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J・J・トムソン
‗【電子の単位を明確にして同位体を示した優れた実験家】1/6改定

こんにちはコウジです。
半年ごとの既存記事見直しの作業です。
今回は中世19世紀に概念・手法を確立していった偉人を紹介します。
では、ご覧ください。内容を整理し、リンクを見直しました。
現時点での英訳も考えています。
(以下原稿です)

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J・J・トムソン【1856年12月18日生まれ~1940年8月30日没】

出典:Wikimedia Commons(Public Domain)

その名はジョゼフ・ジョン・トムソン

;Sir Joseph John Thomson。

イギリスのJJトムソンは同位体の発見者です。

指導者としてはラザフォードオッペンハイマーボルンの師でした。
JJトムソンは
物理学の発展に大きく貢献しました。先ずケンブリッジ大学
を卒業し、4年後に
キャヴェンディッシュ研究所の所長を務めます。
さらに、電子の実在を形にしていった一人でもあります。
JJトムソンは1897年の一連の陰極線の実験で、
電子という普遍的な粒子の存在を世界ではじめて示しました

その成果は当時の物理学界に衝撃を与え、「電子の発見」として
広く評価されています。
いくつかの洗練された実験で、J
Jトムソンは電子の単位量を決めて
特定原子の同位体を示しました。

トムソンによる電子の追及
【陰極線から電子線へ】

J Jトムソンの生きた時代の大きな関心は電子でした。ニュートン力学が確立され、それをもとに色々な議論が進んでいた時代に、トムソンは原子核などの束縛を受けていない所謂「自由電子」の振る舞いを明らかにしていきました。トムソンが考えていた時代、初めは陰極線と電子線という言葉さえうまく使い分けられていなかったようです。

電子が沢山放出されるような現象を作り上げて、飛んでくる電子を観測していくイメージです。電子線と呼んだ方が細いイメージです。一昔前の実験装置で「真空ガラス」で電子の流れが可視化できている姿を陰極線、最近の電子ビームで半導体加工の為に電子を飛ばす時には電子線と表現する人が多いです。物理の常識が変化して着目している点が変化しているとも言えます。

原子核の周りをまわっているような「束縛された電子」は当時でも今でも観測の対象とすることはとても難しいのです。また、JJトムソンの子供も後に、電子の波動性を証明してノーベル賞を受けています。

そして、いくつもの偉業を遂げ

J・J・トムソンの亡骸は

ニュートンの墓のすぐ近くに眠っています。

英国の生んだ偉人として。

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Its name is Joseph John Thomson

[Sir Joseph John Thomson].

This JJ Thomson of England is a discoverer of  the isotopes. As a leader, he was a teacher of Rutherford, Oppenheimer, and Born, and contributed greatly to the development of physics.

At first,JJ Thomson graduated from Cambridge University and will be the director of the Cavendish Laboratory four years later. And , He is also one of the people who shaped The Reality of Electrons. There may be some disagreement about the discovery of the electron, but in some sophisticated experiments,Joseph  Thomson determined the unit amount of the electron and showed the isotope of a specific atom.

J Thomson’s pursuit of electrons

The history of  John Thomson and electronics is closely related. In an era when Newtonian Mechanics was established and various discussions were proceeding based on it, we clarified the behavior of so-called “free electrons” that are not bound by atomic nuclei. At the beginning, it seems that even the terms cathode ray and electron beam were not used properly.

It is an image of observing flying electrons by creating a phenomenon in which a lot of electrons are emitted. It is a thinner image to call it an electron beam. It is very difficult to observe “bound electrons” that seem to orbit around the nucleus even now. The child of JJ Thomson also later received the Nobel Prize for proving the wave nature of electrons.

And now, the corpse of JJ Thomson, who has achieved several feats, is sleeping in the immediate vicinity of Newton’s tomb. He was a great man born in England.

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田中館 愛橘(たなかだて あいきつ )
【日本物理学の黎明期にイギリスとドイツで物理学を学び日本に紹介し、ケルビン卿を敬愛した偉人|多くの人材を育て「種まき翁」と呼ばれた男|フォノグラムを研究した先駆者】

-1/5改定

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田中館 愛橘(たなかだて あいきつ)【1856年10月16日生まれ ~ 1952年5月21日没】

日本物理学創設期の人
田中館愛橘

その名は田中館・愛橘と書いて

たなかだて・あいきつ、と読ませます。

生まれた年は旧暦の時代で安政3年9月18日です。
【新暦で1856年10月16日です】
没年は新暦での昭和27年です。

田中舘家には、南部藩に仕えて義に厚い武士が祖先にいた
と伝えられています。いわば「赤穂浪士のような義士」
という意味で語られてきたのでしょう。

そうした家風のもとに、田中館愛橘は生まれました。

そうしたイメージから語り出したいと思います。
田中館は時代の変革期に生まれました。

 

田中館愛橘の生い立ち

ご紹介する田中館愛橘の父方は
兵法師範の家系であり、
愛橘は藩校である作人館に学びます。
作人館での同窓生には原敬がいて後輩には
新渡戸稲造がいました。

存じませんでしたが
立派な学校ですね。東京に出て慶應義塾に通い
ますが学費が高額なので東京開成高校に進みます。

今で言えば東大教養学部のイメージでしょうか。
そこで愛橘は山川健次郎から物理学を学びます。

政治にも関心を持っていたようですが、山川から諭され、
日本での理学の遅れを挽回せんと愛橘は物理学を志しました。

1879年に東大で外国人教師であるメンデンホールが
(ユーイングと共に)トーマス・A・エジソンの発明した
フォノグラフを日本に紹介しましたが、田中館愛橘は
早速試作を行いました。その音響や振動の解析を行っています。

音を音質と音量に分けて考えたり、
フィルター処理をする作業が日本で始まったのです。
1880年にはメンデンホールによる重力観測に参加し、
東京と富士山で観測作業を行いました。

当時の世界一の性能を持っと言われたた
電磁方位計を研究開発しました。

そんな時期に、、

突然、福岡に帰っていた父・稲蔵が割腹自殺したとの
知らせを受けて田中館愛橘は明治16年12月に帰郷します。

土地や家などを売り払い東京三田での愛橘の教育の為に
一家総出で引っ越しをしたようなお父様でした。
そのお父様がなくなったのです。

そしてその年に東京大学助教授となりました。詳細は
いつか調べてみたいです。この時期気になる動きです。
時代の変革期に各人が考え抜いていたはずです。

田中館愛橘とケルビン卿

その後、田中館愛橘はイギリスでケルビン卿に師事し、
大きな影響を受け、生涯を通じてケルビンを敬愛しました。

その後1890年にヘルムホルツのいた
ベルリン大学へ転学、電気学などを修めます。

この時代の電気に対する理解は、項を改めて
マクスウェルらと関連して語っています。

電磁気学は力学と異なり色々な人々の多様な知見が
次々重なり形成されていった歴史があるのです。

力学のように第一法則、第二法則、
として電磁気学では出来ていません。

 

愛橘は東京帝大理科大学教授となり後に
理学博士の学位を受けます。更にデンマークのコペンハーゲン
で開かれた万国測地学協会 第14回総会で
地磁気脈動や磁気嵐の発表をします。

田中館愛橘の業績

時代柄もあって、田中館愛橘は陸軍や海軍に対して貢献します。
地磁気測量では指導の中心的な役割を果たしています。

旅順での戦闘の際には敵情視察用の繋留気球の制作を依頼されています。
それが愛橘と航空研究のきっかけ
となりました。

田中館愛橘は中野の陸軍電信隊内での気球班で気球研究を始め、
制作および運用法を指導しています。試行錯誤の末に気球を完成させ、
旅順戦で戦闘に使用しています。

そして田中館愛橘が60歳になり、教授在職25周年のパーティで
愛橘は辞職する旨を伝えました。後の東大での定年退職制度に繫がっていきます。

また、田中館愛橘は数多くの人材を育てました。教え子としては長岡半太郎
中村清二本多光太郎、木村栄、田丸卓郎、寺田寅彦などが居ます。
それ故、愛橘は「種まき翁」、「花咲かの翁」と呼ばれたそうです。
95歳7か月の天寿を全うしました。


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Tanakadate Aikitsu,

whose name is Aikitsu, is written as Aikitsu.

Born on September 18, Ansei 3 in the lunar calendar. [October 16, 1856 in the new calendar] The year of death is 1952 in the new calendar. It seems that his ancestor was called Ako Ronin of the Southern Clan, so I would like to start with that image. He spent his youth in a period of change.

By the way, Tanakadate Aikitsu’s father is a family of military art masters, and Aikitsu learns from the clan school, Sakujinkan. The alumni at the Sakujinkan was Takashi Hara, and his junior was Inazo Nitobe. I didn’t know about it, but it’s suary a good school.

He went to Tokyo and go to Keio University, but the tuition fee is high, so he went to Tokyo Kaisei High School. Is it the image of the Faculty of Liberal Arts at the University of Tokyo now? There, Aitachibana learns physics from Kenjiro Yamakawa.

Yonger days of Tanakadate

In his younger days,Aikitsu have been interested in politics, but Yamakawa advised him to make up for the delay in Japanese science, and Aitachiya decided to pursue physics. He introduced Edison’s invented phonograph to Japan in 1879 with Mendenhall, a foreign teacher at the University of Tokyo, but Tanakadate Aikitsu made a prototype immediately. He is analyzing the sound and vibration.

He started working in Japan to divide sound into sound quality and volume, and to filter it. In 1880, he participated in gravity observation at Menden Hall and carried out observation work in Tokyo and Mt. Fuji. Aitachi made an electromagnetic directional meter, which was said to be the world’s number one high-precision directional meter at that time.

 

Tanakadate Aikitsu returns home after being informed that his father, Inazo, who had returned to Fukuoka in December 1884, committed suicide by seppuku. And that year he became an assistant professor at the University of Tokyo. Details will be investigated later. Because it is a movement that is worrisome at this time.

Tanakadate and Baron Kelvin

After that, Tanakadate Aikitsu studied under Sir Kelvin in England and was greatly admired Kelvin throughout his life. After that, he transferred to the University of Berlin, where Helmholtz was, in 1890 and studied electrical engineering. His understanding of electricity in this era will be discussed later in the context of Maxwell et al.

Unlike mechanics, electromagnetism has a history of  accumulating diverse knowledge of various people one after another made electromagnetism. It has not made as the first law or the second law of mechanics.

Aitkitsu became a professor at the University of Tokyo Science University and later received a doctorate in science. He will also present geomagnetic pulsations and geomagnetic storms at the 14th General Assembly of the International Association of Geodesy Sciences in Copenhagen, Denmark.

 

Job of Tanakadate

Also, due to his time, Tanakadate Aikitsu contributes to the Army and Navy. He plays a central role in his guidance in geomagnetic surveying. During the battle in Lushun, he made a mooring balloon for hostility inspection. That was the catalyst for Aikitsu and his aviation research.

Tanakadate Aikitsu started balloon research in the balloon team within Nakano’s Army Telegraph Corps, and is instructing production and operation methods. After a lot of trial and error, the balloon was completed and used in battle in Lushunkou.

 

When Tanakadate Aikitsu turned age 60, he announced that he would resign at the party of his 25th anniversary as a professor. He will be involved in the retirement age system at the University of Tokyo later. In addition, Tanakadate Aikitsu has nurtured a large number of human resources.

His students include Hantaro Nagaoka, Seiji Nakamura, Kotaro Honda, Hisashi Kimura, Takuro Tamaru, and Torahiko Terada. Therefore, They called Aitkitsu”Seeding old man” and “Hanasakika old man”. He completed his life of 95 years and 7 months.

(NOTE)Transition Words,
“In the same time,on the other handsin addition for exanple” is Important.

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山川 健次郎
【後進を育てた日本物理学黎明期の先駆者・東大総長】-1/3改定

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難しくない物理学
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山川 健次郎【1854年9月9日生まれ ~ 1931年6月26日没】

画像提供WikipediaCommons

山川健次郎の人生

山川 健次郎は日本人初の大学物理学教授です。その家は会津藩の家老家で戊辰戦争では健次郎は白虎隊に所属していました。自刀していった仲間もいた中で、山川健次郎は落ち延びました。その後に米国へ国費留学を果たし、イェール大学で物理学を修めます。日本に戻り、最終的には東大総長・京大総長を務めます。

山川健次郎と辰野金吾

私の家祖が会津藩・彰義隊でしたので個人的に彼になんとなく親近感と敬意を持っていました。山川健次郎は国費留学生として イェール大学で学位を修めます。また、東京駅の設計に携わった建築家・辰野金吾とは奥様を通じて親戚関係となっています。

山川健次郎のお人柄と研究成果

山川健次郎のお人柄を表すエピソードとして
日露戦争に関するものがあります。当時、
彼は東大で総長を務めていましたが、
愛国心に満ちた健次郎は陸軍に詰め寄り、
一兵卒として従軍させろ」と担当を困らせたそうです。
個人・家族・所属国家と意識が繋がっていたのですね。
その時にはもはや、賊軍だった頃の意識は無いのでしょう。

山川健次郎の時期の物理学会は諸外国との交流を感じさせません。特にコペンハーゲン学派が中心となって次々と新しい知見をもたらしていた時代に日本の物理学は黎明期にありました。欧州よりもむしろ日本に開国を促した米国に目を向けていたのです。それが精一杯だったのでしょう。「お雇い外人」は殆ど米国人です。

そして山川の時代まで欧州は遠く、新大陸はまだ
未開の部分が今より多い時代です。
米国の独立戦争が1861年から1865年だったことも
思い返してみましょう。

後の時代に原子核内の相互作用を解き明かしていく若者達を育てていく時代だったのです。山川健次郎と同年代のカメリー・オネスローレンツは師に恵まれ論敵に恵まれて、マッハボルツマンの構築した知見の中で考えを進めていたのです。大きく異なる環境から日本の物理学はスタートしています。

山川健次郎自身の(現代水準の意味での)注目すべき研究論文は多く残されていないようです。研究内容をまとめた論文も広く知られていません。あるのでしょうか。それよりも寧ろ、後輩達を育てながら次の時代への為の土壌を育んでいたと考えるべきでしょう。

また、この時代に千里眼を巡る話題が世間を騒がせていましたがそれに対して山川健次郎は批判的で冷静な立場をとっていたと伝えられています。今も昔も千里眼という不可思議な現象は「議論して解明できる内容ではない」と考える方が良いようです。

〆最後に〆

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Yamakawa Kenjiro’s life

Kenjiro Yamakawa is Japan’s first physicist. The house was the old family of the Aizu clan, and Kenjiro belonged to Byakkotai during the Boshin War. Kenjiro Yamakawa fell asleep while he had his own sword. He then went on to study abroad in the United States and studied physics at Yale University. He will return to Japan and eventually serve as President of the University of Tokyo and President of Kyoto University.

Kenjiro Yamakawa and Kingo Tatsuno

My ancestor was the Aizu clan Shogitai, so I personally had a sense of familiarity with him. Kenjiro Yamakawa is a government-sponsored international student and he completes his degree at Yale University. He also has a relative relationship with the architect Tatsuno Kingo, who was involved in the design of Tokyo Station, through his wife.

Yamakawa Kenjiro’s personality
and research results

There is an episode about the Russo-Japanese War as an episode that shows the personality of Kenjiro Yamakawa. At that time, he was the president of the University of Tokyo, but the patriotic Kenjiro rushed to the Army and asked him to serve as a soldier. Your consciousness was connected to your individual, your family, and your nation. At that time, I wouldn’t be aware of what I was when I was a thief.

The Physical Society of Japan during Kenjiro Yamakawa’s time does not make us feel any interaction with other countries. In particular, Japanese physics was in its infancy at a time when the Copenhagen school was playing a central role in bringing in new knowledge one after another.

It was an era of nurturing young people who would unravel the interactions within the nucleus in later times. Kamerlingh Ones and Lorenz, who were of the same age as Kenjiro Yamakawa, were blessed with teachers and controversial opponents, and were advancing their thoughts based on the knowledge built by Mach and Boltzmann. Japanese physics starts from a very different environment.

Kenjiro Yamakawa’s own research results have not been reported. A paper summarizing his research is also not widely known. Is there? Rather, it should be considered that he was raising his juniors and nurturing the soil for the next era. In addition, it is said that Kenjiro Yamakawa took a critical and calm position against the topic of clairvoyance that was making a noise in this era. Even now and in the past, it seems better to think that the mysterious phenomenon of clairvoyance is “not something that can be discussed and clarified.”

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昨夜の「数学白熱教室」 【2015-11-28投稿分_谷山氏_フェルマーの定理】

NHKのEテレの「数学白熱教室」第三回を見た。いつもの通りで途中で少し眠ったようだが、多分後半の重要なところは見た。

フェルマーの定理から、谷山・志村・ヴェイユ予想へと話が進む前の数論と方程式の解の話もおもしろかった。よくわかったというわけではないが、不思議なものがそこにあるという感覚は感じ取れた。

ワイルズともう一人の研究者のフェルマーの最終定理の解決も実は谷山・志村・ヴェイユ予想の解決であり、それとフェルマーの定理とが密接に関係しているという話も興味深かった。またこれはフレンケルが現在研究しているラングランズ・プログラムの一例になっているという。

もともとフェルマーの定理はピタゴラス数の拡張として考えられたとの説明は数学がどうやって広がっていくかを示した話であったと思う。ピタゴラス数として3, 4, 5のつぎは13,12, 5であるが、そこらあたりまでなら誰でも知っているだろう。だが、それらよりも大きい数にもピタゴラス数はある。

谷山さんは自ら命を絶った数学者であるが、彼は不思議な予想能力があった人だったという。一方、志村さんは今でも生きていて、ちくま学芸文庫に数冊本を書き下ろしている。

でも妻によれば私の眠っていたときの話は素数にある種の対称性があるという話だったという。そういう話だとフレンケルさんの話でなくとも誰か数学者が本に書いてあってもいいはずだと思う。だから、どれかの数学の本で読むことができるかもしれない。

(2024.3.23付記)その後、志村さんも亡くなったが、いつなくなったのかは覚えていない。だが、最近まで存命だったことは確かである。

 

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あけましてオメデトウございます。今年も宜しくお願い致します。【@2025元旦】_1/1投稿

こんにちはコウジです。
「オメデトウございます」の原稿を投稿します。

投稿前に誤字がありました。
細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
そして沢山情報が伝わるように努めます。
(以下原稿)

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

個人として今年は新しいことを色々と始める積りですので
物理学の考察には時間を使わなくなってくると思えます。

昨年度のノーベル賞受賞を思い出してみても、
AI関連での発展が顕著なので、そうした考察を追いかけます。

先ずは新しい知見である「プログラム学習」を身に付け、
次々と最新トレンドを追いかけられるように体制を整えます。

その中で、進展に合わせて過去の科学史を振り返り
新しい意義を考察していきたいと思うのです。
(年初は書評の再考、サイト内リンクの確認をします)

実際、A8が運営するFanBlogが4月で閉鎖するという情報があるので
本ブログからのリンクをチェックしていかないといけませんね。

今年も宜しくお願い致します。

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【改訂】東大が量子コンピューターを2023年秋に導入
(IBM社製‗127量子ビット)

東大

こんにちはコウジです!
「東大が量子コンピューター」の原稿を改定します。
今回の主たる改定は新規追記分の補完です。
大分長いこと改定していませんでしたね。

初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。

SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。

(写真は従来の基盤の写真です)

以下投稿の内容は2023/04/22の
日経新聞記載の情報メインです。
現代の情報だと考えて下さい。

新聞記事を離れた所で冷静に考えていくと
税金の使い道の話でもあります。

日本国民の皆様が一緒になって考えて、
出来れば知恵を出し合えたら
より良い展開に
つながる類の話題なのです。しかし、
実のところ、大多数の日本国民は
「量子コンピュータ?言葉は聞くけれども…」
って感じで内容が議論されていません。
議論を喚起しましょう。

本記事では私論を中心に語ります。但し、
記載した量子ビット数は何度も確認しています。

ニュースのアナウンサーも語れる内容が少ない
のでしょう。
そんな中で東大本郷キャンバスでは
記者会見が開かれ、IBM社のフェローが
「有用な量子コンピューターの世界がすぐそこまで来ている」
と語っています。

物理学を専攻していた私でも多分野において下調べが必要です。
当面、「ラビ振動」、「共振器と量子ビットの間の空間」
「ミアンダの線路」、「量子誤り訂正」といった概念を
改めて理解し直さないと最新の性能が評価できません。

特に理化学研究所に導入された機種は
色々な情報が出ていて教育的です。対して
東大が導入するIBM社製の量子コンピューターは
トヨタ自動車やソニーグループなど日本企業12社での
協議会による利用を想定していて、
利益享受を受ける団体が限られています。
今後の課題として利用の解放(促進)が望まれます。 

東京大学が川崎拠点に導入

既に27量子ビットを導入している川崎拠点に2023年の秋に
127量子ビットの新鋭機を導入する予定です。
経済産業省は42億円の支援を通じて計算手法等の
実用面へ向けての課題を解決していく予定です。

一例としてJSR(素材メーカー)が「半導体向け材料の開発」
を想定して活用する方針を打ち出しているようですが
具体的にプロジェクトに参加する事で得られるメリットを
明確にする作業は大変そうです。

現時点での量子コンピューターの国内体制

報道では「量子ビット」の数に着目した表現が多いです。
実際に理化学研究所では2023年の3月に64量子ビットの
装置を導入して研究を進めています。

また、英国のオックスフォード・クァン・サーキッツ
は都内のデータセンターに今年の後半に量子コンピューター
を設置予定で外部企業の利用も想定しています。

対して米国のIBMでは433量子ビットのプロセッサーが開発
されていて、2023年度中には1000量子ビットの実現、
2025年度には4000量子ビット以上の実現を計画しています。 

EV電池開発に革新的貢献ができるか

一例としてIonQ社とHyundai Motor社は共同で
量子コンピューターに対する
バッテリー化学モデル
を開発しています。(2022年2月発表~)

実際に同社は新しい変分量子固有値ソルバー法
(VQE:Variational Quantum Eigensolver)を共同で開発してます。
開発目的はバッテリー化学におけるリチウム化合物や
化学的相互作用の研究への適用です。

 特定の最適化問題を解決するVQEは原理的に
量子コンピューターと親和性が良いです。
変分原理を使用し、ハミルトニアンの基底状態エネルギー、
動的物理システムの状態の時間変化率を考えていくのです。
計算上の限界で、既存システムでは精度に制約がりました。

 具体的に酸化リチウムの構造やエネルギーのシミュレーション
に使用する、量子コンピュータ上で動作可能な
バッテリー化学モデルを共同開発しています

リチウム電池の性能や安全性の向上、コストの低減が進めば
EV開発における最重要課題の解決に向けて効果は大きいです。
【実際、EV価格の半分くらいはバッテリーの価格だと言われています】

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【Topic_2021/05/17投稿_9/25改定】
次世代加速器計画【ILC】

2021/5/10の日経新聞記事の情報を基本として
トピックをお知らせします。

日米欧の計画で進む国際リニアコライダー(ilc)
は新しい物性物理学の理論において
突破口を開くと期待されます。
また経済面でも期待され、
「科学のオリンピックを30年続ける」
ような効果があると評価する人々もいます。

また、日本学術会議は「事故対策」「不確定要素」
を懸念しています。そんな中で、宇宙が誕生した
状態を再現することを目的としていて
新しい理論に繋がる実験を計画しています。実際に
建設する予定は東北地方の北上山地が予定地
となっており2035年ころの稼働を目指しています。
総建設費は8000億円となります。

大きさは全長最大で20キロメートルで
小柴
氏・梶田氏がノーベル賞を受けたヒッグス粒子を
大量に作ります。

実験の姿としては
両側から+とー(プラスとマイナス)の
電荷を其々帯びた電子と陽電子を発射して
光速度近くまで加速した上で衝突する事で
大量のヒッグス粒子が発生する姿を観測
しようというものです。

ヒッグス粒子は物質に質量を与える
素粒子であると考えられていて
欧州合同原子核研究機関(cern)にある
巨楕円形加速器「lhc」で2012年に観測されています。

現代物理学で注目される微粒子なのです。

その数は理論的には1種類とも5種類とも言われ、
実際の実験結果が期待されます。また、
全宇宙の1/4を占めると言われるダークマター
の発見も期待されます。

同様な計画は中国でも進んでいるようで、
こちらの動きも注目されます。

アニメのエバンゲリオンに出てくるような
未知の粒子が制御出来るとしたら
素晴らしいですね。

新聞を読んだ時は計画の推進面だけしか
分かりませんでしたが、実際問題を含んでいて、
乗り越えるべき障壁もあります。

今後の情報をもって再度、
話題を改定したいと思います。



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