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ウィーン大学(Universität Wien)
関係【独語圏最古の大学】-3/28改訂

こんにちはコウジです。
「ウィーン大学」の原稿を改訂します。

今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
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細かい文章も再考しています。しっかり正確に。
そして沢山情報が伝わるように努めます。
(以下原稿)

↑Credit:Wikipedia↑

Ⅰ.始めに

物理学の発展史において(特に20世紀初頭に)ウィーン大学は非常に重要な大学であったと言えるでしょう。そこで交わされた実在論と実証主義の論争は哲学的であるとも言えます。(実際にボルツマンの人物紹介では「物理学者にして哲学者」と表現されているような場合が多々あるのです。)ドイツ語圏最古の歴史を誇るこの大学で幾多の論争が繰り広げられました。そして、シュレディンガーが量子力学の中で、実在論の立場を体系的に結実させています。そうした議論の発展を年代順に、ご覧ください。

Ⅱ.年代順のご紹介

C・A・ドップラー_1803年11月29日 ~ 1853年3月17日

エルンスト・マッハ_ 1838年2月18日 ~ 1916年2月19日

L・E・ボルツマン_1844年2月20日~1906年9月5日

F・ハーゼノール_1874年11月30日 – 1915年10月7日

ポール・エーレンフェスト_1880年1月18日 ~ 1933年9月25日

シュレディンガー_1887年8月12日 ~ 1961年1月4日

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2021/03/31_初版投稿
2025/03/28_原稿改定

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大栗博司
【おおぐり ひろし‗1962年生まれ ~ ご存命中(2025/3月確認)】‐3/21改訂

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「大栗博司」の原稿を改訂します。

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(以下原稿)

はじめに

今回、ご存命中の物理学者の紹介です。
思いっきり現役の学者さんをご紹介します。
カリフォルニア工科大学の大栗博司氏です。
特に個人的な面識はありませんが
研究内容・研究室運営・期待感が圧倒的に魅力的なのです。

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その研究内容

私にとって最も興味深い一面は研究内容です。大栗氏は
現代物理学での最先端だと言える「ひも理論」を研究しています。
竹内薫の「超ひも理論」を読んで、私が初めて理論を考え始めた時期には
ひも理論が10次元の視点を持っている点が面白く思えました。

相対性理論力学からが4次元までの拡張をしていった延長線上で、
10次元がある
ように思えたのです。その時期はひも理論は
詳しく追いかけていません。
今でも理論を語れるとは
思えないほどですが、どうしても気になっていました。

その後、
2023年の2月の終わりに日経新聞で改めて紹介されているのを見て

本記事の記載に至りました。この理論の紹介は外せません。

特に初学者が分かり易い言葉を使ってご紹介いたします。
今も進んでいる物理学が伝われば幸いです。

日経記事ではカリフォルニア工科大学のジョン·シュワルツらが
「超弦理論」で1984年に大きな成果を上げた時期に、大栗氏が

「米国から3ヶ月遅れの船便で届く論文を心待ちにし、
むさぼるように読んで魅了されました」

と伝えています。(カッコ内は大栗氏の言葉でしょう。)
ご自身の関心を拡げたわけです。
新しい情報に食らいつくことは大事です!

【新聞からの引用部分は太字にしています(以下同様)】

その後、大栗氏は東京大学に進み理論を極めていきます。大栗氏は語ります。「理論物理学者には実際に密接に関わって新現象や新粒子を見つけるタイプと、長い目で見て理論的枠組みや普遍的な数学的手法を開発するタイプが居ます。僕は後者の方です。」 そして、量子力学と相対性理論を合わせて考える究極の統一理論の考えだします。具体的には重力を量子力学に取り組んでいこうと考え、宇宙誕生のメカニズムを踏まえて、大栗氏は紐理論の研究を進めるのです。

大栗氏の華麗な足跡

大栗氏は京都大学でマスターをとり、東京大学でドクターをとります。
その後、プリンストン、シカゴ大、京都大UCBなどを経て
カリフォルニア工科大学で教鞭をとっています。
シカゴ大学で大栗氏を誘ったのは40歳も年が離れた南部陽一郎でした。

(カリフォルニア工科大学では今でも教えています)また、
パリ第六大学で客員成就をされていた時期もあったそうです。

終身理事等のタイトルを持ち、今も活国で活躍されています。
科学史の舞台となった場所が次々出てくるのです。
ご自身のブログで「PHYSIC TREE」と題して思考形成の流れ
を記録しています。最善の仲間を作った様子が分かります。

その研究室での活動は活発で現在でも各国から
研究者を受け入れて議論を進めています。
カリフォルニア工科大学内で
ご自身のブログも開設されていて
数年前まではブログも頻繁に更新していたようです。
(カルテックでのブログは2021年3月頃まで確認)

大栗氏は語っています。

「超弦理論が究極の理論として正しい解であるかは分からない。
しかしこれまでに試された理論の中では最良である。」
と考えは変わらなかった。
「不易流行という言葉があります。」。

『不易(本質的)なものを目指して「統一理論(重力と量子力学の統合)」
の世界に至る為に、超弦理論という「流行」へ飛び込んだ』
と大栗氏は述べています。もっとも正しい
と思える道を突き進んでいるのです。

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2023/03/30‗初稿投稿
2025/03/21‗改訂投稿

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S・W・ホーキング
【筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患いながらも星の進化を研究】3/18改訂

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宇宙を語る
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【1942年1月8日生まれ ~ 2018年3月14日没】

ホーキング博士の研究領域

ホーキング博士は相対論を含めて宇宙の理論を研究しました。
特にブラックホール、量子的効果、その生成から消滅に
至るまでを突き詰めていった博士です。

博士の御両親が共にオックスフォードに学んていた
こともあり、ホーキング博士もオックスフォードで
物理学を学びます。各国の王族や次期指導者と共に
勉学を修めたわけです。大学時代はボート部に所属して
大学院進学時には成績も芳しくなかったようです。
そして、ホーキング博士はケンブリッジに進みます。

何より博士は若くして筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、
大きな困難に立ち向かいます。当時は命を落とす病である
といわれ、意思伝達・行動範囲拡大の為に独自の技術使い、
デバイスを使いこなしていきます。

ホーキング博士の研究態度

研究の面ではブラックホールに関する研究を進めて
星の進化を考え、中心部に存在するであろう
特異点を考え「特異点と時空の幾何学」の論文
をまとめ上げます。その特異点の考え方にには
幾つかの段階がありますが、端的に
「光的捕捉面 (trapped null surface)」
なるものを考えてみます。エネルギー密度を考えると
「測地線」というものが考えられるか考えられないか、
という議論を繰り広げたのです。その議論は
相対論的に古典力学を考える範疇の話であって、
量子論的な相対論の考えを最新の科学では進めています。

またホーキング博士は、タイムマシーンの実現の為には
無限のエネルギーが必要であるとの考えを持っていて、
タイムマシーンの実現可能性を否定しています。
タイムマシーンは夢のある話ですが当然困難もある
と言ってみたかったのですね。

ホーキング博士の最後

また私に印象深かったのは安楽死に対する意見です。
権利を認めていながらも、ホーキング博士の立場
として出来る事をしたいという前向きな立場
をとっていて共感出来る部分がありました。
ホーキング博士は不自由な体でブラックホールや
人口知能技術に思いを巡らせていたのです。
晩年にはニュートンが務めていたルーカス職
をホーキングは引き継いでいます。

そして、最後の時が来たのです。
偉人の人生も終わりを迎える時が来ました。
ホーキングはケンブリッジ大学近くの自宅で
最期を迎えました。そして今、ホーキングは
ニュートンの墓の近くで眠っています。

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2020/10/09_初稿投稿
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(2021年11月時点での対応英訳)

Dr. Hawking’s research area

Dr. Hawking studied the theory of the universe, including relativity. He is a doctor who has scrutinized black holes, quantum effects, and their creation and extinction.

Dr. Hawking also studied physics in Oxford, as both his parents had studied in Oxford. He studied with the royal family and the next leaders of each country. He belonged to the rowing club when he was in college, and when he entered graduate school, his grades were not good. Then Dr. Hawking goes to Cambridge.

Above all, he suffers from amyotrophic lateral sclerosis (ALS) at a young age and faces great difficulties. At that time, it was said to be a life-threatening illness, and he will master his unique technology and devices in order to communicate and expand his range of activities.

Dr. Hawking’s research attitude

In terms of his research, he will proceed with research on black holes, consider evolution, consider singularities that may exist in the center, and compile a paper on “Singularity and Space-Time Geometry”. There are several stages in the idea of ​​the singularity, but in short, let us consider what is called a “trapped null surface”. He argued whether or not a “geodesic” could be considered when considering the energy density. The argument is a category of relativistic classical mechanics, and the latest science is advancing the idea of ​​quantum relativity. Dr. Hawking also denies the feasibility of a time machine because he believes that infinite energy is required to realize a time machine. Time machine is a dream story, but of course there are also difficulties.

The end of Dr. Hawking

Also impressed with me was his opinion on euthanasia. Although I acknowledged my rights, there was a part that I could sympathize with because I took a positive position that I wanted to do what Dr. Hawking could do. Dr. Hawking was crippled and pondered about black holes and artificial intelligence technology.

And the last time has come.
It’s time to end the life of a great man.
Hawking at his home near Cambridge University
He has reached the end. And now Hawking
He is sleeping near Newton’s tomb.

 

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竹内均
【科学の啓蒙活動を続けた初代Newton編集長】

-2/25改訂

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「竹内均」の原稿を改訂します。

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科学雑誌NEWTON
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【1920年7月2日生まれ ~ 2004年4月20日没】

 竹内均のメガネ

私の中での竹内均さんのイメージは

特徴的な眼鏡かけたTVコメンテーターでした。

実際、
竹内均さんは文筆活動中もあんな感じだったそうです。
沢山本を出していますが、作業はテープレコーダ
への録音一辺倒です。文章に起こす秘書さんが居て
一緒に作業します。独特の書き方ですね。

それでもお人柄から悪い印象は持ちません。
人から好かれる性格ですね。竹内均は自分に厳しくて
子供に優しい人だったと言われています。
独特の喋り口調が印象的で通り易い声で
聴きやすいリズムで人に語りかけていました。
子供向けの伝記を沢山、監修していて
キューリー夫人伝」とか「エジソン伝」とかの表紙に
小さく竹内均の名前が入っていたりしました。
そんな啓蒙活動を考え続けて初代NEWTON編集長
として日本の一般向け教育書を作っていきます。
ちなみに、
非常に名前が似ていると思える方で
竹内薫さん
という方が居まして、私は時々混同してしまいます。
失礼。。。
本人がツイッターでコメしているように
「親戚ではありません(笑)」

 民衆と竹内均

物理学の理解には個人の勉強も必要ですが、
学問の性質上、万物を人がどう考えるか
(モデル化していき理解するか)
という論点が欠かせません。

個人が理解するという考え方と同時に日本人が、
そして人類が理解していくというプロセスが欠かせません。

大衆にも理解出来る物理モデルが作れた時に理論は出来上がる
のです。ギブスの文章を書くときに協調しましたが
「数学者と物理学者の視点は異なる」のです。

数学は論理として完結しているモデルであれば
現実と対応が付かないでも問題がないです。
そんなものです。

物理学は絶えず現実と対応する理論を作らないと
意味がありません。特定の事例で有効でも
大衆が間違えやすい理論を構築できないのです。

竹内均はそういった民衆との対話をとても大事にしていました。

 竹内均と地球物理学

竹内均の仕事を考えていくと寺田寅彦の系譜です。
具体的には直接の講義・指導を受けていない孫弟子
にあたります。

地球物理学に関心を持って、特にプレートテクトニクス理論
を広く広めています。実際に地面が少しずつ動いていく様子
を伝える際に物理学者として地球の内部構造や
境界面での様子を伝えたのです。
深い知見を持って伝えたのです。

そして何より、

竹内均さんの独特の「優しい言葉」で伝えたのです。

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2021/07/04_初版投稿
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(2021年11月時点での対応英訳)

Hitoshi Takeuchi’s glasses

The image of Hitoshi Takeuchi in me is

It is a commentator with characteristic glasses.

In fact, he was like that during his writing activities.

I have published a lot of books, but the work is a tape recorder

It’s all about recording to. There is a secretary who wakes up in the text

Work together It’s a unique way of writing.

 

Still, I don’t have a bad impression from my personality. It’s a personality that people like. Hitoshi Takeuchi is said to have been a strict and child-friendly person. His unique speaking tone was impressive, and he spoke to people with an easy-to-listen voice and an easy-to-listen rhythm. I supervised a lot of biographies for children, and there was a small name of Hitoshi Takeuchi on the cover of “Mrs. Curie’s biography” and “Edison’s biography”. Continuing to think about such enlightenment activities, as the first editor-in-chief of NEWTON, I will make educational books for the general public in Japan as well.

People and Hitoshi Takeuchi

Understanding physics requires individual study, but due to the nature of scholarship, the issue of how people think of everything (modeling and understanding) is indispensable. At the same time as the idea of ​​individual understanding, the process of understanding by the Japanese and humankind is indispensable. The theory is completed when a physical model that can be understood by the general public is created. I collaborated when writing Gibbs’ writing, but “the perspectives of mathematicians and physicists are different.” If mathematics is a model that is complete as logic, there is no problem even if it does not correspond to reality. That’s it. Physics is meaningless without constantly creating a theory that corresponds to reality. Hitoshi Takeuchi cherished such dialogue with the people.

Hitoshi Takeuchi and Geophysics

Considering Hitoshi Takeuchi’s achievements, it is the genealogy of Torahiko Terada. Specifically, he is his grandchild who has not received direct lectures or guidance. He has an interest in geophysics and is particularly widespread in plate tectonics theory. As a physicist, he told us about the internal structure and boundaries of the Earth when he actually told us how the ground was moving little by little. He conveyed it with deep knowledge. And above all, I conveyed it with Hitoshi Takeuchi’s unique “gentle words.”

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D・J・ボーム
_【マンハッタン計画に参画しボーム解釈を提唱】
-2/21改訂

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ロシア革命
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【1917年12月20日 ~ 1992年10月27日】

 ペンシルバニアに生まれたボーム

細かく記載すると、その名は、

デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム_

David Joseph Bohm、ヘブライ語表記

ではדייוויד ג’וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם。

偶然ですが、ボームはロシア革命の年に生まれてます。
閉塞的な社会が打破された様子を新大陸で知ったのです。

そんな時代背景もボームの人生に影響を残しているのでは
ないでしょうか。ハンガリー系‎‎ユダヤ人の父と
リトアニア系ユダヤ人の母の間に
ペンシルベニア州で生まれ、
UCB(カリフォルニア州立大学バークレー校)
オッペンハイマーの教えを受けます。

そんな時期に学生時代に当時の知人の影響で
思想的
に影響を受け、異なった社会モデルを持つ
急進的な主義の考えをボームは抱きます。
後にはその為にFBIにマークされます。

 マンハッタン計画とボーム

第2次世界対戦の時にはボームは師であるオッペンハイマー
に従いマンハッタン計画
に参加します。その計画は
陽子と重陽子の
衝突研究を進め、濃縮ウランを作り原爆を製造
する計画で実行に移されました。

戦後、ボームはプリンストン大学でアインシュタイン
と共に働いていましたが、
いわゆるマッカーシズム(政治的な圧力)
にあい、
プリンストン大学を追われます。

社会主義者としての過去の活動を当局に問題視されたのです。
アインシュタイン
ボームに彼の助手として大学に残る事を勧めました。

ところが、その願いは叶わずにボームは
ブラジルのサンパウロ大学に移りました。
少し島流し的な印象を持ってしまいます。
菅原道真公の左遷も思い起こされます。

研究者としてボームは幾多の成果を残しています。
先ず
量子力学の解釈の面でボーム解釈。
EPRパラドックスの確認。そして、
電磁気学でのA-B効果です。
それぞれ問題の本質をとらえようと
考え続けていたように思えます。

こうした業績で、その分野の考えに
今でも残る影響を与えています。

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Baume born in Pennsylvania

To be precise, its name is David Joseph Bohm, in Hebrew notation דייוויד ג’וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם.

Coincidentally, Baume was born in the year of the Russian Revolution. I think that such a historical background has also influenced Baume’s life. Born in Pennsylvania to a Hungarian Jewish father and a Lithuanian Jewish mother, he is taught by Oppenheimer at the UCB (University of California, Berkeley). At that time, Baume embraced the idea of ​​radicalism, which was ideologically influenced by his acquaintances at the time when he was a student and had a different social model. He was later marked by the FBI for that.

Manhattan Project and Baume

During World War II, Baume follows his teacher Oppenheimer to participate in the Manhattan Project. The plan was put into practice with a plan to produce enriched uranium and produce an atomic bomb by proceeding with research on the collision of protons and deuterium. After the war, Baume worked with Einstein at Princeton University, but was ousted from Princeton University due to so-called McCarthyism. His past activities as a socialist were questioned by the authorities. Einstein advised Baume to stay in college as his assistant. However, that wish did not come true and Baume moved to the University of Sao Paulo in Brazil.

As a researcher, Baume has made many achievements. He first interprets Baume in terms of the interpretation of quantum mechanics. Proposal of the EPR paradox. And the AB effect in electromagnetism. It seems that each of them kept trying to capture the essence of the problem. These achievements still have an impact on his thinking in the field.

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坂田 昌一
【相互作用の過程を議論|電磁場の量子化を行った先駆者】-2/18改訂

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星新一ショートショート
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坂田晶一の生きた時代 

坂田昌一は素粒子を研究した物理学者です。

湯川秀樹朝永一郎らと同じ時代を生き、議論を交わし、
物理学会を切り開きました。
京都帝国大学を卒業していて
名古屋帝国大学で教えています。

また意外なご縁なのですが、坂田昌一の奥様の信子さんは
SF作家・星新一の従兄弟なのです。

坂田モデルの坂田博士 

坂田昌一の理論物理学での業績は「電磁場の量子化」
に関するものが
あげられます。質点の議論が進んで、
相互作用の過程を議論していったのです。

その当時は場を量子化する時に電子の
「質量が発散する」現象が
問題でした。
その問題に対して坂田昌一は
中間子の概念を使って問題解決に挑みます。

最終的には、この量子電磁力学での問題は
朝永振一郎がくりこみ理論使い説明し
解決します。
また、
坂田昌一は湯川秀樹の中間子に関する論文で
協同執筆者を務めています。坂田さんって
そんな仕事をしていった人なんですね。

また、坂田昌一の業績としては、
陽子・中性子・ラムダ粒子を基本粒子と考え、
その構成に対する「坂田モデル」
を提唱した点が、
特筆すべきでしょう。その坂田モデルは
大貫 義郎益川敏英、小林誠
ら次の理論的な土台となり
議論が進んだのです。
それぞれ次世代の議論へと繋がった、確かな成果です。

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(2021年11月時点での対応英訳)

The time when Dr. Sakata lived

Shoichi Sakata is a physicist who studied elementary particles. He lived in the same era as Hideki Yukawa and Ichiro Tomonaga, exchanged discussions, and opened the Physical Society of Japan.

He is a graduate of Kyoto Imperial University and teaches at Nagoya Imperial University. In addition, Shoichi Sakata’s wife, Nobuko, is a cousin of science fiction writer Shinichi Hoshi.

Dr. Sakata of Sakata model

Shoichi Sakata’s achievements in theoretical physics are related to the quantization of electromagnetic fields. At that time, the problem was that the mass of the electron diverged when the field was quantized.

Shoichi Sakata tries to solve the problem by using the concept of mesons. Finally, this problem in quantum electrodynamics will be explained by Shinichiro Tomonaga using renormalization theory. Shoichi Sakata is also a co-author of a paper on Hideki Yukawa’s mesons.

It should be noted that Shoichi Sakata’s achievements are that he considered protons, neutrons, and lambda particles as elementary particles, and proposed a “Sakata model” for their composition. The Sakata model became the next theoretical foundation for Yoshiro Onuki, Toshihide Maskawa, and Makoto Kobayashi, and discussions proceeded. These are solid results that have led to discussions for the next generation.

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朝永 振一郎
【繰りこみ理論を駆使して素粒子間の反応を理論的に解明】-2/9改訂

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物理学とは何だろうか
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朝永振一郎の生い立ち

朝永振一郎は私が使っていた教科書

Diracの「量子力学」】の翻訳者でした。

また、朝永振一郎の著作では「スピンはめぐる」と
「物理学とは何だろうか」が有名です。(AmazonへGo)
沢山の著書を残しました。

 

他著書のご紹介①;鏡の中の物理学

朝永振一郎のご先祖様は大村藩

(現在の長崎県内にありました)の流れをくみます。

そして、そんな朝永振一郎の父は京都大学哲学科教授でした。そんな生い立ちをもった、朝永振一郎は現在の筑波大学の前身となった大学、東京教育大学で教鞭をとり、最終的には学長を務めます。東京に生まれ京都で育ち、世界で議論しました。

朝永振一郎の業績

朝永振一郎の研究業績で私が最も偉大である
と思えるのは繰り込み理論です。
ファインマン・ダイアグラムと呼ばれる不可思議な模式図で
表現される
素粒子の反応がありますが、そこでの過程における
数学的矛盾を見事に説明しています。

ファインマンの経路積分にも数学的な美点を感じますが
朝永振一郎の理論の方が
直感に訴える説得力を持っています。

好みといえば好みの問題ですが、発散・∞という大問題に対して
ラムシフトを正しく吟味して相対論的に計算が出来た時に
一瞬にして話が繋がり
感覚的に
「正しかったんだ」と思えるのです。

朝永振一郎の理解で量子電磁気学の整理が進み、
素粒子物理学が大きく進歩したのです。

朝永振一郎は晩年、大学入学以前の若者に対し
科学的な啓蒙を進めていました

最後に、朝永振一郎は湯川秀樹

京都大学で同期でした。それぞれの形で

当時の物理学で完成形を作り上げたのですね。

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(2021年10月時点での対応英訳)

The background of Shinichiro Tomonaga

Shinichiro Tomonaga was the translator of the textbook I was using [Dirac’s “Quantum Mechanics”]. Its ancestors follow the flow of the Omura domain (currently in Nagasaki prefecture).

And Shinichiro Tomonaga’s father was a professor of philosophy at Kyoto University. With such a background, Shinichiro Tomonaga teaches at Tokyo University of Education, the predecessor of the current University of Tsukuba, and eventually becomes the president. He was born in Tokyo, raised in Kyoto, and discussed around the world.

Achievements of Shinichiro Tomonaga

The greatest research achievement of Shinichiro Tomonaga is the renormalization theory. There is a reaction of elementary particles that is also expressed in a mysterious schematic diagram called the Feynman diagram, but it explains the mathematical contradiction in the process. Feynman’s path integral also has a mathematical beauty, but Shinichiro Tomonaga’s theory is more intuitive and convincing.

Speaking of taste, it is a matter of taste, but when the Lamb shift is correctly examined for the big problem of divergence and ∞ and the calculation can be done relativistically, the story is connected in an instant and it seems that it was “correct” sensuously. is.

With the understanding of Shinichiro Tomonaga, quantum electrodynamics was organized and particle physics made great progress. Shinichiro Tomonaga also promoted scientific enlightenment for young people before entering university in his later years.

Finally, Shinichiro Tomonaga was in sync with Hideki Yukawa at Kyoto University. Each form was completed by the physics of the time.

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お問い合わせ等もろもろ_他
【トピックの情報も残します】

トピック関連などを改定します。

関連リンクは特に変更しません。ご覧下さい。

【以下原稿です】

このブログを作っていく改定で、

始めはブログの羅列を重ねてきました。

数年ぶりのブログ作成であって

見て頂いている方を意識して

いなかった面があると思います。

お恥ずかしい。そこで、

更新している私の現状を関心ある読者に伝え
今後の運営について意見を取り入れていく仕組みを
作りたいと考えています。

無論、日々の科学者列伝の更新は可能な限り続け、
内容をより確かな物にしていきたいです。
そして、自身の娘が知識を吸収していくように顔の見えない皆様も少しずつ知識と想像の枠を広げていって欲しいと思います。私も知見を増やしたい。意見をよりしっかりした物にして、現実の生活でも無理のない範囲で色々な議論を広げたいのです。斯様な目的を意識して、その為の一つの場としてこのブログが役に立てば嬉しいのです。

また、分野別の枠組みで網羅されない話は以下に列記して補いたいと思います。ログ自体はどんどん流れて
どんどん埋もれていく物だと思いますが。

・爵位について

・(平賀源内) ⇒ 科学史の対象に移行、記事廃止
・トピック_高温超電導

・別サイト立ち上げました

・トピック_量子計算機実用化の波
・(小柴昌俊)⇒ 科学史の対象に移行、記事廃止
・トピックス エクソソーム実用化へ
・トピック_スペースX実用段階へ

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/19_初稿投稿
2021/12/15_改定投稿

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歴史的な集合写真
1927年10月開催
【第五回ソルベー会議】

SolvayConf-1927

本日以降、以下原稿を見直します。

網羅されていない参加者もおもいつきますが、

特に今後、ブルリアンらを取り上げてみる予定です。

これからもご覧下さい。【以下原稿です】

第五回ソルベー会議

著作権が切れていると思われる素敵な写真を見つけ、
このサイトのTOPで使っています。1927年10月に開催された5回ソルベー会議での写真です。この時の議長はヘンドリック・ローレンツで、論題は「電子と光子」です。多くの革新的議論がなされました。物理を築いてきた偉人に加えてハイゼンベルグ、ディラックといった若手が育っていった時代で、大きな変革期になっていった時代です。天才達が議論した偉大なブレイン・ストーミングです。

【後列左から】アウグスト・ピカール、エミール・アンリオ、ポール・エーレンフェスト、エドアード・ゲルツェン、セオフィー・デ・ドンデ、エルヴィン・シュレディンガー、JE・ヴァーサフェルト_W・E・パウリウェルナー・ハイゼンベルク、ラルフ・ファウラー、レオン・ブルリアン
【中列左から】ピーター・デバイ、マルティン・クヌーセン、ウィリアム・ローレンス・ブラッグ、ヘンドリック・アンソニー・クラマーズ、ポール・ディラックアーサー・コンプトンルイ・ド・ブロイマックス・ボーンニールス・ボーア
【前列左から】アービング・ラングミュア、マックス・プランクマリ・キュリーヘンドリック・ローレンツアルベルト・アインシュタインポール・ランジュバン、チャールズ・ウジェーヌ・ギイ、CTR=ウィルソン、オーウェン・リチャードソン

以後

リンクは随時更新します。お楽しみに。

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
例えば問題点には適時、
返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/19_初版投稿
2021/11/29_改定投稿

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熱統計関連のご紹介
量子力学関係




(2021年9月時点での対応英訳)

I found a nice photo that seems to be out of copyright
It was used at the TOP of this site. This photo is a taken at the 5th Solvay Conference held in October 1927. The chair at this time was Hendrik Lorentz, and the topic at this time was “electrons and photons.” Many innovative discussions took place. In addition to the great men who have noticed physics, young people such as Heisenberg and Dirac grew up, and it was a time of great change. Great brainstorming discussed by geniuses.

[From left in the back row] August Picard, Emile Henriot, Paul Ehrenfest, Edoard Herzen, Theophie de Donde, Erwin Schrodinger, JE Versafeld_WE Pauli, Werner Heisenberg, Ralph Fowler , Leon Herzen
[ in the middle row from left] Peter Debye, Martin Knudsen, William Lawrence Bragg, Hendrick Anthony Kramers, Paul Dirac, Arthur Compton, Louis de Broglie, Max Born, Niels Bohr
[From left in front row] Irving Langmuir, Max Planck, Marie Curie, Hendrik Lorentz, Albert Einstein, Paul Langevin, Charles Eugene Guy, CTR = Wilson, Owen Richardson

After that, the link will be updated from time to time. looking forward to.

Above, mistakes and opinions
Please contact the following address.
For example, when it comes to problems,
We will reply and revise.

nowkouji226@gmail.com

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【2021/09/18初回投稿】今後のサイトの方向性についての問題点再考

このサイトも開設からそろそろ一年が

経とうとしていますが、段々と

読みやすくなってきていると自負しています。

ただ、課題もあるのでそういった点を

まとめていきたいと思います。

まず、記事だどんどん増えてきていますが、

其々の記事で次の物が求められます。

最低限のSEOを考えていくのです。

つまり、問題点は、

①文字数は最低でも3000文字欲しい。

満たせていない投稿が実際に1/3あると思えます。

②全ての項で小見出し「H2」が欲しい。

これは1/2以上の記事が未達です。

③他から独立した記事が出来てしまう。

特にトピックに注意します。

 

以上の問題を踏まえて今後は改善をしていき、

問題の少ないブログにしていきます。

以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/09/18_初稿投稿

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