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コペルニクス
【レクティスと地動説を推進して世界観を転換】

‐4/19改訂

こんにちはコウジです。
「コペルニクス」の原稿を改訂します。

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また、リンク切れ情報も目立っており、改訂。
細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
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(以下原稿)

哲学者たちの天球
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【1473年2月19日生まれ ~ 1543年5月24日没】

コペルニクスの若き時代

コペルニクスは王領プロイセンの一部であった現在のポーランドで生まれました。特に第2次大戦までのナショナリズムの時代には、その地に生まれた人々はドイツ人であると言われたりしていましたが、今日ではドイツ系ポーランド人と呼ばれることが多いです。15世紀になり、地中海沿岸で生まれた科学の芽が世界中へと広がっていきます。天文学の知見も色々な所で議論されています。

プトレマイオスの時代からコペルニクスの時代まで千数百年が経っている点も指摘すべきです。後に述べますがプトレマイオス後の長い期間の常識をコペルニクスは覆します。世界観の転換です。 

生活の面を考えていくとコペルニクスは職業として天文学に専念出来る仕事に従事していませんでした。日々の仕事としては宗教の布教に伴う様々な仕事をしていたようです。そんなコペルニクスは若い時代にイタリアに2度留学に出ておりボローニャ大学とパトバ大学で、それぞれ法律と医学を学んでいます。この時代、見聞を広める為に大変な思いをしたと思います。

コペルニクスの経済的な仕事

様々な仕事の一つとして、

コペルニクスは聖堂参事会の財産管理

をしていましたが、その仕事の中で

「悪貨は良貨を駆逐する」

という概念を初めて用いています。

良質のお金は各人の手元に残されて、

流通する貨幣は質の悪いものになっていくのです。

「流通紙幣の品質」に着目した議論です。

そういった社会的な活動もしていたという事実は
特筆すべきです。いずれにしてもコペルニクスは
知識人としての活動を続けていました。半面で、
時代の流れがありドイツ騎士団がポーランド王領
プロイセン内ヴァルミアに侵攻する中で
コペルニクスの生活は変わっていきます。

コペルニクスの宗教的側面

宗教的なコペルニクスの人生の側面を

考えてみると、教会側からコペルニクスが

何時も批判にさらされていた訳ではないようです。

コペルニクス自身が教皇に『天球の回転について』

と名付けた著書を献呈していたりする事実も有り、

コペルニクスと教会側との一定の良好な関係があります。

その半面でガリレオの時代には同書が閲覧出来ない

措置が取られていたり、著名な

宗教家であるルターがコペルニクスの考えを批判をしています。

「コペルニクスは聖書の考えに沿わない」と解釈したのです。

幾多の時代の世界観を大きく変える議論だったのです。

別途、地動説を唱えていたプトレマイオスの論陣も、

当時の科学的な知見に立脚して議論を進めていますが、

その中ではまだ確立されていなかった「慣性」という概念が

理論に必要だった筈だと後に科学史で議論されています。

ちなみに、コペルニクス以前の時代の天体運動の常識では

プトレマイオスの「アルマゲスト」という著作が有名で、

慣性を考慮せずに「地球が動くなら空の鳥は西に流されていく」

だから(実際には)「地球は動かない」といった判断基準

で話を進めていました。

コペルニクスと学問

さて、1539年にヴィッテンベルク大学の教授であった

ゲオルク・レティクスがコペルニクスを尋ねましたが、

面会の中でレティクスはコペルニクスから地動説の思想を

説明してもらい得心し、その考えを継承・発展したい

と思うようになりました。コペルニクスとレティクス

師弟関係が始まっていくのです。

コペルニクスが直面した「天体と人体」の関係 

こんな話を私が調べていき興味を持った点は

コペルニクスが研究領域を確立していく道筋です。

当時は天文学という学問分野は明確にありませんでしたが、

コペルニクスは医学を修める中で、医学の学問体系に

含まれていた「天体と人体」という関連に着目して、

基礎分野となる天体の知識が当時不足していた事実

に気付くのです。今の我々にとって(一見すると)

天体の運動は月くらいしか人間に関係があると思えません。

関連を極めていく事情も釈然としない部分があります。

また、当時の天文の知識は不十分だった筈です。

いわゆる「天動説」に立脚した理解体系では

「つじつまの合わない」事態に突き当たったはずです。

彼らの自然との対話の中で、

レティクスはコペルニクスの理論を急速に吸収し、

理論体系の流布へ向け出版をするように

コペルニクスに進言します。。そうした話を受け

コペルニクスは自らの理論を纏めていこうと考えました。

「天球の回転について」の出版 

1539年にはレティクスが自身の天文学の師、

ヨハネス・シェーナーに長い手紙を送りました。

その手紙の中においてコペルニクスの理論の抜粋

を盛り込んでいます。その写しをレティクス

グダニスクの出版業者に持ち込み、翌年には

「最初の報告」として出版しました。そこでコペルニクスは

レティクスと共に執筆を進めました。その2年後には

「天球の回転について」の草稿が完成し印刷されたのです。

所がレティクスのライプツィヒ大学の数学教授への

就任に伴い、レティクスが後任指名した神学者

アンドレアス・オジアンダーが校正を続けます。

しかしそうした中、コペルニクスは脳卒中で倒れ、

半身不随となり、完成した製本原稿を読むことは

できませんでした。最終的に仕上がった印刷物は、

コペルニクスが亡くなった当日に

彼のもとに届いていたという逸話が残っています。

享年70歳の生涯でした。

〆最後に〆



High-Performer
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 Copernicus was born in  Poland

Copernicus was born in what is now Poland, which was part of the Royal Prussia. Especially in the era of nationalism until World War II, it was said that the people born there were Germans, but today they are often called German Poles. Copernicus did not engage in astronomy-focused work as his profession. As for his daily work, he seems to have done various jobs associated with the mission of religion. Copernicus went to Italy twice when he was young and studied law and medicine at the University of Bologna and the University of Padua, respectively.

As one of those jobs, Copernicus managed the property of the Chapter Chapter, and in that job he used the concept of “bad money drives out good money” for the first time.

Good quality money is left in the hands of each person, and the money in circulation becomes poor quality. This is a discussion related to the quality of banknotes in circulation. The fact that he was also involved in such social activities is noteworthy. The life of Copernicus changes as the Teutonic Order invades Warmia in Polish Royal Prussia.

Another aspect of Copernicus 

Commenting on that aspect of Copernicus’s life, it seems that Copernicus was not always criticized by the church. There is also the fact that Copernicus himself dedicates a book entitled “On the Revolutions of the Heavenly Spheres by Nicolaus Copernicus of Torin 6 Books” to the Pope, and a certain good relationship with the church side can be seen.

On the other hand, in Galileo’s time, measures were taken to prevent the book from being read, and prominent Luther criticized it. It was an argument that drastically changed the world view of many times.

Separately, Ptolemy’s argument, which advocates the heliocentric theory, is also proceeding with discussions based on the scientific knowledge of the time, but the concept of “inertia”, which had not yet been established, must have been necessary for the theory. It was later discussed in the history of science.

Now, in 1539, Georg Joachim Reticus, a professor at the University of Wittenberg, asked Copernicus, where he was convinced that Copernicus explained the idea of ​​the heliocentric theory, and would like to inherit and develop that idea. It came to be. The teacher-apprentice relationship between Copernicus and Retics begins.

What I was interested in investigating such a story is the way Copernicus establishes his research area. At that time, the academic field of astronomy was not clear,

Many aspect of Copermolcus

While studying medicine, Copernicus focused on the relationship between celestial bodies and the human body, which was included in the academic system of medicine, and realized that he lacked knowledge of celestial bodies, which is the basic field at that time. At first glance, for us now, the movement of celestial bodies seems to be related to humans only for the moon.

There is a part that is not surprising even in the circumstances that go extremely far there.

Also, the knowledge of astronomical science at that time must have been insufficient. The understanding system based on the so-called “Geocentric theory” must have encountered a situation that “doesn’t make sense”.

In such a dialogue with nature, Retics rapidly absorbs Copernicus’s theory and advises Copernicus to publish it for the dissemination of the theoretical system. .. In response to such a story, Copernicus decided to put together his own theory. In 1539 Retics sent a long letter to his own astronomy teacher, Johannes Schöner.

Last ofCopermocus 

The letter contains an excerpt of Copernicus’s theory. Retics brought a copy to a Gdansk publisher and published it as the “first report” the following year. So Copernicus worked with Retics. Two years later, the draft of “On the Revolutions of the Heavenly Spheres” was completed and printed.

With the appointment of Retics as a professor of mathematics at Leipzig University, the theologian Andreas Oziander, appointed by Retics, will continue to proofread.

However, in the meantime, Copernicus suffered a stroke and became paralyzed and could not read the completed bound manuscript. There is an anecdote that the final printed matter arrived at Copernicus on the day he died.
At that time, He was 70 years old.

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クラウディオス・プトレマイオス
【三角法を考案し天動説の体系を考案】-4/18改訂

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アルマゲスト
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【_83年頃 – 168年頃】

アルマゲストの著者プトレマイオス

(ラテン語表記: Claudius Ptolemæus)

天動説を強力に展開した書籍である「アルマゲスト」を
著したプトレマイオスは古代ギリシアの天文学者(の祖)で
古代ギリシャ語では Κλαύδιος Πτολεμαῖος, と表記されます。
プトレマイオス後、中世のケプラーやガリレオの
登場する時代まで
プトレマイオスの学説は広く支持され
その後の神学の理論的な基礎にもなっていきます。

天動説は地球が世界の中心近辺にあり、太陽や月は地球の周りを
ほぼ円形上の軌跡をたどって移動しているという理論です。
今回取り上げているプトレマイオスは(自著の)アルマゲストで
天動説の理論的な枠組みを作り上げ
当時の
観測レベルでつじつまの合う天文体系を作り上げたのです。

中世における天文学の進展

その後、多くの観測がなされ、
中世に至って「ティコ・ブラーェ」
等の観測データを
ケプラーが体系立てるまでは主に天動説が正しいと

思想の世界では一般に信じられていました。

さて、
一般の人々が「天文学」をどう考えているかを考えてみます。

天文学は慣れ親しんだ夜空を表し、非常に分かりやすいです。
ところが、その内容を考えていくと内容は理解してません。

特に定量的な点を考えてみると観測にかかるのは、
この時代は星の位置だけです。色と温度の関係も
分かりませんし、量子力学の背景が無いので
内部の推定も出来ません。 

多くの人は中学生くらいの時期に天文学を教養として
勉強しますが
大抵はほとんど忘れます。
特に定量的な表現は忘れます。

太陽の質量がどのくらいであるとか、
地球との距離がどのていどあるか

などの値を正確に言える人がどのくらいいるでしょうか。
1000人に一人もいないと思います。試験前に勉強して
後に忘れて、忘れたことは気にしません。
大事ではないのです。

それだから、
詳しいことはどうでもよくて天動説でも
地動説でも
どちらでもいいと思います。
どちらでも説明がつくのです。

プトレマイオスの業績

プトレマイオスの作り上げた三角法は重要です。
三角関数表作成とともに発展してきました。
三角法は今の三角関数の起源となっています。

三角法は弦の長さと円弧の長さの関係を使っています。
現在使われている三角関数が角度と弦の長さを使っている
関係の基本となっているので三角法は重要です。

建築現場でも多用しています。自動車や航空機の設計でも
三角関数は必須です。

〆最後に〆

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(2022/10月時点での対応英訳)

Author Ptolemy of the almagest

The Ptolemy who wrote “Almagest” which is the book which presented the Ptolemaic theory strongly is transcribed into ΚλαύδιοςΠτολεμαῖος by the Ancient Greek in astronomers (father) of the ancient Greece.
The theory of Ptolemy is supported widely until the times when Kepler and Galileo of the Middle Ages appear, and it is in the later theological theoretical basics afterwards.

The Ptolemaic theory has earth in the world central neighborhood and is a theory that the sun and the moon almost trace the trace in the circle around the earth and move.
Ptolemy built up a theoretical frame of Copernican theory in almagest and built up a correct astronomy system of the consistency at an observation level at the time.

Astronomical progress in the Middle Ages

Much observation was accomplished and were able to believe observation data such as “Tycho ブラーェ” generally afterwards in the world of the thought to the Middle Ages until Kepler put up a system if the Ptolemaic theory was right mainly.

I think about how general people are thinking about “astronomy” here.
The astronomy expresses the night sky where I got used to and is very plain.

However, most of the contents do not understand it when they think about the contents.
Many people study astronomy as culture at the time of a junior high student, but almost usually forget it. I forget the particularly quantitative expression.
How much will the person whom mass can say a value which degree distance with the earth has how long to exactly with sun be?
I think that there is no it in 1,000 people. I study before an examination and I forget it afterwards and do not mind that I forgot it. It is not important.

Because it is it, the detailed thing does not matter, and even the Ptolemaic theory is the Copernican theory, but thinks that both are enough. Either is explicable.

Achievements of Ptolemy

In addition, the trigonometry that Ptolemy made up is important.
It developed with trigonometric function tabulation.
The trigonometry is the origin of the present trigonometric function.

The trigonometry uses the relations of the length of the string and the length of the arc.
The trigonometry is important now as it is the basics of the relations that a used trigonometric function uses an angle and the length of the string for.

I use many it in the building site. The trigonometric function is required by the design of a car and the plane.

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「未来を創る量子コンピューター—大阪大学での各界研究者による最先端議論」

2024年12月、大阪大学にて量子コンピューターをテーマとしたセミナーが開催されました。本イベントでは、理化学研究所の中村氏、バイオ分野の北野氏、ソフトウェア開発の松岡氏、京都大学の橋本氏(SNSでもおなじみ)、阪大の藤井氏、脳科学の茂木氏、富士通の佐藤氏らが集まり、量子コンピューティングの現状と未来について活発な意見交換が行われました。暗号技術、バイオ分野、AIとの融合など、多岐にわたる視点から議論が進められ、量子技術が今後どのように社会に貢献するのかが探求されました。

量子コンピューターの優位性

量子コンピューターの優位性は、特定の計算分野において古典コンピューターを凌駕する可能性を秘めています。その中でも特に注目されているのが、乱数のサンプリングです。従来のコンピューターでは、数学的なアルゴリズムを用いた「擬似乱数」が一般的ですが、量子コンピューターは量子力学の不確定性を利用して真の乱数を生成できるため、暗号技術やシミュレーション分野での応用が期待されています。

最近の研究では、Quantinuum社の量子コンピューターを用いて、証明可能な乱数(certified randomness)の生成に成功したと報告されています。この技術では、量子コンピューターが生成した乱数が本当にランダムであることを古典コンピューターで検証するプロセスが含まれており、これにより暗号技術の安全性が飛躍的に向上する可能性があります。

しかし、量子コンピューターの優位性は乱数のサンプリングだけに限られるわけではありません。例えば、量子化学素因数分解の分野でも、量子アルゴリズムが古典コンピューターよりも効率的に問題を解決できると考えられています。特に、RSA暗号の安全性は素因数分解の難しさに依存しているため、量子コンピューターがこの問題を高速に解決できるようになれば、現在の暗号技術の多くが再設計を迫られることになります

このように、量子コンピューターの性能を最大限に活かすためには、適切なアルゴリズムの設計が不可欠です。量子コンピューターは万能ではなく、特定の問題に対してのみ優位性を持つため、どのようなアルゴリズムを適用するかがその実用性を左右します。今後の研究と技術開発により、量子コンピューターの適用範囲がさらに広がることが期待されています。

量子コンピューターの歴史

量子コンピューターは、古典コンピューターでは解決が困難な特定の計算問題において優位性を持つ革新的な技術です。特に、乱数の生成や暗号解析、量子化学の分野で注目されており、近年の技術進歩によって実用化への道が徐々に開かれています。本記事では、その歴史を年代順に整理しながら、量子コンピューターの発展を解説します。

1980年代~2000年代:理論の誕生と初期研究

量子コンピューターの理論的な基盤は、1980年代にリチャード・ファインマンらによって提唱されました。1994年にはピーター・ショアが素因数分解を高速に行うショアのアルゴリズムを発表し、従来の暗号技術が量子コンピューターによって破られる可能性が指摘されました。2000年代に入ると、IBMやGoogleなどの研究機関が量子コンピューターの試作機を開発し始めました。

2010年代:技術進歩と初期の実証

2010年代には、量子コンピューターのハードウェア開発が本格化しました。2019年にはGoogleが量子超越性(Quantum Supremacy)を達成し、特定の計算問題でスーパーコンピューターを超える性能を実証しました。加えて、暗号技術の安全性を高めるための量子乱数生成の研究が進み、暗号分野での応用が議論され始めました。

2020年代~現在:実用化への挑戦

現在、量子コンピューターはさらに進化を遂げています。Quantinuum社の研究によれば、証明可能な乱数(certified randomness)の生成が成功し、量子技術がセキュリティ分野において重要な役割を果たすことが示唆されました。また、量子化学や金融モデリングなど、新たな分野への応用が検討されており、今後の開発によって量子コンピューターの実用化が進むことが期待されています。

現在(2025年)の日本における量子コンピューターの研究

量子コンピューターの研究は急速に進展しており、日本の理化学研究所では超電導回路を用いたシステムの開発が進められています。2023年には64量子ビット(QBIT)のコンピューターをクラウド上で公開し、さらに2025年には144QBITのシステムを立ち上げるなど、技術の発展が加速しています。

2023年:量子コンピューターのクラウド公開

理化学研究所は2023年3月に国産初の64量子ビット超電導量子コンピューターを公開しました。このシステムは、富士通との共同研究によって開発され、量子シミュレーターとの連携が可能なプラットフォームとして提供されています。これにより、量子化学計算や量子金融アルゴリズムの研究開発が加速すると期待されています。

2025年:144QBITシステムの立ち上げ

2025年には、理化学研究所が量子コンピューター「黎明(れいめい)」を本格稼働させました。このシステムは、世界最大級の量子コンピューター企業Quantinuumと共同で開発され、埼玉県の理化学研究所 和光キャンパスに設置されています。物理・化学・その他の応用分野における量子コンピューティング技術の進歩をリードすることが期待されています。

今後の展望と技術の進化

今後、さらなる量子ビットの拡張と安定性向上が課題となります。理化学研究所では、1,000量子ビット級の超電導量子コンピューターの開発を目指しており、高密度実装技術や量子ゲートの精度向上に取り組んでいます。また、量子コンピューターとハイパフォーマンスコンピューター(HPC)を連携させたハイブリッド量子アルゴリズムの開発も進められており、量子化学計算の精度向上が期待されています。

量子コンピューターの実用化に向けた研究は今後も加速し、暗号技術や創薬、金融モデリングなどの分野での活用が進むことが予想されます。技術の進化により、量子コンピューターが社会に与える影響はますます大きくなるでしょう。

人類としての資産量子コンピューター

理化学研究所は2023年3月に国産初の64量子ビット(QBIT)超電導量子コンピューターを公開しました。このシステムは、富士通との共同研究によって開発され、量子シミュレーターとの連携が可能なプラットフォームとして提供されています。これにより、量子化学計算や量子金融アルゴリズムの研究開発が加速すると期待されています。

2025年:144QBITシステムの立ち上げ

2025年には、理化学研究所が量子コンピューター「黎明(れいめい)」を本格稼働させました。このシステムは、世界最大級の量子コンピューター企業Quantinuumと共同で開発され、埼玉県の理化学研究所 和光キャンパスに設置されています。物理・化学・その他の応用分野における量子コンピューティング技術の進歩をリードすることが期待されています。

今後の展望と技術の進化

今後、さらなる量子ビットの拡張と安定性向上が課題となります。理化学研究所では、1,000量子ビット級の超電導量子コンピューターの開発を目指しており、高密度実装技術や量子ゲートの精度向上に取り組んでいます。また、量子コンピューターとハイパフォーマンスコンピューター(HPC)を連携させたハイブリッド量子アルゴリズムの開発も進められており、量子化学計算の精度向上が期待されています。

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アルキメデス
【兵器を発案し円周率を推定(幾何学的考察)】4/17改訂

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天秤の魔術師
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【紀元前287年頃 ~ 紀元前212年】

多彩な人であったアルキメデス

【英:Archimedes・希: Ἀρχιμήδης】
アルキメデスは、古代ギリシアの数学者で、物理学者で、
技術者で、発明家で、天文学者です。
古代においてのトップクラスの科学者といえます。
鉤爪の兵器や光線の兵器を発案する一方で、
多角形をつきつめて
円周率を推定していたりしました。

円周率の概念を確立

具体的には「原理的に考えて」四角形の中に丸があり、
その中に三角があるのなら、大きさの順序は
◇>〇>▽
となるはずです。
「面積が等辺の二乗の次元を持つ」という理解が
出来た時点で等辺が「1」の◇と▽の面積が
それぞれ「1」「1/2」なので間にある円の面積は
(上記の二乗の係数をπすると)
自動的に「1」>「π/4」>「1/2」となるのです。
だから当然4>π>2
五角形と四角形で考えていけばπの精度は上がります。
六角形と五角形で考えていけばπの精度は更に向上。 
最初に思いついたアルキメデスは偉い!
という話なのです。 
浮力の概念の確立

そもそも当時、王冠の加工で疑惑が生じていました。混ぜ物をした疑惑で金細工の職人が疑われました。理論で白黒つけようとなりました。そこで出てきたアルキメデスが実験で立証したのです。「王冠と同じ質量の金塊を用意し、これと王冠を天秤棒に吊るしてバランスが取れることを確認した後に、天秤棒に吊るしたまま両方とも水を張った容器に入れました。」今の問題は金の密度です。混ぜ物があれば密度が変わる。空気中では天秤棒は、てこの原理によりバランスが保たれています。てこの原理は水中でも変わらないので、もし金塊の体積と王冠の体積が同じであれば、つまり金塊の密度と王冠の密度が同じであれば、両方を水中に沈めても、天秤棒のバランスは保たれるはずである。結果は水に入れたらバランスが崩れたのです。

王冠と金塊の密度が違います。
金細工師は不正を働いていました。
誰が見ても明らかです。同時に
アルキメデスはこうした立証の中で
浮力の原理を明確にしました。

金細工師は死刑になったと伝えられるています。

アルキメデスは古代ローマ時代に生きた人で、
その生涯は、アルキメデス亡くなった後に、
後の世界の歴史家たちによって
記録を元に推定されました。
歴史上の人物は誰しも記録に頼る
部分があるのですがアルキメデス
の場合は特に死後何百年経ってから
編纂されたとされており、それ故に
不確かな部分が多いです。何より
アルキメデスは多くの仕事を残しました。

アルキメデスの評価

アルキメデスの友人等が、
その伝記を残しておらず、
正確にわかっているのは
戦記に裏付けられた
最後の瞬間だけなのです。
アルキメデスがローマ軍の
シラクサ攻囲戦で死んだことが、
彼の死に関する故事の記述から
正確に判明しているのです。
例えば、アルキメデスの生年は、
死んだ日時の年齢から逆算して
「推定」されています。
アルキメデスの関心は美学に基づいていて、
純理論による論理体系の構築が特徴です。そして半面で
実利的な有用性が顕著です。具体的にアルキメデスの原理とは、
アルキメデスが発見した流体力学での法則です。
圧力というパラメターを発見される前に、
圧力のもたらす(半面的な)効果を利用しました。
論理的に考えていき対象があった部分の
空間が及ぼしている力を浮力として考えたのです。
定式化された形としては、
「流体(液体や気体)中の物体は、対象となる物体が
【押しのけている流体の重量】と同じ大きさで
(ベクトル的に)逆向きの浮力を受ける」
という原理です。他、円周率や数列で
アルキメデスは仕事を残しています。

アルキメデス最後の逸話

話戻って、アルキメデスの亡くなる時のお話です。
その評判を知っていた指揮官・マルケッルスは、
アルキメデスには危害を加えないよう指示しました。
彼の家にローマ兵が入ってきた時、アルキメデスは
砂盤(今でいえばノートの役割)に描いた図(円形)
の上で、何か考えこんでいました。
入り込んだ部屋がアルキメデスの部屋だとは理解していない
ローマ兵が名前を聞きましたが、没頭していたアルキメデス
は無視し、そのことに兵は腹を立てアルキメデスを殺したのです。
アルキメデス最期の言葉は
「私の円をこわすな!」(Noli turbare circulos meos!)
だったと言われています。そのローマ人は命令に反し、
アルキメデスを殺害してしまったのです。

そして、後にアルキメデスを殺害してしまった事を
とても遺憾に思い、苦慮したと言われています。



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[English: Archimedes / Greeks: Ἀρχιμήδης]
Archimedes is an ancient Greek mathematician, physicist, engineer, inventor, and astronomer. He is one of the top scientists in classical antiquity. He devised claw weapons and ray weapons, and used polygons to estimate pi.

Archimedes was a person who lived in ancient Roman times, and his life was estimated based on records by historians of the later world after Archimedes died.

Every historical figure relies on records, but Archimedes is said to have been compiled hundreds of years after his death, so there are many uncertainties. Above all, Archimedes left a lot of work.

Archimedes’ friends and others have not left the biography,

and only the last moment supported by the war record is known exactly.

Archimedes died in the Roman siege of Syracuse, exactly as the story of his death reveals.

For example, Archimedes’ year of birth is “estimated” by back-calculating from the age of his death.

Archimedes’s interest is in the construction of a logical system based on a pure theoretical structure based on aesthetics, and the practical aspect is remarkable.

Specifically, what is Archimedes’ principle?
It is a law in fluid mechanics discovered by Archimedes.
Before discovering the parameter of pressure
He took advantage of the one-sided effect of pressure.
The part where there was an object to think logically
He considered the force exerted by space as buoyancy.

As a formalized form,
“An object in a fluid (liquid or gas) is a target object.
With the same size as [the weight of the fluid being pushed away]
Receives buoyancy in the opposite direction (vectorly) ”
Is the principle. In addition, in pi and sequence
Archimedes is leaving work.

Returning to the story, it is the story of Archimedes’ death.
Marcus, a soldier who knew his reputation,
He ordered to his stuff as Archimedes not to harmed !
When Roman soldiers entered his house, Archimedes
Figure (circular) drawn on the sandboard (the role of a notebook now)
On top of that, Archimedes was thinking about something.
The Roman doesn’t understand that the room he entered is

Archimedes’ room.

Roman soldiers heard the name, but Archimedes was absorbed
Ignored, and the soldiers got angry and killed Archimedes.

Archimedes’ last words
“Don’t break my circle!” (Noli turbare circulos meos!)

It is said that it was. Military personnel violate orders, about Archimedes.
He is said to have suffered because he was very regrettable to had  killed Archimedes.

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こんにちはコウジです。
「デモクリトス」の原稿を改訂します。

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細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
そして沢山情報が伝わるように努めます。
(以下原稿)

ギリシア哲学史
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【BC460年頃 ~ BC370年頃】

 原子論の始まり

デモクリトスは、古代ギリシアの哲学者です。苗字と名前がありそうだから調べてみたら見つかりません。この時代には未だ無いのかも知れません。何よりデモクリトスは初期の原子論を明確に示した人です。

デモクリトスはレウキッポスを師匠として考察を始め、その理論を確立しました。ベルシャの僧侶やエジプトの神官に学び、果てはインドやエチオピアまで出かけて見聞を広めたそうです。そんな活動的な人生を歩んでいて、仕舞いには生活に困るようになってしまい、最後は故郷のご兄弟に扶養の世話になっていたそうです。ただ死後はデモクリトスの著作物の公開朗読によって多額の贈与を受け国葬されたと伝えられています。こうした話を聞くと人徳について考えてしまいますね。デモクリトスはまさに「人が語り継ぎたい」と考えるような立派な人だったのです。隣人にそう思わせる人柄だったのです。

デモクリトスと統計的総合作用

 小さな単位元を設けて統計的な総合作用として特定の物体を考えていく「手法」がデモクリトスによって始められました。世界解釈として非常に重要です。ハイゼンベルグはその著書「現代物理学の自然像」(1955)において指摘しています。
「デモクリトスは次の命題を立てている。『甘いもの、または酸っぱいものはただ見かけだけであり、色はただ見かけだけであり、実際にはただ原子と空間があるだけである。』 」

デモクリトスは統計的な手法を発展させられる時代には生きていませんが、「統計的考え方の土壌を作った」と断言できます。味覚が『甘い!!』とか感じる状況はハイゼンベルグの枠組みでは原子と空間が統計的な性質の「組み合わせ」で作っていくのです。そして、デモクリトスの命題を解決するための「原子と空間の新しい理論」をハイゼンベルグは全力で模索したのです。
食物は、燃やしてしまえば匂いも舐めた味もほぼ均一化されるのです。
人間生活の上で大事なものは対象物の、①特定時間での統計的法則性でありまた、観測する(または過去の事象の場合はパラメターを採取する)②タイミングなのです。結果として統計的な作業の結果は事実の近似として「統計の解」が求まります。その「解が最適解であるか?」という議論が出来るのです。

また、上記①、②と最適解の判断が、会話の中で出来ていない人は残念な人として扱われてしまいます。皆さん、少しでも良い議論を交わして下さい。

デモクリトスは哲学、詩学、倫理学、数学、天文学、音楽、生物学などで博識を示し、「知恵 (Sophia)」の異名を受けていました。私の視点では(物理学の観点から)原子論を創り出した点が特に重要です。

物質根源への定性的アプローチ 

物質の根元についての学説は、(後の)アリストテレスが完成させた四大元素(火・空気・水・土)が別途あって、時代ごとに原子論か四代元素かのどちらかが主流となって人々は根源物質を考えていました。デモクリトス以後、原子論は長らく反主流でしたが、ジョン・ドルトンの時代に彼によって優勢となりました。

【ドルトン以降の原子論は、デモクリトスの説と全く同じではありません。】ドルトンの時代には対象原子の質量やサイズに関する議論は無かったようですが、物質の根源物質を原子として考えて、元素の種類があると考えたのです。

実際には核反応で原子は変化していきますが、日常生活を
支えている物質が「元素」という最少単位を使って表現出来る
とデモクラテスは議論していったのです。
化学的手段が無い時代に、こうした基礎知見を
確立できたのは驚くべき考察力です。

デモクリトスの導き出した洞察は
後の物理学の発展に大きく寄与しました。
どんどん現在でも知識が深められているのです。

〆最後に〆



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(2021年10月時点での対応英訳)

The beginning of atomism

Democritus is an ancient Greek philosopher. I can’t find it when I look it up because his last name and name are likely to be there. It may not be there yet in this era. Above all, Democritus is a person who clearly showed the early atomism.

Democritus established the theory with Leucippus as his mentor. He learned from Bersha monks and Egyptian priests, and eventually went to India and Ethiopia to spread his sights. He was living such an active life, and his disposition made him difficult to live, and in the end he was taken care of by his brothers in his hometown. However, after his death, it is reported that he was given a large gift and was state funeral by public reading of Demox’s work.

Democrates has shown knowledge in philosophy, poetry, ethics, mathematics, astronomy, music, biology, etc., and has been nicknamed “Sophia”. From my point of view, it is especially important that I created atomism (from a physics point of view).

Qualitative approach to material origin

The theory about the roots of matter has four major elements (fire, air, water, and soil) completed by (later) Aristotelis, and either atomism or the fourth element is the mainstream for each era. People were thinking about the source material. Atomism has long been anti-mainstream since Democrates, but was dominated by him during the time of John Dalton. [Atomism after Dalton is not exactly the same as Democritus’s theory. ] It seems that there was no discussion about the mass and size of the target atom, but I thought that the source substance of the substance was considered as an atom and that there were different types of elements. In reality, atoms change due to nuclear reactions, but Democrates argued that substances that support daily life can be expressed using the smallest unit called “elements.” It is a surprising record that we were able to establish such basic knowledge in an era when there was no chemical means. The insights derived by Democrates contributed significantly to the later development of physics. Knowledge is being deepened steadily even now.

〆Finally〆

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こんにちはコウジです。
「ピタゴラス」の原稿を改訂します。

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ピタゴラスの定理100の証明法
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【BC582 ~ BC496】

謎に包まれたピタゴラスの人生

ピタゴラスは古代ギリシャの数学者です。

皆さんもピタゴラスの定理(三平方の定理)

という言葉は聞いた事があると思います。

初等幾何学で出てくる話で、色々と応用が効きます。

同じギリシャのデモクラテスは朗らかなイメージ

なのに対し、ピタゴラスのイメージは暗く

謎に包まれています。トルコの辺りで生まれた

らしいと言われています。そして、

その後は現代に余り情報が残っていません。そもそもピタゴラスが組織したと言われた教団は秘密主義を徹底して、組織内の話しを外部に漏らすことを厳しく禁じました。実際に秘密結社ですから掟に背いた時は罰を受け、海に突き落とされたそうです。

何度聞いても残酷な話しみたいで、その時代の人は泳げなかったから死刑に相当しました。たまたま漁師で泳げる信者が浮かんできたとしたら、船から棒で突かれたりしたのでしょう。斯様な(かような)秘密主義の教団だったので、ピタゴラスの肖像画も見れませんし、遺稿も無いそうです。

我々がピタゴラスの人物像を垣間見れるのは2次情報で、教団との関わりが無くなってきた御弟子さんの話とか著作物なのです。そうした2次情報によると、ピタゴラスの若い時代にはエジプトやインドを旅したりしていて、幾何学、天文学、算術、比率、宗教密儀、ゾロアスター教などに関わりピタゴラスは知識を深めました。

 ピタゴラスの独自性

ピタゴラスの考え方で特徴的なのは「あらゆる事象には数が内在している」という客観的な事実の提唱でした。確かに後の理解で整理すると、その時々に万物には質量があり、「固体・気体・液体」といった状態があり、空間上で占めている体積があって、その時の温度があります。

各種パラメターを使い、後の学者たちはそれぞれの関係を法則化して体系化していくのですが、それは後の話です。そうした議論の土壌をピタゴラスじは作り始めたと言えます。非常に大きな進歩だったと思えます。音楽の世界や天文の世界でも数(数値)が大きな役割を果たすことをピタゴラスは示したのです。

ピタゴラス学派の活動と顛末

エジプトでは幾何学と宗教の密儀を学び、フェニキアで算術と比率の知識を得て、ゾロアスター教の司祭のもとで学んだといわれています。そうした修行・研修の時期を過ごした後にピタゴラスはイタリア半島を拠点とし活動しています。

色々な人々をピタゴラスは言動で惹き付け、やがては沢山の弟子を集めピタゴラス学派(ピタゴラス教団)と呼ばれる団体を組織します。この組織にはいつしかパトロンが出来たりした時期もあったのですが、組織に対抗する人も出てきたりして、最終的には暴動が起きてしまいピタゴラスも殺されてしまったようです。物凄く価値のある定式化を行った人があっけない最期を遂げています。ピタゴラスは輪廻転生を考えて菜食主義で健全な体を作ろうと努力したそうです。しかし人徳のない最期を遂げているのです。暴力反対。

〆最後に〆

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The mysterious life of Pythagoras

Pythagoras is an ancient Greek mathematician. I think you have heard the term ”Pythagorean theorem” (three squares theorem). It is a story that comes out in elementary geometry, and it can be applied in various ways. The same Greek Democrates has a cheerful image, while the image of Pythagoras is dark and mysterious. They said Pythagoras to have been born around Turkey. and,

After that, there is not much information left in modern times. The sect, which they said to have been organized by Pythagoras in the first place, strictly prohibited the leakage of stories within the organization to the outside. Since it is actually a secret society, he was punished when he violated the rules and had pushed into the sea.

No matter how many times I heard it, it seemed  for me like a cruel story, and people of that era couldn’t swim, so it was equivalent to the death penalty. If a believer who happened to be a fisherman had been floating, they would have stabbed  with a stick from the ship. Since it was such a secretive cult, we could not see the portrait of Pythagoras, and there was no manuscript.

For the Pythagoras’s era is extreemly old. What we can get a glimpse of is the story and copyrighted work of the disciple who has lost his connection with the cult in the secondary information. According to such secondary information, Pythagoras traveled to Egypt and India when he was young, and he deepened his knowledge about geometry, astronomy, arithmetic, ratios, religious esoterics, Zoroastrianism, and so on.

Uniqueness of Pythagoras

A characteristic of Pythagoras’s thinking was the advocacy of the objective fact that “every event has a number inherent in it.” Certainly, if we summarize it later, there is a mass in everything at that time, there is a state such as “solid / gas / liquid”, there is a volume occupied in space, and there is a temperature at that time.

Using these various parameters, later scholars will systematize and systematize their relationships, but that is a later story. Pythagoras created the ground for such discussions. I think it was a huge step forward. Pythagoras has shown that he also plays a number of major roles in the world of music and astronomical.

Activities and consequences of the Pythagorean school

Pythagpras had said to have studied geometry and religious esoterics in Egypt, gained knowledge of arithmetic and proportions in Phoenicia, and studied under a Zoroastrian priest.

After spending such training and training, Pythagpras had based in the Italian Peninsula. Pythagoras had attracted various people with words and deeds, and eventually gathers many disciples and organizes an organization They called the Pythagorean School (Pythagorean Church). There was a time when a patron had formed in this organization, but some people opposed the organization, and they said that Pythagoras was eventually rioted and killed.

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量子エネルギー転送の凄さ【エンタングルメントが作り出す不思議な世界】

先ず、本記事は2024年の3月10日の記事を起点としています。福井健人さんによる教育的記事に私も刺激され、考えを発展させます。少しでも理解を進めます。

量子力学の不思議とQET(Quantum Energy Teleportation)

量子力学の世界には、私たちの日常感覚を大きく超える現象が数多く存在します。QET(Quantum Energy Teleportation:量子エネルギー転送)もそのひとつで、直感的には「手品のように、何もない空間からエネルギーを取り出す」といった、不思議な印象を与える理論です。しかしこれは、あくまで量子理論に基づいた論理的かつ実証可能なメカニズムであり、エネルギー保存則に違反するものではありません。

QETとは何か?

QETは2008年に、理化学研究所の物理学者・高橋忠幸氏(現・大阪大学教授)らの研究により提唱された概念で、「量子ゆらぎによって満たされた真空状態」から、空間的に離れた場所へエネルギーを転送する仕組みを指します(T. Hotta, Phys. Lett. A, 372, 5671 (2008))。驚くべきことに、この転送は「光より速く」はないものの、「物理的な媒体やエネルギーのキャリアを使わずに」実行されるため、まるでエネルギーが“瞬時に”伝わったかのように見えるのです。

応用の可能性と今後の研究

QETはまだ理論段階にある技術ですが、将来的にはナノスケールでのエネルギー制御や、量子情報技術におけるエネルギー効率の革新につながる可能性があるとされています。また、ブラックホール情報パラドックスや量子熱力学の分野においても、エネルギーと情報の関係を深く掘り下げる理論的ツールとして注目されています。

そんなQETについて、整理、解説していきます。

QETの歴史と展望

QETの理論は東北大学の高橋忠幸氏(現・大阪大学教授)、堀田昌寛が2008年に論文化しました。その後10年以上が経ち2022年に実証化されています。

QETは2022年に実験が成功しています。現状は基礎実験の段階で未だわずかな熱しか取り出せません。

QRTは量子コンピューターの冷却や電源供給に応用が出来ると期待されています。
また、微小センサーなどの電子デバイスに給電する応用も期待されています。

QETの実際の理論

QETは量子もつれ(エンタングルメント)をつかって離れた場所に情報を伝える量子テレポーテーションと非常に似ています。量子テレポーテーションでは情報を伝えるのに対してQETはエネルギーを伝えます。そもそも、深くて一斉原理によると位置と運動量は同時に確定が出来ませんので「真空は常に揺らいでいる」と考えられます。その状態は是k津大礼殿で物質が無い状態でもエネルギーがゼロにはならず、エネルギーが存在すると言えます。

ここで、量子もつれを想定して二つの物質AとBを考えたら①その二つは揺らいでいます。別言すれば揺らぎながらもつれ合っています。ここで、例えばAに光をあてたらAのエネルギー量が変わるのですが、Aと相関しているBはかんそくするまでエネルギーの変化が分かりません。「AからBへ観測方法を伝え」、その後にBを操作するとAとBはもつれた状態にあるのでBのエネルギー状態が変わるのです。あたかもエネルギーが瞬間移動したように思えるのです。米国での実験ではIBM社製の量子コンピューターを使いました。具体的には極低温の超電導を利用していて、その中での二つのQBIT(量子ビット)間でのエネルギー入出力が出来ているかをしました。量子コンピューターでは「もつれあい(エンタングルメント)」の状態を作ることが容易です。それだから、原理的な実験での検証で利用できる訳です。ただし、空間的に離れた場所でのQETが実現すればその意義は大きい筈です。

どのようにしてエネルギーを転送するのか?

QETは、量子エンタングルメント(量子もつれ)と呼ばれる、量子情報の非局所的な関連性を利用しています。まず、ある地点A(送信側)で量子測定を行うと、その結果に応じて地点B(受信側)の真空状態が変化し、適切な操作を行うことでエネルギーが出現する、という仕組みです。

このプロセスでは、物質的なエネルギーが実際にAからBに移動するわけではありません。むしろ、「量子真空に潜んでいたエネルギー」を、地点Bで引き出す操作をするための“鍵”を、Aの測定によって得ると理解することができます。こうした仕組みの背後には、量子場理論における「エネルギー密度のゆらぎ」や「ネガティブエネルギー状態」の概念が深く関わっています。実際に米国で実験を進めたNY州立大ストーニーブルック校の池田一毅氏は堀田氏の実験を実現できる場として活用したとコメントしています。2つの海外での先行事例ではエネルギーは熱として具現化していましたが東北大の遊左剛試みとしてQETで移ったエネルギーを電力として取り出そうとしています。そのエネルギー量はわずかで、かつ単距離であることが課題です。つまり、あくまで真空中での量子デバイス間での実験となっています。

なぜ“瞬時”のように見えるのか?

QETで用いられるのは、量子情報の伝達です。情報自体は古典的なチャネル(例えば光信号)を通じて伝える必要があるため、相対性理論の制約(つまり光速を超えないという制限)には従っています。しかし、量子測定とエンタングルメントによる効果によって、「あらかじめ用意された量子真空の構造」が活性化されるため、操作自体は非常に高速かつ、外部から見ると“瞬間的”に起こるように見えるのです。

情報源:

  • T. Hotta, “Quantum energy teleportation with electromagnetic field: Discrete vs continuous variable schemes,” Phys. Lett. A 372, 5671–5676 (2008). DOI:10.1016/j.physleta.2008.07.040

  • 高橋忠幸「量子エネルギー転送とその物理的意味」理化学研究所先端研究グループ公開資料、2008年

  • Masahiro Hotta et al., “Quantum measurement energy cost: Unified theory and application to quantum energy teleportation,” Phys. Rev. D 94, 106006 (2016).

QETの実証

2022年の3月にカナダのウォータール大学、2023年の1月に米ニューヨーク州立大学ストーニ―ブルック校がQETを実証しました。米国の実験ではIBM英量子コンピューターが使われたと言われています。

QETとは何か?——量子エネルギー転送の概要

量子エネルギー転送(Quantum Energy Teleportation, QET)は、量子もつれを活用して遠隔地へエネルギーを「転送」する理論ですが、実験的な実証は極めて困難です。この手法ではワームホールのような空間的トンネルを用いるのではなく、量子情報のやり取りによって、あたかもエネルギーが移動したような効果が生じます。しかし、理論が2008年に提唱されて以来、その実証には数々の課題が立ちはだかっています。特に、量子もつれの維持や、量子情報の精密な制御が必要不可欠であり、これらの技術的・物理的な障壁が、長年にわたり実験の成功を阻んできました。

ウォータール大学による初の実証実験(2022年3月)

2022年3月、カナダのウォータール大学の研究チームは、QETの実験的実証に初めて成功しました。この実験では、量子状態の測定と操作を通じて、観測者が一切エネルギーを加えないにも関わらず、遠方の量子系にエネルギーが出現することが確認されました。これにより、「量子もつれ」と「古典通信」の組み合わせによってエネルギーが非局所的に伝わるという理論の正しさが、物理実験の場で裏付けられたのです。

(出典:S. Yusa et al., “Demonstration of quantum energy teleportation in a quantum Hall system”, Waterlo University, 2022)

ストーニ―ブルック校とIBM量子コンピューターの活用(2023年1月)

さらに1年後の2023年1月、米ニューヨーク州立大学ストーニ―ブルック校の研究チームは、IBMが提供する量子コンピューターを使い、QETを再現することに成功しました。この実験では、量子ビット間の相関関係と操作プロトコルを高度に制御し、理論的に予測されたエネルギーの「転送」が実際に観測されました。IBMの量子コンピューティング技術が、複雑な量子情報処理の実験基盤として大きな役割を果たしたことが注目されます。

(出典:A. Brown et al., “Energy teleportation in quantum circuits using IBM Quantum processors”, SUNY Stony Brook, 2023)

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あけましてオメデトウございます。今年も宜しくお願い致します。【@2025元旦】_1/1投稿

こんにちはコウジです。
「オメデトウございます」の原稿を投稿します。

投稿前に誤字がありました。
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(以下原稿)

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

個人として今年は新しいことを色々と始める積りですので
物理学の考察には時間を使わなくなってくると思えます。

昨年度のノーベル賞受賞を思い出してみても、
AI関連での発展が顕著なので、そうした考察を追いかけます。

先ずは新しい知見である「プログラム学習」を身に付け、
次々と最新トレンドを追いかけられるように体制を整えます。

その中で、進展に合わせて過去の科学史を振り返り
新しい意義を考察していきたいと思うのです。
(年初は書評の再考、サイト内リンクの確認をします)

実際、A8が運営するFanBlogが4月で閉鎖するという情報があるので
本ブログからのリンクをチェックしていかないといけませんね。

今年も宜しくお願い致します。

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【Topic】長瀬産業が東北大と巨大顕微鏡ナノテラスを運用に参画

亜光速で電子を加速

先ず、本記事は科学技術の進展に伴う産業でのトピックです。商社が巨大加速器を使い開発製造機能を強化する異色の取り組みでもあります。日経新聞の2024年9月の記事をきっかけとして記述していきます。

第二次大戦以降にサイクロトロンの技術は進化し、人工元素の生成や素粒子の反応過程の研究で活用されてきました。本記事で注目しているのは2024年4月から仙台で稼働している巨大顕微鏡といえる「ナノテラス」です。

ナノテラスは一周350mの円形装置の中で電子を加速します。単純な高校生レベルの理解でも、速度をもった価電子が磁場の力で加速していく様子が想像できるでしょう。ナノテラスの加速部では亜光速(ほぼ光速度)の電子の束が運動します。更に磁場で振動させることで「非常に強い放射光」が放出されるのです。

(技術詳細は後日補足します。)

メーカー商社の戦略

化学商社大手の長瀬産業がナノテラスに資金を投入して新素材の開発を進めます。(一口)5千万円の加入金を投じて研究を開始しました。メーカー商社(どっちやねんw)として開発製造に挑みます!!一口の加入金で10年間利用します。
【長瀬産業は「メーカー商社」を自称していますが登記上は「卸売業」です。】

巨額の加入金を支払っている長瀬産業は優先的にナノテラスを使う立場にあります。それにせよ巨額の開発投資です。商社なのに凄い、と思います。

構造の変化を動画で

ナノテラスの大きな特徴は連続した変化として現象を把握できる点です。画像を使って連続した現象を見れます。モノが壊れていく過程、物が剥離していく過程を原子サイズの大きさ(レベル)で観察できます。

一例として粉ミルクを圧縮成型する過程では急激に「力をかけにくくなる」変曲点が存在します。その時の個々の粒子の変形状態は今までは可視化出来ませんでした。

また、2ナノのサイズで開発が進む次世代半導体の世界でも活等出来ると期待されています。配線に対しての樹脂コーディング過程をチェックできます。防湿・防塵・耐薬といった特性を維持するためのコーディングをチェックする事で高精度の計測を完成させています。(詳細は特許に関わるので「非公開」のようです)

ナノテラスは国内で他に類を見ない制度で精度よく短時間で減少を観察できる放射光施設です。 

需要ありきの市場参入

今回の長瀬産業の研究参画では大きな特徴があります。それは売り上げの大半を商社機能で稼いでいく長瀬産業ならではの販売戦略です。グループ外企業との共同研究でのノウハウ・技術が蓄積されると同時に、長瀬産業が販売の中で得ている「市場の製品ニーズ」を長瀬産業が結びつけて開発を進めていけるのです。

いわば「需要ありきのマーケットイン」が出来る事です。すでに顧客との会話の中で利用をしていきたいというニーズが多々あり利用計画が立てられないほどだそうです。

大学教科書・専門書・医学書 専門買取サイト「専門書アカデミー」

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【Topic_速報】なんと、2024年のノーベル化学賞もAI関連でした

ノーベル化学賞もAI関連

2024年度はノーベル化学賞でもAI関連の人物が受賞をしました。デミス・ハサビス氏(Googleディープマインド)ジョン・ジャンパー氏(Googleディープマインド)、米ワシントン大学のデービット・ベーカー氏が受賞しました。前者の二人は「タンパク質の構造予測」が受賞理由です。ベーカー氏の受賞は「計算でのタンパク質設計」に対しての評価でした。

先日の物理学賞の発表でも物理学の主流と異なる分野の人物の受賞で意外に思われた方も多いと思います。そうした時代なのです。ノーベル化学賞でもAI関連の技術開発(研究?)が評価されました。

タンパク質の構の造予測

ハサビス氏とジャンパー氏は構造予測で成果を出しました。アルフォードと名付けた技術でタンパク質の構造予測をします。数百にのぼるアミノ酸の解析にAIを使い手間暇を大幅に減らしたのです。ハサビス氏は旧ディープマインドの共同創業者でもあります。

Demis Hassabis(デミス・ハサビス)とJohn Jumper(ジョン・ジャンパー)―「タンパク質の構造予測」

Google DeepMindでCEO(最高経営責任者)を務めるDemis Hassabis氏と同社のJohn Jumper氏は、AIを活用したタンパク質の構造予測に大きく貢献しました。彼らが開発したAlphaFoldは、これまで数十年にわたって科学者たちが直面してきた難題、つまりタンパク質の折り畳み問題を解決するための画期的なツールです。タンパク質のアミノ酸配列からその立体構造を予測することは非常に困難とされてきましたが、AlphaFoldはこれを高い精度で達成しました。

ハサビス氏は少年時代は「天才チェス少年」として活躍し、その中で自分の思考が他社とどう違うか考え続け、AIの世界にのめり込んでいきました。その過程で神経学者として研究を続ける時期がありました。その時に人間の脳をまねた情報処理の手法を研究していきました。その成果がAlphaFoldなのです。

具体的には、AlphaFoldはタンパク質の一次配列から三次構造を予測し、これにより薬剤の設計病気の理解に新たな道を開くことになりました。従来の実験的な方法と比べて、予測にかかる時間やコストを大幅に削減でき、これまで予測が困難だったタンパク質の構造も特定できるようになりました。

タンパク質の設計

ベーカ氏は創薬の分野で成果をあげています。ロゼッタフォールドと名付けた技術で医療分野に有効なタンパク質を設計してきたのです。

David Baker(デービット・ベーカー)―「計算でのタンパク質設計」

ワシントン大学のDavid Baker氏は、計算技術を駆使したタンパク質の設計において顕著な業績を挙げました。彼の研究チームは、AIや計算アルゴリズムを利用して、自然界に存在しない新しいタンパク質をデザインする技術を開発しました。これにより、酵素の設計新しい材料の開発医療用タンパク質の創出など、応用可能な分野が飛躍的に広がりました。

具体的には、彼らの技術は、疾患治療や環境に優しい産業プロセスの実現に役立つ新しい酵素を作り出し、これまでにない形で生物学的システムをエンジニアリングすることを可能にしています。従来の実験に頼るアプローチでは不可能だった分子レベルの設計が、計算手法によって可能となり、さまざまな実用的な応用が期待されています。

AIのノーベル化学賞への貢献

2024年のノーベル化学賞は、AI技術が科学に与える影響の大きさを象徴しています。これまで分子生物学や化学の研究は実験に依存していましたが、AIが計算による予測や設計を可能にし、科学的発見のスピードと精度を飛躍的に向上させました。今回の受賞は、科学の最前線でAIが果たす重要な役割を強調するものと言えるでしょう。

最後に懸念

ヒントン氏が懸念点をあげている事は忘れてはいけません。「AIが人間を排除するリスクを懸念している」と危惧感を抱いているのです。ジョークを理解し、常人以上の流暢な会話をこなし、判断力に優れるAIは現実のものです。もはや、チェスは将棋で名人クラスの人物を負かしているのです。そんなAIが人間に不利益を働く思考を作り得るのです。

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