東大

小柴昌俊
【やればできる|素粒子の一つであるニュートリーを観測】

ニュートリーノで探る
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【1926年9月19日生まれ ~ 2020年11月12日没】

小柴昌俊と新しい分野

小柴昌俊は物理学の新しい分野を切り開いた先人でした。

2020/11/12の夜に老衰の為、東京都内の病院で

お亡くなりになりました。大きな仕事を

成し遂げた後での享年94歳の大往生です。

小柴昌俊は物質の基本元素を構成する素粒子の1つである
ニュートリノを観測にかける事に成功しました。
その結果をもとに今ではニュートリノ天文学
という新しい分野を確立しています。

基本粒子ニュートリーノ 

ニュートリーノは星の進化過程で発生する基本粒子です。

驚いたことに、ニュートリーノを観測にかけたのは、
小柴昌俊が東京大学を定年退官する一月前の観測でした。

強運を指摘された小柴氏は
「運はだれにでも等しく降り注ぐが、捕まえる準備を
しているのか、していないのかで差がつく」(のですよ)、
と反論しました。強運の一言で片づけられないほど
沢山の実験をして、議論をして、下準備をしてきたから、
このように語れたのでしょう。
その前に沢山の知恵を巡らしてみたのでしょう。

東京大学宇宙線研究所に所属している梶田隆章は
小柴昌俊の弟子にあたりますが、ニュートリーノに
質量がある事を示しノーベル賞を受けています。

また、戸塚洋二も小柴昌俊の弟子にあたります。
小柴昌俊は朝永振一郎から可愛がられた若かりし時代を経て
梶田隆章教授、戸塚洋二教授を育てたのです。

小柴昌俊のカミオカンデ

晩年の小柴昌俊は岐阜県飛驒市にある鉱山地下、1000メートルに
3000トンの水を使った、巨大装置である通称「カミオカンデ」
を建設し、天体からのニュートリノを観測することに世界で初めて
成功しました。その装置ではニュートリーノが飛来する方向、
観測した時刻、エネルギー分布を明確に検出します。

その装置を使い小柴昌俊は実際に観測をしました。
カミオカンデの主目的はニュートリーノではありません
でしたが、ニュートリーノも観測したい、
という2段作戦で成功を得たのです。

執念の男・小柴昌俊はそうした結果を使い
ニュートリーノ物理学を進めたのです。
何より彼は大変な努力家でした。
そして温かい人柄で他人に接し、テレビでの
言動を覚えている人は多いのではないでしょうか。 

そして情熱家でした。科学に対する限りない愛を感じます。
そんな男が大きな仕事を成し遂げた後、
静かな眠りに落ちたのですね。

大きなお悔やみを申し上げます。合掌。

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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/11/12_初稿投稿
2024/09/30_改定投稿

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(2021年11月時点での対応英訳)

Masatoshi Koshiba and new fields

Masatoshi Koshiba was a pioneer who pioneered a new field in physics. He died at a hospital in Tokyo on the night of November 12, 2020 due to senility. He is 94 years old after completing a big job.

Masatoshi Koshiba succeeded in observing neutrinos, which are one of the elementary particles that make up the basic elements of matter. Based on the results, we are now establishing a new field called neutrino astronomy.

Elementary particles Nutrino

Nutrino is an elementary particle generated during the evolution of stars.

Surprisingly, it was one month before Masatoshi Koshiba retired from the University of Tokyo that he went to observe Nutrino. Mr. Koshiba, who was pointed out for good luck, argued, “Luck falls equally on everyone, but it makes a difference whether you are preparing to catch it or not.” I’ve done so many experiments, discussions, and preparations that I can’t put away with just one word of luck.
I think he said this.
Before that, I think I tried a lot of wisdom.

Takaaki Kajita, who belongs to the Institute for Cosmic Ray Research, the University of Tokyo, is a disciple of Masatoshi Koshiba, but has received the Nobel Prize for showing that Nutrino has mass. Yoji Totsuka is also a disciple of Masatoshi Koshiba. Masatoshi Koshiba raised Professor Takaaki Kajita and Professor Yoji Totsuka after a young age loved by Shinichiro Tomonaga.

Masatoshi Koshiba’s Kamiokande

Masatoshi Koshiba was the first in the world to succeed in observing neutrinos from celestial bodies by constructing a huge device known as “Kamiokande”, which uses 3000 tons of water at 1000 meters underground in a mine in Hida City, Gifu Prefecture. bottom. The device clearly detects the direction in which the nutrino arrives, the time of observation, and the energy distribution.

Masatoshi Koshiba actually made observations using the device. Kamiokande’s main purpose was not Nutrino, but he succeeded in a two-stage operation in which he wanted to observe Nutrino as well. Masatoshi Koshiba used these results to advance Nutrino physics. Above all, he was a hard worker. And he was a passionate person. He feels an endless love for science. After such a man did a big job, he fell asleep quietly, didn’t he? He has great condolences. Gassho.