.And now, Ryogo Kubo is not in the world, but NMR, which applies his work, collects information on patients at hospitals around the world. I’m sure I’m collecting this moment as well.〆FacebookXBlueskyHatenaCopy
2026年3月20日2026年3月10日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すアイザック・アシモフ【「ロボット3原則」で有名なSF作家】-3/20改訂 こんにちはコウジです。 半年ごとの既存記事見直しの作業です。 今回は近世20世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。 では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。 現時点での英訳も考えています。 (以下原稿です)ロボット戦士 【スポンサーリンク】 【1920年1月2日 ~ 1992年4月6日】 【出典:Wikimedia Commons‗アイザック・アシモフ】アシモフの人物像今回、少し物理から離れます。アシモフは「ロボット3原則」で有名なSF作家です。具体的に3原則とは、第1条:ロボットは人間に危害を与えてはならない。 また、その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない.第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。第3条:ロボットは前掲第1条及び第2条に反する恐れがない限り、 自己を守らなければならない。となります。悪い人が善人を攻撃しなさいと命じたらどうなるか? と考えていくと議論のネタになるのですが、 そうした考察を現代の我々は当然していかなければ いけない段階に来ています。 鉄腕アトムも色々と悩んでいましたよね。最近のウクライナ紛争ではドローンが強力な兵器となり、 白兵戦での戦局に影響を与えています。平和利用として地雷探査ロボが活躍していますが、 殺傷能力を持ったロボットが戦う日も想定できます。 ロボットの動きは正確で素早く、人間よりもはるかに高い機動性を 持っています。そのため、もし殺傷能力を持つロボットが戦場に投入 された場合、その影響は極めて大きいものになる可能性があります。何故ならロボットに殺されていく貧しい国の人々が 想像出来るからです。尚更無念な死が現実として 迫ってきているのです。 過去に、人類は核兵器を具現化して 暗黒の歴史を作りました。悲劇は繰返しありません。ロボットのもう一つの懸念は判断です。 今やAIで判断が進み、更に進化していけば 人間が初期設定を誤る時点でロボット群が 人間に不利益を働くかもしれません。 ロボットに悪意が無くとも不利益を働きます。 実際のアシモフの研究分野としては生化学なのですが、 作家としての顔の方が有名ですね。また調べてみるとアシモフはロシア生まれでした。 リニアモーターカーが走る今日の世界を見せてあげたいと、 個人的には考えてしまいます。また、もはやロボットも日常的ですよね。そんな未来をアシモフは20世紀の初めにに予見していました。20世紀の知見で機械化が進む未来を描き、進んだら どうなるだろうと考えますが、好ましい方向性を指摘して 大衆に問いかける。つまり、科学の夢を投げかけていたのです。ロボット三原則の拡張アイザック・アシモフは、後年になってロボット三原則の前に 新しい原則を追加しました。それは次の「第0原則」です。第0条:ロボットは人類に危害を与えてはならない。 また、その危険を看過することによって人類に危害を及ぼしてはならない。この原則は、後の作品で登場します。つまり、人間 individual より人類 humanity を優先するという思想です。この考え方は一見合理的に見えますが、重大な問題を含みます。 例えば、一部の人間を犠牲にすれば人類は救われるのか、 AIが人類の利益をどう定義するのか、という問題が生じるからです。実際、アシモフ自身の小説では、この原則が原因でロボットが 複雑な倫理的ジレンマに陥ります。現在議論されているAI倫理・AIガバナンスの問題は、実はすでにアシモフの作品の中で描かれていたとも言えます。アシモフの事実① ロボット三原則が初めて登場した作品1942年の短編:Runaroundこの作品で初めて三原則が明文化されました。② 「ロボット」という言葉の由来「ロボット」という言葉は実はアシモフではなくカレル・チャペックの戯曲R.U.R.(1920年)が起源です。ただし、ロボット倫理を作ったのはアシモフです。③ アシモフの最大のシリーズアシモフはSF史上最大級のシリーズを書いています。Foundation seriesこのシリーズでは数学で未来社会を予測する「心理歴史学」という概念が登場します。これは、ビッグデータ・社会シミュレーションを 先取りしていたとも言われています。アシモフの作家デビューアシモフは1938年に初めてのSF作品を雑誌に持ちかけて認められ、 1939年から作家デビューしています。才能を認めるアメリカっぽいですね。 この年にコロンビア大学を卒業して大学院に進みます。所謂、ロボット三原則などを提唱していますが、 時代は第二次大戦に向かう時代で アシモフは学校を休学したりしています。科学が知識を集めるスピードの速さにアシモフは驚愕していて、 社会が叡智を集結する事を求めていました。 相変わらず分断している世界をどう見るのでしょうか。意外な結末そして、意外な最後なのですが、アシモフは1992年にHIV感染が元でこの世を去ってます。心臓バイパス手術の時に使用された 輸血血液が感染源のようです。本当に色々と経験されてきた人生だったと思います。〆【スポンサーリンク】〆以上、間違い・ご意見は 次のアドレスまでお願いします。 最近は返信出来ていませんが 全てのメールを読んでいます。 適時返信のうえ改定を致しします。nowkouji226@gmail.com2020/08/24_初回投稿 2026/03/20_改定投稿舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 アメリカ関連のご紹介へ【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】(2021年11月時点での対応英訳)Asimov’s portraitThis time, I’m a little away from physics. Asimov is a science fiction writer famous for “Three Laws of Robotics”. Biochemistry is the actual research field of Asimov, but his face as a writer is more famous. When I looked it up, Asimov was born in Russia. He personally wants to show us the world of today’s maglev trains. Also, robots are no longer commonplace. Asimov foresaw such a future in the 20th century. He envisions a future of mechanization with his knowledge of the 20th century, and wonders what will happen if it progresses, but he points out a favorable direction and asks the public. In short, he was throwing a dream of science.Asimov’s writer debutAsimov was recognized for his first science fiction work in a magazine in 1938, and has made his debut as a writer since 1939. He’s like America, who recognizes his talent. He graduated from Columbia University this year and went on to graduate school.He advocates the so-called Three Laws of Robotics, but Asimov is taking a leave of absence from school in the era of World War II. Asimov was amazed at the speed at which science gathered knowledge, and he wanted society to gather wisdom. How does he see the world that is still divided?Unexpected endingAnd, surprisingly, Asimov died in 1992 due to HIV infection. He seems to be infected with the transfused blood used during heart bypass surgery. I think he really had a lot of experience in his life.FacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月13日2025年11月13日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す100年を迎える東京大学地震研究所(ERI)が築いた地震学とこれからのAI時代 本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へFacebookXBlueskyHatenaCopy
本記事は11/9付の日本経済新聞を起点に記載しています。東京大学地震研究所(ERI)は2025年11月13日で設立から100年を迎えます。1925年の設立以来、関東大震災を教訓に地震予知・観測体制を築き、日本が世界の地震研究を牽引してきました。英国人ジョン・ミルン(JohnMilne)による水平振子式地震計の開発、大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らによる地震モーメントやマグニチュード理論の確立など、その歩みは日本科学史の一大軌跡といえます。本稿では、①地震研究100年の歴史、②技術革新、③AI時代の展望という三つの章で構成し、制度と技術の系譜をたどります。第1章:100年の歴史に刻まれた制度と人関東大震災(1923年9月1日)を契機に、地震観測と耐震研究を体系化する必要性が高まり、1925年に東京大学地震研究所が誕生しました。以来、ERIは観測網の整備、地震計の改良、断層運動理論の発展を通じて、国際的研究機関としての地位を築きました。1.1 設立背景と制度整備震災後、国の学術政策と建築基準が一体化し、地震学の社会的使命が明確化。地震予知研究、気象庁・大学・国立研究所の分業体制が整いました。1.2 ジョン・ミルン来日から地震学基盤の構築1876年、英国から招聘されたジョン・ミルンが来日し、世界初の近代的地震観測体制を整備。1880年の横浜地震観測を皮切りに、地震波形記録・震央推定などの方法論を導入しました。1.3 大森房吉・丸山卓男・津村健四郎らの技術革新大森房吉(1868–1923)は「地震学の父」と呼ばれ、震源距離と時間差の関係式を導出。丸山卓男(東大地震研)は地震モーメントの理論化で国際的評価を確立。津村健四郎は地震継続時間を基にマグニチュード推定式を改良しました。【地震研究の主要年表】年出来事関連人物・機関1876年ジョン・ミルン来日、地震観測開始東京帝国大学1880年日本地震学会創設ミルン・大森房吉1923年関東大震災内務省震災予防調査会1925年東京大学地震研究所設立初代所長 今村明恒1960年代地震モーメント理論確立丸山卓男2020年代AI・機械学習を導入した観測解析ERI・JAMSTEC第2章:技術革新と地震学の転機地震学の進化は「観測技術」「理論」「応用設計」という三段階で展開されてきました。ジョン・ミルンが水平振子式地震計を開発し、丸山卓男が地震モーメントを定義。こうした発展は、1980年代以降の地震カタログ整備や防災工学に波及しています。2.1 観測技術の進化 — 地震計から海底観測網へ地震計は機械式からデジタル式、さらに海底光ファイバー式へ。現在では海洋研究開発機構(JAMSTEC)が展開するDONET・S-netが、リアルタイム地震波を高精度で解析しています。2.2 理論モデルの深化 — 地震モーメント・マグニチュードの普及地震の規模を「モーメント」で表す考え方は、1960年代に丸山卓男氏が提唱。その後、カナダのカナメ研究者ハスキンスらとともに国際標準となり、現在のMw表記へと進化しました。2.3 耐震・社会実装 — 地震防災・建築基準の変化1981年の建築基準法改正により、耐震設計は「損傷制御型」に転換。ERIの研究成果が防災都市計画、ライフライン設計、自治体のハザード評価などに組み込まれました。第3章:AI時代の地震研究と未来展望AIとビッグデータの時代、地震研究も転換期にあります。観測データの自動解析、異常波形の自動検出、AIによる震源推定モデルなど、研究領域が広がっています。ERIでは近年、地震波動場の機械学習解析を用いて、スロー地震の検出精度を高めています。3.1 AI/機械学習の導入例と研究成果ERI・東北大・防災科研などが共同で開発した「AI地震波分類システム」は、地震波形を0.1秒単位で自動判別。発生直後の緊急通報制度(EEW)に応用されています。3.2 国際共同研究・データ共有の潮流米国USGSや欧州EPOSなどと連携し、データ形式を共通化。AIモデルによる世界規模の震源パターン分析が進んでいます。3.3 課題と未来像 — AGI時代の地震科学完全自律型AI(AGI)による地震予測はまだ理論段階ですが、モデル間比較(AGIモデル1号 vs 2号)を通じてリスク推定精度が向上する可能性があります。【用語解説】地震モーメント:断層のずれ量と面積を用いて地震の規模を表す物理量。AI地震波解析:機械学習を使い、ノイズと実地震波を自動で判別する技術。DONET/S-net:日本が展開する海底地震観測網。リアルタイム観測を可能にする。まとめ東京大学地震研究所100年の歴史は、単なる学術機関の記念ではなく、地震研究が国家・社会・技術の全体を変えた軌跡そのものです。AI時代のいま、観測・理論・防災が再統合されようとしています。100年前に始まった「人命を守る科学」は、これからの100年でも進化を止めないでしょう。参考文献: ・日本経済新聞(2024年11月9日朝刊) ・東京大学地震研究所公式サイト(ERI) ・Nature / Springer / ScienceDirect 各誌掲載論文(Maruyama, T., Tsunemura, K., Kato, S., 2019–2024)〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。【スポンサーリンク】nowkouji226@gmail.com2025/11/13_初稿投稿サイトTOPへ 時代別(順)のご紹介 17世紀生まれの物理学者へ 18世紀生まれの物理学者へ 19世紀生まれの物理学者へ 20世紀生まれの物理学者へ
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す学士院賞をもらった後で 【2021-08-02‗topクォーク_CP破れ 】 (以下は全て引用文章です)2021-08-02 ・益川さんが学士院賞をもらった後で私の勤めていたE大学工学部に非常勤講師として来てもらったことがあった。実はその前の年度に来てほしいと要請を研究会に出かけた友人のEさんにことづけしたのだが、その年度はすでに3件の非常勤講師を引き受けていて無理だから、つぎの年は優先して予定に入れておくという話だった。そしてその約束を次の年度には果たしてくれたのであった。もっともそれは彼と小林さんがノーベル賞を受賞するずっと以前のことである。たぶんそのころでもいつかはノーベル賞を受賞するのではないかと思われてはいたが、それでもまだ実験的なevidenceがまだだったと思う。topクォークが発見されたのはそのあと数年してであったと思う。CPの破れの実験的検証とどちらが先だったか。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す益川さんが亡くなった 【2021-07-30‗名古屋大学_81歳】 2021-07-30・先日、Steven Weinbergが亡くなったと書いたばかりだったが、旧知のノーベル賞物理学受賞者の益川敏英さんが亡くなったと知った。昨夜、ドイツ語のオンラインのクラスの途中で、妻がスマホを見て、教えてくれたので、知っていたが、今日の朝日新聞に大きな写真と共に記事が出ていた。名古屋大学の大学院生たちだった益川さんたちが大挙して広島の私たちの研究室を訪れたことはまだ昨日のように覚えている。ほとんど私と同年の人たちであった。みんな、なかなか多士多才の人たちであり、その中でも益川さんはみんなの尊敬を集めているらしいことは分かった。それから何回か私が名古屋の会議にでかけたときにも、友人たちと帰りにどこかに夕食に誘っ てくれた。もう何十年もあってはいなかったが、彼は偉くなっても人柄があまり変わるというふうではなかった。それはノーベル賞をもらった後でも変わらなかったと思う。私よりは1歳年下の81歳だったという。戦争を空襲を受けたという経験で知っている最後の世代だった。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy
2025年11月9日2025年11月9日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残す大栗博司さんの本を手に入れた 【2021-07-13_中西襄先生 】 2021-07-13 ・注文していた大栗博司さんの書いた本を手に入れた。『探求する精神』(幻冬舎新書)である。朝日新聞の書評で物理学者の須藤靖さんが激賞していた。大栗さんには個人的な面識はないが、私たちの発行している「数学・物理通信」の送り先の一人である。大栗さんはもちろん京都大学名誉教授の中西襄先生の友人知人の一人であるから、中西先生からの推薦されたメールアドレスに加わっている。数日はこの本で楽しむことができるであろう。〆【スポンサーリンク】以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近は全てに返事が出来ていませんが 問題点に対しては 適時、返信・改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/11/09_初版投稿サイトTOPへFacebookXBlueskyHatenaCopy