2025年4月4日2025年3月30日に投稿 投稿者 元)新人監督 — コメントを残すオリヴァー・ヘヴィサイド_(Oliver Heaviside)【独学で電磁気学を発展させた男】4/4投稿 こんにちはコウジです。 「オリヴァー・ヘヴィサイド」の原稿を投稿します。別途、改定点はリンク切れ情報の改定です。 FanBlog閉鎖に伴いリンクは無効としてます。 細かい文章も再考しています。しっかり正確に。 そして沢山情報が伝わるように努めます。 (以下原稿)オリバー・ヘヴィサイド (Oliver Heaviside, 1850年5月18日- 1925年2月3日)オリヴァー・ヘヴィサイド(1850–1925)は、 大学にも研究機関にも属さず独学で活躍した イギリスの電気技師・物理学者です。 後に名誉博士号を受けたのでゲッチンゲン大学の写真 を使っています。イングランドで研究をした学者です。難聴を抱えながら、インピーダンスや演算子法の導入、 マクスウェル方程式の再構成など、電気通信と物理数学に 進展をもたらしました。彼は生涯の大半で、科学の権威と 戦い続けたのです。その中で電気通信、数学、科学の あり方を変えた人物でした。ヘヴィサイドの功績とその発明・発見マクスウェル方程式の再定式化とベクトル解析の進化オリヴァー・ヘヴィサイドの最大の業績は、 マクスウェルが導いた複雑な電磁気学の数式体系を 現代的な形へと再構築したことです。20の元をもった変数と20の方程式から成る難解な構造 だったものを、ヘヴィサイドは**ベクトル解析 (回転・発散)**を用いて4つの方程式へと単純化。この再定式化により、量子物理学との 親和性も高まりました。また、クォータニオンの負の二乗に違和感を持ち、 直感的な代替として双曲四元数の発展に影響を与えました。重力波の予言と関数の先駆的応用ヘヴィサイドは、電磁気学の知見をもとに 重力にも波動がある可能性を議論していました。 これはアインシュタインの一般相対性理論よりも 20年以上前の先見的洞察でした。ヘヴィサイドの階段関数を考案し、電気回路における スイッチ投入時の電流挙動を記述。現在「ディラックのデルタ関数」と呼ばれる 単位インパルス関数を、物理学で初めて 実用的に導入した人物でもあります。通信技術と数理手法への革命的貢献微分方程式を解くための演算子法を独自に構築し、 後に「ラプラス変換法」と接続され、 ブロムウィッチ積分として数学的に確立されました。電信回線の信号劣化を抑えるための伝送線路理論を開発。特に、大西洋横断ケーブルにおいては、通信効率を10倍以上改善 (10分に1文字→1分に1文字)という革新的成果を実現しました。 これはコイル(インダクタ)を回線に直列配置するという アイデアに基づいています。ポインティング・ベクトル(電磁エネルギーの流れ)も、 ヘヴィサイドが独自に発見。ヘヴィサイドの主な功績まとめ✅ マクスウェル方程式の再定式化とベクトル解析の導入✅ 重力波の可能性を予見(アインシュタイン以前)✅ 階段関数とデルタ関数の実用化✅ 演算子法による微分方程式の解法を開発✅ 伝送線路理論により通信効率を飛躍的に改善✅ 電磁エネルギー流のポインティング・ベクトルを独自に導出✅ ケネリー・ヘヴィサイド層(電離層)の存在を予言電磁気学用語ヘヴィサイドは、電磁気論において次のような造語を行った[45]。コンダクタンス:アドミタンスの実数部、抵抗の逆数(1885年9月)透磁率(permeability)(1885年9月)エラスタンス:パーミタンスの逆数、キャパシタンスの逆数(1886年)インダクタンス(1886年2月)インピーダンス(1886年7月)パーミタンス:現在のキャパシタンス(1887年6月)誘電率(permittivity)(1887年6月)アドミタンス:インピーダンスの逆数(1887年12月)リラクタンス(1888年5月)エレクトレット:永久磁石の電気的類似体。強誘電体など準永久的な電気分極を示す物質ヘヴィサイドは、サセプタンスとリアクタンスを造語した人物 として誤って扱われることがある。前者は チャールズ・プロテウス・スタインメッツの造語 によるものであり、後者はM. ホスピタリエによるものである。ヘヴィサイドの幼少期ヘヴィサイドを考えてみたら、きっとガッツと粘り強さ に長けた人物だったのだろうと思えます。 出来ることなら彼と語ってみたい。イギリスには そうした人物が昔から居るのでしょう。ファラデー然り。 ヘビサイトはロンドンのカムデン・タウン、 キングス・ストリート55番地(現在のプレンダー・ストリート) に生まれました。オリヴァー・ヘヴィサイドは製図技師で木版画家の父トーマスと母レイチェルのもと、3人兄弟の末っ子として生まれた。幼少期に猩紅熱で聴覚障害を負い、13歳で一家はカムデンに移住、グラマースクールに進学。成績優秀だったが、16歳で退学し、その後は独学で学び続けた。叔父チャールズ・ホイートストン卿(電信の共同発明者)は彼の教育に関心を持ち、1867年に甥を電信会社に送り出した。彼はその後、グレート・ノーザン・テレグラフ社でケーブル敷設に従事し、電気技師としての経験を積んだ。22歳までに科学雑誌に論文を発表し、ウィリアム・トムソンやマクスウェルらから注目を集めた。また、英国電気工学会への入会を拒否されるも、トムソンの推薦により入会が認められた。1873年、彼はマクスウェルの『電気磁気論』と出会い、その後の研究に大きな影響を受けることとなる。老年になってヘヴィサイドはこう回想した:私が若かった頃、マクスウェルの偉大な論文を 初めて見たときのことを覚えている...。 私はこの本が偉大で、より偉大で、最も偉大 (it was great, greater, and greatest)で、その力には 計り知れない可能性があることを知った...。 私はこの本をマスターしようと決心し、 作業に取り掛かった。私はとても無知だった。 数学的解析の知識はまったくなく (学校の代数学と三角法しか習っておらず、 ほとんど忘れていた)、そのため私の作業は 私のためだけにあるようなものだった。 可能な限り理解できるようになるまで、 数年かかった。その後、私はマクスウェルの論文を 脇に置き、自分の道を歩んだ。そして、 私はもっと早く前進した......。 私が私なりのマクスウェルの解釈に従って 福音を宣べ伝えていることは ご理解いただけるだろう 【Sarkar, T. K.; Mailloux, Robert; Oliner, Arthur A.;Salazar-Palma, M.; Sengupta, Dipak L. (30 January 2006).】ヘヴィサイドの中年期:自宅研究と技術革新1874年に電信技師の仕事を辞め実家へ戻った ヘヴィサイドは、被雇用者としての唯一の期間 を経て自宅で研究に没頭。彼は伝送線路理論や 表皮効果の解明、マクスウェル方程式の ベクトル解析への再定式化、そして微分演算子法の開発 などで電気通信技術に革新をもたらした。自宅での研究生活と伝送線路理論1874年以降、実家で独学を続けたヘヴィサイドは、電信線路における「インダクタンス」が減衰や歪みを抑え、すべての周波数の電流伝搬速度を均一化することを数学的に示しました。この成果は、電信回線の無歪み伝送に大きく寄与しました。業界紙への執筆と理論の基礎形成1882年から1902年にかけ、業界紙『The Electrician』に 定期的に記事を寄稿し、わずかな報酬ながらも 慎ましい生活を送りつつ、後の『電磁気理論』や 『電気論文』の基礎となる研究成果を積み上げました。発明と数理手法の革新1880年、表皮効果の研究と同軸ケーブルの特許取得 に始まり、1884年にはマクスウェル方程式を20の方程式から 4つの微分方程式に再定式化。さらに、微分演算子を用いた 演算子法を確立し、微分方程式の直接解法を提案しました。後に、厳密さに欠けるとして同提案は 大きな論争を引き起こした。ヘヴィサイドは この問題について有名な言葉を残しています。Mathematics is an experimental science, and definitions do not come first, but later on. They make themselves, when the nature of the subject has developed itself. (数学は実験科学であり、定義は最初に来るのではなく、 後から来るのである。定義というものは、 対象の本質そのものが明らかになったときに、 自ずと生まれるものなのである。)Shall I refuse my dinner because I do not fully understand the process of digestion? (消化のプロセスを十分に理解していない からといって、夕食を断ろうか?)ヘヴィサイドの革新的研究とその試練オリヴァー・ヘヴィサイドは、兄アーサーと共に取り組んだ 「電話のブリッジシステム」の論文で、電信線に コイルを加える提案を行いましたが、上司である ウィリアム・ヘンリー・プリースにより阻止され、 激しい対立を生みました。その後、彼の研究は 長らく評価されず、AT&Tの科学者たちによって 検証・発展され、特許申請の対象とされるも、 彼自身は自身の業績が正当に認められるまで 金銭的な補償を拒否しました。この挫折を契機に、 ヘヴィサイドは電磁放射に関する研究へと舵を切り、 移動する電荷の周囲で起こる現象の解明や、 ローレンツ力の正しい導出、さらに 電磁質量の概念の確立に取り組みました。対立と評価:電話ブリッジシステムの試み1887年、ヘヴィサイドは兄アーサーと共に 「電話のブリッジシステム」について論文を執筆しましたが、 その一部提案、すなわち電話線と電信線にコイルを 追加して自己インダクタンスを増大させる案は、 当時の伝送理論において自己インダクタンスを 伝送の大敵とみなしていたウィリアム・ヘンリー・プリース によって阻止されました。ヘヴィサイドは、プリースが 自身の業績を守るために研究を抑圧していると考え、 両者の間には長い敵対関係が生じました。電磁放射と運動量変化の先駆的研究その後、ヘヴィサイドは1888年と1889年の論文で、 移動する電荷の周囲で生じる電場と磁場の変形、 さらに密度の高い媒質に入った際の影響を計算し、 現代でいうチェレンコフ放射やローレンツ力の 磁気成分の正しい導出に成功しました。 これらの研究は、電磁気学の新たな展開に大きな影響を与え、 後の物理学の進歩に寄与しました。電磁質量と数理手法の革新1880年代後半から1890年代前半にかけ、ヘヴィサイドは 電磁質量の概念に取り組み、物質質量として 電磁的効果を捉える理論を提案しました。 彼の数理手法は、微分演算子を用いた直接解法 (後のラプラス変換法の先駆け)としても知られ、 後にヴィルヘルム・ヴィーンによって低速領域で 検証されるなど、現代の理論物理学に多大な影響を与えました。ヘヴィサイドの主要成果まとめ電話ブリッジシステムの提案と対立電信線にコイル追加の提案が上司によって阻止プリースとの激しい敵対関係が形成電磁放射の先駆的研究移動電荷周囲の電場・磁場変形を理論的に解明チェレンコフ放射、ローレンツ力の正しい導出に寄与電磁質量の概念と数理手法の革新電磁質量を物質質量として取り扱う理論を提案微分演算子を用いた解法の確立で 後の理論物理学に影響を与えた1891年、英国王立協会はヘヴィサイドの電磁気現象の 数学的記述への貢献を認め、王立協会フェローに任命しました。 翌年には同協会のPhilosophical Transactionsの 50ページ以上を彼のベクトル手法と電磁気論に割きました。ヘヴィサイド晩年の歩みと評価1896年春、フィッツジェラルドとジョン・ペリーは、 以前に王立協会からの援助申し出を断っていた ヘヴィサイドを説得し、年間120ポンドの 下賜年金を受け取ることを承諾させました。伝えられるところによると、優秀な科学者たちが 彼の隠れ家を脅かし、 年金受給を強制させたという逸話があります。1896年に父の死去を機に 初めて一人暮らしとなり、1897年にペイントンから ニュートン・アボットへ移住しました。 1902年には、後に「ケネリー・ヘヴィサイド層」 と呼ばれる電離層の存在を提唱し、 その後の電波伝播理論に大きな影響を与えたのです。孤独と移住の始まり以下年代順に項目にまとめご説明致します。1896年、父の死後、初めて一人暮らしとなる。1897年、ペイントンからニュートン・アボットへ移住し、 新たな生活を開始。科学的提案と栄誉1902年、電離層の存在(ケネリー・ヘヴィサイド層)を提唱し、 電波が地球の曲率に沿って伝達されることを示唆。1905年、ゲッティンゲン大学から名誉博士号を授与。1912年、ノーベル物理学賞の最終候補に7回ノミネート(1904~1914)。1922年、創設されたファラデー・メダルの初受賞者となる。最期の悲劇と遺産の保存1908年、ニュートン・アボットからトーキーへ移住。1924年、屋根修理中に11フィートの梯子から落下し 重傷を負い、1925年2月3日に亡くなる。彼はペイントン墓地に父母とともに埋葬され、 2005年に墓石が匿名の篤志家により修復された。孤高の天才、晩年の奇行とその背景 〜エキセントリックな日常と科学者としての葛藤〜オリヴァー・ヘヴィサイドは、孤独な理論家として知られる一方で、壮年期までは健康に関心を持つ活動的な人物でもありました。彼は自転車ブームに熱中する「スポーツマン」でもあり、科学者の枠にとどまらない幅広い興味を持っていました。しかし晩年になると、その生活は一転。社会との関わりを断ち、周囲から「風変わり」とも「狂気じみている」とも見られるような行動が目立つようになります。本章では、彼の後半生における奇行、宗教観、そしてアインシュタインとの思想的対立を通じて、天才科学者の心の奥を読み解いていきます。自転車に魅せられた活動的な理論家19世紀末、英国では「自転車ブーム」が起こり、スポーツや娯楽として自転車が上流から庶民にまで爆発的に普及しました。ヘヴィサイドもその例に漏れず、日常的にサイクリングを楽しんでいたことが記録に残っています。彼は静かな研究生活を送る一方で、屋外での運動や健康管理にも関心を持ち、特に壮年期には「自分の身体の状態」へのこだわりが強かったと言われています。弟チャールズが医師だったことも影響していたかもしれません。彼の生涯を通じて見ると、ヘヴィサイドは決して「偏屈な引きこもり」ではなく、元来はバランス感覚を持った活動的な人物だったのです。晩年の奇行:署名に「悪魔」、家具に花崗岩1920年代以降、彼の行動は次第に常軌を逸していきます。特に有名なのが、自分の名前をアナグラム化して「O! He is a very Devil(おお、彼こそは悪魔なり)」と手紙に署名するようになったこと。また、「W.O.R.M.」という称号を加えてサインするようにもなりました。これは「虫けら(worm)」と捉えることもでき、世間に対する彼なりの皮肉か、あるいは自虐だったと考えられています。さらに逸話として、家具として花崗岩のブロックを使い、自宅に運び入れていたという記録もあります(この事実はThe Royal Institutionの展示記録でも紹介されている)。また、指の爪をピンクに塗っていたという記述もあり、周囲の人々からは「変人」「世捨て人」と見なされるようになっていきました。当時、論文の原稿を人を介さずに食料品店に預け、編集者に取りに来させたというエピソードも残っており、彼の人間関係は極端に限定されたものであったことがわかります。科学と宗教、そしてアインシュタインとの思想的断絶ヘヴィサイドの宗教観については、彼がユニテリアン派であったという点が知られています。ユニテリアンとは、神の三位一体を否定し「唯一神」を信じる理性主義的な立場ですが、彼自身は「宗教心は薄く、信仰に頼る人々を軽蔑していた」とも伝えられています。この姿勢は、彼の強い合理主義・唯物論的思想を物語っています。また、彼はアインシュタインの相対性理論に対して強く反対していました。これは同時代の多くの科学者がアインシュタインの理論を受け入れていく中で、極めて珍しい立場です。数学史家ハワード・イーブスによれば、「彼は一流の物理学者の中で、当時アインシュタインを公然と批判した唯一の人物だった」とされ、その批判は「時に不条理に近い内容だった」とも評されています。背景には、彼が電磁気理論をベースとした独自の宇宙観を構築していたこと、そして自らの成果が十分に評価されなかったことへの反発もあったと見られています。Web参考情報:自転車ブームに関する文献:「The Cycling Craze of the 1890s: A Study in the Sociology of Technology」(David V. Herlihy等)英国王立協会によるヘヴィサイドの人物紹介:https://royalsocietypublishing.org/アインシュタイン批判について:Howard Eves『Mathematical Circles』より引用忘れられた天才への再評価 ― ヘヴィサイド・メモリアル・プロジェクトの始動かつては孤高の天才と呼ばれたオリヴァー・ヘヴィサイド。その最晩年は寂しく、彼の墓も長らく荒れ果てたままでした。しかし2014年、彼の功績を現代に伝えようとする英国ニューカッスル大学の研究者と地域住民たちによって、「ヘヴィサイド・メモリアル・プロジェクト」が発足。一般寄付を募って墓碑の修復が進められました。この章では、プロジェクトの背景とその目的、修復の経緯、そして記念式典に至るまでを丁寧にたどります。プロジェクトの発起人たちとその想い2014年7月、英国ニューカッスル大学の電磁気学研究者たちは、ヘヴィサイドの埋葬地であるトーベイ(Devon州パイントン近郊)の墓碑が風化・破損している現状を憂い、ニューカッスル電磁気学インタレスト・グループとともに修復プロジェクトを立ち上げました。彼らは「彼の理論が現代の通信・物理・工学の基礎になっているにもかかわらず、その存在は世間にほとんど知られていない」という危機感を持っていたのです。プロジェクトは一般市民からの寄付を募る形で進められ、わずか数週間で目標額を達成しました。墓碑修復と記念碑の除幕式修復された墓碑の除幕式は、2014年8月30日に開催されました。式典では、ヘヴィサイドの遠縁にあたるアラン・ヘザー氏が除幕を担当。彼は式辞の中で「オリヴァーは時代を超えた思索者だった。ようやくこの地で彼にふさわしい敬意を払える」と語りました。出席者には、トーベイ市長、地元選出の国会議員、サイエンス・ミュージアムの元学芸員(IET代表)、ニューカッスル大学の研究者など、多くの要人が名を連ね、彼の偉業を讃えました。地域との連携と教育的意義このプロジェクトは単なる墓碑の修復にとどまらず、教育・文化面での地域貢献も視野に入れていました。トーベイ市民協会と協力し、地元の学校や教育施設に向けて「ヘヴィサイドの科学的貢献を学ぶ教材」を配布。さらに、ニューカッスル大学は修復に際し、「STEM教育(科学・技術・工学・数学)」の振興を目的としたワークショップを開催。次世代の科学者や技術者に、彼の名が再び記憶されるよう働きかけました。21世紀に蘇る天才 ― 墓碑が語るヘヴィサイドの精神かつての科学的偉業も、物理的な痕跡が失われることで人々の記憶から薄れていく――それを象徴するかのように、オリヴァー・ヘヴィサイドの墓碑は長年放置されてきました。だが2014年、研究者と市民の手によってそれは再び「語りかける場」として甦ります。本章では、修復された墓碑の意匠や碑文、そしてそこに込められたメッセージについて詳しく掘り下げます。修復された墓碑のデザインと構造修復プロジェクトでは、風化により崩れかけていた旧来の石材を補強し、元のデザインを尊重しつつも視認性・耐久性に優れた素材へと刷新されました。墓碑は控えめなゴシック様式で、中央には “Oliver Heaviside, Mathematician and Physicist” の碑文が刻まれ、彼の生没年(1850–1925)とともに、「He gave the world new ways to see the unseen」(彼は、見えないものを見せる新たな方法を世界に与えた)という一節が添えられています。科学者としての尊厳と孤独を象徴する場ヘヴィサイドは生前、学会との軋轢や体調不良によって孤独な晩年を送りました。そのため、彼の墓も長く忘れられていました。だが、修復後の墓碑は、科学者の社会的孤立と知的貢献を同時に物語る「語り場」として新たな意味を持つようになりました。訪れる者は、そこに立ち尽くすことで、彼が遺した数式や思想の重みを静かに感じ取ることができます。科学的遺産の保存と伝承墓碑修復プロジェクトは、単なる美化運動ではありません。それは科学者の遺産を「物理的に残す」ことの重要性を、広く社会に伝える契機でもありました。科学技術は常に前進しますが、その礎を築いた者たちの足跡もまた、次世代に残すべき文化資産です。ヘヴィサイドの墓碑は今、研究者・市民・学生の対話の場として、新たな「学び」の出発点となっています。 ヘヴィサイドの墓。【出典:Wikipedia】英国工学技術学会が称えるヘヴィサイドの偉業電磁気学や通信理論の発展に大きく貢献したオリヴァー・ヘヴィサイドは、その生前・没後にわたり英国の工学界から高く評価されてきました。彼の功績は、英国工学技術学会(IET)による顕彰や記念アーカイブの保存に見ることができます。この章では、彼の業績がいかに後世に評価され、学術的にも記録され続けているかを詳しく見ていきます。IETアーカイブセンターに残るヘヴィサイドの軌跡ロンドンにあるIET(The Institution of Engineering and Technology)アーカイブセンターは、ヘヴィサイドに関する豊富な一次資料を所蔵しています。具体的には、数式ノート、草稿、通信文、そして彼の主著『電磁気理論(Electromagnetic Theory)』の原稿などが保管されており、研究者はこれを通じて彼の思考の軌跡を辿ることが可能です。特に、ベル電話研究所のオリヴァー・E・バックリーによる1950年の追悼音声もデジタル化されており、IETのバイオグラフィーアーカイブから視聴できます。名誉会員とファラデー・メダル授与による生前の評価1908年、当時の電気技術者協会(IEE、後のIET)は、ヘヴィサイドに名誉会員資格を授与しました。これは同会が選定する最も名誉ある称号のひとつであり、彼の理論的業績がいかに高く評価されていたかを物語っています。さらに、1922年には、IEE創設のファラデー・メダル第1回受賞者として選ばれました。この賞は、電気・電子工学における最高の栄誉のひとつとされています。ヘヴィサイド・プレミアム賞による永続的な記念1950年、IETはヘヴィサイドの功績を恒久的に称えるため、「ヘヴィサイド・プレミアム賞(The Heaviside Premium)」を創設しました。この賞は、毎年もっとも優れた数学論文に対して授与されるもので、彼の理論的影響が現在も研究者にインスピレーションを与えている証です。賞金額は当初10ポンドとされていましたが、その意義は金額を超えて、ヘヴィサイドという存在を後世に伝える役割を担っています。革新をもたらしたヘヴィサイドの発明と理論電磁気理論、微分方程式、信号伝送、関数解析など、多くの分野においてオリヴァー・ヘヴィサイドは革新的なアイデアを提唱し、理論と実用の橋渡しを行いました。本章では、彼が生み出した代表的な発明・理論的業績をピックアップし、現代にも通じるその影響力を探ります。マクスウェル方程式の再定式化とベクトル解析の普及マクスウェルの元の電磁気方程式は20個のスカラー式で構成され、非常に複雑でした。ヘヴィサイドはベクトル解析の演算子「回転(curl)」や「発散(divergence)」を導入し、これを4つのベクトル方程式に再構成しました。これにより、電磁気学の理解と教育は格段に効率化され、現代の「マクスウェル方程式」の原型となっています。物理学と工学の間の橋渡しとなったこの業績は、彼の最大の功績のひとつといえるでしょう。ヘヴィサイド階段関数・デルタ関数の導入ヘヴィサイド階段関数は、電気回路のオン/オフ切り替えを数学的に表現するために考案されたもので、制御工学や信号処理に欠かせないツールです。さらに彼は、現在「ディラックのデルタ関数」として知られる単位インパルス関数を、応用的に使用した最初の人物でもあります。ディラックが物理的解釈を与える以前から、ヘヴィサイドは工学的な直感によってこの関数を扱っていたのです。信号伝送理論と通信工学への応用ヘヴィサイドは、電信ケーブルを通じて信号をより速く・正確に伝えるための「伝送線路理論」を構築しました。これは、後に「電信者の方程式(telegrapher’s equations)」と呼ばれ、通信工学の基礎理論として今なお使われています。彼の理論によって、当時は1文字の伝送に10分かかっていた大西洋横断電信ケーブルの速度が、1分間に1文字にまで向上しました。また、彼はインダクタンス(コイル)をケーブルに直列に挿入することで信号損失を軽減できることも示し、実用的改善をもたらしました。〆以上、間違い・ご意見は 以下アドレスまでお願いします。 最近全て返事が出来ていませんが 全て読んでいます。 適時、改定をします。nowkouji226@gmail.com2025/04/04_初回投稿【スポンサーリンク】サイトTOPへ 舞台別のご紹介へ 時代別(順)のご紹介 イギリス関係 力学関係へ 熱統計力学関係へ 量子力学関係へAIでの考察(参考)【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】